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サギッタリウスの夜-3


「女の子がオレに会いに来た? それが何で一大事なのよ?」
 そのときのシャーはまだ余裕の表情だったが、やや不機嫌そうであった。
「一大事でしょう? 今までそういうことはなかったでしょうが」
「ないことないじゃない。人違いだったけど」
「今度は人違いじゃないんですよ。大体、兄貴を訪ねてリーフィに話しかけてるんですから」
「これは、ただごとじゃないですよ!」
 カッチェラを中心に、わいわいと彼等はシャーに言う。
「兄貴、何か悪いことしたんじゃないでしょうね」
「冗談! そんな身に覚えはないってば」
 もちろん、身に覚えがないのは本当だ。シャーには、そういう女性がいない。
 強いて言えば、それこそ五年ぐらい前の一時期、かなり荒れていたころがあり、派手に遊んでいたことがある。その頃のシャーは、陰のある不良青年ぶりが良かったのか、どういうわけか女性陣からそれなりに人気があったらしい。しかし、そのときも清算という言葉を使うほどのゴタゴタのあった相手はいなかった。一応気も遣っていたし、昔のことを蒸し返されるほど恨みを買ってもいないはずだった。
 第一、彼のどちらの名前も明かしていないから、シャー=ルギィズの名前で彼を訪ねてくることはない。
 そして、何より、シャーには、心当たりがあったのだった。そして、彼が不機嫌なのは、けして舎弟たちが自分を疑っているからではなく、もっと別のことに原因があったのだった。
(ああ、リュネのヤツ、来るなっていったのに)
 ことは二日前にさかのぼる。

  *


 二日前、シャーは、王都郊外にある、とある邸宅を訪れていた。
 その邸宅は、現宰相カッファ=アルシールの邸宅である。宰相の身分の割りに質素な屋敷ではあるが、その辺がいかにも彼らしかった。
 そして、シャーには、慣れ親しんだ家でもある。
 カッファ=アルシールは、彼の後見人であり、彼を育てた人間でもあった。シャーにとっては実父以上に父親らしい関係の男ではあったが、彼等の間には主従関係がかかわってくるため、その擬似親子関係は、かなり複雑でもある。カッファにとって、あくまで彼は忠誠を誓った主君の息子であり、あくまで「殿下」だったのだ。そのことが、彼等の関係をお互い複雑なものにしていた。
「さて、今日はどこから入ろうかな〜」
 慣れ親しんだ家ではあるが、シャーはこの家の正門を通ることはほとんどない。何せ、身分としては家出息子のようなものであるし、相変わらず放蕩無頼な浮浪生活をしている彼だ。見つかるといろいろ説教されるに決まっている。何せ慣れ親しんでいるだけに、使用人たちも彼のことを知っているから、そっちからも怒られたりするのだ。なるべく、目的外の人間とは会わないようにしなければ。
 そんなわけで、コッソリと塀を乗り越えて侵入するのが彼の常だった。
 今日は、正門とは反対側の塀を登って侵入することにしたシャーだ。一応、カッファも宰相になってしまったので、警備が以前より厳重になっている。警備の連中が近くにいないのを確認して、シャーは塀に手をかけて、一気に上り、さっと庭に降り立った。
 と、足音も立てずに降り立たはずが、いきなりひたっと冷たいものが肩に当てられた。
「残念」
 うっとシャーが身を固めると、背後からぬっと男が姿を現した。
「若様。なかなか腕を上げられましたが、まだまだ私には程遠いですな」
 男はそういってシャーの肩に当てていた刀の鞘を払った。シャーは、苦笑しながら相手を見やる。
「あ、あんたも、相変わらずだねえ、ルシュール隊長。今日こそは出し抜いたとおもったんだが」
「ははは。まだまだそうは行きません」
 陰気に微笑むその男、ルシュールは、アルシール家に昔からいる警護兵だ。今は邸宅の警護の責任者をやっている隊長でもある。年齢は三十台半ばぐらいらしいが、少なくともシャーがこの家に出入りしていた頃にはすでにいた。
