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サギッタリウスの夜-4

 
 シャーが、この屋敷に顔を出したのは、自分の無事をアルシール家のものに知らしめる意図もあった。信頼はされてはいるが、やはり心配もされているだろうから、一応ではあるが、安心させておこうとおもったのだ。
 そして、もうひとつ意図があった。それは、もちろん、先の暗殺未遂事件の件についての情報を得るためでもある。
「それじゃあ、何? 本当は、お父様に会いにきたの? この間の事件のことききに?」
 大きな目を瞬かせて尋ねるリュネに、シャーは髪の毛をかきやる。
「いや、会えるかどうかわかんねえなとは思ってたんだがな。やっぱりいなかったか」
 そう答えるシャーに、リュネは無邪気に言う。
「お城にいけばいいじゃないの。そうしたら絶対に会えるのに」
「城には当分戻ってくるなって言われてるの。いくら目立たなくしてても、あっちじゃ人の目が多くって、行動が筒抜けだしさ。普段どおりにしたほうがいいって。その点、この屋敷、あの不気味な隊長サンのおかげで無駄に警備厳しいから、外部の人間いなくて安心なの」
 シャーは茶をすすりながらため息をついた。
「ハダートあたりから情報もらおうと思ったんだが、そう簡単に情報くれなさそうだしさ」
「そりゃあそうよ。兄様、立場も考えずにあれこれ自分で調べたい人だもの。餌をあげると、どこに飛んでいくかわかんないじゃない」
「んでも、オレにもちょっとぐらい知る権利はあるだろうさ」
 実際、ジャッキールが一度隠れ家にやってきて、中間報告を告げていった。が、相手については、ほとんど教えてくれなかったし、狙撃されたレビ=ダミアスとカッファが無事であるということぐらいしかわからなかった。もっと調べは進んでいるとは思うのだが、あまり詳しい情報を聞き出すことはできなかった。もっとも、ハダートがジャッキールに伝えていないという可能性もあるのだが、こういう状況でハダートの屋敷に行くのも気が引ける。
 そんなわけで、カッファが屋敷にいれば情報を直接きいてやろうとおもったのだが。
「神殿に直接いこうとしたけど、今、あそこ厳重に警戒されてて、オレの風体じゃたたき出されるしさ。かといって、オレも、毎日寝てるのも、もう飽きたわけよ。気になるとじっとしてるのもつらい性分だからさあ、それでわかる範囲でじわじわっと情報を調べてるわけなんだ。で、お前、何か知らないか? 現場の状況とかさ」
 そうねえ、とリュネは、軽く小首を傾げた。
「レビ様が襲われた神殿のことね。それなら、一応お父様に雑談程度にお話聞いたけれど、なんだか矢が二本射られていたとかなんとか」
「おお、それそれ!」
 シャーは食いついた。
「そこんとこ、もちょっと詳しく」
「詳しくったって、あたしもそんなに知らないの。ただ、天窓から矢が入ってきたと聞いてるわ」
「それはわかるよ。だって、あそこから中の人間狙おうとおもったら、そこぐらいしか窓がないしね。となると、必然的に狙撃者がいたのは、隣の塔の上。……オレもそこまでは予想がついてるんだ。ただ、中がどうなってたのかわかんなくてさあ。レビの兄上が、うまいこと矢をかわしたのはきいてるけど。二本とも兄上を狙ったものだったのかな」
 シャーが髪の毛をぐしゃぐしゃといじりながら、そういうと、リュネは首を振った。
「それが、お父様も謎だっていうの」
「謎って何だよ?」
「一本は毒が塗られた矢でレビ様を狙っていたそうよ。もう一本は毒矢ではなくて、矢の装飾も違うものだったんだけれど、なぜか壁のタペストリーの中心に刺さっていたんだって、お父様いってたわ」
「タペストリー?」
 ええ、とリュネは少し真剣な顔になった。
「シャルル=ダ・フール王の紋章がかかれたタペストリーよ」
