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魔剣呪状32



「そうか、少々甘く見ていたよ」
 そういって、男が一人ふらりと姿を現した。
 まだ若い。少なくとも、シャーには、見覚えがなかったが、後ろのテルラの様子で、彼はなんとなく事情を知った。目の前の男は、取り立てて目立つということもない男だが、少なくとも、ジャッキールのように戦士でもなく、ゼダのようにどこかよれたところのあるやくざまがいでもなく、自分のように裏のある遊び人でもない。少なくとも、普段は、剣を振るう絶対的な理由をもたない男だ。
 だが、その男の目は、鍛冶屋の目ではなかった。血に飢えた目は、性格が変わった後のジャッキール、いいや、彼よりももしかしたら強い狂気を秘めている。
「ラタイ!」
 テルラの声が悲痛に飛んだ。その声が聞こえたのかどうか、ラタイは、顔色ひとつ変えていない。かつての愛想のいい兄弟子の雰囲気は、まるで一かけらものこってはいなかった。
「……やはり貴様か」
 ジャッキールは、沈んだ声で言った。
「ふ、ふ、ふ……。あんたが普段馬鹿正直すぎるものだからもっと鈍いやつだとおもっていたがなあ。いつから、オレだと気づいた?」
「昨夜、俺を斬ったときに……。……あの時、貴様はなぜ追撃してこなかったのか、気にかかっていた。確実に俺をしとめる絶好の機会だったというのにな。それについて、一昼夜考えた。そして、お前しかいないのに気づいた」
「理由はわかったのか?」
「ああ。……貴様は俺に死なれては困るのだろう。いいや、厳密に言うと、俺が他殺体で見つかっては困る。貴様の筋書きでは、あくまで俺が追い詰められて自殺しなければいけなかった。貴様は、すべてが終わった後、元の生活に戻ろうとおもっていたのだろうからな。……俺に罪をかぶせるなら、そういう生活ができると貴様は踏んだ。だから、俺に止めを刺さず、役人に逐一俺の動向を報告した」
 ジャッキールは、続けた。
「だが、普通、まだ殺戮を楽しむつもりのものなら、そうはしない。俺をあの場で殺すか、そうでなければ、まだ泳がせる。前者なら俺を殺すのも楽しみの一つであるからで、後者なら、俺が死ねば逃げ口上がなくなるからだ。これから先しばらく殺しを楽しみたいなら、俺をもっと利用するはずだ。俺には悪癖があることはわかっているだろうし、俺なら疑われても役人に駆け込むことはない。だとすれば、わざわざ、俺を痛めつけたまま、役人の前に投げ出すようなまねは中途半端だ。……楽しみの為に殺しているのではない。それに気づいたとき、ハルミッドの弟子が思い浮かんだ」
 ラタイは答えない。ジャッキールは、テルラのほうにちらりと目を向けていった。
「ハルミッドの弟子は二人。だが、ここにいる小僧は若すぎる。おまけに、剣の心得があるとは思えなかった。ハルミッドが死んだときに返り血を浴びていなかった。あの時間で着替えて平然と戻ってくるのは不可能だ。それに、この小僧は、ちょっと無愛想なところがあるからな。カディンのような男と取引をするとは思えなかった。そうだとすれば、ハルミッドの代わりに接客をし、頭がまわり、剣の心得があり、あの時姿を現さなかった貴様しかいない」
「やっぱり、人を殺すのが目的ってわけじゃあないのか」
 シャーが口を挟むと、ジャッキールは軽くうなずいた。
「そうだ。この男の目的は、そもそも人殺しではない。ただ、人を斬って、あの剣の切れ味が見たかった。いいや、剣の切れ味を確かめて、そして、師の剣の秘密を盗みたかった。ハルミッドは、剣を戦争の道具として作った。つまり、ほかの生き物では代用にならない。師は人殺しの道具として、剣を作ったのだから、人を殺さねばわからない。それにこの男はいきついた。だから、こうして人を斬って歩くようになったのだろう」
「そうだ。……師匠は、メフィティスの秘密を教えてくれなかった。俺はどうしても、秘密が知りたかったんだ!」
 ラタイは、はき捨てるようにいった。
「だが、師匠はメフィティスを俺に触らせもしてくれなかった! だから、俺は実戦のなかで、それを学ぼうとしたのさ」
 ラタイは、狂気にゆがんだ笑みを浮かべた。
「そして、収穫はあった! 斬る度に、師匠がどういう思いでこの剣を作ったかが、実感としてわかるんだ!」
「ハルミッドならそうだろうな。予想は大体つく」
 ジャッキールは、静かに言った。
「貴様はメフィティスがほしかった。カディンと組んだのは、師の剣を盗むのに協力がいったからだろう。カディンは、数日前剣を求めにいって、振られて帰ったそうだな。そのとき、貴様は、奴に話を持ちかけた。カディンには、私兵がいる。奴らに剣を盗ませるつもりだった。後で、ほかの剣を渡しておけば、メフィティスをあきらめるかもしれない」
