一覧 戻る 進む


サギッタリウスの夜-33


 彼らは、二人が去ってからもずっと戦いを続けていた。
 受けては返し、突きをかわし、相変らず、それは息のあった剣舞のようであったが、しかし、少しずつそのリズムが崩れ始めていた。
 その原因は、まずザハークの方にあった。
 ジャッキールが鋭く斜めから切り下げてきたのをザハークは、正面から受け止めた際、彼は完全に受け止めきれずに押されてしまっていた。思わず右手が反射的に剣を握ろうとするのに、ザハークはこぶしを握って防ぐ。
「ふん、限界か? 蛇王!」
 かすかに左腕が震えているのを見て、ジャッキールは、冷徹に言い放った。ザハークは強がって笑う。
「まさか! ここからよ!」
 それをかろうじてしのいで弾き返すと、勢いをつけてザハークはジャッキールに切り上げる。その攻撃はジャッキールに避けられたものの非常に鋭いものだったが、その後の追撃は精彩を欠いていた。
「馬鹿め!」
 ジャッキールは、それを機に手を緩めず、そのまま強引に剣を叩きつけていく。何度か弾きながらも、それを受け止めきれなくなったザハークは体勢を崩してしまっており、身を翻して体勢を立て直そうとするが、ジャッキールは容赦せずに追い詰めた。そのまま、上から剣をたたきつける。
「ちッ!」
 ザハークはどうにか片膝を突いて耐えたが、完全に崩れてしまっていた。ジャッキールは、それを逃さない。
「これで終わりだ!」
 ジャッキールは、容赦なく、ザハークの剣に横なぎの鋭い一撃をくれた。甲高い音とともに、ザハークの剣は彼の左手から弾き飛ばされ、石畳の上に転がった。
「はははははっ」
 ビッと剣先を突きつけられた格好になったザハークは、膝を突いたまま、乾いた笑みを浮かべた。そして、にんまりと笑う。
「貴様の勝ちだ。殺せ。エーリッヒ」
「ふん、今のお前を殺しても何の価値もない」
 ジャッキールは、彼を見下しながら言い捨てた。
「ろくに左腕が動かんくせに、あえて勝負に臨むとは信じられない馬鹿だ。俺は、アイツと貴様の戦いを中途から見ていたが、貴様の動きで、左腕が痺れはじめているのはすぐわかった。遅効性の毒でやられたか?」
 指摘されて、ザハークは笑いながら左手を掲げた。かすかに開いてみるが、その指が震えてうまく動いていない。
「はっはっは。そうか。俺にしては巧妙に隠したつもりだったが、見破られていたとはな。流石はエーリッヒだ」
「侮られたものだ。俺の目は誤魔化せんぞ。立て!」
 ザハークは、右手を伸ばして曲刀を掴んで拾い上げ、ゆらりと立ち上がった。ジャッキールは、剣をひかなかったが、ため息をつく彼の瞳からは、ある種の狂気が掻き消えつつあった。
「貴様もあの小僧も強情だ。おまけに口でいってわからん馬鹿とくれば、本当に救われない」
「そうだな。しかし、それはお前も同じだろう? 何せ、こんな状況下でわざわざ俺との茶番を演じる程度には、馬鹿だからな」
 にっとザハークは笑い、そして、突然、右手に握った曲刀を振りかぶって床を蹴った。彼の狙いはジャッキール、を、それて、その背後に忍び寄っていた何者かを貫いた。悲鳴が上がり、黒い人影が倒れるのと同時にジャッキールは、ザハークの背後から襲い掛かってこようとしていたものを袈裟懸けに斬り倒していた。
 そして、そのまま、がっと二人はそのまま背中をぶつけるようにして合わせた。そのころには、神殿の四方の闇から、黒装束の男達が足音もなくぞろぞろと現れていた。
「まったく」
 ザハークは、くっくと笑い出した。
「俺とお前が立ち会うといつもこうだな、エーリッヒ。いつもいいところで邪魔が入る」
「貴様が呼び寄せているのだろう? 奴等の狙いは貴様だ」
「それはそうかもしれん。クロウマという男のそばに、そういえば、シロウシとかいう実働部隊がついていたからなあ。今度はそいつらのお出ましかもしれん」
「結局貴様のせいだろうが」
 他人事のようにそんなことをいうのんきなザハークにジャッキールは、不機嫌になるが、ザハークは楽しげだった。はは、と笑ってザハークは視線をジャッキールに向ける。
