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サギッタリウスの夜-35


(あの二人がお友達になったのは、そりゃいいことだけど、こんな風においてかれると寂しいなー)
 シャーは、ドライな女たちの素っ気無い態度に、不意にそんな感想を抱きつつ、突っ立っていても仕方がないので、先程の三人の様子を見ていないふりをしていたジャッキールのほうに向かった。ジャッキールは、相変らずわかりやすい。落ち着いたそぶりをしていたが、不自然に視線をちらちらこちらに向けてきているので、渋い冷静な大人を演じきれないあたり、とても彼らしい。
「よ、ダンナ、おはよ」
「その挨拶をするには、もうずいぶん遅い」
 料理はまだきていないようで、ジャッキールは茶をのんびりとすすっていたが、声をかけられてちらりとシャーに目を向けて、そんな堅いことを言う。シャーは、ジャッキールの隣にどかっと座りつつ、茶瓶から自分で茶を注いだ。
「んなことは、わかってるって。で、どう? ダンナ、俺になんか言うことあるよね?」
 と、いきなり、横目に彼を見ながら本題に入ってみた。ジャッキールが、どきりとした様子になる。
「いや……」
「昨日、アレから、色々楽しそうなことしてたよねー? 一体、ダンナともあろうお方が、何をしてくれちゃったのかなー?」
「お、俺でないぞ。ヤ、ヤツが、蛇王が……」
 ジャッキールは、少し焦った様子になった。それに追い討ちをかけるように、シャーは、じっとりと例の三白眼を上目遣いにして責めてみる。
「まさか、殴りこみとかしてないよねー? あんなことされちゃ、オレ、超メイワクなんですけどぉー?」
「だ、だから、俺ではないのだ! ヤツが、どうしてもといって暴走するものだから! 俺はあれでも精一杯ヤツを止めたのだ。照明器具十数個の破壊で済んだのは、その説得の成果なのだぞ!」
 ジャッキールは、げっそりとした様子で頭を抱える。
「本当かなあ。昨日は、ダンナも結構イってたから。一緒んなって暴れてたんじゃないのぉ?」
「た、確かに、それなりに興奮状態だったのは認めるが、やつが暴走し始めたころには俺は正気だったのだ。そのまま、帰ってもよかったのだが、ヤツときたら放置していたら、そのまま突撃をかましそうで、何をしでかすかわからん! 本当に、止めるのが大変だったのだ」
 頭でも痛むのか、ジャッキールは額を押さえてため息をつく。別に嘘でもなさそうなので、シャーは、肩をすくめてため息をつきながら、温かい茶を、ずず、と啜る。
「まあ、あのおばはんの家にそれくらいの悪戯するぐらい、別にいいけどさ。ホント、あんまり度のすぎたオイタはやめてよねえ〜」
 わかっている、とジャッキールは苦くうなずくが、ふと気を取り直してシャーをにらみつけた。
「そういう貴様こそ、俺に言うことがあるだろう」
 そういわれて、シャーは意味がわからず、小首を傾げた。
「え、何さ?」
「俺に、ヤツのことを話さなかった。最初から、アイツのことを話していれば、俺はヤツだとわかった。なんであんな怪しい男と出会っていたのに、俺に報告しなかった?」
 ジャッキールは憮然としているが、シャーは平然と答えた。
「だって、あの時は、確信がなかったんだもんよ。蛇王さんたら、確かにリオルダーナ人で体でかくて強面で目立つけど、カレー好きのおもしろおじさんみたいなところあるじゃんか。ジャッキールのダンナみたいに、見るからに危険人物じゃないしー」
 それにだよ、と、シャーも、やや仏頂面になる。
「大体、ダンナが一番悪いんだよ? オレは、ダンナに言われた通り、挑戦状が来た時に相談に行ったのに、ダンナったら家にいないとか。一番大事なときに、留守しやがって、ホント、あん時は、オレ、死んだかとおもったねー」
「あ、あれは、色々俺にも事情があって……。俺は、あのコウモリに呼ばれて、貴様のために色々相談をだな」
「でも、家にいなかったせいで、結局、オレと蛇王さんが戦ったんじゃないのー。要するに、ダンナのせいだよねー」
 シャーは、横目にジャッキールを見ながらチクチクと責めてみる。ジャッキールは、言い返せないのか、目を逸らしてしまっていた。そんなジャッキールを見て、シャーは、思わずニヤニヤしていた。
「もう、これ、ダンナ、オレに今度酒おごるしかないよねー。何おごってくれるかな?」
