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サギッタリウスの夜-14  
 
 
「へっくしょん!」
「どうした風邪か?」
 事情を話しながら菓子を食べていたところ、シャーが思い切りくしゃみをしたのでジャッキールが尋ねてきた。
「いや、そんなはずはないんだけど。なんか変な噂されてんのかなあ」
「まあ、貴様なら妙な噂ぐらいされてもおかしくもないしな」
 鼻の下をこすりつつシャーが言うと、ジャッキールがそうそっけなく応じた。割といつものやりとりである。
 温かいお茶を飲みながら、なんとなくほのぼのした空気が漂っていた。ラティーナは、まだこの妙な空気に慣れていないが、シャーの方はすっかり適応してきたのか、座り方も崩してきていた。
「妙といえば、ダンナも妙じゃないの。チラッと聞いたけど、こんなところで子供達の先生してるの? 意外だねえ」
「まあな。元々は、ここの大家の老人と知り合い、この借家を紹介されたのだが、そのうちに、近所の子供に読み書きを教えてくれといわれてな。礼に食べ物をもらったりするだけなのだが、それなりにうまくやっているぞ」
「ふうん、ダンナ、子供苦手そうなのにねえ」
「ま、まあ、得意ではないが、キライではないからな。後は、内職もしているぞ」
 そういうジャッキールの言葉に、シャーは近くにおいてあった、作りかけの造花の束をちらりと見やる。いや、実は最初から結構気になっていたのだが、さすがに彼の作品だと思いたくはなかったのだ。が、どうやら、本当に本人が作ったらしい。シャーは、呆れたように花の束をつまんでみた。
「気になってたんだけど、これ、ダンナが作ったの? い、意外と器用だね」
「うむ、もちろんそうだぞ。まあ、収入はわずかなものだが、ここにきてカタギ生活が三ヶ月を超えたのだ。三ヶ月もったのは、初めてでな。ついに憧れのマトモな生活が……」
「さいですか」
 ジャッキールは、感激したように胸に手をやるが、シャーは、この男が、そもそも戦闘狂の人斬りだと知ってるので、丁寧に布を貼り付けて、小花を作っては悦に入っている場面を想像しても、ろくろく笑えなかった。もちろん、隣でちょっと距離をとるようにしているラティーナも同じなのだろうが、シャーは彼女とはちょっと違う感情も抱いている。ちょっとやりすぎる部分があるものの、彼はシャーが一目置いている数少ない男の一人なのだ。
(こんなんがあの強敵だった男だとはねえ。……せめて、お花の内職とかやめてよね)
 とはいえ、シャーは、基本的には普段のジャッキールのことも嫌いではない。戦闘中は話にならないことが多いが、普段の彼は何でも相談に乗ってくれるし、小うるさいところもあるが、基本的にはのんびりしていて、非常に絡みやすいのだ。茶を再びすすりつつ、シャーは、ふーとため息をつく。
「んでも、ダンナの部屋なんかしらんけど、居心地いいね。これからも和みにこようかなー」
「和むのはいいが、居座ったりするなよ」
「あぁら、ひどいわあ。オレのこと、そんなヤドカリみたいな」
 苦い顔でいうジャッキールにシャーは、さも心外そうな顔を作ったものだ。
「まあ、無駄話はこれぐらいにしてだ。話を元に戻そうか」
 ジャッキールは、反論がありそうなシャーをそういって封じ込めると、
「今までの事情は大体わかったが、今はその、サーヴァンのお嬢さんを狙った事件の犯人と、神殿での暗殺未遂事件についての関係を探っているということだったな」
 そうジャッキールに水を向けられて、シャーは少し姿勢を変えながらも、足を組んだまま答えた。
「ああ、まあそういうことなんだよね。でも、関係があるのやらないのやら。それがわかんないから困ってるんだよな。どういう方向で出て行けばいいのかわかんないんだ。悪戯程度なら、暗殺事件で手一杯の将軍達を動員するわけにもいかねーし」
 シャーは腕を組んだ。
「ふむ、確かに情報が少なくて難しい問題だが」
 と、ジャッキールは、例のおっとりとした動作で小首をかしげる。
「この戒厳状態で悪戯をする馬鹿もそうそういないだろうから、何かしらの原因でお嬢さんを狙ったのは間違いなかろう。もし、悪戯なら、貴様がとっくに捕まえているだろうし、あれだけ監視の目があるのだから、周辺で不審者として目撃もされる。役人も知らないし、貴様も手がかりを得られなかったということは、相手もそれなりに覚えがあるということではないだろうか」
