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サギッタリウスの夜-24  


「さてと」
 屋上に上がり、さっそく縁に向かう。地上ではリーフィとラティーナがこちらを見上げて手を振っていた。それに手を振り返しつつ、シャーは、腰の帯にはさんであった小さな弓を取り出した。射程距離の短い小さなもので、例のゼダの経営する酒場の玩具を一つもらったものだ。隠し持つにはちょうどいいし、実際射るつもりもなかったので、これで十分だった。
 弓を構えて矢を番えてみる。ちょうど二人が立っている位置を狙ってみる。あの日、ラティーナがいた位置に立っているのは今はリーフィだが、実際、矢が当たったのは、実際は標的のラティーナが立っていた場所の少し前方の地面か、近くの壁だった。
 建物の屋上に立ち、シャーはあの日、矢が射ち込まれた方向を確認していた。風はないし、この程度の距離だ。相手が達人なら、コントロールが狂うこともないだろう。
 シャーは、地面に狙いをつけてみながら、ポツリとつぶやいた。
「やっぱ、ラティーナちゃんについては、殺すつもりはなかったんだろうなあ」
 カッファについては、わからない。ルシュールが、一撃目は危なかったというのだから、脅すつもりだけでもなかったのだろう。ラティーナと比べれば、カッファは相手にとっても大物の獲物であるし、相手はそれなりにプライドの高い男でもありそうだ。女で丸腰のラティーナを本気になって襲うつもりはなかったのかもしれない。
 それに、角に立っているリーフィの姿ははっきり見えるが、手を振って彼女に後退してもらうと建物の影に隠れて、姿がはっきり見えなくなってしまう。シャーとゼダは、角の先まで姿を見せていなかったから、ここからでは二人の顔が見えなかっただろう。
(犯人は、オレの顔見て襲ってきたわけじゃない。……ということは、ダンナの言うとおり、あの時の襲撃者は、サギッタリウスじゃないってことでいいのかな)
 シャーは、まだサギッタリウスを疑っている部分もあるが、そこには、サギッタリウスを強敵と思うあまりの心情的なものもあったのだろう。ここに来て犯人の足跡をたどって、ようやく、シャーはジャッキールの言葉を受け容れられるようになっていた。
 リーフィの言うとおり、自分は、少し感情的になって惑わされていたような気がする。
 弓をいったん下ろしつつ、シャーは、改めて周囲を見やった。
 この建物は、周辺では高い部類だったが、この周囲の建物が全体的に二階か三階建てになっていた。そして、周辺には、似たような建物、人が住んでいるのかどうなのかわからないふるい建物が並んでおり、その屋根もそれほど高さが違うわけではなく、飛び降りるのは容易だ。前に襲撃されたときも、犯人はそうやって逃げおおせてしまった。
 シャーは、周囲を見回していたが、ふと何に気づいたのか動きを止めた。
 そして、リーフィとラティーナに向かって手を振ると、隣の屋根に飛び降りて、屋根伝いに移動してみた。いくつか建物の屋根を跳びながら走って、一つの建物にたどり着くと、ふと、彼はそっと注意して下を覗き込んでみた。
「うわぁ」
 地上では、兵士たちが忙しくばたばたと走り回っている。真下はさほどではないものの、そこから少し離れた角のほうでもっと多数の兵士が集まっており、大声で命令を下しているメハル隊長の姿が見えていた。あの男は大柄なので、何処にいてもわかりやすい。
 メハル隊長の立っているところは、昨日カッファが襲われたと思しき場所だ。
 シャーは、そうっと周囲の屋根に目をやる。他にも背の高い建物が複雑に連なっており、メハル隊長の立っている場所の上にも、屋根伝いに行く事ができそうだった。
 シャーはそれを確認すると、そっと彼らに見つからないようにもとの場所に戻ろうとした、が。
「動くな」
 不意に声がして、シャーは動きを止めた。
 ざり、と靴が砂を噛む音がして、背後に人の気配がする。シャーは、振り返らずに、にやりとした。
「へえ、どっから上ってきたんだ? 意外と早かったよなア?」
 振り返らずに視線をちらりと走らせるが、答えあわせをするまでもない。後ろで矢を番えている男は、先ほどシャーがわざとぶつかって絡んだ男だ。
「アンタ、もともと、この辺に住んでたのかい? 異常に土地勘があるんだな」
 男は直接それに答えない。
「いったい、お前、どうしてこのあたりをちょろちょろしてる? 矢なんか持ちやがって、何を調べてやがるんだ」
「はは、うかつだな。いくら服装や髪型が変わってるからといって、標的のツラも覚えてねえで。……オレとアンタとは、アンタがこの建物で女の子狙った時に会ってるはずだぜ?」
