一覧 戻る 進む サギッタリウスの夜-5 リーフィは、自分の控え室に二人を案内し、窓を閉めてくれた。そうすれば、外に話し声が聞こえなくなる。盗み聞きされることはないだろう。 リーフィの控え室は、シャーも結構入ることがある。 他の連中に話を邪魔されたくないときなどによく使うし、中に入らなくても、リーフィだけに話を聞かせるときに、窓の外から話しかけることもある。部屋は狭くて質素で、さらに女性の部屋と言うには妙に無機質で、リーフィの雰囲気によく合っている。しかし、なんとなく居心地のよい部屋だった。 それでも、シャーとしても、まさかこの部屋でリーフィ以外の女の子と話をすることになろうとは思わなかった。 ラティーナは、まだ緊張しているようだったし、シャー自身もまだ戸惑っていたが、リーフィは、ここにいたってもいつもどおりの態度だった。 「ここなら誰も来ないし、扉を閉めたら盗み聞きされることもないと思うの」 そういいながら、シャーは店の様子が気になるらしく、どこか上の空だった。それに気づいたリーフィが、大丈夫、といった。 「皆には私から適当に言っておくわね」 「あ、ああ、適当に、ね。で、でも、そのぅ」 昔の恋人とかそういう説明をされると困る。 実際にそういう事実もないし、ラティーナのほうが迷惑するだろう。かつて彼女と組んでいた数日間の間には、シャーは積極的にそう周囲に誤解されるように振舞っていたのが、今となっては皮肉である。 リーフィが、くすりと笑う。 「大丈夫。誤解されるようなことはいわないわ。シャーと同郷の昔馴染みの人だとかなんとかいっておくから」 「ああ、それなら」 シャーは、ほっとした顔をする。 なるほど、それならうまい言い訳だ。シャーみたいな、住所不定無職、過去の経歴が不明という、わけありそうな生活を送っている人間が、昔馴染みと出会って気まずくないわけがないだろうから、さっきの不自然な態度の説明もつく。 「その辺でぜひよろしくお願い」 シャーが両手を合わせると、リーフィは、ええ、と答えた。 「それじゃあ、私、戻ってるから」 それから、ふとラティーナのほうを向く。 「ラティーナさんも気兼ねなくゆっくりしてらしてね」 「え、ええ、ありがとう」 あわててラティーナがそう答えると、リーフィは、かすかに微笑み、扉を閉めて出て行った。 彼女がいなくなると、その部屋にはシャーとラティーナだけが残されていた。 改めて彼女に向き直ると、少しの時間なのに、沈黙に耳が痛くなる。それに耐えかねて、シャーが口を開こうとしたとき、先に彼女のほうが動いていた。 彼女は、シャーの前にひざまずいていた。そして、少し躊躇いながらも、はっきりとこういった。 「お久しぶりです、陛下」 そう、こうなるのはわかっていたのだ。 シャーは、ひっそり嘆息をついた。アレ以降、彼女と会わなかったのは、シャーがこのことを恐れていたからだった。 彼は、いつでもそのことを、やや過剰に恐れていた。 幼少期を路地裏で育ったシャーは、自分が王子として発見されて以後、そでまで仲良くしていた当時の仲間から、突然、恭しく扱われたことがトラウマになっており、以後、自分から身分を名乗ることを控えるのが癖になってしまった。それは、彼が自分の力を隠して生きるようになってしまったことにも、多少つながっている。 当初から身分を明かして付き合っている人間はともかく、彼女のように身分を隠したまま親しくなり、そして、その後、身分を明かしてしまった人間に対しては、その後、逃げるようにかかわりを持たなくなることも多かった。 けれど、あの時自分は、彼女が本当に好きだった。好きだったからこそ、その後、彼女に関わることができなくなった。 あの時。自分が国王でなくて、彼女がそう考えていたとおり、国王の影武者ならどんなにか楽だっただろう。身分差はあったかもしれないが、愛の告白ぐらいは許されただろうに。彼は、それをはっきり伝えることをしなかった。 それは、こうなるのがわかっていたからだ。 