魔剣呪状-9
夜空に笑い声が響き渡っていた。明らかに対象を馬鹿にしたような声に、シャーは、えらく不機嫌な顔をしたまま腕を組んでいる。もちろん、その対象が自分をふくんでいることをしっているのでなおさらだ。
ゼダという男は、すぐに目の色が変わる。先ほどは、どこにいるかわからない死んだような目をしていたくせに、今といえば、どこか獣を思わせるような生命力を感じさせる目だ。
ふははははと軽い声で笑い転げるゼダに、そっぽをむきつつシャーは言った。
「なんでぇ。言いたいことがあるならとっとと言えよ!」
「いやあ、はっはっは、愉快だなあと思ってよ」
笑いを止めて、ゼダはにんまりと笑った。
「なあにが愉快だ! ネズミ野郎!」
「何がって? お前の連れの頭のめでたさに笑ってんじゃねえか」
「うるせえっ! 大体なんでこんなところにいるんだよ! てめえ、よりにもよってオレの聖域でー!」
シャーは、きっと相手を見やる。酒場にいたときとは、心なしか顔つきからして違うような気がするゼダは、上機嫌そうに笑った。
「いやあ、ちょっと酒をおごってやっただけであの歓待ぶり。いいねー、素直な連中はよ!」
ゼダは、あえてシャーのカンに触るように、言葉と口調を微妙に変えながらいった。
「この調子で手なづければ、二ヵ月後には、オレの手下になるなあ、アレ」
「オレの聖域に手を出すなっつってんだろが! この野郎!」
シャーは、柄になくカッとなる。シャーは、やはりこの男が嫌いだ。シャーの怒りをさらりと流しながら、ゼダは言った。
「いっとくが、今回の事件、やったのはオレじゃねえぜ」
「はん、そんなことわかってるぜ。お前みたいな素人じゃああんな真似はできねえだろうし」
「ほほう、見るところは見てるじゃねえか」
ゼダの感心したようすに、かえってシャーは腹を立てる。この上からものをいうような、嫌な余裕が気に食わない。
「まあ、お前にあんなことする腕はないもんな」
「それをいうなら、テメエもそうだよな。ああいうことする腕はないだろ?」
皮肉を返されて、シャーは、思わず言い返す。
「なんだこの二重人格!」
「あーっ! それだけはてめえにいわれたくねえな! 中身はオレより腹黒いくせに!」
「なんだとおお!」
きっとシャーは、ゼダをにらむ。ゼダもシャーを睨み返してくる。どちらにしろ裏表の激しい二人なので、事情をしるものからみたら似たり寄ったりなものである。
しばらく睨み合っていたが、不意にゼダが目を伏せつつ、ふ、と低く笑んだ。
「ったく、随分ないいようじゃあねえか。いい取引をもちかけにきてやったのに……」
「取引だ?」
シャーは不審そうに片眉をひそめた。ゼダは、にやりとする。
「どうせ、おめえなら何か調べて回ってるんだろうなあと思ってよ。どうなんだ? ちったあ何かつかんでるんだろ?」
「てめえに言う義理なんかねえぜ」
「へえ、そういうこといっていいのかよ。おめえの多分しらねえことを、オレはいくつかつかんでるんだぜ。オレはてめえとは、情報網が違うんだよ」
そういわれて、シャーは少し唸る。確かにそうかもしれない。シャーにはいってくる情報は、舎弟の連中の噂話に、ハダートがどこからともなく手に入れてくる情報、そして、リーフィが酒場で取ってくる話ぐらいだ。ゼダは、おそらく裏の世界のことにも詳しいだろうし、花街で遊ぶ貴族などの噂にも強そうではある。
シャーがそこまで考えたのが、わかったのか、ゼダは急に愛想よく言った。
「どうだ。ここは、気持ちよく情報交換なんてしてみるかい?」
「情報交換だ?」
「テメエにとっても、そこそこ美味しいと思うんだがな」
