一覧 戻る 進む サギッタリウスの夜-34 「やあ、シャルル。久しぶりだね。元気そうで何よりだよ」 翌日、シャーが宮殿をひっそりと訪れた時、そういって、彼を迎えてくれたのは、近頃体調が良いらしいレビ=ダミアスだった。 相変らず貴公子然とした彼は、血のつながらない弟であるシャルル=ダ・フールとは非常に対照的な存在である。しかし、その王族らしい雰囲気が、かえって彼を本物の国王のように見せているのも確かであり、逆に言えば、隣にいるシャーが、どうみても彼の影武者にみえてしまうのも仕方がないことだった。それは、彼ら双方にとっても好ましく、双方に利益をもたらしていることでもある。 しかし、シャーにとって、この優しい義兄の存在は頼もしくもあるのだが、何をしでかすかわからないという不安な存在でもある。 「ラティーナも無事のようで良かったよ。ルシュール隊長さま様だね」 ご機嫌にそんなことをいうレビに、シャーはやや複雑な表情だ。 「兄上のお心遣いには、そりゃあ、感謝はしていますけれどね。しかし、ああいうことは、一度オレにも相談していただかないと……」 シャーは、やや渋いことを言う。きょとんとレビは小首を傾げた。 「ああいうことって?」 「いや、ラティーナちゃんを派遣してくるとか、ルシュール隊長にオレたちを守るように命令したとか」 「そんな時間はなかったじゃないか。もっとシャルルが、宮殿に遊びに来てくれていれば、打ち合わせもできただろうけれど」 「それは、色々事情があって……」 「ああ、まあ、君が宮殿に来た時は遊びだけではすまないか。お仕事もしていってもらわなきゃいけないからね」 「それだけはご勘弁くださいよ。オレは机の上に二時間以上座ると気分が……」 平然とそんなことを言うレビ=ダミアスに、シャーはお手上げ気味である。 「でも、良かっただろう? きけば、ラティーナは、アレからお前に会っていないというし、話もろくにしていないという。そんなことではいけないなと常々思っていたのだよ。この件で、親交も深まっただろう?」 「は、はぁ、ま、まあ」 (兄上め。やはり、そこはわざとだな) シャーは、ニコニコ笑っている底の知れない兄を少し小憎らしく思いつつ、ため息をついた。ここで戦いを挑んでも勝ち目はなさそうだ。 「あ、殿下、いらっしゃっていたのですか?」 そういって部屋に入ってきたのは、カッファだった。 「なーんだ、意外と元気そうじゃないか」 ルシュールから無傷だとはきかされていたが、実はシャーも彼と会うのは久しぶりである。実際、無事そうな姿を見てほっとしたものの、何とはなしに複雑な感情から、いまいち素直に反応できない。 「てっきり寝込んでるのかと思ってたぜ。そういう噂だったし」 シャーがそういうと、カッファはやや眉根をひそめ、 「早々柔ではありません。それよりも、殿下の方こそ、派手にお怪我をなされているようですが。昨夜何をなされておりましたのかな?」 と、不機嫌にたずねてきた。 「いや、これは、その」 右胸の傷はかすり傷だったし、額を切ったのもたいしたことはなかったのだが、さすがに翌日であるので、昨夜リーフィに手当てされたままの姿のシャーは、頭に包帯を巻いていた。 城に入る時の彼は、覆面姿や仮面をつけて入ってくることが多く、素顔を晒していない。今日も、頭から白い頭巾を被り、顔を覆い隠して入城してきた彼だったが、レビ=ダミアスとの謁見中は、部外者は誰も入ってこない密室性の高いものなので、邪魔な頭巾を外していた。その際に、包帯を巻いてきたことをすっかり忘れていたのは、失敗だった。兄がそれに対して言及してくれなかったのも、また手痛い。 昨日のことを洗いざらい話すと、待っているのは説教である。ラティーナを助ける為の単独行動からして説教モノだが、何せ、昨日のシャーは、自分の立場を全部捨てて、一人の戦士としてザハークの挑戦を受けたのだ。大抵の行動については、黙認されてる彼ではあるが、さすがに今回の件について話すと無事ではすまない。説教の末に、屋敷や宮殿に監禁されたら大変だ。 「べ、別に大したことはないんだよ。ちょ、ちょっと転んだだけだ」 「へえ、そうですか。あなたともあろうお方が、ずいぶんと派手に転倒なさったのですなー」 「オ、オレが、結構そそっかしいの、アンタ、昔から知ってんだろ? 酔ってさまよい歩いていたら、うっかり転んじまって、で、酔ってたから意外と血が出ちまったから! それだけ、それだけだよ! ほ、ほら、紛らわしいからもう取るから」 「そうでしたか」 シャーは苦しい言い訳をしていたが、カッファは信用していないらしい。シャーは、慌てて包帯を外して、前髪をぐしゃぐしゃと崩した。最初からそうしておけばよかった。 「ああ、それより、なんかハダートあたりから報告入ってないの? あのババアんところ、動きがあるとかないとか、さあ!」 