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リーフィのとある一日-3

   
  *


「やあ、リーフィちゃん」
 不意に声が聞こえて、私は顔を上げた。いつの間にか、目の前にはひょろりとした人影が見えていた。皮のサンダルを履いた彼の足は、いつでもぺったぺったと平らな音を立てる。視線を上げると癖が強くてくるくると巻いた髪の毛を一つに高く結い上げて、にんまりしているいつもの彼がいる。ああ、シャーね。私は、いつもどおりの彼の姿を見て、少し安心した。
「どうしたのさ。こんなところで? こんな昼の暑いときだけどさあ、女の子の一人歩きは危険だよ?」
 シャーは、大きな目をぱちくりとさせた。シャーの目は大きいけれど、白目が多いからどうしてもぎょろりとした印象が強い。三白眼だって皆はいうけれど、私は彼のその目は嫌いじゃない。けれど、日の高いうちに見ると黒でなくて、かすかに青いガラス製品のような彼の目は、何故かどきりとするような猫の目のような魔性を秘めていることがあって、私も最初は何か気になる感じだったわ。今はそんなことはないけれどね。
 彼はいつもの青い服を長身にまとって長い刀を腰にさしていた。その刀は、あまりみたことのない形をしているもので、どこか遠いところのものだときいているわ。詳しいことは彼も知らないみたい。
「いいところで出会ったわ」
 私は思ったままのことを言って、彼に笑いかけた。といっても、私はすごく表情が薄いと周りからいわれているので、きちんと微笑めているかはわからない。それでも、最近はシャーは私の感情をよく把握してくれているみたい。
「けれども、シャーこそ、どうしてこんな昼間にこんなところを?」   
「どうしてって?」
 私がきくと、シャーはくるくるの前髪を右手でかきやりながら首を振った。
「だって退屈なんだもん。だからって表通り歩くのも暑いしさあ、今頃連中も茶屋にでもいんのかとおもったけど、だーれもいないんだもん」
 シャーは、少し唇を尖らせた。どうやら、今日はシャーにお茶をおごってくれるいつもの仲間たちが見あたらなったみたい。
「それで、仕方ないから影の多い裏道をひっそり散歩してたってわけさ。リーフィちゃんはどうしてなの?」
「私もなんとなくなのよ」
 私は正直に答えた。
「何か面白いことがあるといいわね、と思って歩いていただけ」
「へえ、意見合うじゃない」
 シャーは楽しそうにそういうと、歌うような調子でいった。
「そーだ。ちょうど、そこにちょっといいお店があるんだよ。リーフィちゃん、よってかない? 暑いし。リーフィちゃん、急いでるわけじゃないんだよね。だったらいーじゃない」
 お店のほかの子が、こんな場面をみたらどうかしら。シャーがまたナンパしてみたいに、言われてしまわないかしら。シャーは、見た目が軽くみえるから、別にそんなことはないのだけれど、ちょっと損をしている気がするわ。そんなことを思っていると、シャーは、愛嬌をふりまきつつも、不安そうに眉をひそめて私を見た。
「ね、リーフィちゃん、だめかな?」
「そうね」
 私は、彼の誘いに応じることにした。そんな風に頼み込まなくても、こんな時間の空いたときに、シャーと道端であって、そのまま別れる手はないと思うわ。シャーといると、何かしら面白いことがあるような気がするものだもの。
 私たちは、路地をそのまま少し進んだ場所の茶店に入って、窓の近くの席を陣取った。日陰になると随分と涼しく思えた。暑いときに熱いお茶というのも、きついようにおもうけれど、意外に飲んでみるとあとでさわやかになるもので、私は結構好き。
 シャーは、シナモンを多めに入れて、ぐるぐるとかき混ぜたあとゆっくりとそれを飲んでいた。シャーは、シナモンを多めにいれるか、それか牛乳をたくさん入れるかのどちらかの飲み方が多いわね。気分に合わせて変えているのでしょうけれど。
「ごめんなさいね、シャー」
「いいってば。オレは確かにお金ない人だけど、リーフィちゃんの手前だもん。ちょっとはかっこつけさせてよ。こんな安いのしか無理だけど」
 シャーはそういって苦笑した。ここの茶代は、シャーのおごりだった。
 シャーはお金のない人で、しょっちゅう仲間たちにおごられてばかりだけど、私からおごられるのは嫌がる。男のプライドの問題なんですって。だから、私もそれは尊重することにしているの。きっと、今日も財布の中にはそんなにお金が入っていないと思うから、晩御飯に困るのではないかしら。あとで、なにかお料理でもおすそわけしてあげることにしましょう。それなら、シャーも嫌がらないからね。
「ここの、結構美味しいんだよね。オレはこうみえても、お茶は結構うるさいのよ」
「まあ、そうなの」
「でも、リーフィちゃんの淹れてくれるお茶が一番美味しいんだけど」