「だが、俺は、こうして貴様と再び共に戦えるのは嬉しいぞ、エーリッヒ」
「ちッ、馬鹿な事をぬかしていないで、自分の首でも心配しろ。俺が殺すのだから、それまではしっかり守っていろ」
「貴様こそ。ま、死にたがり屋は、意外と死なんから大丈夫か、な!」
 からからっと笑ったザハークのその言葉尻を合図に、彼らはばっと双方に動き、襲ってくる敵と相対した。雑魚とばかりに払いのけていくが、数は少なくない上、実働部隊として訓練も良くされていた。
 すべてを一撃で倒せるわけではないので、数でもって囲まれると不利だ。
 ジャッキールが、ふとそう考えた時、入り口付近から馬のいななきと馬蹄の音がした。はっと顔を上げてそちらを見ると、崩れかけた正面の門から、人影を蹴散らしながら馬が一頭、続けて二頭入ってきた。その先頭の一頭には、男女二人が乗っており、手綱を操ると、馬はいななきと共にジャッキールの目の前で止まった。
「おうおう、派手にやってるねえ。二人とも」
 手綱を操ってる男が、そう軽口を叩く。当然ながら、それはリーフィをうしろに乗せたシャーだった。あとの馬には誰も乗っておらず、シャーはその手綱と剣を右手にぶら下げていた。
「チッ、ダンナも馬鹿だよなァ。アンタ囲まれてるのに気づいて止めに入ってきたんだろ。それなのに、目の前の空気に当てられちまって不要な勝負しやがって」
 シャーは、不機嫌に口を尖らせて言った。そう指摘されて、ジャッキールは、やや動揺した様子になる。
「そ、そうではない。状況を判断した上で、き、貴様らは、口で言ってもわからんから」
「へー、どうかね。楽しそうだったよ、ダンナも〜」
 不意に背後から、黒い人影が襲いかかってくるが、シャーは、冷静に剣の柄で男を叩きのめし、そのまま、ジャッキールに手綱を投げる。
「これは、あいつらがあっちの神殿に来る時に使った馬だ。そのまんま置いていってくれてたんで、いただいてきたのさ。さっさとそれのって逃げな!」 
 シャーは、先ほどのこともあってか、やや意地悪に口をゆがめる。
「んまあ、不器用なジャキジャキに乗りこなせるかどうか知ったことじゃねーが」
「貴様……!」
 むっとジャッキールが表情をゆがめたのは、実際、彼があまり乗馬が得意ではないためだ。シャーにそのことを話したことはないはずだが。シャーは、ジャッキールのその顔を見て、仕返しをしたとばかりに上機嫌だ。
「蛇王さんにでも教えてもらえばァ?」
「貴様、覚えてろよ!」
 ジャッキールは、不穏な言葉を吐くが、シャーはそんなこと知ったことかとばかり笑って手綱を引いた。
「それじゃ、オレとリーフィちゃんは、先、帰ってるから! それじゃーな、ふははははっ」
「気をつけて帰ってきてね」
 シャーの背のリーフィが、彼らの毒のあるやり取りをきいていないかのように、そういうのが妙に涼しげだ。シャーは、そのまま、襲い掛かる敵に馬ごとぶつけるようにしながら蹴散らし、鞭をくれて門を颯爽と出て行ってしまった。
 ザハークはその様子を見ながら、愉快そうに笑う。
「はは、小僧にしてやられたな。エーリッヒ」
「黙れ! 貴様の方が乗馬は得意だろう。先導しろ!」
「もちろん、サギッタリウスの名は伊達ではない。そもそも、馬上での弓術で評価されたための名前だ。まあ、任せておけ」
 ザハークは片目を閉じ、手綱を受け取るとそのまま、一頭めの馬に飛び乗り、さっさと馬を御すと、もう一頭の馬も器用に扱い、ジャッキールを乗せるために待たせた。
「ただし、俺が手綱を取って先導すると、もう一軒付き合ってもらうことになるぞ、エーリッヒ」
「何だと?」
 ジャッキールは、飛び掛ってきた相手を叩きのめして、馬の背に飛び乗りながら表情をゆがめるが、ザハークは、聞いていないとばかり、それと同時に鞭をくれ、曲刀を振り回して敵を牽制した。二頭の馬は全速力で駆け出した。
「どういうことだ! どこかに寄り道するつもりか?」