「ええ?」
 シャーは思わずどきりとした。
「そ、それって、どういうことなんだ?」
「さあ、お父様は、相手が外して偶然に当たったんじゃないかっていってたけれどね。意味がわかんないんだって。深い意味はないのかもしれないけど。それ以上は調べがついてないんですって」
「そうか。なんだか不気味だな」
 シャーはため息をついて、顎をなでた。
 何か意図があるのか、それともリュネの言うとおり偶然なのか。どちらにしろ、なんとなく気になる話だ。もし、意図的にシャルル=ダ・フールのタペストリーを狙ったのなら、それはどういう意味になるだろう。
 必ずしとめるという犯行予告? いや、それもあるかもしれないが、もしかして、そこにいたのがレビ=ダミアスという替え玉で、真のシャルル=ダ・フールではないと気づいているという意思表示なのか。
 難しい顔でシャーが考え込んでいると、不意に、リュネが思いついたように言った。
「そういえば、兄様、最近隅におけないらしいじゃない?」
「はい?」
 唐突な言葉に、シャーは間抜けな声をだした。リュネは、得意げな顔になってにやついている。
「なんだか、兄様、最近、酒場ですっごく綺麗でやさしい女の人に鼻の下伸ばしてるそうじゃないの。兄様は、どう考えてもモテる男じゃないと思ってたけど、案外に隅におけないのねえ」
「な、何でお前がそんなこと知ってんだ?」
 綺麗な女の人、それはおそらくリーフィのことだ。だが、リュネがそのことを知るはずがない。
「ハダートさんにきいたのよ。すっごく綺麗な女の人と親しく話してるんだって。兄様、たまにはやるわね!」
「あ、あいつ、余計な情報を」
 よりによってリュネになんという情報をあたえてやがるんだ、あの蝙蝠男!
 思わずこぶしを固めて、今度会ったらどうしてやろうかと考えていると、リュネが、指を組みつつため息をついた。
「でも、会ってみたいわよねえ。気になるなあ。その人」
「何だって?」
「だって、綺麗でやさしいのにシャー兄と付き合えてるんでしょ? 兄様、無職で頼りないし、ちょっと変態っぽいし、鬱陶しい感じだし、ぜんぜん女の子に好かれる要素がないじゃないの。顔だって、甘く見積もって並の上でいいほうよ。そんな兄様についてきてくれるなんて、それってすごく稀有な存在じゃない。気になるわあ」
「し、失礼なこというなっての。大体、彼女は友達なの。オレはともかく、彼女に迷惑だからそゆこというなよな?」
「友達のほうが、余計気になるじゃない。シャー兄、案外お友達少ないし。あたし、酒場覗きにいってみようかな」
「な、何いってんだ! だ、ダメだぞ! 彼女にも迷惑だけど、大体、あんなとこ、未成年のお前がくるところじゃありません!」
 シャーは顔色を変えて、立ち上がる。
「あんなとこ、箱入りのお前にゃ刺激が強すぎる。治安が悪いし、小汚いところにあるんだからな! お前みたいな小娘が一人でくるとこじゃないんだ!」
「なによー。自分は遊んでるくせに」
 リュネは不満そうにシャーをにらんだ。こういうときは、シャーは妙に兄貴として彼女を過保護にするのだ。
「とにかく、ダメ。絶対ダメ!」
 シャーがそう押し通すと、リュネはまたぷうと頬を膨らせてしまった。


 *


 そんなやり取りがあったのが、二日前のことなのだ。
 だから、てっきりシャーは、彼女が来たのだと思い込んでいたのだ。
 しかし、彼女だったらまだよかった。リュネは、お転婆で面倒だが、シャーの立場についてはよくわかってくれている。余計なことは言わないだろうし、第一気楽だ。
「あ、兄貴」
 酒場に着いたら、おそるおそる入り口で様子を伺っていたアティクが、そろそろとやってきた。
「どうだ、彼女、リーフィと話ししてるのか?」
「う、うん、二人で普通に話をしているみたいだけど」
