一覧 戻る 進む


サギッタリウスの夜-23  


 翌朝。
 リーフィと合流し、その後、手はずどおり、ラティーナとも落ち合ったシャーは、早速、例の場所に向かっていた。
「シャーってば、ずいぶん熱心ね」
 シャーとリーフィの間を歩くラティーナが、珍しいものでも見るような顔をして、リーフィに言った。
「そうねえ」
 と、リーフィもシャーに目をやる。
 確かに、シャーは今日は挨拶もそこそこに、手に二本の矢を握ったまま歩きながら考え込んでいるようだった。時々、ぶつぶつ独り言を言っているらしいのも聞こえてくる。いつものようにあまり軽口はたたいていない。
 今、ラティーナは、前を行くシャーとリーフィの間に挟まれる形で歩いていたが、それは不測の事態を考えてのことだ。ラティーナを狙ったものの目的は、まだ確定しているわけではないし、先日も何か矢を使った襲撃事件があったという。
 ジャッキールはそれを聞きつけて、なにやら現場で聞き込んでいたようだったが、ラティーナが聞いてもうまいことはぐらかして教えてくれなかった。ジャッキールは口が堅くて信用が置けるとは、シャーから聞いていたが、意外とぼんやりしているようで、肝心なところはしっかりしているところが、ちょっとだけ小憎らしくなって、思わず睨んでやったものだ。そんなジャッキールも、屋敷で彼女が情報を仕入れることを考慮してか、最終的に狙われたのがカッファであるらしいことを、ほのめかしてはくれたものの、その代わり、単独行動しないようにとなだめられたものだった。彼にそうまで言われては、ラティーナも流石に行動できなかったわけだが。
 しかし、そんな経緯があって、この順番で歩いているというのに、シャーといえば、ひたすら考え事に夢中なのだ。
「シャーは何か気になることがあって、切り替えた時は、あんな感じねえ。注意力散漫のフリしてるけど、集中する時は極端だわ」
「そうなんだ」
 ラティーナは、意外そうに言った。
「私、前にシャーと知り合った時、実は数日しか一緒にいなかったから、知らなかったな」
「あら、そうなの?」
 リーフィは、軽く小首をかしげた。あまり感情を表さないリーフィだったが、ここ数日一緒にいたせいで、ラティーナも少しは彼女の感情がわかるようになってきていた。
「ええ、色々あってね、それからずいぶん会ってなかったのよ。だから、意外とシャーのこと何も知らないの」
 ラティーナが少し寂しげにいうと、リーフィは緩やかにうなずく。
「シャーって、結構わからないところが多い人だものね。私もひとのことは言えないけど」
「え、でも、リーフィさんは、シャーのこと、よく知ってるでしょう?」
「ううん、そうでもないのよ」
「ええ? そ、そうなの」
 どうやら、正体については知らないらしい、というのは何となく知っていたが、あんまりにも言い方がドライだ。
「お友達になってからちょっと長くなってきたけれど、やっぱりわからないことの多い人だもの」
「うーん、そうね。確かにそういうところはあるけれど」
 リーフィは、なにやらしみじみとうなずく。
「猫みたいなものね。考えていることがわかりそうで、まったくわからないわ」
「そ、そう、ねえ」
 どういうたとえなのかラティーナにはすぐにわからなかった。確かに風体はそれっぽいとは思ったことがあるけれど。
(それにしても、リーフィさんって、やっぱり、シャーの彼女じゃないみたいよねえ……)
 ここにいたって、ようやく鈍いラティーナも彼らの関係を理解し始めていた。ここ数日一緒にいて、リーフィと話をしていると、シャーとの関係性に、どうもかみ合わないことがある。シャーと恋人なのか?と暗に尋ねてみると、逆にリーフィから、ラティーナのこそ、そうではないかと尋ねてきたときは、あわてて否定したものだ。改めて尋ねても、いいえ、お友達だもの、と真顔で乾いた返答があったのには、ちょっとシャーがかわいそうになるぐらいである。でも、それも、ラティーナに気を遣ってのことなのかな、とも考えていたのだが。