しばし、それに思いを馳せて、ようやく考えをまとめると、シャーは思い切って、ふっと笑った。 「ああ、久しぶり」 自分でも、先ほどまでと話し方が違うのはわかっている。多分、表情も違うだろう。これは、宮殿でよく見せている顔だ。自分でそう作り上げた。 シャー自身は、そういう外面の自分を酷く嫌っていたけれど、この姿は宮殿で生きるのに非常に便利でもあった。 「元気してたかい?」 「はい。陛下のお心遣いのおかげです」 「そう、それはよかった」 シャーは、にっこりと微笑んだ。 ラティーナ自身も、戸惑っているだろう。彼女にこんな態度をとらせてしまっているのも、また自分にも原因がある。 シャーにもそれは良くわかっている。自分が、身分相応の扱いを望めばいいだけなのに、前のまま扱って欲しいと望んでいるのがいけない。そんなことは不可能なことがわかっているのに。 「元気そうでよかったよ。それと、ここにオレを訪ねてきてくれてありがとう」 シャーは自分もしゃがみこんで、ラティーナの手をとった。ラティーナが顔を上げる。 「でも、もうそれはここまで」 何を言われたのかと、きょとんとするラティーナに、シャーは首を振った。 「王様扱いはここまで。ここじゃ、オレはただの住所不定無職の酔っ払いさ」 「し、しかし……」 「今日だけでいいから、前みたいに呼んでよ」 「そ、それは……」 ラティーナが、戸惑っているのはわかっている。シャーはさびしげに笑った。 「それじゃあ、命令っていったらきいてくれる?」 どきりとした様子で、ラティーナは彼を見上げた。 「あ、あの、私……」 狼狽したラティーナに、シャーは優しく微笑みかけた。 「いいんだ。君が悪いわけじゃないよ。そんな風な挨拶をさせたのも、オレが悪いのさ。そもそも、こういう生活してるオレがいけないんだ」 シャーは、そういって彼女の手をとって立ち上がらせた。 「だから、命令だ。今からオレの王としての名前は忘れるんだ、いいね」 ラティーナは、少しためらって、それからうつむいたまま、「はい」と小さく答えた。シャーはうなずいた。 「ああ、それじゃ、そこ、座ってよ」 シャーは、ラティーナを先に椅子に座らせ、遅れて自分も席に着いた。 机にはリーフィが飲み物をおいてくれていたが、彼女はよくそこに一輪挿しをおいていることがおおかった。今日は何の花だろう、小さな白い花が挿してある。 白い花の咲いた花瓶。花瓶ごしに見るラティーナは、花にも増して綺麗で、そして、遠い存在のように思えていた。 * ゼダは、ふてくされて煙草をひたすらふかしていた。 目の前で彼をにらんでいる容姿端麗の青年は、ゼダのお守り役であるザフだ。彼がここにやってきてすぐ、ずっとこのにらみ合いが続いていて、ゼダはもう心底うんざりしていた。 「坊ちゃん、今日はどこにも出かけませんね」 「何でお前にいちいち説明しなきゃなんねえんだよ」 ゼダは、頬を膨らませる。童顔のゼダが、そういう表情をするといかにも子供っぽくみえたものだ。 ここのところの街の雰囲気は、ゼダの生活にももちろん影響していた。あちらこちらの妓楼や酒閣を渡り歩く派手な生活をしているゼダだったが、さすがにここに及んで店は半休状態で行き場所がない。だから、ここしばらくは、ねぐらのひとつに大人しく引きこもっていた。従者のザフも、ぜひそうするようにと頼み込んできていた。ゼダもそれを理解して、確かに大人しくしているようだった。 が、ゼダが、自分の目を盗んで、こっそりと外出を繰り返していることも、ザフは突き止めている。 「昨日はどこかお出かけでしたでしょう?」 「シーリーンのとこだよ。ここんとこ、街ん中物騒だし、病気が悪くなってたらいけねえから様子見に行ったんだ」 「それならいいですが」 シーリーンというのは、体の弱い妓女で、心優しいおっとりとした娘だった。病気で行き場をなくしたところを哀れにおもったゼダが、特別に金を払って店に住まわせてもらっていた。