「若様のおかげで、日々私の眼力も鍛えられておりますからね。今度はどこから侵入してくるのかと、毎度楽しみにしておりますゆえ」
 シャーが「殿下」と呼ばれる身の上であることは、家のものは大概知っているが、この男をはじめ、たいていのものは若様と呼んで、アルシール家の長男として接していた。
 彼は後見人のカッファ=アルシールに身柄を託され、育てられた事情があるのだが、長庶子であったせいもあり、何かと命を狙われることが多かった。そのため、外ではあまり姿を晒さないようにしており、一見、カッファの息子に見えるように育てられてきた。実際、忠誠心が厚いため、彼を息子として自然体に扱えないカッファはともあれ、妻のカーラなどは、彼に「母上」と呼ばせていたのだから、使用人たちからみてもシャーは彼等の息子と映っていたし、シャー自身もそう望んでいる。
 それらの事情から、彼等はシャーのことを「殿下」とは呼ばない。皮肉にも、この家で彼を「殿下」と呼ぶのは家長のカッファだけだった。
 そんなことから警備隊長のルシュールも、彼の身分を当然知っているが、いまだに若様として接してくれるというわけだ。
 そして、普段から、まともに正門から入ってこないシャーに幼少期から付き合い続けていたせいか、非常に警備に厳しい。どこから侵入しようと、どんなに目を欺こうと、なぜかシャーの背後を押さえてくる。シャーもそれに対抗して、潜入の腕を磨き続けていたため、気配や足音を消してみたり、その辺の風景に溶け込んだりと、無駄にスキルが高くなってしまった。
 そして、それにもかかわらずいまだにルシュールは、彼がどこから侵入しようとしているのか、きちんと読んで、背後を取ってくるのだ。
(くそう、なんか悔しい)
 勝ち誇った笑みをうっすら浮かべるルシュールを見つつ、シャーはいつか目に物を見せてやると思うばかりだった。
 ルシュール隊長は、そもそも、シャーとこの勝負をするためだけに、彼を捕まえているだけなので、その後、生活態度に説教したりなどはしない。それでは、とかなんとか薄ら笑いを浮かべていいながら、あっさりと彼を放して持ち場に戻っていった。
 シャーは、いつもどおり、というのもおかしいが、こそこそと建物の壁に近づいた。ちょうど、その二階に窓がある。壁のくぼみに足をかけて、シャーは器用に壁を登っていった。
 そして、窓に近づくと声をかける。
「リュネちゃん、オレだよ。入っていい?」
 しかし、部屋の中から返事がない。
「リューネーちゃんってば! おーい!」
 少し声を大きくしてみるが、やはり返事がない。
「あれ、アイツ、どっかいったかな?」
 シャーは、壁にくっついているのも疲れてきたので、窓枠に手をかけた。どうやら住人は留守のようだし、入っても怒られないだろう。
 そのまま一気に体を浮かせて部屋の中に飛び入ろうとした、が、
「現れたな! 変態!」
「うおっと!」
 いきなり短剣で突きかかられ、シャーはあわてて身をのけぞらせた。
「この変態! 覗き! 死ね!」
 続けざまに襲ってくる相手の正体はわかっている。あわててシャーは、手を振った。
「ま、待て、待て! オレだよ、リュネ!」
 シャーは、焦りながら弁明する。刃物を振り回していた少女は、きょとんと彼を見ると、あら、と声を上げた。
「なあんだ、お兄様じゃない。変態侵入者かと思ったのに」
「ちゃんと声かけただろ」
「ちょうど聞こえなかったのよ。で、振り返ったら、なんか不審な人影があったから、これは護身術を試すチャンス! と思って」
「オレじゃなかったら死んでるな、今の突き。もうちょっと穏便にしろよな」
 シャーは、多少ぞっとしながら苦笑した。それほど鋭いものだったのだ。
「何いってるの。あたしに護身術とかいって剣術教えたの、シャー兄(にい)じゃない」
「そりゃそうなんだけど」