「だが、あの時お前が現れた」
「そうだ。俺があの日偶然あそこに舞い込んだことで、予定が狂った。貴様、一瞬あせっただろう。だが、貴様は頭が回った。すぐさま、貴様は予定を変更し、俺を利用することにした。流れ者の俺に、ハルミッド殺しと盗みを着せれば、より貴様に疑いが向かなくなる。だから、貴様は、あの騒ぎの直後にあわせて役人を呼んでいた。いいや、これは、カディンとの打ち合わせの末だろうが」
「そして、ハルミッドを殺し、剣を手に入れ、……ジャッキールは、罪を着せられた上カディンを追って都に逃れた」
「そうすれば、確かにあなたは罪を負わないわね」
 リーフィは軽くうなずいた。
「すべては、貴様の思惑通りのように思えたが、メフィティスを握っただけでは、師の秘密などわかるものではない。貴様は、それを実際に使ってみる必要を感じた。おまけにカディンは、予想以上にしつこくメフィティスを求めてくる。だから、貴様は、逃げたままの俺が、カディンをかぎつけているのを利用しようとした。つまり、俺がやったと見せかけ、剣の秘密を得るために通行人を殺し始めた。そして、本来、すべては昨日終わるはずだったのだ」
「昨日?」
「そうだ。あの夜、俺が死ねば、貴様はカディンを殺すつもりだった。だから、役人に追い詰められ、俺が自尽したという報告を待っていたはずだ。だが、いつまで経っても俺の死体どころか、所在がつかめないので、貴様は一日伸ばしたのだ。いいや、もう待てなかった。メフィティスを求めてくるカディンに、貴様はもう我慢が出来なくなっていたのだろう。それに、剣の秘密もそろそろつかめてきていた。だから、今日は我慢できずに、カディンを殺した」
「……だが、今日あんたが死ねば、ちょうどいい」
 ラタイには、シャーやテルラが見えていないのかもしれない。そんなことを言いながら彼は笑った。
「俺はその女を斬って剣の秘密を知る。そして、今度は師匠以上の刀鍛冶として名を馳せるんだ!」
 彼の目には、どこか夢見るような陶酔が漂っていた。メフィティスの見せる幻影によっているかのようだ。
「貴様ならまじめに修行すれば、さぞかしいい鍛冶屋になれただろうに。そんなことでこんなことを……」
 ジャッキールは、忌々しげにつぶやいた。
「……貴様はすでに魔道に堕ちたのだ。そんなことなど無理に決まっている。一度味わった愉悦を忘れられず、また人を殺す! もう戻ることなどできないのだぞ」
「黙れ! 俺はお前とは違う!」
 ラタイはメフィティスを振り上げた。血と怒りの赤に染まった刀身は、月の冷たい光を跳ね返している。
「……俺はお前みたいに見境のつかない化け物じゃない! お前が死ねば、全部うまくいくんだ!」
 ラタイは、そう叫んで剣を突きつける。ハルミッドのところにいたときとは、まるで別人のようだった。
「……。やはり、話だけでは収まらんか」
 ジャッキールは、ため息をつき右手に下げた剣を軽く持ち直す。それに反応してか、ラタイは、ざっと剣を構えた。
 リーフィを背後に回したまま、シャーが反射的に剣の柄に手をかける。
「アズラーッド!」
 足をだしかけたシャーを、ジャッキールがさえぎった。
「手を出すな! ここは俺がやる!」
「ジャッキール」
「あの剣を回収してくれ、と、俺はアレの師匠に頼まれた。……俺には、約束を果たさねばならない義務がある!」
 ジャッキールは、半分振り返っていった。戦いを前にして、珍しくジャッキールの目は、血走っていなかった。
 シャーは、リーフィをその場にとどめ、ジャッキールの方に歩み寄った。
「正気、だよな? 状況わかっていってんのか?」
 シャーは、少し小さな声で言った。リーフィに聞かせたくない内容だったからだ。
「馬鹿にするな。俺の腕はわかっているはずだ」
「俺が知っているのは、普通のときのあんたの実力だぜ」」
 シャーは、相変わらず小さい声で言った。
「本当は、結構きついはずだ。さっき、相手に一撃をよけられたのを見ればすぐわかる。普段のあんたなら、間違いなく相手をしとめているはず。……それがああも簡単に避けられたのは、あんた自身、アレ以上の力を出すことができなかったから」
 ジャッキールは、無言だ。シャーは畳み掛けるように言った。
「昨日、あれだけ血を流したばかりなんだぜ。今度やられたら、いくらあんたでも死ぬ。それはわかってんだろうな? せっかくリーフィちゃんに助けてもらったんだろ?」
「ふん、死ねばそれも運命だ」
 それに、と、ジャッキールは付け加える。
「俺がもし死んだとしても、もし、貴様が協力してくれるならば、俺の所持金をリーフィ殿に渡してくれれば、それでそれなりに恩が返せる。無礼はわかっているが、それでわかってくれない娘ではないはずだ」
 シャーは眉をひそめた。やはり、ジャッキールは勘違いをしている。
