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笑うムルジム9


 店内は、異様な空気に満ちていた。
 肉料理に使ったのだろうか。香ばしいスパイスの香りと、きついアルコール。そして、店全体をくもらせるようなタバコの煙。
 店に入ると、一瞬あたりの視線がこちらに集まったような気がした。が、表面上は、みな彼らにかまう様子もないように見せかけている。
 店内にいるのは、ほとんどが男で女は酌婦が数名いた。一言で言うと有象無象という印象だった。
 男達は、一見してろくでもない人間だというのはわかった。一瞬だが、殺気がこちらをむいたのにも気づいていたし、服装を見ても話してわかるようなものはいなさそうだった。女の方もけばけばしい化粧と派手な衣装であけすけに笑っていた。シャーが普段いるのは場末の酒場ではあるが、接しているのがずいぶん上品なリーフィであるし、ここまで乱れた雰囲気の酌婦はいなかった。
 別にそんな女達に出会ったのが初めてではない、が、シャーはそういう女性があまり好みではなかったし、むしろ苦手でもあったので、なんとなく萎縮してしまいそうだ。店内の不穏な空気ともあいまって、シャーはなんとなく気圧され気味だった。
 それは、シャーの少し後ろにいるゼダも同じだったかもしれない。ゼダなどは、常にもっと上品な店に出入りしているのだから、こういうところにはあまり来ないのかもしれない。
 そんな異様な店内にややこわごわしている中、ジャッキールは平気そうな顔ですいすいと客の中を縫って歩いていく。それに遅れるとややこしそうなので、シャーとゼダは慌てて彼についていった。
 ジャッキールは、亭主らしい男の近くの席を見つけてさっと座った。ちらりと男がこちらを見る。男の方もかなり人相が悪く、さすがはこの酒場の主だと思わされた。
 男が一瞬ジャッキールを気にしたようにしていたが、誰かまではわからなかったのだろうか。眉をひそめて怪訝そうにしているのをみて、ジャッキールが酒を頼むのに手をあげていった。
「久しぶりだな」
 その声で気づいたのだろうか。男の方に一瞬安堵らしいものがはしった。こういう店であるので、よそ者には過敏なのだろう。
「なんだ、旦那か。まだ生きているとは思いませんでしたぜ」
「あいにくと悪運だけは強いからな」
「それに、今日は連れがいるみてえだから、あんただと思わなかったのさ。あんたに友達がいるとはねえ」
 男は、そう答えてからからと笑った。
「少々貴様に聞きたいことがあってな」
「ああ、旦那とは久しぶりに話もしたいところだ。いいぜ」
「あのー」
 なにやら声がしたのでジャッキールが振り返ると、なんとなくついていけなくなって後ろで固まっているシャーとゼダが、居心地悪そうに突っ立っていた。
「どうした?」
「あのー、オレ達、その辺で飲んでてもいいっすか?」
シャーがなんとなくそんなことを言ったが、ゼダも特に反論をしなかった。多分ゼダも同じ気持ちだったのだろう。できたら、店の隅で目立たないように潜んでいたいのだ。
「貴様らも聞きたい話があるのだろう」
 ジャッキールがそうきいてくるので、シャーは慌てて首を振る。
「い、いやあ、ダンナの後でいいんで。というか、ダンナがちょろっとこのところの近況をきいてもらえればそれでいいんで」
「いいのか。もっと細やかな情報がほしいのだろう」
(こんな時に気をつかわなくていいんだよ!)
 空気を読め空気を! と、シャーは言いたい気持ちだったが、今のジャッキールにはそんなこと直にはいえそうもない。
「あの、ダンナもお久しぶりでしょうから、ほら、つもりつもった話もあるでござんしょうしねえ。ちょっときいてもらって、あとで教えてもらって、足りなけりゃきかせていただくってことで、ね?」
 シャーが、追従しながらいうと、ジャッキールはそれ以上追求しなかった。
「そうか。それでは、その辺で飲んでいろ。後で呼ぶ」
「すんませんね。ありがとうございます」
 シャーは、ほっとしてゼダと視線を交わしたものだ。
 そうして、二人は、店の隅っこの薄暗い場所を占拠して、頼んだ酒をちびちびやることに成功したのだった。
「もう、こういうとこ、苦手なんだよなあ」
 ジャッキールが向こうで亭主となにやら会話しているのを眺めながら、シャーはぼんやりといった。
「オレは、もっと酒はたのしーく飲みたいんだよね。こういう空気のとこってキライ。もう女の子いなくてもいいから、楽しく穏やかに騒がしく飲みたいぜ」
 ぼそりとつぶやくと隣でゼダが同意する。
「オレも。信用できる女の子としっとり飲んでるほうが楽しいぜ」
 趣向はちょっと違うが、二人ともこういう雰囲気の場は苦手らしい。
「こうも、戦闘意欲バリバリの連中に囲まれると、落ちつかねえよなあ。普段はやる気ない方だし」
「そうだよな。たまには刺激的なのもいいんだが、ちょっとなあ」
