シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2006
一覧 戻る  次へ



魔剣呪状-8

 夜が来るまで身を潜めていた彼は、闇の訪れと共に動き出していた。黒い服を翻しながら、彼は明るい道を歩いていた。花街の大通り、酔った男達に、華やかな服装の女が歩いていく。それを斜めにみやりながら、彼は光から顔をそむけるようにしながら歩いていた。
 本来、このような派手なところには近寄りたくはなかった。自分は、いまだにハルミッド殺しを疑われているし、例の男を追いかけてまわっているせいか、どうも、こちらでも役人に睨まれたらしい。
 だから、人目につく場所には、あまりちかよりたくなかったのだが、そうもいっていられなくなった。彼なりに調べた情報のため、彼はここに立ち寄らなければならなくなっていた。
「さて、ここにいるかどうか、だが……」
 満ちる前の青く光る月に、冷たく照らされる。華やかな街の中、彼のどこか闇を引きずるような姿は、ある意味では目立っていたかもしれない。見かけは流れの戦士風で、どこか冷たい顔立ちだが、ジャッキールは割合に整った顔をしているところがある。もう少し彼が洒落た格好でもしていれば、それなりに花街の似合う二枚目になれたかもしれないのだが、彼のような無骨な男にそれは無理というものだ。
 どこか異様な雰囲気のある彼の袖を引こうという、勇気のある客引きは、さすがにいない。ジャッキールは、特に誰に邪魔されることもなく、大通りを進んでいた。
 高級妓楼の立ち並ぶ中、ジャッキールはその中の一つに近寄った。入り口では、まだかなり若い娘が、入ってくる客を接待している。ジャッキールは、ためらうことなくそこに近づき、娘に声をかけた。
「こちらにカディン殿がいらっしゃると聞いて参ったのだが」
「い、いいえ」
 ジャッキールの風貌にびくりとして、一瞬言葉を失ったが、すぐに反射的に女は首を振った。そして、一度息をのんでから答えた。
「こちらには、今日はいらっしゃっておりません」
「……そうか。なら、次にここにいらしたときに、私が『フェブリス』について話したいことがあるといっていたと伝えておいてくれ。私の特徴を伝えれば、カディン殿にはわかるはずだ」
 ジャッキールはそういうと、いくらかの銅貨を出して女の手に握らせて、すぐに、そこから立ち去る。おびえた女の返事が背から返ってきたのを確認し、ジャッキールは、高い楼閣の上の方でぼんやりと光る灯りをちらりと横目でみやった。
(隠したな?)
 ジャッキールは、先ほどの女の態度にそう確信する。だが、ここで無理を通すわけにも行かない。相手は貴族でもあるし、今揉め事を起こすと彼自身が危ない。
(まあ、いい)
 ジャッキールは、再び明るい大通りに顔を背けた。今日も青ざめた月が浮かんでいる。
「……どちらにしろ、奴を捕まえれば済むことだ」
 こんな夜だ。ここのところ、毎日相手は血を見ている。きっと、今日も黙っていられなくなる。
(やはり、あの剣は危険だ)
 ジャッキールは、月を見やりながらそう思った。
 ただでさえ、刃物の光は人間の心をかき乱すものである。武器となれば、きっとそれは、装飾と守りの意味をこめた短剣などより、それが強くなるだろう。
 しかし、あの剣は特殊だった。持った途端、寒気が走るような感じがした。だが、あれは悪寒というより快感に近かった。
 ジャッキールのように片足を狂気の世界に突っ込んだ者なら、それは実感としてよくわかる。特に、戦いを楽しむような好戦的な性格の持ち主なら、よほど自制心がなければ、まっとうな精神を保っていられないだろう。 
(ハルミッドはアレが失敗作だといったが)
 ジャッキールは、肩にかかっているフェブリスを見やりながら心の中でつぶやいた。
(……おそらく、出来自体はメフィティスの方がいいはずだ)
