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無双のバラズ-11

 *

  打って変わって場は妙な静けさと緊張感が支配していた。
 バラズは相変わらず悠長に扇を揺らめかせているが、そのかすかな音すら響いてしまう。賭場の喧騒が遠くに聞こえるほどだった。
 いつの間にか、ハーキムの手下の見物人が減っていた。ビザンは相変わらず覗いている様子だが、人の気配は先ほどよりも少ない。その為、誰かが息をのむ音まではっきり聞こえてきそうだった。
「さてと」
 と、その静寂を破ってバラズは声をかけた。
「それでは勝負といきたいところだが、そうだね、今回は親ナシの方式でやらないかね」
 その言葉にファルロフがはっとバラズを見た。親(ディーラー)がいないということは、お互いが骨牌(カード)を触れる。
「おや、良いのですか?」
 べーフールは苦笑する。
「私の異名を知っているのでしょう?」
「もちろん」
 バラズは不敵な笑みを浮かべた。
「しかし、親がいれば神の手さんに不利な手を回さないとも限らないだろう? 公正じゃないと文句を言われても困るからね」
「貴方がそれでよいというのならお受けしますよ」
 べーフールが了承するのを、バラズは静かに微笑んで頷いた。
「爺さん、あの男は必ず如何様をするんだぞ」
 ファルロフが小声でささやいてきた。
「俺の時もそうだった。もう少しで見破れそうだったんだが、結局証拠を見つけることができなかったんだ。それを自在に札に触れていいなんて、何をしでかすか……」
「ふふふ、”神の手”のことは噂に聞いているよ。実際に勝負を見たのも、実は今日一日だけじゃない」
 とふいにバラズがそんなことを言う。
「しかしね。悪いことばかりじゃあないさ」
 バラズは扇を広げて、その内側でニヤリとほくそ笑んだ。
「この規則で骨牌に触れることができるのは奴だけじゃない。”私も”だ」
 バラズは不穏な気配をたたえてそう呟く。その意図にファルロフはすぐさまに気づいたようだった。
「まあ、見ておいで」
 バラズは、冷徹に微笑する。
「外道には外道のやり方で応じるまでの事さあ」
 そういってバラズはファルロフに目配せしたのだった。
 勝負のやり方は簡単だ。勝ったものが親になる。親(ディーラー)になった者は骨牌(カード)を切り、混ぜる。そして、相手方に一度手渡し、相手はそれを一度だけ切ることができる。ここで切らないという選択もできる。
 裏を返せば、勝ち続ければ勝ち続けるほど、”仕込み”やすい。
 最初に一枚ずつ引いて、その札の強弱で最初の親を決める。最初に王の札を引き当てたのはベーフールの方だった。ベーフールが先行となり、骨牌を先に触れる。
 勝負は指輪を賭けたものだが、相手の出方を見る必要があり、その為、一発勝負を避けたかった。それについては双方の利害が一致していた。
 その為、勝負は十回勝負。これは、時間がないとベーフールが言い出したことだ。表面上、彼らはお互い持っている賭け札から相当額を持ち出すが、十回目にすべてを賭ける。
 ”神の手”と呼ばれるだけあって、べーフールの手並みは鮮やかだ。まるで奇術師のような手並みだが、確かにどこでどうごまかされてもわからない。表情を全く変えず、薄ら笑いを浮かべたままべーフールは札を配った。
 一回戦はバラズが盃と剣の九の月二対(につい)で勝った。しかし、これはべーフールがわざとバラズに勝たせたものだということは、シャーですら感づいている。勝ったことで二回戦の親はバラズとなり、バラズもまた鮮やかで優雅な手並みで札を混ぜ、そして配っていった。
 が、彼らにとって本番までの勝負は大して重要ではないのかもしれない。バラズにしろ、ベーフールにしろ、特に何も考えていないように、骨牌を交換してはさくさくと勝負していく。勝敗は一進一退といった様子だが、ややべーフールの方が勝ち数が多い。だが、そこに顕著に如何様を示すものは存在しないし、バラズも指摘も何もしない。神の手の挙動を逐一監視しているファルロフですら、てんで見当がついていないらしいのだから、シャーには到底踏み込めない領域の話だ。
「はは、なかなかおやりになりますな」
 バラズは相変わらず軽口をたたきながら、扇をゆらゆらと閃かせる。べーフールは、バラズやファルロフと違って無駄口をたたく方ではないらしく、もっぱらバラズの口数が多くなっていた。
 八回戦はバラズが華三葉で勝利し、そのまま九回戦の札を配る。バラズは流れるように骨牌(カード)をかき集めると、素早くそれを混ぜて配った。
(ここで勝たないと相手に勝負を握られるぜ、爺さん)
 シャーはそういう意味を込めてバラズに視線を浴びせる。バラズもさすがにその視線に気づいたらしいが、不意にニヤッと不審に微笑んだだけだ。
(今の、いったいなんだ?)