「オレがいったのは、そういう意味じゃねえよ」
「だったら何だ?」
 少しきょとんとしてジャッキールは、振り返る。視線の先のシャーは、珍しく不機嫌そうな顔をしていた。いや、少し怒っているのかもしれない。
「助けてもらっておいて、たった一日で死ぬ気か?」
 シャーの口調は妙に非難じみていた。ようやく彼は意味を把握し、少しだけ意外そうな顔をした。
「……。それも、詮無いことだ……」
 ジャッキールは、そういいやる。
「詮無いだけのことなのか? ……あんたにとって、自分の生死はそんな価値のないものなのか?」
 ぶっきらぼうな口調のシャーに、ジャッキールは、静かに、しかし、はっきりといった。
「そうだ。俺にとってはそれだけのことだ。ただ、俺が気がかりなのは、リーフィ殿が、俺を助けてくれ、そして、今現在ではそのことに対する礼ができていないということだけだ」
 シャーの表情は変わらない。ジャッキールは、それをみやってふと自嘲的に笑みながら続けた。 
「貴様には、わからんだろうな。俺はかつて一度死んだのだ。一度死んだ男というのはな、理由さえできれば、二度死ぬにためらう理由がなくなる。いいや、死に場所を探して生きているようなものかな。今生きているのは、あのときに死に損なっただけのことだからな」
「死に損なったのは、オレも同じだ。だからって理由にはならないぜ」
「まあ、聞け、アズラーッド」
 ジャッキールは、怒りの色を浮かべるシャーをとどめるように言った。
「こんな俺でもな、かつては、まともだったことがある。なるべく敵ですら殺すのをさけ、人を信頼して生きていた。命令が下れば、誇りと理想の為に死に物狂いで戦った。だから、上から下される命令に、俺は疑うこともしなかった。気が合わなくても、皆仲間だと思っていたし、俺自身も奴らと語らっていた理想を真剣に信じていた。……あの時は俺も若かったからな」
 ジャッキールは、少し苦笑し、すぐに目を伏せた。
「だが、それは俺の甘さだったのかもしれん。そのせいで俺は部下を全員失い、俺自身も生死の境をさまよった」
 ジャッキールの思わぬ言葉に、シャーは、黙り込んでしまった。ジャッキールは伏せていた顔を上げた。
「アズラーッド、あの後、俺は、人を殺すことをためらわなくなった。いや、それどころか、何人斬ったか、直後にもう頭に残らなくなった。もちろん、罪悪感など、毛の先ほども残らない。ただ、斬ったという感覚が残るだけだ。だから、歯止めが利かなくなった。心の赴くままに相手を斬り捨て、その快感に酔うようになった」
 ジャッキールは、一息ついて、少し小さな声で言った。その表情は、おどけるわけでもなく、どこかさびしげなほど真剣だった。
「もしかしたら、俺は、何か人間として大切なものを、あの時に壊したのかもしれない」
 シャーは無表情で黙っている。ジャッキールは目を伏せて笑った。
「貴様には、俺の気持ちはわからんだろうな、アズラーッド。いいや、貴様は永遠にわからんほうがいい。知れば俺のように、いいや、貴様は俺どころでなくなるだろう。貴様が生死をさまよったとき、貴様には守るべきものがあったのだろう? ……だから、貴様は死なずにすんだ。そのとき、すでに、俺には誰もいなかったからな」
 ジャッキールの冷ややかな笑みは、冷酷さも皮肉さも感じられなかった。
「だが、自らを投げやりに他人の為に尽くすのはよせ。……俺はもともと何もなかったから、これだけで済んだが、何か持っているものが一度にすべてをなくすと脆い。貴様は、もっと自分に執着したほうがいい」
「なんで、オレにそんなことを言う。……あんたはオレを殺そうとしていたんだろう?」
 シャーは、不機嫌な顔のままそう聞く。ジャッキールは、薄く笑った。
「さあ、何故かな? ……もしかしたら、俺には今の貴様がうらやましいのかもしれん。貴様が死のうが生きようがどうでもいい。……ただ、生きている間は、貴様に俺のようになってほしくはない。……なぜか、ふと、そう思っただけだ」
 ジャッキールは笑うと、ため息をついて、足を進めた。シャーは、もう何も言わなかった。ジャッキールは、だから、と言葉を継いだ。
「もはや俺にとっては、貴様の問いは無意味なのだ。アズラーッド・カルバーン。残念だな。十三年前、あの時に、そう問われれば、俺ももう少し違った人生を歩めたかもしれないが……」
 もうすべては手遅れなのだ。ジャッキールは、そう声には出さなかったが、シャーにはそう聞こえた気がした。




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このページにしおりを挟む 背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。