 ジャッキールには何となくわかる。メフィティスには、あのハルミッドの怨念めいた魂が込められている。技術者として彼が全てを込めて作ったのがメフィティスなのだ。だが、貪欲なまでに最高を求めて作ったメフィティスは、最高の出来だったかもしれないが、結局貪欲な魔物の剣でしかない。だからこそ、最終的にハルミッドはメフィティスは失敗作だといったのだろう。
 不意に赤い上着を着こんで、所在なさげに歩いている男が見えた。どこかの金持ちの使用人なのだろうか、気の弱そうな顔立ちの男だ。目をそらそうとして、ジャッキールは一瞬眉をひそめた。ただの弱気そうな男に見える彼が、一瞬、ちらりとこちらを鋭い目で見たような気がしたのだ。だが、目を返したときには、すでに彼はまた冴えない男に戻っているようだった。そのまま、その男は、町の角を曲がっていってしまった。



 黒いマントが月の光にわずかに映る。女達の笑い声が高らかに響き、たえなる歌声がかすかに漂う夜を眺めながら、男は水煙草をふかしていた。
「よかったのですか?」
 高い楼閣から、道を見下ろしている彼に、男は聞いた。
「あれは、間違いなくあのときの男です」
「あったとてどうにもなるまい」
 男は、静かに答えた。
「真正面から飛び掛れば、こちらにも犠牲者が多く出る。あの男の力はこの前みただろう? こんなところで騒ぎを起こしては、さすがの私もごまかしきれなくなる」
 男は、ゆるりと立ち上る煙を見上げてつぶやいた。
「それにしても、アレは稀に見る美しい剣だったな」
 嘆息をつきながら、男は言った。
「ハルミッドが言っていた。あのフェブリスが最高の傑作であると。確かに、あの闇の中で垣間見た光はあまりにも美しかった」
 男は、腰にさげている、それも上等な剣の柄をなでやりながら、誰に言うともなくいった。
「あのような無骨な男に持たせるのはもったいない。あれも、手中に収めねばならないが……」
 煙をふっと吐き出しながら、男はゆったりといった。 
「あのような男、一人消えたところで、問題にはなるまい……」
 それにどういう意図が含まれているのかは、聞いているものならすぐにわかる。ちらりと目をやると、部下の男は軽くうなずいた。それを満足そうにみやりながら、彼は再び外に目をやった。月の光が、静かに街に下りている。



 酒場は、妙に静かだった。いつもなら、もっとわいわい賑わっているが、今日はどうもそういう雰囲気でもないらしい。シャーの馴染みの連中は、ああいった癖に、結局まだ酒場にいるのだが、それにしたって冷たいものだ。シャーがリーフィと一緒に酒場の前を通りすがったのを見ているものがいるはずなのに、全員シャーのことを見ないふりである。シャーが来るとおごらなくてはならないし、それに、確かに彼がこの時間帯に現れると朝まで騒ぐ事が多いから、彼らの警戒はわからなくもない。だが、それにしても冷たい。
 シャーは、とりあえず酒場の裏側から、リーフィの控え室代わりに使われている小部屋に来ていた。
「鍛冶屋殺し? こうずか? でかい黒服?」
 最後のはまあともかくとして、と、小声でつぶやき、シャーは首をかしげていた。手にあるのは、ハダートが置いていった紙切れである。それに書かれていた情報とやらは、結構断片的なものだった。まあ、ハダートが書いたのだから仕方がないかもしれない。彼らしい意地悪ともいえるかもしれないし、そもそも、用心深いハダートは、めったなことを書いておかないのだ。
 ともあれ、そのメモの中身を整理するとこういうことである。
 一つ、先日、鍛冶屋が王都のはずれで殺され、剣が盗まれた。この強盗事件の犯人は捕まっていない。
 二つ目、王都の貴族の一人で、剣集めが趣味だという好事家がいるという話がある。
 三つ目、連夜、事件が起こった直後に、青白い顔の黒い服の男が目撃されている。
 最後のは考えるまでもない。おそらくジャッキールのことだ。だが、上の二つは、かかわりがあるのやらないのやら。ハダートが、気を留めたのだから何かあるのかもしれないが、それにしてももう少し詳しくかいてくれてもいいものである。ともあれ、ジャッキールが関わっているかもしれないというのは、どうも間違いなさそうだ。
(自分が目立つってこと、あんまりわかってなさそうだよな、あのダンナ)