「貴様は、常時、他人の金で酒を飲んでいるだろうが」
 ジャッキールは、腹立たしげにそういうが、どうも強気になれないらしかった。
「あ、そうそう。そういや、蛇王さん、どうしたのさ。一緒じゃなかったの?」
 ジャッキールを一通りいじめたところで、その反応にも飽きたので、シャーはアッサリと話題を変えた。そういえば、ここにジャッキールがいるのに、昨夜一緒に逃げて、一緒に殴り込みをかけたザハークの姿が見えないのはどうしたわけだろう。
「アイツなど知らん。どこに行ったかしらんが、死ねばいい」
 ジャッキールの返答は、至極冷たい。
「ひでえ言い方するなー。あんた等、なんだかんだで仲いいじゃんか」
「俺はあんなヤツなど常に死ねばいいと思っている」
 ジャッキールは、腹立たしげにそう吐き捨てた。
「ダンナにしては、珍しいねー。本当は、オトモダチのくせにさー」
「友人などもってのほかだ。昨日トドメを刺すべきだった」
 あくまでそう突っぱねるジャッキールの反応が面白くなって、シャーは、くくっと忍び笑いをもらしてしまった。
「はいはい、わかったよ。んで、実際問題、あの人どこにいるのさ?」
「知らん。メシが出来るまでの間、散歩でもしているのだろう」
「散歩って? あれ、この辺にいるの?」
「リーフィさんがカレーを作っている時点で、察しろ」
 ジャッキールは素っ気無く言って、現実逃避するかのように茶をあおる。そういえば、この香辛料の香り、確かにカレーだ。
「え、それって?」
 シャーは、何か言いかけたが、不意に、表から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「なーんだ、蛇王さん、結局王都にいることにしたんだって?」
「おう、そうだ。色々問題が片付いたからな! それにしても、昨日は楽しかったぞ。貴様もくればよかったな。やはり、相手の本丸に突撃するのは、楽しいものだなあー!」
「え、何か不穏だな。何をしたんだよ、蛇王さん」
「秘密だ。しかしなんだな、エーリッヒなどは、柄にも合わず、暴力行為はやめろーとかなんとかいって、元から青い顔をさらに青ざめさせてわたわたしていたが、その顔を見ているのが、一ッ番、楽しかったぞ!」
 思わずその声を聞いて、ジャッキールはごほっと茶を吐き出してむせ返る。
「おいおい、ダンナ、大丈夫……?」
 お茶が変なところに入ったのか、苦しんでいるジャッキールの背中をさすってやりつつ、シャーは、来訪者が誰かもうわかっていた。
「あの、馬鹿髭が……! やはり、昨日殺すべきだった……ッ!」
 ジャッキールが、咳き込みながら低い声で呪詛をつぶやく。
 大方の予想通り、ばーんと扉を開けて入ってきたのは、無邪気な笑みを浮かべたザハークと、ザハークが王都にいることになったのを素直に喜んでいるゼダだった。
「さて、そろそろ出来たころか? いい香りがしているな。お、三白眼小僧もようやくやってきたか! はは、案外元気そうだな?」
 にっこりと笑いながら、ザハークは昨日のことなどなかったかのようにシャーに声をかけてきた。
「あ、ああ、おかげさまでね。おはよ、蛇王さん」
 シャーは、隣で殺気を溜め込んでいるジャッキールにひやひやしつつ、手を上げてザハークに挨拶をした。ザハークは、というと、そんなジャッキールに少しは気を遣えばいいものを、例の無邪気な無神経さで話しかける。
「エーリッヒ、何かむせ返っているようだが、どうした? 調子でも悪いのか?」
「誰のせいだと思っている……!」
 ジャッキールは、ギラッと彼を睨み付けるが、シャーやゼダでも、まだ慣れずに思わず身を竦めてしまう、ジャッキールの狂気じみた視線にも、彼はまったく意に介していなかった。どうもこれは、彼らにはよくあることなのだろう。
「なんだ? 相変らず神経質なヤツだな。体に悪いぞ」
「黙れ! 死ね、今すぐ死ね!」
 ジャッキールは、彼にしては非常に乱暴な物言いをしていたが、ザハークは肩をすくめるばかりだ。
「ほう、それは残念だったなエーリッヒ。昨夜、貴様がトドメを刺せたのに刺さなかったから、ま、当分は死なんぞ。まったく、後悔先に立たずだな」
 からからっとザハークは、神経を逆撫でするように笑い、平気でジャッキールの向かいに座った。この状況下でこの態度を取れるザハークは、やはりなかなか大物だとシャーはつくづく思う。
「なんだ、意外と元気そうじゃねえか」