 だけど、なんだというのか。
「兄貴、ほら、早く来てくださいよ」
「わかってるってば」
 シャーは、そう答えつつも、やはり不機嫌だった。
(ったく、リュネのヤツ)
 シャーとしては、彼女がリーフィに会ったということが許せないわけではないのだ。まだ少女の彼女が、こんなところに出入りするのを保護者として反対したいだけなのだった。
 今度こそはちょっと厳しく注意しなければ。
 そんな柄にもないことを考えて、入り口からそっと酒場の中を覗き込んだシャーだったが。
 酒場を覗き込んで、シャーは怪訝な顔をして、それから、何かにはっと気づいたようになって、そして。真っ青になって思わず入り口に背を向けて隠れてしまった。
「な、ななな、何だ、あれ」
 シャーは思わずそう口走る。
「あ、兄貴、ちょっと」
 シャーの思いのほかに激しいリアクションに、周囲の男達が不安になってきた。最初は面白がっていた部分もあった。なにせシャーに女の子が会いに来たのだ。これはからかい甲斐があると思っていたのだ。
 だが、こんな本当に何かありそうな反応をされたのだから、周囲も、これはどうもマジで兄貴何かしでかしたらしい、と青くなってしまった。
 しかし、そんな周囲のことなど、シャーはかまう余裕がない。
(な、なんで、なんであの子がここにいるんだ?)
 リーフィと向かいあって話しているのは、どう見てもラティーナ=ゲイン=サーヴァンだ。あれから一年以上経つし、少し大人びた感じになったが、あの勝気そうな大きな目が印象的な、かわいい顔立ちは、忘れるべくもない。実際、あの後もシャーは彼女には公式の場であったこともあるのだから、顔を忘れているはずもない。
 しかし、彼女がこんなところに来るはずがない。そもそも、彼女はお嬢様で、こんな下町に普段はくるはずがない。かつて彼女がここに来たのは、それこそ特殊な要因があったからだった。
 あの事件の後、ラティーナは、元の貴族の令嬢としての生活を取り戻しているはずだった。そもそも、ラティーナをレビ=ダミアスに紹介したのはシャー自身で、外出しないレビの数少ない女友達として、交際の程度は知らないが、それなりにうまくやっていると聞いていた。そして、身分を明かしたシャーとは、あれ以降は、あくまで臣下と主君の関係で、以前のように気軽に口をきくこともなくなった。それゆえに彼女がここに来ることもなかった。
 が、今、酒場の中では、なぜかラティーナが座っていて、しかも、その向かいで、いつもどおりの無表情さでまったりと座っているのがリーフィ。
(どういう状況なんだ、これーー! 意味がわかんねええ!)
 混乱状態のシャーは、思わず頭を抱えそうになった。
 そこに、カッチェラたちが、そろそろと声をかけてくる。
「あ、兄貴、マジで何か犯罪行為やったんですか?」
「い、今なら、まだ許されます。何もかも告白して、懺悔してください!」
「ひ、人聞きの悪いこというなって。な、何もやってないから」
 そういいつつ、シャーは、顔色の悪さを隠せない。
「あら?」
 不意にリーフィが、入り口のほうを向いた。あわててシャーは隠れようとしたが、リーフィはさすがに目ざとい。
「シャー、来てたの?」
 リーフィに声をかけられて、シャーは思わず跳ね上がりそうになった。
 どうしよう。このまま逃亡するべきか。いや、でも、別に後ろめたいことはない。逃げると余計変な噂が立ちそうだ。大体、彼女がここに来た理由を知りたいのは知りたい。
 しかし。
(いや、でも、この状況で冷静に話なんかできないだろ、さすがに。しかも、リーフィちゃんの前だし、ま、まさか、オレの秘密とか暴露しちゃってないよね? そ、それに、今更彼女にどの面下げて、どんな話をしたらいいんだ。ああ、こういう場合、ど、どういう反応したらいいんだー!)