「とりあえず、こういうとこ慣れてそうなオッサンに任せよう」
「そうだな」
 二人はそのつもりにして、珍しく二人固まってちびちび酒を飲んでいた。
 ジャッキールは、というと、先ほどから亭主と何か話し込んでいる。ちゃんと話を聞いてくれているだろうか。少し不安だ。
そんなことを思いつつ、シャーは何気なく店内をぐるりと見回す。店の中は、外で見るよりもずっと広く感じられたが、それでもずいぶん人が多く、人口密度が高かった。多分、シャーがなんとなく息苦しく感じているのは、それもあるのかもしれない。別に人が多いのは平気だが、こうもろくでもなさそうな連中の中に放り込まれるのは気がすすまない。
 シャーもゼダも表面的には、自分を弱そうにみせているのが通常だ。それは、争いを避けて生きていることにつながっている。二人とも騒ぎが起こればそれなりに楽しんではいるし、敢えて自分から暴力沙汰にもっていくこともあったのだが、自分が望まない争いに巻き込まれるのは避ける傾向にある。理由もなく暴れたいわけでもないので、こういう風にむやみやたらと殺気にさらされるのは嫌いなのだろう。
 そんなことを考えつつなものなので、シャーも周りをじろじろ見回すことはしなかった。なにせ、自分は絡まれやすい顔をしているらしいので、なるべく目立たないようにしなければ。ここで騒ぎを起こすと、今日は最初から気合が入っているジャッキールの頭の線がぷっつんといきかねないので、余計にである。さしさわりのないように、さらりと周りをみまわしたつもりのシャーであったが、ある一点に目をとめて思わず顔色を変えた。
「アイツ」
 そこにいるのは、見覚えのある男だった。が、あまり思い出したくもない男でもあった。
 少し離れた壁際で隣の男となにやら談笑している様子の、ちょっとしたいい男。そいつとであったのは、確かリーフィの酒場でのことだった。
 男の名はベリレル。かつてリーフィと恋人関係だったという男だ。
 思わずシャーが、がたっと立ち上がりそうになったところで、ふとシャーの様子に気づいたゼダが服のすそを引っ張った。
「待て!」
 服のすそをひっぱられて、つんのめりそうになったシャーは、ゼダを横目ににらんだ。
「何しやがるんでえ」
「おいおい、何しに行くつもりだ。直談判するつもりかよ」
 ゼダは、声を潜めてやけに冷静にシャーを引き止める。
「お前、あいつが誰だか知ってんのかよ?」
 シャーは、絡むようにいいながらも、ゼダの視線を受けて声を低めた。
「知ってるよ。あれだろ。リーフィの別れたコレ」
 と、ゼダは親指を立てて言った。
「アレだろ。もしかしたら、ミシェの一件に絡んでるかもしれねえと考えてるんだろ」
 ゼダは、相手にさっと目を走らせながら言った。
「そこに予想がいかねえほうがどうかしているぜ」
 ゼダは、首を振る。
「だけどよ、だからって直談判してどうするんだ。オレ達がいっても逃げちまうぜ。オレとてめえは面が割れてるんだぞ」
「そりゃそうだけどよ」
 シャーは、むっと口をへの字に曲げつつ、ゼダを不機嫌そうに見た。言われればそのとおりだ。今回に限ってゼダの方が正しい。
「だったらどうしろっていうんだ?」
「お前ともあろうもんが。ほれ、面の割れてないのが一人いるだろ」
 ゼダは、ひょいと指をとある方向に向けた。
「一人って……」
 と、ゼダの指す方向を見てみると、なにやら一人酒をあおっているジャッキールの姿があった。
「ええ、ダンナに頼めってか?」
 シャーは、不満というより、やや不安そうにいった。
「そうするしかないだろ。あのダンナはアイツにあったことないんだから」
「しかし」
 シャーは、そうっとジャッキールの様子を見る。静かにしているが、いつもの雰囲気ではない。酒を飲んでいるのにしても、普段より明らかに飲んでいる酒の量も多い。ジャッキールは別に酒乱ではなかったはずだが、こういう昂揚した状態の彼が酒を飲んだ時にどうなるのかは、シャーも体験したことがないのでわからない。
「い、言うこときいてくれるかな、あのヒト。なんかがっつり飲んでるみたいだけど」
「とはいえ、他に方法がねえからな」
「よし」
 とシャーは、身を乗り出す。いざ、ジャッキールの元へと思いつつ、とりあえず、じっと様子を見ていたシャーは、ゼダのほうに視線をやってつぶやいた。
「なんか、ちょっと、怖いな」
「おう、無表情なところが余計な」
 ゼダが素直に同意した。
「しかし、何とかしねえとな。何かやばくなったら、手伝ってやるから」
「う、うん、いってみるか……」
 シャーは、どぎまぎしながら席を立ち、ジャッキールのいるほうに足を向けた。
 


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このページにしおりを挟む 背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。