 二人に注目していると、不意にゼダにそう声をかけられた。
「なんか、オレがいない間に色々面白いことが起きたらしいじゃねえか。昨日、そのまま、あそこにいればよかったな」
「テメエなんざあ、来なくて正解だよ。足手まといになるだけだい」
 シャーは、態度を急変させていた。どうもゼダには、相変らずこういう態度を取ってしまうらしい。
「へえ、そりゃあ良かった。しかし、随分な言いようだなあ。これでも、お前が、怪我してるとかきいたから、ちょっとは心配してたんだぜ?」
「ふん、てめーに心配されるほどヤワじゃねえっつの!」
 シャーは、つっけんどんに対応し、あからさまに嫌そうな顔をする。
 どうもシャーも、ジャッキールのことを笑えない。
「あら、皆さん、もう集まったの?」
 そういって、ひょこんと顔を出したのは、先程ラティーナと奥に入っていったリーフィだ。
「おお、すまんな。実に良い香りがしていて、楽しみにしていたところだ。俺がカレーが食べたいといったばかりに、手を煩わせてしまって」
 ザハークは、リーフィにそう声をかける。向かいのジャッキールが、不機嫌に、本当だぞ、厚かましい、とぼそりと言うが、ザハークはまったく聞いていないようだった。
「いいえ、作るのもとても楽しかったわ。今日は鶏肉のカレーにしたの。お口に合うといいのだけれど。ちょうど出来たから、持ってくるわね」
「ははー。それでこそ、腹を空かせた甲斐もあろうということだな」
 ザハークは、幸せそうに無邪気な笑顔を振りまいていた。
 結局、そのまま、リーフィのカレー試食会となった。
(しっかし、今日の面子(メンツ)、あんまりにも濃すぎじゃねえか)
 リーフィの作ってくれたカレーに舌鼓を打ちながら、シャーは、つくづく呆れていた。
 シャー自身も普通の人間のつもりはないけれど、ゼダにジャッキールにザハーク、リーフィにラティーナと、今日のメンバーはなかなか尋常ではない。そのうちの何人かは魑魅魍魎のようなものだ。それらが一堂に会してカレーを食っているのだ。今日は店に人が少なくてよかった、と思ってしまうほどに、なかなか異常な雰囲気が漂っていた。その割りに、一応は、和やかに会食が進んでいるのも、傍目からみると非常に奇妙に見えるだろう。
 そもそも料理の上手いリーフィは、カレーもなかなか美味い。今日のはさほど辛くはなくて、あっさりしていたので、この顔ぶれで食べるにはちょうど良かった。もう少しコクのあるものだと、もたれそうだ。リーフィ自身は、時間がなくて寝かせたりなかったとかなんとかいっていたが、ザハークは十分満足らしく、終始ご機嫌で「近くにこんな料理の上手い娘がいるのは良いことだ」絶賛していた。相変らず、こんなに料理を幸せそうに食べる男も珍しい。その様子を見ていると、昨夜の、冷徹で恐ろしい戦士としての彼がまるでまるっきりの別人に思えてしまうほどだった。
 カレーを食べ終わって、各々雑談をしたり、片づけを始めたころ、ふとシャーが気づくと、ザハークが壁に寄りかかってコーヒーを一杯飲んでいた。食後に濃いめのコーヒーを飲むのは、彼の常のようだ。ちょうどジャッキールとゼダが何か話しているらしく、席を外しており、リーフィとラティーナは片付けをしながら雑談していた。
「蛇王さん」
 シャーは、ザハークに話しかけた。ん、とばかり、彼は小首を傾げる。シャーは、自分の左腕を指差して尋ねてみた。
「大丈夫かい? 怪我」
 ザハークは、どうやら左腕に包帯は巻いている様子だったが、今は特にかばいだてしているフシもなかった。ははは、と彼は笑う。
「コレか。言っただろう? つばを塗っておけば治ると。その程度のものだ。お前の方はどうだ?」
「ああ、ちょっと血は出てたけど、大したことないよ」
「そうか。それは良かった」
 そういって、彼はコーヒーカップを口から外して、ふと目を伏せる。基本的には豪放磊落で陽気で無邪気なザハークだが、ふとした瞬間に、別人のような表情を見せることがある。普段はそんな雰囲気など皆無だが、長い睫毛に縁取られた大きな目と通った鼻筋に、異国の王の末裔の気配を感じ、その表情の端々に冷徹な戦士としての彼の姿が重なる。
「しかし、実際のとこ、蛇王さん、その傷がなきゃ、オレに勝ってたよな。あの時、技の完成直前に、左手の力が弱まったの覚えてるぜ」
 と、シャーが何気なく口にすると、ザハークは、にやりとして髭をなでやった。