ゼダとしては、自分なりに男気を出したつもりで、その見返りを求めているわけではないのだが、気立てのよい娘だし、彼女の方が自分に会いたがっていることもあり、時々様子を見に顔を出していた。ザフも、他の派手な妓女と遊ばれるよりは、彼女のような上品な娘と一緒にいてもらったほうがいいので、彼女と付き合う分には賛成らしい。ザフも積極的に彼女のもとを訪れて、何か不自由はないかと訊いていた。 「でも、それだけではないでしょう? 他にも行きましたよね。しかも、なにやら食べ物や酒を持って……」 「しらねーよ」 ゼダは、目を合わせもしない。 「坊ちゃん!」 しつこく追及してくるザフを、ゼダはいらだったようににらみつけた。 「あー、もう、しつけえなあ! どこに行ったっていーだろ、オレの勝手だろうが」 ゼダは、うっとうしそうな口ぶりで言った。 「お前は、オレのおふくろかっつーの。第一、オレはもういい年なんだ。いつまでもガキみたいに扱うなよな」 (子供みたいな顔しているくせに!) ザフは声には出さなかったが、心の中でそう思った。 「そうは言われましても、俺はオヤジと一緒に坊ちゃんに子供のころから仕えてきました。坊ちゃんが、あまりにおかしな行動をするなら、止めるのが俺の……」 「もう十分放蕩息子だっての。そんなこというなら、もっと前に止めろよ」 ゼダは、うんざりしているようだった。ゼダは、煙とともにため息を深くついて、それからじろりとザフをにらんだ。 「結局は、お前、オレがあの三白眼とつるんでるのが嫌なんだろ」 「そうです」 ザフは、躊躇いもなく肯定した。 「別に坊ちゃんが、誰とつるんでいようと文句は言いません。今までだって、坊ちゃんの遊びについて、一度も止めたことはなかったでしょう。でも、あいつだけはいけません」 「何でだよ」 「アイツ、目が青いでしょう? 昔から青い目の人間にはかかわらないほうがいいっていうんです」 「そんなの迷信だよ、迷信」 ゼダは、バッサリと切り捨てる。 「周りみたら、青い目のヤツなんて山ほどいるだろ。そいつらの周りのヤツがオレより不幸かっていうと、そうは見えねえだろうが」 「それはそうですけれど」 あの暗殺未遂事件があった夜、どうやらゼダはあの三白眼の男と一緒にいたらしい。それだけでも、ザフにとっては心配になる出来事だったというのに、どうもこのところあの男にしょっちゅう会いに行っているようだ。こんな事件で街中が騒いでいるときに外に出ているだけで心配なのに、よりによって何か事情がありそうなあの男と遊んでいるなどと、ザフにとっては頭が痛い事態だったのだ。 「あの男は、厄介な事情を抱えているに決まっています。そんな男と、こんなときに関わるなんて……」 「そりゃそうだろ」 ゼダは、当然だといわんばかりだ。 「あんなヤツ、只者じゃないに決まってるだろ。ただの浮浪者じゃねえってことぐらい、ちょっと関わればすぐわかる。ま、どういう身分かしらねえが、まずもって軍人崩れだろうよ。大体、目つきがカタギじゃねえからすぐわかる。で、あの年齢で武官やってたなら、それ相応の身分だったんだろうしな」 ゼダは、そういいつつも首を振った。 「まー、そんなこと、どうでもいいじゃねえか。アイツは別に何もいわねーし、オレも追及するつもりねーし、第一、オレも、他人のこと言えねーし。大概厄介な身の上だからな」 「しかし、坊ちゃん、アイツをいつか殺すって言ってましたよね? その相手に飯を恵むとはどういうことですか? そんな敵を助けることはないでしょう?」 「いいだろ、そんなこと。前はそう思ってたけどさあ」 ゼダは、鬱陶しいといわんばかりに髪をかきやる。 「そりゃー、いつかまた勝負することもあるかもしれねえけど、今、アイツ、何でかわかんねえが落ち込んでて、かわいそうなんだよ」 ゼダは、煙草の灰を捨てると煙管を置いて腕を組んだ。 「こういう時に助けてやるなとか、お前、男の友情をわかってねえよな!」 (ああ、これはいけない傾向だ) ザフは、頭が痛くなってきた。 ゼダは、どうやらあのシャー=ルギィズとかいう男をすっかり気に入ったらしい。