「何!」
 男が、大きく反応する。シャーは、後ろを向いたまま、そっと右手を剣の柄にかけた。
「その話、お前、どこまで……!」
「それを答えなきゃならねえ義理はないだろ。それに、一応、言っとくけどな。オレは、わざとアンタに背後取らせてやってるんだぜ?」
 シャーがそういった直後、背後の男の殺気がひときわ大きくなった。
 空気を震わせる音と同時に、シャーは、はっと振り返る。振り返りざまに刀を滑らせるようにして抜いていた彼は、それをそのまま斜めに跳ね上げた。
 彼に向けて飛んで来ていた矢が、ばきりと折れ飛ぶ。男は二の矢を放とうとしたが、距離が近すぎる。シャーがそのまま跳躍して間合いを詰めてしまったため、あわてて接近戦に切り替えようと短剣を探ったが、あっさりシャーに服を掴まれてしまった。そのまま、シャーは首に腕を回して相手を押さえ込む。手にしていた短剣を足で蹴って弾き飛ばすと、シャーは、男に言った。
「もっと早く気づいておくべきだったよな。ま、最初入った時は、それどころじゃなかったんだけど。廃墟のはずの建物の中で、最近、メシ食った形跡があるんだもんよ。灯台下暗しってヤツ? アンタが潜伏してたのは、ココだったわけね」
 シャーは、細い体ながら、不相応な力で相手を押さえ込みながら言った。
「あの子も昨日狙われたオジサンも、尾行されてたに違いないんだが、実際に、アンタが行動を起こしたのは、縄張りん中に相手がうまいこと入ってくれたからも大きいんだろう。確かに、この付近は古い建物がひしめいていて、土地勘なきゃすぐに撒かれちまうし、コトを起こすにはいい場所さ」
 男が、ぎっと歯噛みする。剣を握ったままの右手で相変わらず相手を抑えつつ、シャーは、にやっと笑って、左手で腰に挟んであった矢を一本抜き取った。
「でも、オレは、全部アンタが一人でやったことだとは思ってないんだぜ。アンタ一人が尾行したにしては、どうもうますぎるしね。誰か手引きしたヤツがいるに決まってるだろうよ」
 その矢をちらりと掲げつつ、シャーは彼を睨みつける。
「てなわけで、アンタには、色々と訊きたいことがいっぱいあるわけだ。まとめて話を聞かせてもらうぜ?」
 そういった瞬間、ふと、シャーは何かを感じた。まるで突然胃が差し込んで痛くなったような、そんな冷たく鋭い感覚だ。
 と、不意に、空気を引き裂く鋭い音が聞こえた。
「うわっ!」 
 掲げていた矢に何か衝撃があって、シャーは思わずその手を離してしまう。と、そのスキに、男がシャーの手を振り払って逃げ出す。隣の屋根に飛び降り、そのまま、一目散に逃げていく。
 だが、シャーはそちらに目を向けなかった。シャーが握っていた矢は、彼の手から弾かれて床の上に転がっていたが、その羽の部分に正確に矢が射ち込まれていた。
(これは……)
 シャーは、だらだらと冷や汗が流れるのを感じていた。
 近くから感じられる黒い大きな威圧感。どこからか彼に向けられている鋭い刺すような視線。それは、かつて感じたことのあるものだ。あの戦場で体験したような、まっすぐにこちらに向けられる殺意。
 先ほど逃げていった男など比ではない。この矢の主は、もっと腕が立つ。
 シャーは、右手に握ったままの剣をぎゅっと握り締め、相手を見定めるべく視線を向けるが、その時、ひゅっと音がして、複数の矢が彼に向けて飛んできた。シャーは、三本の矢が飛んできたのをその目に捉えたが、そのうちの一本は、シャーの体に向かっており、避けられそうにない。叩き落すほかない。
 シャーが、それを剣で弾き落すと、矢は真っ二つになって足元に折れ飛んだ。残りの二本は、シャーの頬と髪の毛を掠め、後方へ飛んでいく。
 シャーは、追撃に備えて構えたが、しかし、追撃はなかった。
 一拍おいて、ばっとシャーは、矢の飛んできた方向に駆け寄った。反対側の建物から走り去る黒い人影がちらりと見えた。あわてて地面に降りて追おうかと思ったが、ここからでは間に合うまい。それに、地上で、何か起こっているらしいのを察知したのか、リーフィとラティーナが、心配そうに見上げているのも見えていた。
 先ほどの男は逃げたとはいえ、近くに潜伏しているだろう。あの二人を放置したまま、相手を追うわけにはいかない。
「今のは……」
 シャーは、やや呆然としつつ、折れた足元の矢を見やった。その矢は、シャーが持っていた矢や先ほどの男が使っていた矢とは、少し意匠が違う。羽は猛禽類のものらしく美しい模様があり、矢の鏃もこの国ではあまり見かけないものだ。そして、その折れた矢の先端に、紙が結わえ付けられてある。
(矢文?)