シャーが慌てて話を逸らすと、ああ、と、カッファがうなずく。 「一連の事件が、サッピア王妃の一味の手に寄るものだということは、おおよそ間違いないようです。ただ、相変らず証拠がない。噂や、雇われていた無頼のものの証言では、あのお方を追い詰めることはできないでしょう。悔しいところではありますが、ただ、こちらから牽制をすることはできています。一度失敗したこともあり、しばらくは大人しくなるでしょうが」 「ああ、それはもうわかってるの。今は、もう目立った動きはないってことね」 シャーがせかすと、カッファは、ああ、そうだ、と付け加えた。 「確かに目立った動きはありませんが、サッピア王妃の邸宅に、昨夜遅くに矢を打ち込んだ馬鹿がいるとかなんとか。二人組の男で、てっきり殿下かと思っていましたが、どうやら違うようなのでほっとしたところです」 「な、何? 二人組?」 「ええ、不審な男二人が馬に乗って去るのを、ハダート将軍の配下に目撃されております。とはいえ、人が狙われたわけでなく、燭台やつるしてあったランプなどの照明器具を十数個落とされていたとか。サッピア王妃側もここで騒ぎ立てては、かえって疑われるとでも思ったのか、内密にしているようですが、ま、自作自演か悪質な悪戯でしょうか」 (あの二人だ!!) シャーは、思わずさっと顔色を変えた。 (え、何? あれから殴りこみにいったわけ? ジャッキールのヤツ、えらそーなこと言ってたくせに、蛇王さんと何やってんの? 悪戯って、ちょっと悪戯がすぎるだろ! ていうか、何なの? 一体、なにしてんのあいつら!!) シャーの表情に、カッファは疑惑の目を向ける。 「まさか、殿下、お心当たりがあるのでは?」 「ま、まさかまさか、そんなわけないじゃなーい。オレがあのババアんところに足を踏み入れるとか、絶対無いって!」 「本当でしょうね! 下手にこちらから手を出すとどういうことになるか、そこのところはわかっておられるでしょうな?」 「わ、わかってるって。ほんっとーにオレじゃないんだよ!」 あのオヤジ、余計なことしやがって! 内心そう思いつつ、シャーは、必死で否定する。あまりにもシャーが否定するのと、さすがに彼もそこまで無用心でもなかろうと、カッファはため息をついてうなずいた。 「わかりました。そこは信用いたします。……では、本日は、溜まったお仕事を……」 「え、判子つくだけだろ。適当にやっといてよ」 シャーはそういわれてうんざりとした表情になった。 「殿下のサインが必要なものもございますが」 「そ、それは、テケトーに真似して書いておいてくれたら……。オレ、今日はちょっと忙しい」 「殿下……」 じっとりとカッファににらみつけられて、シャーは逃げ腰だ。が、しばらくにらみ合った後、カッファは、やれやれとため息をついた。 「わかりました。その様子では、どうやらお友達にも相当迷惑をかけた様子……。今日は免除しますゆえ、きちんと、ご友人にお礼を申し上げなさいませ」 「え、カッファにしては、珍しくすんなりひくねえ」 シャーは、かえって気持ち悪いと言いたげな表情になった。 「あくまでご友人に免じてです。今日は許しますが、その代わり、今週中にもう一度登城いただくか、私の屋敷でお仕事をなさいませ」 「何か、ひっかかるな、その言い方……」 シャーは釈然としない顔をしていたが、カッファは説明するつもりがないらしかった。ラティーナのことではないだろうし、だとしたら、だれのことを言っているのだろう。なにやらルシュール隊長は、リーフィのことを知っているそぶりだったが、まさか。 ふと、見るとカッファが帯に差してある短剣に、小さなガラス細工の根付が飾ってあった。何となく見たことがあるような気もしなくもないが、どこにでもあるようなものでもある。 (いや、さすがにそれは。そんなことは……) 「何ですか、殿下」 「い、いや、別になんでもないよ」 シャーは、慌てて首を振る。 彼ら二人のそんなやり取りを、レビ=ダミアスは一歩はなれたところで、にこにこしながら見守っていた。 シャーが、酒場にやってきたのは昼を少し過ぎたころだった。どうにか、城での仕事を逃れてはいたものの、重要な書類については、結局サインさせられてしまった為、午前中に戻ってくるつもりが少し遅くなってしまった。 その日、酒場は、意外に人がいなかった。昼食の時間のピークを過ぎたのか、はたまた、たまたま人がいなかっただけなのか知らないが、いつも溜まっている連中の姿が見えなかった。店の女の子達も、まかないでも食べている時刻なのか、休みが多いのかはしらないが、姿がまばらだ。例の事件については、一応、昨日の一件で手打ちとされていたが、サッピア王妃側への牽制を行うためもあり、昨日よりは減っているものの、兵士がまだうろついている。店の人影が少ないのも、そうした影響もあるのかもしれない。 まあ、それも今日までだ。