ゼダはにんまりとする。シャーは、何やら不満がありそうではあったが、ふと眉をひそめて黙って腕を組む。結局、シャーは、シャーで、事情を知りたいことは知りたいのだった。ただ、このゼダに頭を下げるのが嫌なだけである。
それを肯定と取ったのか、ゼダは軽く手を広げた。
「それじゃあ、取引は成立ってわけだ」
「オレはでもたいしたことは知らないぜ」
「たいしたことじゃねえなら、もったいぶらずに言えよ」
「なんだ!」
シャーは声をあらげかけたが、途中でやめた。
「オレが知ってんのは、郊外の鍛冶屋殺しが解決してないってこと。二つ目、剣好きの貴族の好事家の動きがおかしいってこと。三つ目、この事件で目撃されてる黒服の大男にオレのほうが心当たりがあるってこと。それで全部だ」
吐き捨てるようにいってしまうと、ゼダは顎をなでやりながらにんまりとした。
「なあるほどね」
「じゃあ、次はお前が言えよ」
「慌てるなよ。ちゃんといってやろうじゃねえか。ただ、その情報が正しいんだとしたら、オレの持ってるのと相関性が出来たなあと思っただけよ。それで、結構オレも助かるなあ、と、こうねえ」
「相関性?」
「ああ、最後の男のことはしらねえが、オレは殺されたっていう鍛冶屋にも、その好事家の貴族にも心当たりがあるのさ」
それをきいて、さすがにシャーもぴくりと耳をそばだてる。
「知ってるのか」
「まあなあ。じゃあ、順を追って、鍛冶屋のことから話すか。鍛冶屋の名前は、おそらくハルミッドだな」
ゼダは、続けていった。
「おめえは、まだ知らないようだが、そのハルミッドってえ鍛冶屋。作ってる剣が、ちょいと特殊でなあ。そういう意味じゃあ名の通った男だったのよ」
「特殊?」
シャーの目の色が少し変わる。
「ああ。この殺しでも使われたって言う噂のアレさ。西渡りの重い両手剣だ。この辺でアレを作って匠と呼ばれるのはあの男だけよ。そういう意味じゃ、この辺にいるそういう剣の使い手には、そこそこ有名なはずよ」
「なるほど。でも、何で知ってるんだよ」
それが二つ目に繋がるんだよ、とゼダは笑って続けた。
「ハルミッドってジジイは、その道じゃあソコソコ有名な鍛冶屋でなあ、金持ちの好事家の中じゃあ、奴の剣を持っていることで自慢話ができるほどぐらいの奴ではあったのさ。だから、オレも名前をきいたことがある」
「へえ、そりゃいいご趣味だことで」
シャーの口調は皮肉たっぷりだが、ゼダは平気そうにこたえた。
「そりゃあ残念。あいにくとオレの趣味じゃあねえんだよ。前に遊んでる時にな、そういう話をしている男がいたのを思い出してな。……どこかの貴族らしく、結構名前の知れた男らしいんだがよ。ソイツが、武器の収集家なんだよ、というよりは、珍しいもの好きというかねえ」
む、とシャーはわずかに身を乗り出す。それをみやりつつ、ゼダは、目を細めた。
「珍しい剣の好きな男だってことよ。おまけに、下手に金と権力がありやがるもんだから、癖が悪くてな。欲しいものは力ずくでもてに入れる、らしい、ぜ」
ゼダは妙なアクセントをつけながら言った。
「そりゃあ、女共の噂話だが、証拠はもみ消しているとかでよ……。でも、まんざらじゃあねえ話らしいんだよな」
「ちょっと待てよ。珍しいってんじゃ、テメエの剣だって……」
「ああ、だから何やら知った口きいてるんだろう。オレというよりザフだがなあ、一度、ちょっかいをかけられたことがあるんだよ。オレがカドゥサの息子だっていうのと、問題になるのを嫌ったザフが、自分の剣を渡しちまったんで大事にはならなかったんだが……」
ゼダは、ちらりとシャーの左側に目をやった。そこには、例の東方渡りらしい刀がある。