「うん、オレもそれはそうだろうと思うんだよね。で、その」
 と、ちょっとシャーは恨めしげに彼を見上げる。
「あんたが教えてくれなかった、オトモダチのサギッタリウスが、オレの顔知ってるかもしれないって聞いたからさ。余計に迷ってるんだよ。果たして、あれがラティーナちゃんを狙ったものなのか、それともオレを狙っていて、オレと一緒にいる彼女を狙ったのか」
「そんなもの、お嬢さんを狙っていたに決まっている」
 ジャッキールは、迷うことなくそういった。シャーは、あまり彼が断言するので、かえってきょとんとする。
「何で言い切れるのさ。あんたが、そいつがオレの顔知ってるかもしれないって、ハダートに言ったんだろ?」
「お前は、サギッタリウスという男を知らん。あの蝙蝠男にしてもそうだ。あの男は、お前を狙うつもりで娘を狙うような、回りくどいことはしない。まして貴様の顔を判別していたのだとするとな。第一、貴様自身はここ数日で狙われた形跡はなかろう?」
「うん、まあ、尾行もされてないし、怪しいやつに見張られている気もしないね」
「では、相手はまだお前の正体には気づいていないのだろう。となると、やはりお嬢さんを狙ったものだ。ただ、トドメを刺さずに逃げたことには、少し疑問が残る。失敗したと思って逃げたのか、それとも、ただの脅しなのか」
 ジャッキールは、顎をなでやった。
「これに関しては、もう一度同じような事件が起こらん限りは、はっきりとはわからんだろう。だが、起こって欲しくはないがな」
「もちろんさ」
 シャーは憮然としてそう答え、それからジャッキールを見やった。
「んでも、じゃあ、あんたは、この事件と神殿での事件が違うって思ってるワケ? 神殿での犯人は、オトモダチなんでしょ?」
「その、トモダチというのはやめろ。ヤツとは、友人でもなんでもない! 因縁があってよく知っているというだけだ。だが、よく知っているから、俺は奴の仕業ではないと思っている」
 ジャッキールは不機嫌に言い捨てて、腕を組んだ。
「貴様がどう聴いてきたかしらんが、俺は、神殿の事件の犯人がサギッタリウスだとは一言も言っていないんだぞ」
「へ? でも、ハダートはそんな感じで言ってみたいだけど」
「神殿の事件については、首謀者はサッピア王妃なのだろう?」
「ああ、ほとんど間違いなくそうだよ。でも、証拠がつかめないし、うまく証拠が出てきたとしても、一気に弾劾できる相手でもないんだ」
 シャーが表情を曇らせる。
「俺が知っているのは、サッピア王妃の雇った傭兵の中に、サギッタリウスがいたということだ」
「でも、サギッタリウスは弓矢の名手なんだろ? それじゃあ」
「確かに、あの男は弓をとっては当代一だろう。だが、俺は、神殿での暗殺未遂事件についてのサギッタリウスの関与自体を疑っている」
「え? なんでさ」
「あの男のやることとは思えんのだ。毒矢を使っていただろう?」
「そういう話は聞いたよ。レビ兄ちゃんを狙ったのが毒矢だったんだよね?」
 ラティーナに視線を向けると、彼女は深くうなずいた。
「そうだわ。レビ様を狙った矢は毒が塗ってあって、もうひとつの外れた矢は何も」
「あの男のことは良く知っているが、俺はヤツが毒矢を使うのを見たことがない。第一、毒矢など回りくどいことをするようなヤツではないしな」
 ジャッキールは、そういってシャーの方を見た。
「だから、もし、奴があの場で矢を放ったのなら、毒を塗っていない方が奴だろう」
「でも、そっちは標的を外したんだ」
「外したのなら、わざとだろうな。あの男は、狙った獲物をみすみす逃すような真似はせんだろう」
「わざと? なんでそんなこと」
「奴の考えることは俺にはわからん。ただ、ひとつ言えるのは、あの男は、貴様と兄をあの場で見分けた可能性があるということだ。あいつは、貴様の顔を知っているし、それなりに執着もしているということだ」
「それはラティーナちゃんからも聞いているよ。でも、なぜ? 確かに狙われやすい身の上だけど、オレは、サギッタリウスなんて名前、聞いたこともないんだぜ」
 ジャッキールの回りくどい話し方に、ややいらだちながらシャーが畳み掛ける。
「聞いたこともないか。まあ、奴は所詮傭兵。貴様の耳に届かなかったとしても不思議ではないし、第一、わざとお前に教えなかった可能性もあるからな」