 シャーは、表情をこわばらせた。
 今の三本の矢は、ほとんど同時に放たれたものだ。残りの二本は、シャーを通過して、その辺の屋根の上に落ちているだろう。この一本にだけ手紙がつけてあるのは、彼がこの矢を弾き飛ばして足元に落すことを想定してのものだ。
 ふざけたことに、この矢の主は、計算ずくでこの矢にだけ手紙を結わえ付けてあるのだ。
 シャーは、荒々しく矢の破片を拾い上げ、紙切れををはずしてもどかしげに広げると、やや癖のある字で文章が書かれていた。
 その、宛名は、青の将軍殿、と書かれている。シャーは、ざっと目を通した。
『貴殿と私は、かつて戦場で見え、そして、私は先刻貴殿の旗を射抜いた。貴殿が、戦士として私と戦い、この因縁に決着をつけたいと欲するならば、今夜夜半、王都南方、月神殿の尖塔のふもとで、一人で待つ』
 差出人の名は、東方式の崩し文字で書かれており、シャーにはすぐに判別できない。だが、これが、サギッタリウスからの挑戦状であることは明白だった。 
 シャーは、感情に任せてそのまま手紙を握りつぶした。ぐしゃりと音が手元で鳴った。
「野郎……」
 シャーは、先ほど、何者かがいたはずの建物をにらみつけた。朝の太陽光が、まともに入ってぎらぎらと彼の瞳を青く輝かせていた。


 エルナトは、息を切らしながら必死で走っていた。
 この周辺のことについては、よく知っている。彼が幼少期にすごした場所だからだ。以降、国を離れたこともあったが、ここは再開発もされておらず、廃墟としてそのまま残っていた。この立体的にも入り組んだ路地を抜けてしまえば、先ほどの三白眼の男に捕まることもないだろう。
「くそっ、アイツ!」
 油断した。まさか、あの男が、最初にサーヴァンの姫君を襲った時に、そばにいた男だったとは。そして、当の姫君をどうやら連れていたことにも、迂闊ながらに気づかなかったのだ。
 ぶつかってきた時に、怪しいながらも、てんで強そうにも見えなかったためか、油断してしまっていた。
 一通り走って、彼は良く見知った一つの廃墟で足を止めた。どうやら、先ほどの男は追ってくる気配もないし、役人も感づいてはいないだろう。
 はあ、と、深く息をついたとき、不意にそばの柱で黒いものが動いた。ぎくりとしてあわてて身構えたところで、笑い声がとんだ。
「ははは、まったく、油断大敵だな」
「貴様は……」
 男は、柱にもたれかかって自分を見ている人物にあからさまに警戒した。
「ふふ、ここなら会えると思っていたぞ。あの事件のあと、ここで我々は、潜伏し、そしてわかれたのだったな。お前の巣の一つだ。いい場所だよ」
 エルナトは、冷や汗をかきつつ、相手に対峙した。
「何をしに来た?」
「何を? 俺は、お前を助けてやったではないか」
 男は、暗がりに身を半分置いたまま、平然とそう答えた。この男とは、あの事件以後、何度か会っている。だが、相変わらず、何を考えているのかわからない。
「俺が助けてくれと頼んだわけじゃあない」
「そうだろうとも。だが、あの男は、お前では手に余る。だから助けてやったのだ。もっと感謝してくれてもいいはずだぞ」
 男は、相変わらずどこまで本気なのかわからない、少し冷めた口調でそういった。それが、何となく腹立たしい。 
「第一、まだあの女狐の手のひらの上にいるつもりか? あの陰気な連絡役の男、黒馬とかいったか、女狐の配下の手引きで、襲撃を起こしたのだろう?」
 エルナトは、男をにらみつけた。
「そういうお前はどうだ? 刺客を差し向けられていたはずだ」
 彼は、皮肉っぽく鼻をならす。