「ヤロウは、珍しいというより綺麗な武器がお好みなんだとか。そういう意味では、ハルミッドのところにいったって可能性もある。だから、おめえさんの剣も十分危なさそうだからよ、一応忠告してやろうかな、と思ってきてたんだが、やっぱり、この一件とどうも関わりがあるみたいだな」
ゼダは、そういってふっと笑った。
「奴の名前はカディンとかいったな。気をつけな」
シャーは、顎に手をやり、何やら考え込んでいる様子だ。返事を返してこないシャーに、ゼダはからかうような口調で言った。
「ちゃんとお前を心配してやるという、オレの素晴らしく優しい心遣いだぜ。感謝しろよ、感謝を」
「なんだあ! そういうのは、おせっかいってんだよ!」
予想通りに、彼らしくもない強気でくるシャーをみやりつつ、ゼダは面白そうに笑った。
「おいおい、仮面が剥がれてるぜ。まあ、ミイラ取りがミイラにならねえように気をつけんだなァ」
「へっ、剥がれてるのは自分のほうだろうが!」
ゼダは、嘲笑一つでふらりと歩きかけたが、その背にシャーが思い出したように言った。
「そういえば、言い忘れた」
シャーの声にゼダは振り返る。
「最後の男に心当たりがあるっていったろ。アレについて一応話してやるぜ」
「へえ、お前にしちゃあ、随分と親切じゃないか」
にやりとするゼダに、シャーは少々皮肉っぽく言う。
「そりゃあそうだ。だって、知らずにつっかかって死なれたら、後味悪いからなあ」
「ああ、そう。ご心配痛み入るぜ」
シャーが挑発しても、ゼダは最近ではあまり乗ってこない。むっとしながらも、シャーは、続けた。
「関わってるかどうかはわからねえが、黒服の長身で、あの手の剣を使う男には覚えがある。多分、……ジャッキールっていってな、アイツは強いぜ。多分、見かければ一発でわかる」
シャーの目つきが少しだけまじめになった。
「単純な力だけで考えると、多分オレより上だな」
「へえ、そりゃ、オレも気をつけないとなあ」
ゼダは、どこまで本気かわからない軽口を叩き、ふらりと歩き出す。そのまま彼が闇に消えていきそうになったとき、後を追ってきたのか、酒場からリーフィが飛び出してきた。
「あら。何か騒がしいとおもったら、あなただったのね」
あらかじめ予想していたのか、リーフィは、ゼダをみてもそう驚かない。歩き出していたゼダは、急に笑顔を浮かべた。
「よォ、リーフィ。久しぶりだな」
「久しぶりね。やっぱり、出てきたのね、あなたも」
「まあァな」
そういって、ふとゼダがリーフィに近寄ろうとしたとき、凄い勢いで、青い塊が目の前を横切った。
「だーッ! 悪い虫がつく! 寄るなネズ公!」
「はん、振られ続けて相変わらず思い切りの悪い野郎だことで」
「う、うるさーい!」
何やら感情的なシャーを見やり、ゼダは、ハッと笑った。
「まあいいさ。また、顔見せにくるだろうが、よろしくな」
「よろしくじゃねえ」
「お前じゃなくリーフィにいったんだよ」
何やらえらい剣幕のシャーを軽く流し、ゼダはふらりと身を翻す。シャーは、うぐぐと唇を噛んだ。
「シャー、あなたもゼダも相変わらずね」
思わず微笑しながら、リーフィはそういった。
「いや、なんつーか、そのさあ」
シャーは、思わず言い訳がましく言った。
「いや、ほらねえ。オレがどうこうってわけじゃないけど、なんつーか、リーフィちゃんの周りに悪い虫はつけたくないというか。オレが保障したいというか」
「まあ。私はそれほど惚れっぽくないから安心して」
くすり、と笑うリーフィに一瞬安心して笑い返すものの、シャーは、はっと我にかえる。
(えっ、さりげなくソレ、オレも斬り捨ててる?)