「わざとって何さ? もったいぶらずにはっきり言えよな」
「答えてもいいが、それを聞いても取り乱すなよ」
「はい? オレが取り乱すってどういうことよ?」
「そのままの意味だ」
 やや不満そうなシャーにジャッキールはため息混じりに言う。 
「サーヴァンのお嬢さんは事情を知っているだろうから、はっきりというが、貴様は以前リオルダーナと戦争していた時、指揮官をしていただろう? その時に、俺と会ったことがあるな」
「うん、まあそうだね。あんまりいい思い出はないけどさ」
「その時に、一度大怪我をしたことがある。流れ矢が左胸に当たって瀕死の重傷を負った」
「ああ。そうだよ」
 少しシャーの顔がこわばった。
「その後、何があったかは俺は知らん。蝙蝠もそれ以上のことは俺には伝えなかったしな。だが、それは思わぬ負傷だったので、貴様にいくらかの恐怖心をいだかせたらしい。あの後、相当荒れたらしいな」
「どこで聞いてきたのか知らないけど、そうだよ。ソレが何さ」
 シャーが、眉根をひそめると、ジャッキールは、腕組みを崩した。
「やはり、覚えていないらしいな。貴様自身は気づいていたかもしれないが、アレは流れ矢ではなかった。お前を落ち着かせるために、周囲が流れ矢だと言ったのかもしれないが、射手は間違いなく貴様を狙っていた。貴様に矢を射かけた男がサギッタリウスだ」
 ふと、シャーは口を噤んでしまった。
 青い空。黄色い砂。飛び散る紅い血しぶき。自分に向けられる数多の黒い殺意。
 その中でもひときわ強い殺気が彼に向かってきたのを覚えている。空に登る自分の血を見たあと、彼の記憶は途絶えている。
 もちろん、相手のことは覚えていない。
「シャー?」
 黙り込んだシャーの態度に、ラティーナが不安そうに彼を見た。珍しく、彼の顔から血の気が引いていた。
 シャーは、一瞬目を伏せ、そして突然、ふっ、と笑い出した。
「はははははっ、なるほどね」
 乾いた笑いと共に、彼の持つ空気が一瞬でガラリと変わった。
「久々に左胸の古傷が痛むと思ったら、そういうことかよ」
 シャーは、歪んだ笑みを浮かべながら、ジャッキールを睨んだ。例の三白眼の、青く見える瞳を光らせて、彼は不穏な危なっかしい空気を発散させていた。それは、ラティーナが数度しか見たことのない、戦闘中の彼の表情だ。皮肉っぽく、好戦的で凶暴で。そういう時のかれは、普段とは違って悪っぽくて野性的で、どことなく陰があり、少し色気も漂う。ともすれば魅力的ではあったが、だが、いつもと違って、他人を拒絶するような冷たい感じがして、少し怖かった。
 そういう時の彼は、まるで違う人になってしまったかのように、ラティーナには思えていた。
「アンタが、どうして素直にオレに話を通さないのかと思っていたが、そのせいか」
 シャーは、怒りを隠さずに苦笑した。
「ちっ、馬鹿にしやがって。オレはそんな柔じゃねえよ! そんなことぐらいで、今更取り乱したりしねえ」
「ほう、そうならいいんだが」
 ジャッキールは、表情も変えない。シャーとしては、それが気に食わない。憮然として、ジャッキールをにらみつけながら、組んだ伸ばした手の指を軽く膝に叩いている。
「オレにしてみても報復戦だ。相手がそうなら俄然やる気が出るってもんだぜ」
「それはサギッタリウスにしても同じだ。だからこそ、ヤツに対しては十分警戒して当たらねばならん」
 はやるシャーを押しとどめるように、ジャッキールは平静さを保っていた。
「サギッタリウスにとってみても、いわば貴様は取り逃した獲物でな。機会があったら、命を狙うだろうとは思っていた。あの男としては、そのために例の仕事を受けたのだろうが、直前で、貴様ではないということを見分けたのだと思う。だからこそ、貴様の紋章の中央を射抜いたのだ。俺は本物を狙うという意思表示だろう。しかし、俺は、サギッタリウスはその一件で女狐の元を解雇されていると思うがな。名声の割には、全く狙う気がなかったようにしか見えんだろうし、期待はずれにも思える」
「サギッタリウスが、標的がニセモノだったと告げていれば、どうなんだ。女狐だって知らない情報だぜ、これは。オレの顔を知っているってだけで、どれだけ厚遇されるか……」
「その可能性は薄いな。もし、ヤツの口から情報が漏れていれば、もっと大きな動きがあってもおかしくない。連中は必死に貴様を探すだろうし、不穏な動きがあれば、蝙蝠の配下がいい加減何か感づくはずだ。しかし、それはない。それに、ヤツの性格を考えれば、絶対に口にせんだろう。別に女狐には金で雇われた程度の義理しかないのだろうからな」