 ジャッキールは、嫌な予感でもするのか、少し焦った表情で先頭のザハークに叫んだ。このザハークという男の性分を良く知るジャッキールには、先程の彼の言葉は聞き捨てならないことなのである。
 ザハークは、そんな彼のことなど知らぬとばかりにんまりと悪戯っぽい笑みを浮かべ、左手を目の前に突き出していた。
「実は、そろそろ左手の痺れが治ってきていてだな。どうせなら行きたいところがあるのだ」
「蛇王、貴様……」
 ジャッキールは、やや呆れたような表情を浮かべるが、ザハークは、楽しげに笑うのみである。
 既に、彼らは神殿から外に出ていた。背後で、黒装束の男達が何か口々に言っているようだったが、それはもう関係のないことだ。
「どうせ貴様もこのままでは消化不良だろう? もう一軒付き合え」 
 その言い方は、まるで居酒屋を梯子するときのような無邪気さを帯びていて、いっそのこと恐ろしく不吉でもあった。


 三日月は、いつのまにか沈んでしまったのか、それとも建物に隠れてしまったのか、見えなくなっていた。空には満天の星空が見えるばかりだった。
 シャーとリーフィは、馬上にあった。追っ手を避けて、あえて王都の複雑な路地を飛ばしながら、家に帰るところだった。この馬は、その辺の適当なところで乗り捨てた方がいいだろう。
「ラティーナさんは無事だったの?」
 リーフィにたずねられ、シャーはうなずいた。
「うん。オレの知り合いが一緒に来てたからさ。ヤツに頼んで、お屋敷まで送ってもらった」
「それはよかったわ」
 リーフィは、ほっと安堵したようだが、不意に何かに気づいたらしく、少し心配そうにたずねた。
「シャー、まだ血が止まっていないんじゃないの?」
「え、あ、ああ、そういえば。まあ、意外と派手に切ったんだな」
 額からは、まだ時折血が流れ落ちているが、それほど出血が多くないので、シャーは気を留めていなかったが、リーフィからみると随分気になるのだろう。そういえば、右肩から右胸にかけても真っ赤に染まっている。怪我の程度はたいしたことはないのだが、見た目には驚かれるのかもしれないなと思った。
「手当てしてあげるから、私の家に寄って行って。昨日の服ももう乾いてるし」
「そ、そうだね、んじゃ、お言葉に甘えようかな」 
 夜風は徐々に冷たくなっていた。
 ジャッキールとザハークは、上手く逃げられただろうか。
 最初戦い始めた時は、どうなるやらと思ったが、あのジャッキールが躊躇なく背中を預けているところを見ると、本当はあの二人、馬が合うのではないだろうか、とも思わないでもなかった。あの様子なら、二人で仲良く逃げることも出来るだろうと思って、シャーはあえて二人まとめておいてきたのだが。
(ま、ちゃんと協力してれば、抜け出せないはずはないだろうけどさ。しかし、アイツラもかわいそうに。一人でも相手にするの嫌なのに、あんなんが二人まとめて敵になるとか地獄だぜ)
 神殿のあるはずの南の空をちらりと眺めると、キラキラと星が輝いていた。つなげるとひしゃくのような形をした六つの星が目だって見える。シャーは、測量の実用に使う天体を知るばかりで、天文にはさほど明るくないが、あれがおそらく射手座(サギッタリウス)。
 昔、東方に遠征した時、シャーはあの星を含む星空を何度も眺める機会があった。
 時には、勝利の余韻に浸る為、時には、難しい戦局から抜け出す方法を考える為、自分達がどこにいるのか正しい方角を知る為、そして、時には――恐怖と狂気から逃れる為。
 酒の酔いでも抑えきれない不安を抱えて、涙を浮かべながら一人天幕を抜け出して、空を眺めると、砂の上で見る星空は、寒々しく、恐ろしく広大で、逆に押しつぶされそうになったのを覚えている。
 そんな時に、あの星々を何度も見た。あれが、自分にその恐怖を植え付けた男の異名となった星座とは知らなかったが。
 ――お前の勝ちだ。
 いとも簡単に彼はそう負けを認めた。けれど、シャーの感触としては、それは手放しに喜べる勝利でもない。ジャッキールが割って入らなければ、確かに、ザハークの言うとおり、どちらかが死ぬまでもっと凄惨な争いを続けていたかもしれない。その上で、自らが絶対に勝者として生き残れたかと考えると、シャーには自信がなかった。