 シャーは、ため息をついた。
 目の前の目の大きな黒髪のかわいらしい少女は、リュネザード。カッファとカーラの娘だ。癖の強い髪の毛をしているせいなのか、どことなく血のつながりがないはずのシャーに雰囲気が似ている。シャーがアルシール家の長男として自然に見えるのは、彼女がシャーとなんとなく似ているからという部分も大きかった。
 実際、他の異母兄弟たちと疎遠だったシャーにとって、リュネは、実に妹らしい妹だった。遠征も多かったから、それほどずっと一緒にいたわけではないけれど、彼女が赤ん坊の時にはあやしたり寝かしつけたり、大きくなってからも何かと面倒を見ていたので、まさに実妹のような存在で、実際、シャーは彼女には大概甘かった。
 そして、忠誠心ゆえに彼に息子として接することのできない父親の苦悩などどこへやら、彼女も母のカーラと同じく、シャーのことを平気で「お兄様」と呼んでいる。さすがに公式の場に出たときは、臣下として振舞ってはいたが、プライベートな場では、彼が即位した後も、兄としていつもどおり接している。
 そんなわけで、シャーとしては、もっとも協力を仰ぎやすい人物でもあるのだが。
(なんで、コイツ、こんなにお転婆になったのかな)
 シャーも、多少は頭を痛めているのだった。自分が教えたとはいえ、カッファとカーラの娘。もともとは武官として採用されていたとかいうカッファは、文官にしては武術に長けている。そして、カーラもその昔、女だてらに剣を振り回していたとかいう活発な女性だ。そのせいか、リュネはやたらと手筋がよい。
 なので、咄嗟に斬りつけられると、シャーも焦ってしまうほどだし、何かと自信をつけて過激な言動に走られていることには困っている。ちょっとは、責任を感じているのだった。
 そんな兄の気持ちなど知らず、リュネザードは、小首を傾げた。
「何しに来たの。まさか、妹のあたしが超カワイイからって、欲情したんじゃないでしょうね! 確かに、厳密にはあたしと兄様は結婚できるけど、兄様がそれやったらド変態確定だから!」
「ばぁーか。んなわけあるか! 第一、オレは、ロリコンじゃねっつの」
 シャーは、不機嫌にそう吐き捨てる。
「オレとお前に限ってそんなことは、ぜっったいありえねえから安心しろ。第一、もっと魅力的になってからそういうことは言えよな」
「何よ、その言い方。すっごいムカツク! いいわよ、兄様より魅力的で美形の男を見つけて玉の輿にのるんだから」
 ぷーっと頬を膨らませつつ、リュネザードは、シャーをにらみつける。そうこうしているうちに、シャーはサンダル片手に窓の桟に上がりこんできていた。
「カッファは仕事中か?」
「ええ、そうよ。このところ、お父様忙しいみたいだもの」
 そういいつつ、リュネは、機嫌をなおしたのか、ころっと表情を変えて微笑んだ。
「でも、元気そうで安心したわ。だって、いろいろお城であったんでしょ? お母様もあたしも一応心配してたのよ」
「一応っていったよな、今」
「だって、シャー兄なんて殺しても死なないじゃない。まるで害虫みたい」
「お前、仮にも兄ちゃんに向かってその言い方はひどくないか」
 シャーは、眉根を寄せつつ、ため息をつく。
「まー、心配されないより、マシか。ありがとよ」
「せっかく来たんだから、お母様に会ってく?」
「い、いや、今度にしとく。今は、生活態度について説教くらいそうだから」
「わかってるんじゃない。嘘よ。今、どうせお母様はいないの」
 リュネは、やれやれとため息をつきつつ、立ち上がった。
「どうせお腹空かせてるんでしょ? ちょうど、あたし、お茶淹れてきたところなの、お菓子もあるから食べていきなさいよ」
 リュネがそういって、お茶と茶菓子を出してくれたので、シャーは遠慮なくそれをもらうことにした。



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