 混乱状態のシャーが、次の行動を選びかねている間に、リーフィが入り口まで迎えに来てしまった。
「どうしたの、シャー」
「え、あ、いや、いや、なんでもないよ! リ、リーフィちゃん、お、おはようっ!」
 再び声をかけられて我に返ったシャーは、冷や汗をだらだら流しながら、あわてて彼女に愛想笑いを作った。
「ええ、おはよう、シャー」
 そう挨拶を返して、リーフィはほんの少し眉根を寄せた。
「どうしたの? 今日は顔色が悪いけれど。気分でも悪いの?」
(うおお、心配してくれるのはすげえうれしいけど、今日はもうオレには触れないで!)
 こういうとき、リーフィの悪意のない情け容赦のないやさしさがつらい。
「い、いや、だ、大丈夫、大丈夫だから」
「そう? それならいいんだけれど。今日、シャーにお客様が来ているのよ」
「ほ、ほほう、私に客ですか、ははは。い、一体どなたでしょうかねえ」
 狼狽のあまり変な敬語を使いつつ、シャーは汗をぬぐった。
「ええ、ラティーナさんという方で、シャーを訪ねてきてくれたの。知っている方でしょ? 早く中に入って」
「え、あ、え、ちょ、リーフィちゃん?」
 リーフィに腕をつかまれ、シャーは逃げ場をなくしてしまった。
 ドキドキしながら酒場に入ると、客達の好奇の目に晒される。しかも、当のシャーの様子がどうみても普通ではないのだ。客たちも思わず緊張しようというものである。シャーが中に入ると、ラティーナも思わず席を立って、彼を見迎えたが、その彼女も緊張していた。
 シャーは、とうとうラティーナの前まで引き出されていた。
 シャーは、彼女を前にして、不意に以前のことを思い出していた。
 あの事件のころの彼女。同じように酒場にいきなり現れた。
 目の前にいるのは、間違いなくラティーナだ。あの頃とそれほど変わっているわけではない。お嬢様のくせに、貴族の娘らしくなくって、気が強くってわがままで、なにしでかすかわからない危なっかしさがほうっておけなかった。今でも、その片鱗は残っている。
 けれど。彼女は、もう。
「あ、あの」
 無言のシャーに思わずラティーナのほうが口を開きかけた。それで我に返ったシャーはあわてて手を上げる。
「ど、ど、ど、どうも」
 ようやっとそれだけいって、シャーは、ぎこちなく笑った。
「お、おひさし、ぶり、です」
「え、ええ、おひさしぶり、です」
 ラティーナも鸚鵡返しにそう返す。それから、二人ともまた黙り込んでしまった。
 変な緊張感がその場を支配していた。野次馬達も、ひそひそ話ができないほど静かで、ひたすらに気まずい。シャーは、どうしたものか考えあぐねて、ひたすら冷や汗をだらだら流していた。何を話したらよいのかわからない。
 この場でいつもどおりなのは、無表情なリーフィだけだ。リーフィだけは、反応がまったく変わらず、このおかしな緊張感の中でも平然としていた。けれど、リーフィとて勘の鋭い娘だから、どうやら何か事情があるらしいことぐらいはわかったらしい。
 結局助け舟を出したのも、そのリーフィだった。
「ねえ、シャー。久しぶりに会ったのなら、彼女とつもるお話もあるでしょう?」
 そういわれて、シャーは、はっとリーフィの顔を見た。リーフィは、笑ってうなずく。ここは任せておけということのようだ。
「こんな皆いるところでは、お話しづらいものね。奥に案内するから、お二人だけでお話ししたらどうかしら」
「あ、う、うん」
 シャーは、反射的にそう答えた。
「そ、そうだよねー。こんな皆いるとこじゃ、話できないよね。リーフィちゃんにお任せするよ」
 リーフィはうなずいて、それじゃあこちらへと、二人を奥の部屋に案内した。おそらく、リーフィの控え室を貸してくれるのだろう。シャーは緊張した面持ちで、ラティーナを先に行かせ、自分は後からついていった。


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