 シャーは、苦笑したが、実際ジャッキールが噛んでいるとなると油断はできない。ある意味でまっすぐな攻撃しかしてこない分、ゼダより戦いやすいのだが、その代わり、腕の方はジャッキールのほうがずっと上だ。おまけに、あの体格と力と重い剣。かすったつもりが、致命傷に及ぶこともあるし、剣を受け流す時も、うまく受けないと力で押し切られることがある。
 面と向かっているときは、かなり挑発した覚えがあるが、ジャッキールはかなり強い。経験と腕前という点では、ジャッキールのほうが純粋に上だ。
「何か難しそうな顔をしているわね」
 ふとリーフィの声がきこえ、シャーは、椅子にのびあがったまま、後ろの方をうかがった。飲み物をもってきてくれたらしいリーフィは、とりあえず机の上に一度グラスを置き、シャーの方に歩み寄ってきた。
「どうかしたの?」
「いやね、ちょっとアレコレわかったことがあったわけなんだけど」
「シャー、さっきの人になにか聞いたの?」
「ん、まあ、ちょっとそういうことには鼻が利く人でね、あの男」
 シャーはあいまいにぼかしつつ言ったが、リーフィは思ったほどそれを追求してこなかった。シャーに何か事情があるらしいことは知っているが、彼女は別にそのことについて触れることはない。
 シャーとしては、それはありがたいというところもあるのだが、彼女のそういう気遣いを知ることができて、ちょっとだけまた恋心が募ってしまいそうになって危険である。シャーは、今は、一応リーフィに入れ込んでいないつもりなのだから。
「鍛冶屋殺しって何だっけ? 関係ありそうなの?」
「あ、それはきいたことがあるわ」
 シャーの背から紙を覗きながら、リーフィは言った。
「王都のはずれの有名な鍛冶屋の親方が、何者かに殺されたという話をきいたわ。その道では結構有名な人だったらしいんだけれど、殺されたときに、その人のつくった剣も盗まれたとか。強盗だって言われてるんだけれど」
「へえ、リーフィちゃん。よく知ってるなあ」
 シャーが、感心したようにいうと、リーフィはくすりと笑った。
「そうね、こういう仕事をしていると、噂をきくにはことかかないの。旅の剣士がそういう話をしているのを、たまたま最近きいたの」
「そうか。剣ねえ。何か気がかりではあるけれど」
 顎を撫でつつ、シャーは、リーフィに目を移す。
「でも、どうなんだろう。この件に関わりありそうなの?」
 このあたりの鍛冶屋と聞いても、どうもすぐにあれに結びつかないのは、作っている剣に問題がある。あの犯行に使われた剣というのは西渡りのものであり、この周辺では、全くというわけではないが、作っている人間も使い手もそれほどいない。鍛冶屋といっても、その剣を作っているかどうかわからないし、大体、性質としては違う事件のような気もするのだ。
「詳しいことはしらないけれど、その辺は調べてみたらわかるんじゃないかしら」
 リーフィは、不意に顔をあげた。
「よかったら、私が調べてみるわ」
「え? ……でも、大丈夫?」
「ええ。こう見えても、調べ物は結構得意なのよ」
 リーフィは、そういってにこりとする。
「それに、あなたよりも私が聞きまわったほうが情報は入ってくると思うわ」
「それはそうかもしんない」
 シャーは素直に認める。確かに、シャーは、得なこともあるが不利なことが多い。ちょろちょろしていたら、鬱陶しがられてひどい目にあったり、侮られやすいのでちゃんと話を聞き出せない。それを逆手にとって聞き出すこともできないことはないが、多くの場合、相手の神経をさかなでてしまう。
「具体的に教えてくれれば、色々手をかせるわ。任せて」
「そ、そうだね。こういうのは、オレみたいな奴より、リーフィちゃんみたいなかわいい子の方が相手も油断しそうだし。でも」
 どうやって情報ききだすの、と訊こうとしてシャーの口は止まった。向こうの酒場の方から、急にわっと声があがったのだ。歓声のような気もするが、何か起こったのかもしれない。シャーは、慌てて起き上がった。
「リーフィちゃん。オレちょっと見てくる」
「ええ。気をつけてね」