「はは、さあ、それはどうかな?」
 ザハークの言葉にシャーは首を傾げる。
「あの時言っただろう? あの勝負、お前の勝ちでいいとな。エーリッヒが邪魔に入らなければ、俺は少なくとも無傷ではなかったぞ」
「でも、蛇王さんなら、何かしらの方法で致命傷は避けたはずだよ。だから、アレでオレの勝ちってのは、ちょっと釈然としないよ」
「はは、いいではないか。素直に勝ち名乗りぐらいなのっておけ」
 ザハークは、器が広いというべきなのか、普通ならこだわるはずの勝負の話をそういう風に簡単に言ってしまう。
「それにな、そもそも、俺が負傷したのは、お前に肩入れしたからだからだ。それも含めてお前の勝ちだということでいいのではないか? 俺はお前に目の前で死なれるのは、少なくとも嫌だとは思っていたぞ。殺すつもりはあったがな」
 ザハークは、不穏な言葉をさらりと混ぜる。
「勝ち負けというのはな、総合的にものを見て考えるものだ。ただ相手を叩きのめせれば、勝ちというわけではないからな」
 ザハークの目は、相変らず澄んでいる。しかし、何を真実として語っているのかを、読み取るのは至難の業だった。
 ジャッキールから、説教交じりに聞いたところによると、ザハークは、あの後左腕が麻痺していた、それがためにシャーは彼の必殺技から逃れられたのだ、ということだったが、本当にそうだったのかどうかもわからない。もしかしたら、ザハークが、シャーを殺すのをためらったがために、左腕の負傷を理由にして、わざと手を緩めてしまった、とも考えられないことはなかった。
 いや、でも、どうだろう。
 この男、本性は冷徹な戦士でもあるし、一度決めたことはかたくなに守る。そんな彼が、わざと手を抜くなどあり得るのか。それよりもなによりも、あそこまで、自然な演技ができるのだろうか、彼に。
「ところでだ」
 不意にザハークのほうから、声をかけてきたので、シャーは答えの出ない思考を打ち切った。
「色々考えて決めたのだが、貴様を殺すのは、エーリッヒの後にすることにしたぞ」
 さらりと笑顔でそんなことを言われて、シャーは、ぎょっとした。
「ま、まだそんなこと言ってるの?」
「もちろんだ。一度決めたことだからな。だが、どうせ貴様を殺そうとすると、エーリッヒが邪魔をしにくるので、まずはアイツから殺すことにした。なので、それまでは、休戦ということだな!」
 ザハークは、妙に嬉しそうにそんなことを言うが、言っている内容は、非常に不穏だ。
「ま、まあいいけど、それでも」
「ま、エーリッヒも、今は落ち着いているようだしな。今の状態なら、ヤツを殺すのに五年や十年は普通にかかるからな。お前はその後だから、その間は、一緒に遊べるぞ。ということで、それまでの間は、俺とお前は友人だ。ということで、これからもよろしく頼む!」
 ザハークは、妙な理屈を並べて、嬉しそうに笑ってそんなことを言う。シャーは、やや気圧されつつも、それを受けてうなずいた。
「あ、ああ、そうだね。よ、ヨロシク」
(いや、やっぱ、わかんねえ男だなあ、蛇王さん)
 シャーは考えるのをやめることにした。どうせ、ザハークの思考など読んでも、シャーには理解するのは難しいし、振り回されるのがオチだ。真剣に考えても仕方がない。とりあえず、当分の間は味方でいてくれるというのは、ありがたい話ではある。シャーとて、ザハークのことは気に入っているのだし。
 ただ、今、シャーはひとつ、あることを確信していた。
 本当は、この男、ジャッキールに負けず劣らずイカレている。それだけは間違いがない。
「しかし、俺が左腕を負傷したのは、この結果から言えばよかったことではないか」
 いきなりザハークがそう声をかけてきて、シャーは、きょとんと彼を見上げる。彼は歯を見せて笑った。
「俺が負傷したおかげで、俺はお前を殺さずに済んだし、お前は俺を殺さずに済んだ。そして、俺はお前を殺さなくてよかったと思っている。勝敗の是非などどうでもよかろう。これもまあ、神の思し召しというわけだ」
 シャーは釣られてにやりと笑う。
「それもそうだね」
 少し気だるい王都の昼下がり。
 コーヒーと紅茶の香りが漂う店内で、シャーは、久しぶりに訪れた平穏を全身で享受していた。もうすぐリーフィが、お茶と甘いものでももってきてくれるに違いない。

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