 さりげに、そんなお世辞を忘れないあたりは、さすがはシャーだわ。シャーは、それでもお世辞がうまいのに、周りの女の子たちには評判が余りよくないみたい。もうちょっと本当はまじめなところをみせればいいのではないのかしら。
 私は、素直に彼にお礼をいって、自分のお茶を飲んでいた。
 透明なガラスでできた飾りが、きらきらと天井の方で揺れている。お洒落なお店、というわけではないけれど、こんな場末みたいな場所にしては、きれいで風流なお店だった。お茶の味もいいし、シャーが好きというわけね。シャーは、あっちこっち歩き回っているから、こういうお店のことをよく知っているの。逆に私は、余り普段は外のお店を歩き回ったりしないから、仲間の子がいるお店以外は余り知らない。シャーが色々教えてくれるのも、私にとっては嬉しいことね。
 あれ、とシャーは声をたてた。私が彼の視線を追ってみると、シャーは窓の外を見ている。
「どうしたの?」
「んー? いやねえ、さっきから、やけにあの家に小さい子が入っていくなあと思ってさあ」
 私は怪訝に思って、シャーの見ているほうに身を乗り出した。シャーは、家の中から外をのぞく猫みたいな表情で、外を見ている。ああ、そういえば、このひと、猫に似ているのだわ。太陽にきらめく目で、何を考えているのかわからないような表情をするあたり。そういうところが、とっても猫ににている。
 と、シャーは私に気づいて、びっくりしたような目で私を見た。
「ど、どうしたの、リーフィちゃん」
 シャーを思わず観察してしまっていたら、シャーは大きな目をぱちくりさせて私を見やった。
「あら、ごめんなさい。なんでもないのよ」
 さすがに、シャーを観察していたというのも、悪いわ。じっと対象をみてしまうのは、私の悪い癖ね。別に悪気はないんだけれど。
「小さい子ってどこへ?」
「ああ、あの家。ほれ、あの立派なおうちがあるじゃない。あそこに、さっきからこんくらいのちっちゃいこがちらほら入ってはでていっててさあ」
「まあ」
 シャーがぞんざいに指差した家をみる。このあたりでは、なかなか大きな家だったわ。そこから、シャーの言うとおり、小さな女の子がぱたぱたと足音を立てて出て行く。何か包みを握っているのをみると、お菓子でももらったのかしら。
「お菓子でも配っているのかしらね」
「そうだといいんだけど、あの家はさあ」
 シャーがふとげじげじ眉をひそめた時、家の中から男の人が数人でてきて、この喫茶店のほうにむかってきていた。
「あっ、やべえ」
 シャーは、急に居住まいを正す。
「どうしたの?」
「そこの家のがちょっとややこしー男の住処なんだよ」
 きくと、シャーは小声で答えた。
「ややこしい?」
「ああ、あそこは、レンク・シャーの子分の……」
 レンク・シャー。それは、シャーと同じルギィズ姓の悪党の名前だったわ。シャーとは同姓同名だけど、相手はレンクという名前でも呼ばれているので、レンク・シャーっていう通称。シャーなんか、その人と間違われないように、カタスレニアのシャーって呼ばれることもあるのよ。もちろん、それはシャーが、カタスレニア地区の酒場でうろうろしているからなんだけれどね。
 ルギィズっていう姓は、そもそもは武力でならした土地の有力者の一族だったというわ。といっても、いまだに将軍を輩出しているジートリュー家ほどの名家ではなくて、かなり広範囲に散ってしまって悪党から身分の高い人までいろいろいるみたい。シャーもそういうおうちの出身なのかしらねえ。
 とはいえ、私の経験からいうと、こういうところでうろうろしているひとは、本名を名乗っているとは限らないわ。レンクにしたって、シャーにしたって。本名を名乗る必要は特にないし、偽名を名乗っている方が特なことだってあるものね。
 ともあれ、そのレンク・シャー。数年前の王室の内乱にも裏でかかわっていたという、王都の暗黒部を支配する男の名前をきいて、私が思わず口を開きかけたとき、シャーは、ちらと入り口を見て顔をしかめた。
 さっきの男たちが、お店に入ってきたところだった。
「ったく、あいつらがいなきゃ、この茶店はいいとこなのに。この前から、あそこん家に居座っちゃってさあ」
 うんざりした口調でそういうと、シャーは反射的に身を小さくしていた。シャーは、何故だか人に絡まれやすいらしいので、厄介な人を見ると条件反射的に身を潜めてしまう癖があるみたい。
 でも、シャーのその危惧は正解だったみたい。さっそく、彼らはシャーのほうをみると、なぜかこちらに寄ってきていた。
「な、何か御用でしょう?」
 シャーが恐る恐る声をかけると、大柄の男のほうがにやりと笑ってシャーをみた。
「お前、よくここで会うな。一服付き合えよ」
「いやあ、このお店気に入っていますからね」