 シャーの方は、元から表裏が激しいし、ラティーナは、まだ彼の人格を掴みきれていないから、彼の態度をみるだけではわからなかったけれど、それでも、本当に恋人なら、誰かに吹聴してまわりそうなものだし、そうしなくても多少は浮かれた態度を取るだろうが、そういう雰囲気もない。
(しかも、こんな話、真後ろでされてるのに、シャー、無反応だわ。聞こえてないんじゃないかしら)
「今日は、それにしても稀に見る集中力ね。昨日大雨が降ったばかりなのに、また降るのではないかしら」
「ええ、本当だわ」
 そういわれて、ラティーナも同意しつつ、
(でも、シャー、私のこと守ってくれているっていったけど、これ、襲撃されても気づかないんじゃ……)
 本当に、こんなのでは、襲撃される危険はないのだろうか。やたらと集中しているようだけれど。
 ラティーナがそんな風に心配するのも、もっともといえばもっともなことだった。今、彼は、手に持った矢を見たり、周囲の建物を見あげたりと忙しい。目の前をちゃんと見ているのかわからない。
 ただ、もうすぐ、例の襲撃された場所にたどり着くところで、シャーもそこでは足を止めると思われた。
 ちょうど路地の角を曲がるところで、急に、前方から男が一人走ってきた。ラティーナが、あ、と声を上げるが、シャーときたら矢を眺めているばかりで、よける気配もなかった。案の定、そのまま、思い切りドンとぶつかった。ちょうどシャーのほうが相手の肘を胸に受ける形で衝撃を食らって、そのまま、後ろにしりもちをつく。
「シャー!?」
 ラティーナが、声をあげて彼の方に駆け寄ろうとしたところで、リーフィが止めた。
「大丈夫よ」
「えっ、でも」
 そういうラティーナに、リーフィは軽くうなずいてほほえむ。ラティーナは、黙って様子を見ることにした。
「いてててて」
 シャーは、左胸をおさえつつ起き上がる。
「邪魔だ! こんなところで何してやがる!」
 と、声をかけてきたのは、警備の兵士ではなかった。普通の地元民のような姿をしていてまだ若い。シャーとそれほど年も違いそうにない青年だ。ただ、何となく、その口調が、どうにもカタギの人間にも思えなかったし、実際、かなり気性が荒らそうだった。体格は良いが、シャーより背は低い。しかし、シャーにぶつかったことに、どうやら苛立っているようだ。
 これはいけねえ、厄介な人間だな、と思ったシャーは、相手に睨みつけられて、いつもの調子でへらっと愛想笑いを浮かべた。
「あ、ああ、悪かったよ。ちょっと余所見しててさあ、すみませんねえ」
 シャーは、あわててそう謝る。男は、ここでシャーみたいな人間ともめるのも面倒と思ったのか、舌打ちした様子だったが、不意にシャーが矢を手にしているのを見て、ぎょっとしたような様子になった。
「なんだ、それは?」
「なんだって、あぁ、矢だよ、矢」
 反射的に尋ねてきた男にシャーは、なんでもない様子でそう答える。
「今時分、物騒なモン、もってうろついてるんじゃねえよ。しょっぴかれてもしらねえぞ」
 男が忌々しげに吐き捨てると、シャーは、にんまりした。
「そんなつれないこと言わないでくださいな。物騒なモノ持ってるから、こういう裏路地を歩いているんでしてね」
 にっと笑ってシャーは、不意に目をきらめかせた。
「それとも、何かい? お兄さん、この矢に見覚えがあるとでも?」
「何?」
 むっと、男がシャーを睨んだ。その反応が、今までの様子と違っていた。
「おい、余計な事に首突っ込まねえ方がいいんじゃねえか」
「え、余計? 何か余計なことでも?」
 男がすごんだところで、シャーがすっとぼけつつもそう食い下がる。男は、きっとシャーをにらみつけた。そのまま、シャーの胸倉でも掴みそうな様子になり、ぎゅっと拳を握る。
 が、結局、彼はそうしなかった。何に気づいたのか、ふと背後を見やり、ぎくりとした様子になる。シャーもそちらに目を走らせるが、人の気配がしたような気がしたものの、姿を目視することはできなかった。
 ただ、男の態度はそれでがらりと変わってしまっていた。