「ふん、俺も舐められたものか、よりによって半端なヤツらばかりを差し向けてきおったものだ。ま、おかげで俺も無益な殺生をしなくて済んで助かっている。とはいえ、おかげで、貴様に会うのに苦労した。見つけて追いかけても、奴等に絡まれて見失ってしまうものだから。貴様のほうも、何かと俺を避けていたようだが、はは、まあ、会えてよかったということだな」
 エルナトは、それに直接答えなかった。
「俺を探していたのは、俺が何をしたのかわかっているからだろうな?」
「もちろんそうに決まっている。どうせ、標的をおびき寄せるため、といわれて、標的の友人や後見人を襲うように手引きされたのだろう?」
 エルナトが無言なのを肯定と取って、いやなあ、と、彼は続けた。
「俺にも、将軍を狙うように言ってきていた。潜伏していた場所の問題か? 近くを通るザファルバーンの七部将の誰だったかを狙えといわれたのだ。だが、俺はそんなまどろっこしいことをするつもりもないし、早々に断ったところ、解雇された上、命を狙われているというわけだな」
 男は平然と答える。
「でかいエモノを取り逃したんだ。アンタだってもう一度標的に表舞台に出てきてもらいたいんだろう? あきらめていないといっていたはずだ」
「もちろん」
「それでは、何故、断った?」
「ふふ」
 男は、薄く笑いだした。
「何がおかしい?」
「お前も相当浅はかだな。我々は利用されているだけだぞ。あの事件が公になったことで、やつらは動きが取れなくなっている。疑いが向けられていることは知っているだろうが、証拠をつかまれては困るからな。しかし、せっかく一度は追い詰めたもの。追撃もしたくなろうものだろう。それであのクロウマとかいうやつは、我々を煽っているのだ。身近な人間への襲撃を繰り返せば、やがて、標的は再び外に出ざるを得なくなる、と。俺や貴様のような人間の行いだ。勝手に暴走しただけ、と言い訳がいくらでもつく。最初に襲撃した姫についてははともあれ、オヤジは大物だったので、あわよくば、最初の一本で殺せればとも思っただろうし、そうそそのかされただろう? はは、奴等の誤算は、貴様が標的以外については深追いをせず、あくまで脅し目的で、追撃までしなかったことだ。クロウマとしては、たとえ、標的本人を殺せなくとも、周囲の味方を一人でも減らせればそのほうが都合がよいのだろうな?」
 男はにやりとした。
「これは忠告だ。そろそろ、ヤツから離れたほうがいいぞ。どうせ、コトが済めば、我々は切り捨てられて消されるのだ。口では出世や金の約束をしているが、そんなもの、信用できるものでもない。今回は助けてやったが、次は助けん。次に何かあったとき、命の保証はないからな」
 まるで子供に言い聞かせるように言われて、エルナトは、無言で彼をにらみつけた。男は、ふらりと柱から背を離す。
「それとだ、さっき襲った三白眼の男のことは忘れろ。あの男は、お前にはちと荷が重過ぎる。それにすでに先約を取り付けてあるのでな」
「何? どういう意味だ」
 エルナトがむっとした顔で男をにらみつけるが、男はすでに、歩き出していた。ただ、ちらりと彼を振り返りざま、にっと無邪気に笑った。その笑みは、子供のようですらあり、敵愾心しか抱いていないはずのエルナトですら、ともすれば親しみを覚えてしまいそうなほどだ。しかし、その口から出たのは、その表情に似合わぬ物騒な言葉だった。
「あの男は、俺の獲物だ」
 楽しげにそういうと、男は、そのまま顔を戻し、すたすたと彼の前から姿を消した。 

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