「どういう意味?」
「あの男は、貴様の命を狙っているのだ。秘密を口にすることで、競争相手を増やすことになるだろう? まして、相手は女狐といわれる女、自分の情報で標的が卑怯な方法で殺されては、あの男も困る。あの男は、わかりやすい行動をとるからな。よほどの義理がなければ、自分の楽しみを自分で奪うようなことはしない」
「それじゃあ、ラティーナちゃんを狙ったのは、一体誰なんだよ?」
「だから、別の誰かだ。そして、お嬢さんが狙われたのは、お嬢さんがシャルル=ダ・フールと親密な人物であるからだろう。いつから目をつけたものかはわからんが、屋敷から供をつけずにお忍びで下町に入ったのを尾行されたと考えて間違いない。それが当初の暗殺未遂事件の関係者と関わりがあるかどうかは、今のところわからんが、疑った方がよいだろう」
 シャーは、つまらなさそうに頬に手を置いた。
「ずいぶんサギッタリウスのことをかばうんだな」
 ジャッキールが、むっとしたように片眉を吊り上げた。
「かばう? それは心外だな。俺は、不本意ながらヤツをよく知っているから、ヤツの行動が大体わかるのだ。当初は、おそらく王となったあの青い兜の男を射ち落とす機会はないだろうと思い、仕事に乗ったのだろうが、王として行動しているのが標的ではないと見破ったのなら、ヤツは別に奇襲や暗殺にこだわる必要がないのだ。まして標的が、下町の手の届くところにいるとすると気づいたのなら余計にな。だからこそ、この件はヤツは関わっていない筈だ。ヤツは今は貴様と直接対決をしたがっていると思うぞ」
「どういう意味さ?」
「遠くから狙撃するのでは、貴様に自分を認識されないだろう? 相手が国王であると思ったから、不本意ながら狙撃することにしたのだろうが、せっかく相手が剣を交える距離にいるということがわかったのだ。直接対決を望んだほうが、楽しいに決まっている。第一、あの男は、認めるのは嫌なのだが、俺と同種の人間でな」
 と、彼はやや眉根をひそめながら告げた。
「因縁のある相手とは、邪魔されずに戦いたいと考えている。名乗りをあげて、きっちりと礼を尽くしてから貴様と戦いたいと思っているだろう。ということは、今後、貴様を見かけたなら、必ず自らがサギッタリウスであると名乗った上で、サシの勝負を挑んでくるはずだ」
「相手は弓の名手だろ? それなら、オレとわざわざ名乗りを上げて直接対決すると自分が不利になる。そんな馬鹿なことはしないんじゃねえか」
 ふむ、とジャッキールは、うなった。
「貴様等はあの男のことをよく知らんだろうから、そういうのだろうが、あの男はただの狙撃向けの傭兵ではないぞ」
 と前おいて、彼は続ける。
「本物のサギッタリウスと相対して対戦するなら、弓矢にも気をつけるべきだが、普通に刀を交える時のほうがよほど恐ろしい、注意すべき相手なのだと俺はいっているのだ」
 意外なことをいうジャッキールに、シャーは目を丸くする。
「どういうことだ?」
「あの男は弓矢の名手ではあるが、それ以上に優秀な戦士だということでな。確かに、弓の腕前は神業級だが、あの男はそれ一本の男ではない。剣だろうが槍だろうが戦斧だろうが、何でも使いこなして戦える男だ。剣において負けるつもりはないが、それ以外の同じ武器を取って戦うことになったら、腹の立つことだが俺ではヤツには勝てないだろう」
 シャーは、黙り込んでジャッキールを凝視した。
「しかし、何よりも、あいつ相手には絶対に接近戦を挑まないことだ。やつの得物次第で戦い方は変わるだろうが、相手の懐には飛び込むな。間合いはキッチリとって戦え」
「なんだい、そりゃ。何が怖いってんだよ?」
「それは俺も知らん」
 ジャッキールは、きっぱりという。
「昔、ヤツと戦ったことはあるが、俺は基本的に長剣を使っているし、何か不穏な予感がしたので、間合いは取って戦っていた。だが、その後、本人の口からきいたことがあってな。『あの時、懐に飛び込んできていたら、俺の勝ちだった』と。『俺には接近戦での奥の手がある』」
「奥の手?」
 そう聞き返すと、ジャッキールは、気に入らない様子で苦い顔になっていた。