どうなのかわからないが、とりあえずは一安心するシャーである。リーフィは、ふいに、顎に手を置いた。
「でも、じゃあ大丈夫かしら」
「何が?」
リーフィの心配している様子に、シャーは首をかしげる。一体何を考えているのだろう。
「……私が情報をつかむのに使う手段は、俗に言う色仕掛けというものなんだけれど」
さりげなくリーフィが言った言葉に、シャーは危うく卒倒するところだった。
リーフィを家まで送っていってから、シャーは、一人夜道を歩いていた。あれこれ、リーフィと情報を共有したり、打ち合わせしたりと、シャーにとっては少々楽しい時間をすごしたのであるが、それにしても、気に食わないのはあのネズミ野郎のことである。リーフィと至福の時を過ごしていたというのに、あの邪魔立て。正直、シャーの怒りはおさまらない。
「くそっ、あのネズミのヤツ。オレには癒しの場があそこしかないっつーのに!」
足元の小石を蹴って、シャーは吐き捨てた。コツコツ地面に音を立てて飛んでいく石を斜めにみやり、シャーは面白くなさそうに口を尖らせた。
「あのキザ二重人格。他に優しくしてくれる娘がいるならそこでとどまっときゃあいいものをよう」
こと色恋のことになると、シャーは自分にあまり自信がない。これまでの惨敗記録を思い出すと、さすがのシャーも妙にブルーな気分になってしまうのである。おまけに、相手はあのゼダ。あんな無害な顔して、キザだし、口はうまいし、挙句の果てに金持ちだし、何しろ場慣れしているしで、どうも異性の前での格好のつけ方がわからないシャーとはある意味正反対でもある。もしかしたら、ただからかいにきているのかもしれないが、それにしたって、生理的に合わない上に、あんな態度をとられると、シャーがおもしろいはずもない。
「畜生、あのネズミネズミ!」
呪詛のようにつぶやきながら、シャーはもう一度小石を蹴った。
「ジャッキールのヤツにでも、出会っておっそろしい目にあわされればいい……」
シャーはふと口をつぐんだ。自分の声と転がっていく小石の音しか聞こえない夜の闇の中、一瞬、悲鳴のようなものがきこえなかっただろうか。
シャーは、息を殺しながら、そっと腰の剣の鍔あたりをおさえて、小走りに走った。足音を消しながら、たた、と走っていく。
かすかだが、はっきりとした金属の音と、血の匂いが風に漂ってきたような気がする。凍るような夜の闇に、シャーは身をすべらせるようにして進む。
彼が今まで歩いてきた大通りから路地裏にすらりと入り、そのまま進む。空高く上る月が、白金の光をおろす。満月にはまだ至らないそれが、なぜかどうにも不安をあおる色に見えた。
曲がり角を曲がろうとして、シャーは、急ぐ足を止めた。そして、今度はそろそろとゆっくりと足を進める。
向こうの闇に月明かりに照らされて、何か影が踊っているのがみえた。それが、けして風流なものでないことはすぐにわかる。
シャーは、ふと体を半歩ずらした。そこに男が一人飛び込んできたのだ。慌てて走りこんできた男の息は荒い。震え上がった様子の男に、シャーは、声をかけた。
「どうしたんだい?」
「うわああっ!」
声をかけられ、男はかえっておびえて走り出していく。その服装などを見る限り、どうやら役人などではないらしい。ごろつき風にも見えるのを考えると、誰かに雇われているのだろうか。
「……なるほどねえ。下手に手を出すとこうなるっていういい見本だな、ありゃあ」
そういって近づくと、最後の一人と大きな影が切り結んでいるのが見えた。
へえ、とシャーはひきつった笑みを浮かべた。
「これはまたひでえことするな。アンタは、正直強引すぎるんだよ」
三人ほど、男がそこに絶命しているのが見えた。しかも、全員が一撃で致命傷を負わされていた。月明かりの下、黒い影が躍る。ソレを見なくても、シャーには、すでに相手が誰であるかわかっていた。
「久しぶりっていっておこうかねえ。あの時、廊下で別れて以来だっけ。よく生きてたねえ、ジャッキーちゃん」
ざあっと、最後の一人を斬り捨て、その男が倒れた直後、影はこちらを向いた。シャーは、わずかに表情を凍らせた。相変わらず、人を斬る時に一切ためらわない男だ。
青ざめた頬には、返り血を浴びているが、男の顔立ちは紛れもない。その冷たい表情に、ゆっくりと笑みが広がった。
「アズラーッド・カルバーン……」
およそ、今は彼ぐらいしか呼ばないであろう古い名前に、シャーは苦笑気味になる。