一覧 戻る 進む 


リーフィのとある一日-6

 
 *
 
 歩行者:ジャッキール

 夜の街は、死んだように静かだ。いや、華やかなところはにぎやかなのだろうな。だが、生憎と私にはそういう場所は縁がない。それに、私は、にぎやかな場所を避けて通るのが、癖になっていた。どうもそういうところにはなじまないのだ。
 私がこの街に住んでから、少し経とうとしていた。
 ここは、住みやすい街だ。私のような人間にとっても、いろんな意味で住みやすい。
 私のようによそ者で、到底堅気とも言い難い生活を送っていると、ところどころ、こういう夜の闇が凝ったような、そういう場所がある街のほうが住みやすい。
 ああ、今は表向き堅気な生活は送っているのだがな。どこにも仕官してもいないし、どこかに雇われているわけでもない。怪しい仕事の依頼は飛び込んでは来るが、今は受ける気があまりしない。そうそう、都で噂になっている岩塩泥棒の用心棒の仕事の依頼もあったかな。だが、あんなちんぴらでもできるような仕事をする気にはならん。
 ああ、しかし、塩といえば、この国の王族の持ち物となっているので、今の私は、あまり王族とは揉めたくないというのも本音としてはあった。
 空を見ると、細い三日月がかかっていた。ああ、今日が満月でなくてよかったと私は思う。
 私は、満月の夜になるとどうしても自分が抑えられなくなる。頭に血が上って、目の前が赤く染まり、暴力に身をゆだねずにいられなくなる。暴力への快楽が私を変えてしまうのだ。月が私の狂気を呼び覚ましてしまう。
 私は、かつて剣術を熱心につとめていたが、ある一件のあと、私はそれに頼らずには生きられなくなってしまった。今の私のそれは、かつてとは違い、剣に対する妄執と狂信といってよく、当の私自身がその異常さにおののくこともあるほどだ。
 ああ、しかし、そうなっているときの私には、その時の記憶があまりないので、実際何をやったのかよくわからない。それはそれで、大変困っているのだが、他人にそれで困っているといってもわかってもらえるものだろうか。
 まあ、それはいいだろう。今日は幸い満月でもなく、私も落ち着いた気分だった。
 こういう気分の時は、ゆったりした気分で夜の散歩から戻ればいいだけだ。
 刺激がなく退屈な生活だったが、旅から旅への生活を続けていた私には、この安らぎもまたよいものだった。もちろん、時に刺激がなければいけないから、私は狂うのかもしれないのだが。
 と、何か物音がして、私は路地の向こう側を伺った。
 人の気配がしたので、反射的に気配を潜めて近づく。数人の男の気配がした。それも、あまりよくない種類の殺気を持つ男たちだ。
 そっとのぞいてみると、数名の男たちが荷車を囲んで立っていた。荷車に載せられている品がなんであるかはわからなかったが、私は思い当たる節があってふと一人の男を凝視した。
 見覚えがあったのだ。それは、私にとある仕事の依頼を持ち込んだ男だった。とある仕事、つまり、岩塩を運ぶ仕事の用心棒。
 となると、あれは岩塩を運んでいるのだろうか。
 私はそう思ったが、自分から喧嘩を売る気にはなれなかった。もっとも、これが満月の夜であったら、話は違うかもしれない。私は、わざと喧嘩を売って、血に飢えた自分の喉を潤そうとするだろう。しかし、今はそういう気分ではないのだ。
 第一、私も傭兵などと褒められない仕事を続けていた身であるし、相手も似たようなものだろう。善悪を選んでいる場合でもないし、金儲けに善も悪もないものだ。私はけしてしないような仕事だが、相手の主義に口を挟むほど私はおせっかいでもない。
 私は、連中を見回して、その場を立ち去ることにした。私が見ていた事は、誰にも気づかれていなさそうなので、揉め事にはならないだろう。
 実際、私は、ごく安全にそこから遠のくことができた。もうそろそろ散歩もよいだろう。私はそろそろ潮時かと思い、家に帰ることにした。
 と、不意に前の方から騒がしい声が聞こえてきた。どうにも聞き覚えのある声なので、私は立ち止まって目を眇めて闇を透かそうとした。ああ、やはりそうか。と、私は思う。目の前の人影は男女の二人連れであったが、片方は、一目見ればすぐにわかる男だった。
「リーフィちゃん、こっちでいいんだよねえ」
「そうね。そういう風に書いていたけれど、本当に待ち合わせ場所なのかしら」
「えー、今になってそんな風にいわれると心配」
 そんな会話を交わす二人を、私はなんとなく微笑ましく思いながら、待ち構えていた。
 彼等は、私には基本的には好ましい人物だった。女性の方は、美しく、文句なしに好ましい人物といえたが、男の方は、どうしようもない男だと思いつつも、どうしても軽蔑できない部分のある人間だった。もっとも、今の落ち着いたときの私、というくくりが必要であるかもしれない。男の方は、私にとっては宿敵めいた意味をもつ男であったから、暴力に酔った私には、好ましい獲物としか映らないかもしれない。
 男の方が私に気づいて、青味がかった三白眼を警戒心から輝かせてとびずさった。既に柄に手をかけているらしい。
「用心深いな」
 私がそう声をかけると、男は、なんだとため息をついた。
「また、あんたかい。ジャッキールのダンナ」
「あら、ジャッキールさん。こんばんは」
「どうも」
 私は、リーフィさんに気づいて、少し緊張してしまった。ああ、いるのはわかっていたが、やはり私は女性というものが基本的に苦手だった。
「また、夜の散歩。いーかげん、そういう不気味なことやめてよね」
 奴がそういうのに苦笑して、私はきいた。
「俺のことはいい。貴様こそ何をしている」
「退屈だから歩いてただけさ」
 先ほどの会話から察するに、きっと何かをかぎつけたに違いないだろうに、奴はそんなことをいう。証拠に、目をひらめかせて私を見た。
「ねえ、ダンナ、ちょっと刺激的で面白い退屈しのぎしってるんじゃないの?」
 私は、唇を引きつらせて笑った。この男、こういうところには鼻が利くのだな。だが、それもいいかもしれない。私は手を出す気にはなれなかったが、正義感の強くて、内心、騒ぎを望んでいるだろう若いこの男なら、行動を起こしても当然といえるだろう。それに、どうやらそのつもりでここまでやってきたに違いないのだ。
 今日は、ひどく落ち着いた気分だ。自分から、暴力沙汰を起こそうなんぞと思わない。
 だが、他人の喧嘩をみるのは、少し楽しいかもしれないな。私はそんな無責任なことを考えて、彼にあのことを教えてやることにした。
 この先の道で、噂の塩泥棒が仕事中だということを。きっと、彼らはそれが目当てなのである。
 ああ、いけない。
 私は、懺悔するのだ。
 平穏な生活を願いつつ、私の心はどうしても刺激を欲してしまうようだ。当分、平穏な生活を望めなさそうだ。
 だが、こんな風に楽しいのは、そうあることではあるまい。私は自分にそういいきかせた。
「退屈しのぎか? 刺激的でいいなら、一ついい話を教えてやるぞ」




一覧 戻る 進む