相手の三白眼の反応を見ると、男の友情などという言葉が飛び出すほど、仲がいいとは思えないが、ゼダのほうは少なからず彼に友情を抱いているということのようだ。 シャーの前では彼に意地悪をしているし、シャー自身はおちょくられているとしか感じていないだろうが、ゼダは、シャーに対して悪意や敵意を抱いているわけではなかった。こんなひねくれた性格になる前は、聖人君主を絵に描いたような性格だったゼダだったのだ。そんな彼は、こう見えて今でも意外と素直な部分を残しているから、感情に素直に反応する。好きなやつは好きだし、嫌いなやつは嫌い。ザフの前で意地を張るような態度は、あまり取らないのだ。 そこを考えると、あの三白眼については間違いなく気に入っている側になる。そして、自分でいうとおり、遊び友達だという認識なのだろう。 同じ年頃の友人を持ってこなかったゼダが、どこかしら自分に似た部分のあるシャーに共感を抱いていることは、早いうちから感じていたが、それがまさかここまでになるとは思わなかった。 そして、ゼダの性格上、一旦、友達だと認識してしまうと、相手の苦難をどこまでも助けてやろうとするだろう。 だから、余計ザフは反対なのだ。あんな厄介な事情をどこまでも持っていそうな男と友人になってしまったら、それこそ、一体どんな事件に巻き込まれるかわからないからである。しかも、周囲に聞くと、流れの傭兵風のいかにも危ない感じの男とも、このところ付き合いがあるらしい。それも、三白眼の男経由の知人なのだろうから、とにかくあの男と縁を切ってほしいのだ。そこからどんどん危ないつながりができると困る。 今まで延々と派手な遊びをされるのにも頭を痛めていたザフだったが、最近、あまり派手に遊ばなくなって喜んでいた。と思ったら、今度はこれだ。それなら、まだ遊ばれているほうが気が楽というものだった。 「坊ちゃんのお気持ちはわかりましたが、今は、まだ兵士がたくさんうろついているんですよ。今日のところは自重してください。今日は、外出しないでくださいね」 ザフがそういうと、ゼダは、ちぇっと舌打ちする。 「わかった、わかった! そこまで言うなら、外出しねえって」 「本当ですか?」 念を押されて、ゼダは不機嫌に手を振った。 「しねえってば。もう今日は一日寝ることにする。やる気が失せた」 そういって、ゼダは、腕枕をしてごろりと横になってしまった。 「オレは寝てるから、だから、おめえも仕事にもどんなって」 「そうですか……」 ザフは、不貞寝する主人を疑るように見ていたが、やがてため息をついた。 「そういうことでしたら、ゆっくりお休みください。何か御用があれば呼んでいただければ」 「あーあー、呼ぶ呼ぶ」 わかったからあっちにいけとばかりに、ゼダは手を振った。ザフは、それをみてうなずいた。 「それでは、失礼します」 ザフは、彼に頭を下げると部屋をゆっくりと出て行った。廊下を歩いていくザフの足音が、徐々に遠ざかっていく。ザフの気配が完全に消えてしまったのを確認して、ゼダは目を開いた。 そして、がばっと起き上がると、近くにおいてあった布で巻いた曲刀を腰につるして、あわてて用意をする。そーっと隠していた履物を手にすると、ゼダは近くの窓を開けて辺りを見回した。ゼダは建物の二階の部屋にいたので、少々高さはあるが、この程度なら隣の屋根に飛び移ったりして、どうにか低いところまで逃げていけそうだ。 見つかる心配もあったが、どうやら、今日はザフはそこまで頭が回っていないらしい。見張りのいないことを確認して、ゼダは窓から隣の屋根へと飛び移った。 「だーれが、大人しくしてるかよ!」 ゼダは、誰にともなくそう吐き捨てて、そのまま、部屋を逃亡していった。 目指す先は、そう、最近どうも弱っているらしい、ちょっと気の毒なあの男のところだ。せっかくだから、途中で何か差し入れでも買って行ってやろう、と、余計な気を遣って、ゼダは市場の方を回る道をとっていた。 一覧 戻る 進む |