(ホント、食えねえなあ、あの男)
 シャーは、苦笑していた。しかし、何となく、晴れ晴れとした気分にもなっていたのだ。
 サギッタリウスは、かつて彼に死の恐怖を植え付けた男だった。瀕死の重傷を負った彼は、それ以降、その死の恐怖に取り付かれたまま、戦場で病んでしまった。どうにか自分でも、それは克服したつもりだったのだけれど、かつて自分が彼に負けたという事実が、どこかで重く彼にのしかかっていたのは間違いない。
 ――お前の勝ちだ。
 何の重みもなく、彼はいとも簡単にそんなことを言う。しかし、その言葉ひとつで、なぜか、あのときの呪縛から解放されたような気になっていた。もっとも、ザハークが、シャーを助けるつもりで、そんなことをいったわけではないのだろうけれど、サギッタリウスという人物に触れることは、シャーにとって大きな意味があったと思う。
「そういえば、シャーが馬に乗っているの見るの、初めてだわ」
 なにやらそんなことを考えていると、リーフィにいきなりそんなことを言われた。
「え、ええ、ああ、まあ、その……。これは昔取った杵柄といいますか、ね」
 シャーは、どきっとして慌ててごまかす。別に身分が高くなくても馬には乗るのだが、先程からの一連の手並みを見れば、リーフィのような聡い人間ならすぐに素人ではないとわかるだろう。どうみてもシャーのそれは、馬子や馬商人が使う馬術でなく、戦場で実際に馬を日常的に駆っていた男のものだ。シャーは、もともと騎馬戦は得意だったため、その手並みは今でもなかなかのものだった。
「リ、リーフィちゃんは、馬、嫌い?」
 思わず話をそらそうと、そんなことをたずねてみる。
「そんなことないわ。だって、私、元々は高山の遊牧民の生まれよ。馬や山羊の世話だってしていたのだもの」
「え、そうなの? 知らなかったなあ」
「そうよ。ふふ、生まれ故郷はね、ここからずっと遠い場所だから、シャーも知らないかもしれないわ」
 リーフィは、楽しげにそういって笑う。
「だから、馬に乗るのは好きよ。もちろん、こうやって星空の下で馬に揺られるのもね」
「へえ、そうなんだ。んじゃっ、どう? 馬上のオレって、ちょっとかっこよく見えちゃったりもする?」
 シャーが、調子にのってそう尋ねてみる。
「そうねえ」
 リーフィは、しばらく真剣に考えていたようだったが、
「素敵だとは思うけれど、この場面なら、せめて髪の毛を下ろしている方がかっこいいような気がするわね」
「え?」
 きょとんとするシャーだったが、リーフィは真剣に考えたものらしく、腕組みしながら続けた。
「それか、羽飾りみたいな、ふわふわしたものがついたもの、帽子かなにかのかぶるものがあるとより素敵だと思うわ」
(な、何、その珍回答……。ていうか、なんで?)
 いきなり、そんなことを言われて、シャーは反応に困ってしまう。
(なんか、なびくものが足りないとかそういう回答なのかな)
 そんなシャーを見上げつつ、リーフィは、はっと我に返る。
「あ、今の、私の思いつきだから、気にしなくていいのよ。シャーは、そのままが一番いいと思うわ、ええ」
「あ、そ、そう。ありがとう」
 明らかに気を遣って言ってくれた言葉だったが、シャーはとりあえず礼を言う。調子に乗るんじゃなかった、と内心反省するシャーに、リーフィの声が聞こえた。
「今日は、けれど、ずいぶん綺麗な星空ね。昨日雨が降ったおかげで、空気が綺麗なのかしら」
 そういわれて、シャーは改めて空を見上げた。確かにリーフィのいうとおりかもしれない。天空の星は、いつもよりキラキラときらめいて、まるで黒い布の上に宝石をちりばめたようだ。
「明日はいい天気になりそうね」
「はは、そうだね」
 いつの間にか、左胸の古傷の痛みは消えていた。その分、頭やら右胸やらはちくちく痛む気もするが、それ以上にシャーは晴れやかな気分になっていた。

一覧 戻る 進む