「あんまり深入りしねえほうがいいぞ」
 そう吐き捨てると、男は、結局、そのまま去っていった。シャーは、しばらく、背後にいるかもしれない人物に気をつけたが、もう立ち去ったのか、はたまた勘違いなのか、誰も見つけることはできなかった。
「ちぇっ、なんだい、あいつ。せっかく、左胸の痛みが治ったトコなのに、再発しちまうじゃねーかよ」
 シャーは、肩透かしを食らったような顔をして、土ぼこりを払いながら立ち上がった。
「うーん、残念ね。なんだか事情知ってそうな人だったのに」
 リーフィが、シャーの気持ちを代弁するかのように首を振る。ラティーナはきょとんとした。
「え? どういうこと? ただ、絡まれただけじゃないの?」
「さっき、ぶつかったの、わざとだわ。怪しい感じの人だから、わざとぶつかって様子見たのだと思うわよ」
「ええ? なあに、わざと絡まれるように仕向けたってこと?」
 ラティーナは、目をしばたかせつつ尋ねる。リーフィはうなずいた。
「シャーは、あれで、私たちとの間隔を一定に保ったまま、歩いていたわ。ということは、気にしていないフリをしながら、周囲にかなり気をつけていたはずよ。それに、シャー、何だかんだ言って、ああいうとき、あんまり痛くないような倒れ方するのねえ」
「あーなんだ、そういうね。そういうとこ、そういえば、前からあったわ」
 ラティーナは納得したようにうなずいた。
「あっ、二人とも、ごめんよ。ちょっと絡まれちゃって……」
 シャーが、なにやら自分を見て話している二人に気づいて、あわてて駆け寄ってきた。
「なんか、まったく関係ない通りすがりのチンピラだったみたい。さ、ちょっとこの辺調べてみようか」
 そういうシャーを見て、ラティーナは、一瞬、心配した自分に腹立たしくなったのか、ちょっと不機嫌になっていた。
「シャー、根性悪いわね」
「え、な、何でいきなり、そんな下げ発言……」
 周囲の状況に気はつけていたものの、それなりに集中していたので、さして危険はなさそうな、二人の女の乾いた会話までは聞き取っていなかったシャーは、いきなりそんなことを言われて面食らう。
(な、なんか、悪いことしたのかな、オレ)
 そんなことを思いつつ、二人を見やるが、彼女たちは返答をくれそうにない。それどころか、ラティーナは、もう興味の対象がうつっているらしく、シャーの背後のほうを指差して尋ねた。
「それより、シャー、私たちが襲われたのって、あの角でしょう?」
「ああ、そうだよ。で、あの向かいの建物に誰かがいた」
 シャーは足を進めつつ、その角の対角線上の建物を指差した。
「そうだよ、あの建物からここを狙ってたんだよなあ」
 ラティーナからきいて、今日は彼女があの日、酒場まで来たルートをたどって歩いている。尾行してきたのなら、どこからなのか。そして、どうやって彼女を見張っていたのか。
 弟分たちや近隣住民にきいたところ、酒場の周辺に怪しい人間はいなかったはずだが、彼女を狙っていたのなら、彼女が出てくる瞬間を狙っていたはずだ。もっとも酒場から大通りに出る為に、この道を通る可能性が非常に高い。実はカッファが狙われた場所も、ここからそれほど遠くない。あちらにいくと、メハル隊長や役人に会いそうなので、あまり近づくことはできなさそうだが。
 周囲の壁には、あの時の矢で傷つけられた傷がかすかに残っている。その裏道からラティーナが現れた時に、襲撃者は矢を放ったのだった。
「シャー、何かわかりそう?」
 と、ラティーナに無邪気に訊かれ、シャーは、うーんと唸った。
「いや、いまいち、よくわかんない」
「えっ、わかんないの?」
「位置的には、あの時オレ達はここにいたわけでしょ? で、ヤツはあっちから矢を射掛けてきた。やっぱり、もう一度あの上、上がってみなきゃいけないんだろうけど」
 シャーはそういって、例の建物のほうに顎をしゃくってみせる。そうねえ、と、ラティーナが同意したところで、リーフィが入ってきた。