兵士の見回りも明日から徐々に減らされる。元の街に戻っていくだろう。 活気がないかわりにシャーにとっては都合がよかったのは、酒場に入ると例のおなじみの面々の顔が見えていたので、彼としては、多少人が少ない程度でちょうど良かったとも言える。 店内にはすでにジャッキールが、一人、壁に背をつけて茶でも飲んでいるようだった。ラティーナもやってきていて、誰かと奥のほうで話しこんでいる様子だったが、シャーの姿を見ると入り口の方に駆け寄ってきた。 「シャー!」 「や、ラティーナちゃん。元気そうでよかった」 シャーは、とりあえずそう挨拶した。昨日はどことなく弱っていたラティーナだが、今日は既にいつもの元気で活発な彼女だった。今日は狙われる可能性も少ない為か、前のように髪の毛を編みこんでお下げにしており、活動的な服装をしていた。ラティーナは、小声でたずねる。 「どうしたの? 意外と遅かったわね」 「いや、ちょっと、ご報告に行ってたものでねえ。色々報告とかそういうのがあったんだけど、ついでに書類書かされちまって。しかも、いろんな事聞かれるし」 シャーが、ややげっそりしながら答えると、ラティーナは、そうよねえ、と同意して、そのまま小声で続けた。 「レビ様も好奇心旺盛で、色々尋ねてこられるものね。カッファ様は当然追及してくるだろうし」 「全部本当のこというと、間違いなく監禁されるし、かわすの大変だったの……」 ふうとため息をつく。 「それはそうよ。皆心配しているもの。人のこと言えないけど、シャーも無茶するもの」 ラティーナは、そういいつつ、ふと改まって彼に向き直った。 「あ、そう、でね。改めて御礼をいわなきゃ。……昨日ね、ありがとう。助けてくれて……」 ラティーナは、そういって少し申し訳なさそうに目を伏せる。 「本当に、貴方には感謝しているの。でも、私がうっかり街にでてきてしまったので、貴方に迷惑をかけちゃったわね」 いきなり面と向かってそういわれて、シャーはやや照れ気味に頭に手をやる。 「え、ああ、そんなことないよ。だって、助けるのは、当然でしょ。ある意味オレのせいみたいなもんなんだからさ。そんなの気にすることはないさ。それに、ラティーナちゃんがここに来たのは、兄ちゃんの差し金でしょ? 責任なんてないない」 シャーは軽く言って、にこりとする。 「でも、オレも助かったよ。情報ももらえたし、久しぶりにお話もできたしね」 シャーにそういわれて、ラティーナはにこりとする。 「そういってもらえるとうれしいわ。私も、でも、ここに来てよかったと思っているのよ。レビ様に言われて、ここにこなければ、もう、一生、シャーとこんな風に、タメ口をきくこともなかったかもしれないもの」 少し悪戯めかして彼女は言う。 「ああ、それに……」 と、言いかけて、ラティーナは、背後を振り返った。 そういえば、先程から、強い香辛料の、いい香りが店内に漂いはじめていたのだが、その香りの立ち込める厨房の方から、リーフィが姿を現していた。 「あら、シャー、遅かったのね」 「あ、リーフィちゃん、おはよう、ってのももう遅いか」 リーフィは相変らず、昨日の騒動などなかったかのような、いつもどおりの無表情さだ。動じていないというのか、なんというのか、既に彼女は平常運転である。 そんな彼女に、ラティーナが楽しそうな顔で尋ねた。 「リーフィ、どう? もう完成しそう?」 そうたずねられてリーフィは、静かにうなずく。 「ええ、あともう少し煮詰めなきゃいけないんだけれどね。あ、そうだわ。ちょうど付け合せの料理をつくるところなのだけれど、ラティーナも手伝ってくれるかしら?」 「え、本当? ええ、ついでに作り方も教えてよ?」 「ん? ラティーナ? リーフィ? って……」 シャーは、呆然とそう呟く。この二人、こんなに距離が近かったっけ、と思わず疑問に思ったものだ。 「あれ? 気づいてなかった?」 ラティーナは、リーフィの肩に手を置きながら、にっこりとした。 「私とリーフィはもう十分お友達だもの。だから、私から、さん付けはよしてって頼んだの。で、私も、リーフィって呼ぶことにしたってこと!」 ラティーナは、続ける。 「それで、今日は、人がいなくて厨房も暇だというので、お手伝いついでに、リーフィにお料理を教えてもらっているの。私、料理とか苦手だし」 「そんなことないわ。ラティーナも何度か回数をこなせば、すぐに上手くなるわよ」 「え? いつの間に、二人は、そんなに仲良くなったんだっけ?」 シャーがおいていかれ気味になってそう呟くが、既にラティーナはきいていない。 「じゃ、私たち、とっても今忙しいから後でね!」 「それじゃ、シャー、ジャッキールさんも来ているから、そこで待ってて」 リーフィは、そういうと、ラティーナと一緒に奥に入っていってしまった。奥からは、楽しげな彼女達の声が聞こえてくる。 一覧 戻る 進む |