 シャーは、腰からはずしていた刀を慌てて差し戻しながら、酒場の方に駆け出した。
酒場から聞こえてくる声は、妙に明るい。近づいてくるごとに、それは普通に歓声だということがはっきりわかり、シャーは首をかしげた。あんな悄然としていた連中が、何をいきなり騒いでいるのか。
 酒場に出る扉を開け、シャーは怪訝そうな顔のままそこから現れる。そして、シャーは、思わずきょとんとした。 
「あ、兄貴! いらしてたんですかー!」
 しらじらしく舎弟たちが声をかけてくる。普段なら少々腹をたててもいいのだが、シャーはそれに気がつかないほど、別のものに気を取られていた。
 ちょうど、弟分たちに囲まれている男がいたのだ。
「いや、本当にすみません。無理をいってしまいまして」
「いえいえ、いいんですよ〜。どうぞ、ご主人様によろしく」
 ぺこぺこと頭を下げる男に上機嫌で声をかける舎弟たちをみつつ、シャーは、思わず唖然とした。
「ちょ、ちょっと待て! お前達、そこにいるのは……」
「えっ? ああ、兄貴。こちらの方は」
 そういって弟分たちが、示したのは、どことなく気の弱そうな顔立ちの青年だ。だが、彼の顔を見た途端、シャーの顔が、大きく歪んだのはいうまでもない。
「商家のリャタン家からいらした方だそうですよ! 何やら、兄貴がそこのお坊ちゃんを助けたそうで……それで、オレたちにまでおごってくださってですねえ!」
 上機嫌の弟分たちの様子に、シャーは思わず声をあげそうになったが、それを押し殺す。
(何いってやがる!)
 ごまかしに笑ってみたが、思わず唇の端がゆがんだ。
(悪名高いカドゥサ家の間違いだろうがよ!)
 思わず私情が噴出してしまいそうなシャーだったが、かろうじて食い止める。
「今日は、ご主人さまの命で、こちらの方にお酒と料理を振舞いに参りました。よろしければ、シャー様も」
「いや、兄貴に気をつかわなくてもいいんですよ」
 ゼダがそういうと、周りの舎弟たちがちやほやする。どうやら、酒と料理をおごられてすっかり買収されているらしい。
「兄貴なんて、ちょっと頭下げとけばそれで十分礼になりますって」
「そ、そうですか。ありがとうございますー」
 ゼダは、多少戸惑ったふりもしつつ、にこにこ笑いながら、人のよさそうな顔を向ける。どちらかというと童顔のゼダは、こうしていれば、穏やかでかわいらしい顔立ちの心優しい少年にも見えそうなのであるが。ちらりとシャーに目を向けたとき、それは一瞬にして、蛇のような視線に変わる。
(こ、この野郎ッ!)
 シャーは、ぎりりと歯噛みした。挑戦だ。これは挑発に決まっている。
(この野郎! オレの聖域たる酒場でえええええ! いつの間にか、人気者になってるんじゃねえか!)
 ついで、ゼダの唇が一瞬歪んだのをみて、シャーは、思わず眉を引きつらせた。これだ。間違いなく、コイツはあのネズミ野郎だ。
 舎弟に向けたとき、すぐに偽の笑顔がはり付く辺り、正直自分よりもたちが悪いとシャーは思う。
(あの顔見ろよ! アイツの本性はアッチなんだよ! あっち!)
 いらいらするシャーに、ふと嫌に愛想のいい笑顔を向けながらゼダは言った。
「ああ、でも、シャーさん。少しあなたとはお話があるのです。よければ、表にでてくれませんか」
(喧嘩売ってんのか、コイツ!)
 表に出るということは、イコールで勝負しろととっても仕方のないことだ。それをわかっていっているのだろうか。いや、わかっていっているのだろうな、とシャーは納得した。
「いいぜ。お望みどおり表で話しをしましょうじゃありませんか。表でね」
 シャーの浮かべた笑顔が凍りついていることに、弟分たちは気付かない。彼らは、ゼダの持ってきた金で頼んだ料理と酒が運ばれてきたので、そちらを見ているのだ。わいわい騒ぎ始めた彼らに、一度ちらりと目をくれて、ゼダは偽の笑顔を捨て去ると、ふっと歪んだ笑みを見せた。





一覧 戻る 次へ 


このページにしおりを挟む 背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。