「シャー、それじゃあ、ラティーナさんと一緒にあの上に上がってみたらどうかしら。それなら、彼女も危なくないし、私が貴方たちがいた位置を再現することができるわ」
「ああ、それはそうだね。そうしてみよう」
 シャーも、ラティーナとリーフィの二人だけでおいていくのは不安でもあり、かといって、建物の上からあの日の位置関係を確認もしたかったので、リーフィの申し出は正直ありがたかった。
 そこで、リーフィに角のところに立ってもらい、シャーとラティーナは、建物に入って屋上に上がることにした。
 暗い建物の階段を、シャーとラティーナは、屋上の光を頼りに上っていった。昨日の雨のせいか、まだ建物の中は湿っているような感じがして、しっとりと冷たく感じられた。
「ラティーナちゃん、暗いし、足元気をつけてね」
 シャーはそう呼びかけつつ、先に立って階段をゆっくりと。
 相変わらず、人の気配はないようだ。人間がすまなくなってずいぶん経っているのだろう。
「ねえ、シャー」
「何?」
 ラティーナから声をかけられて、シャーは、半分ちろりと振り返って彼女を見やる。
「レビ様のことなんだけれどね」
 リーフィがいないときに話をしようと思っていたのだろう。ラティーナがそう話を振ってきた。
「もともと、あまり外にお出にならない方だけれど、あれ以来、特に外に出ていらっしゃらないときいたのだけど」
「うん、まあ、そのほうがいいよ。しばらくは、周囲も神経質に見張っているだろうし、そのほうが安心さ」
 シャーの言葉にうなずいて彼女は続けた。
「ええ。でも、それでふと思ったのだけれど、敵はレビ様に表に出てきて欲しがっているのよね? 多分、その時を待っているんじゃないかって思うのよ」
 シャーは、彼女のほうを完全に振りかえった。
「確かに、表に出てこない方だけれど、この間の神殿での参拝の時みたいに、儀式なんかの時に、表舞台に出てくることがあるわよね。いつまでも、潜んでいることはしない人だもの。それに、もしかしたら、私やカッファ様を襲ったのって、レビ様をおびき寄せる為じゃないかしら。」
「ああ、多分ね」
 シャーはうなずいた。
「兄ちゃんが一向に出てこないもんだから、多分ラティーナちゃんやカッファを狙ったんだろ。それはおおよそわかってるんだ。あれは、いい加減に表に出てこなければ、周囲の人間から殺すっていう脅しなんだよ、多分。オレもそうだけど、あの兄上も、そういうの聞くと躍起になるタイプでさあ。耳に入って、うっかり、私はここだぞ、ってどこかの式典にでも出られたら一大事だ」
 シャーの表情は暗がりで見えないが、その口調から彼がやや厳しい表情をしているのは想像できた。
「ま、安易に兄ちゃんの耳に入れるヤツもいないだろうし、オレもやられっぱなしで済ます性格でもないけどね」
 不意に、シャーは足元に何か当たるのを感じた。トン、コロコロと軽い乾いた音がする。薄暗い中、足元に目をやると、空き瓶のようなものが転がっていた。
 シャーは、それが転がっていく方向を見た。しばし、目を眇めて暗闇を見つめていた彼は、何を思ったのか、不意にラティーナに笑いかけた。
「ラティーナちゃん、やっぱ、方針変更」
 シャーは、にやっと笑って彼女にそういった。
「え?」
「外でリーフィちゃんと待っててくれる? 多分、オレの勘によると、今は、そっちのほうが安全だと思うんだ。オレも上から見てるし、危なくなったらすぐいけるからさ」
 シャーの表情は相変わらずの軽い表情で、何を考えているのか、いまいち読めない。だが、何かしら、意図があるのだろう。ラティーナはうなずいた。
「ええ、いいけれど」
「んじゃあ、先に戻ってて」
 そういって手を振る。シャーがそういうのだからと、ラティーナも特に逆らわない。
「それじゃあ、気をつけてね」
 ラティーナを帰し、彼女が外に到達したのと見届けると、シャーは、周囲に注意を払いつつ、階段を上り始めた。建物の中に人の気配はないようで、取り立てて何をすることもなく、シャーは、光の漏れてくる屋上に出た。

一覧 戻る 進む