「まあ、ヤツがふかしているだけだと思いたいのだが、それだけとも思えん部分もあってな。事実、ヤツと戦った時、俺は懐には飛び込まないように気をつけていた。それに、実際、あの男は普通に格闘技の素養もある。殴り合いになると不利だろう。貴様より、体格のいい男だしな」
 ジャッキールは一度息をつき、茶を啜った。シャーは、難しい顔をして何か考えて込んでいる様子だ。いつもの彼の陽気さは、まだ失われたままである。
「まあ、そういうことなのだ。だから、お嬢さんを狙った不届き者はヤツ以外の誰かだ。そういうわけで、その点ではサギッタリウスのことは心配しなくてもよい。ヤツが貴様を狙う時は、必ず、向こうの方から宣言してから襲ってくるだろう。だから、今は気にするな。ここは、別の何者かについて警戒し、情報を集めた方が良い。この一件は、蝙蝠には告げたか?」
「いや、このことはまだ」
 シャーは釈然としない様子のまま、そう答えた。
「一度知らせておいてもよかろう。俺も、会う機会があったら伝えてやるが」
「ああ」
 シャーは、ふと顔を上げた。
「ダンナがこの件について、サギッタリウスって男の仕業じゃないって考えてるのはわかったけど。じゃあ、サギッタリウスの風貌を教えておいてよ」
「ソレはダメだ」
 思いのほか強い調子でジャッキールが即答したので、シャーはむっとする。
「なんでさ?」
 ジャッキールは憮然とした様子だ。
「言えば、そういう男を捜すだろう、貴様。だから、それだけは言わん。サギッタリウスが挑戦してきた時には、ちゃんと手を貸してやる。だが、自分から探したり、挑んだりするようなことはするな。あの男を甘く見ない方がいい」
「なんだよ、ケチ」
 シャーは口を尖らせる。
「第一、奴を殺すのは俺だ」
 不意に穏やかだったジャッキールの周辺の空気が殺気を帯びた。思わず当てられて、シャーは彼にすばやく目をやる。ジャッキールは、ほんのわずかに瞳に狂気を上らせていた。
「ヤツとの決着がついていない。ヤツのことはいずれ殺さねばならん。だから、貴様に殺されても困る」
「ケッ、結局それかよ。自分勝手だなァ」
 シャーは苦笑しながらそういうものの、やや思うところもあったのか、それ以上ジャッキールに逆らうことはなかった。
「わかったよ。ダンナがそういうなら、容易に手をださねえようにはするさ」
「うむ、そうする方がいい」
 そう答えたジャッキールは、すでに先ほどまでの不穏な気配を消しており、常の覇気のない落ち着いた彼だった。と、不意にジャッキールは思い出したように尋ねてきた。
「そういえば、この件、リーフィさんにはどう説明しているのだ? まさか、身分から説明したわけではないのだろう?」
「あ、それは、その」
 思わぬ質問だったのか、シャーはいつもの彼に戻っていた。
「リーフィちゃんは、そんな深いこと聞いてこないから、割とうやむやっていうか、その、とりあえず何とかなってるとこ」
 ややシャーが慌てて答えると、ジャッキールはため息交じりだ。
「まあ、そんなことだろうと思ってはいたが。あの娘らしいといえばそれらしいか」
 シャーは、不意に思い出したように言った。
「あ、リーフィちゃんで思い出した。そういや、ダンナ、今からヒマ?」
「暇しているわけではないぞ。まだ造花の製造作業が残っている」
「そんなどうでもいい作業、いつだっていいじゃん」
 シャーは、呆れつつ、
「オレ、実はちょっと忙しくてさ。ラティーナちゃん、酒場まで送ってあげてもらえないかな? ついでに昼飯をリーフィちゃんところで召し上がってもらうとオレも嬉しいんだけども? ま、オレは金ないから、おごらないけど」
 さりげなくリーフィの酒場の宣伝もしつつ、シャーは例の軽い調子で頼む。どうせ護衛は頼まれると思っていたのだろう、ジャッキールは、素直にうなずいた。
「まあ、別に構わんが。しかし、どこに行くのだ?」
「いや、ちょっとネズミのやつのせいで変な知り合いができちゃって、約束があんのよ」
「変な知り合い?」
 怪訝な顔をするジャッキールに、シャーはそう答えた。
「一緒にカレー食べる約束してるオッサンがいてさあ。なんとなく、忙しいけど断れなかったのよね」
 シャーはため息をつき、くるくるした髪の毛を指でいじったものだ。そう、もうすぐ昼の時間だ。
 蛇王さん、もう店で準備して待ってるんじゃないだろうか。


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