 シャーは、内心うっとうしくなっているみたい。さすがに外にはそんな態度は出さないのだけれど、付き合いが長くなると結構わかるものよ。見かけはおびえているようにみせているけれど、やっぱり、シャーはシャーだから、どこかで本性がちらちらのぞいてしまうのね。
「ちょっとこっち来いよ」
「……わ、わかりましたよう」
 そういわれて、シャーは仕方なく席を立つ。なるべく騒ぎを起こさないのがシャーの主義なので、最初のうちはやらせたいようにすることが多いわ。
「それじゃ、ちょっといってきます」
 シャーは、しょんぼりとした様子で彼等の方に向かっていった。なにやら断っていたけれど、結局煙草を吸わされて、シャーはげほんげほんと咳き込んでいる。
「俺は、すえないんですよう。旦那」
「まあそういうな。もう一服!」
 人が断っているのに無理に進めるのは駄目ね。けれど、私はその時は助けに入らなかった。だって、私には、シャーの思惑が見えているのだもの。結局もう一服吸わされて、シャーは、激しく咳き込みつつ、ほうほうの体でこっちに戻ってきた。
 男たちはそれで満足してしまったのか、休憩時間が終ったのか、それで店の外に出ていっていた。シャーは落ち着いて、ため息をついて、私の向かいに座っていた。
「シャーはそういえば、煙草は吸わないの?」
 私がそうきくと、シャーはうーんといった。
「好き好んではすわないけどさあ。ほら、煙草すわないほうが、動きがいいというか、反射がいいというかねえ。だから、俺は自分から好き好んで吸わないわけ。酒だけでも金がかかってるのに、煙草なんてさあ」
「そうなの?」
「そうだと思うんだけど。ああ、でも、俺も別に、吸わないってわけじゃあ……」
 そうシャーがいいかけたとき、隣に中年の男がやってきた。人好きのする顔のひげのおじさんだったわ。おじさんは手をふると、シャーに陽気に声をかけた。
「おや、兄さん、久しぶりだね」
「ああ、おいちゃんも、元気そうでなにより」
 連中がいってしまったので、シャーもまた身を潜めることなく、気さくに答える。シャーって、結構回復力が早いわね。
「こっちにきて一服やるかい?」
「そうだね、連れがいるから、一服だけだよ」
 シャーはそういうと、私にちょっといってくるよ、と断ってそっちの席に行った。シャーは、ああいう性格なので、どこに行っても人気があるわ。なんとなく人をひきつけるところがあるみたい。なのに、どうして女の子にはあんなに嫌がられるのかしらね。
 青いガラスの水煙草の前に座って、シャーはおじさんと歓談している。
「そうそう、兄ちゃん。最近、都に輸送すると中の岩塩が盗まれたって話しっているかい?」
「塩泥棒?」
「ああ、そうさ。東の山でとれた岩塩は取り立てて質がいいことで有名なのは、兄ちゃんもしっているだろう?」
 岩塩、ときいて私は思い出した。そういえば、東の郊外の山でとれる岩塩はことさら品質がいいときいたことがある。もちろん、料理に使うのにもいいのだけれど、みかけも宝石のようにきれいなの。塩といってもピンキリだけれど、その岩塩は高値で取引されるというわ。
 おじさんは、煙草をひとのみすると、気持ちよさそうに煙を吐いてシャーに渡した。水煙草は回しのみするのが普通なの。
「そりゃあ、景気のいい話だね、また」
 シャーは、そういうと、水煙草を一口飲みして、ふーっと煙を気持ちよさそうに吐いた。
「しかし、そんなもん盗んでもうかるのかね。結構重いから身動き取れなさそうだよ?」
「それが、案外、うまくいっているみたいだ。どうやって移動させているのかはなぞだがね」
「へえ。オレもいっちょやってみようかな?」
 シャーは、そんなことをいいながら、またもう一度煙を吐いて、世間話に興じていた。
 シャーは水煙草を基本的にやらないけれど、たまに付き合いで回しのみをしているのを見かけるから、別に嫌いなわけではないみたい。不思議ね。ジャッキールさんなんかは、ああ見えて水煙草はまったくだめで、前に付き合いで飲まされて部屋の隅で青い顔をしてたものだけれど。
 そう。だからさっきのはお芝居。シャーの常套手段だわ。そのことはしっていたのだけれど、さっきのシャーの様子を思い出すと、思わず笑ってしまいそうになる。だって、シャー、ちょっとさっきのは大げさじゃないかしら。普段はすわないっていいながら、結構気持ちよさそうに煙草を吸ってるのだものね。
 私が笑っていると、シャーが怪訝な顔をしてこちらを見た。
「え、さっきの、ちょっと大げさすぎたかな?」
「ええ、まあ」
 そうは答えたけれど、私は思わず忍び笑いを続けてしまう。シャーは、困った様子で頭をかきやった。
「ひどいなあ、リーフィちゃん」
 私は、彼にごめんなさいといいながら、それでも、なんとなくおかしくなってしまった。





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