 勝ち誇るような、しかし、どこか悪戯っぽいような。
(ったく、人を焦らす天才だな、この爺)
 シャーとて、不安がないわけではない。先ほどはあれだけ啖呵を切って勝負に乗りかかったのだ。
 国王シャルル=ダ・フールが持つ、その人を示す身分証明の指輪。シャルル=ダ・フールは顔を知られていない以上、その指輪だけでも僭称(せんしょう)するのは簡単であり、その脅威は無視できない。だからこそ、その名前を引き合いに出した。
 まさか、べーフールもバラズも本気にしてはいるまいが、シャーの持つ指輪こそがまさにシャルル=ダ・フールの名を内側に刻んだ唯一の指輪なのだ。
 もちろん、そんなものを差し出した自分もどうかしている。リル・カーンの指輪を取り返すだけなら、追いかけて闇夜で襲って強奪したほうが、よほど危険を冒さない方法だ。
(こんなこと、カッファの奴が知ったら怒るだろうなあ)
 そんなことがちらっと頭をかすめる。しかし、この賭場の熱に浮かされない自分は自分ではないのだろうと、シャーはうすうす感づいていた。自分には王の自覚も覚悟もない。要するにその器がない。もし、自分がちゃんとした王様なら、そんな危険も冒さなければ、こんな生き方もしてない。
 バラズがシャーのことを狂気を隠しているといったのには、もちろんそうした一面も含まれているのだ。
「はは、最後の札を切る権利は私がいただいたようですね」
 そんなことを考えている間に、神の手のべーフールの声が耳を打った。
 べーフールの手の内には、一から五までの数字が並んでいた。一方のバラズは、剣の将軍の月二対。
「はっはっは」
 バラズは乾いた笑みを浮かべながら、扇をゆらりと動かし、床の上に骨牌(カード)を投げ出した。
「どうにも今日はツキがいまいちだ。先ほどの指輪屋との勝負でツキが逃げてしまったのかもしれないねえ」
(んなこと言うなよな、ジジイ!)
 どうにも真剣みの感じられないバラズの声に、シャーは眉根を寄せるが、例の三白眼で横顔を睨み付けていると、バラズがわかっているとばかりに視線を向けてきた。
 やはりそうだ。どこかからかうような笑みを含んだ視線。しかし、その瞳の奥には、明らかに殺意といってもいいほどの強い攻撃性が揺らめいている。
「しかし、最後まで勝負が分からないのが獅子の五葉」
 勝負を捨てているわけではないのだ。ならば、この態度はいったい何なのだろう。
 最後の札を切る権利を相手に握られる。絶対にそこで細工をされるのが目に見えているのに。
 バラズも自信があるようなことを言っていた筈なのに、何故、自分が親になるように仕込まなかったのだろうか。先ほどの勝負、まるでわざと負けたかのように、あっさりとバラズは敗北を認めた。
「最後の一枚が最も大切。それが獅子の五葉の哲学ではないのかね。さて、最後の勝負をしようじゃないか」
 バラズは余裕の表情で、次の勝負をせかした。すでに場には、お互いの賭け札の他に指輪が転がっている。
 早速、神の手は骨牌(カード)を切り、そして配る。
 五枚。バラズの目の前に、札が五枚あった。バラズはそれを悠長に手にして、相変わらず右手で扇を揺らめかせる。
「私はこれでいいですよ」
 べーフールがにやりとした。バラズは、それでは、という。
「それでは私は一枚交換しよう」
「一枚でよろしいのですか?」
「ははは、一枚でいいよ。欲張りは勝負の女神に嫌われる」
 バラズはふいに扇を左手に持ち替えて、そして扇を揺らめかせながら右手で山場から骨牌(カード)を交換した。
「さて、それでは勝負と行きましょうか?」
 べーフールは微笑んだ。
「降りる気はありませんね」
 確認するように尋ねられ、バラズはにやりとした。
「お前さんこそ降りる必要はないのかね。……いや、本当に最後の最後にツキが回ってきたものだよ」
(確かにそうだ)
 バラズは同行のシャーやファルロフにも札を見せないようにしているが、先ほどシャーが覗いたときに見えたのは、獅子の札。しかも四枚。つまり獅子の札の華四葉(はなよんよう)。先ほど、バラズがファルロフを破ったときのファルロフの手札と同じだ。バラズがあの時は一枚上だったが、実際、獅子の華四葉は強力な役である。これで勝てなければ仕方がない。
 しかし、相手は神の手のべーフール。
(何故、獅子の華四葉を爺さんに配ったんだ。失敗? いや、きっとわかってやってるはずだが)
 相手はそれでは華四葉より強力な役を持っているのだろうか。そうでなければ、べーフールがこんな態度に出るわけがない。
「さて、どうだろうね。私には、やはり女神が微笑んでいるらしい。勝利の女神は気まぐれなお方だが、どうやら私には好感を持っているらしくてね」
「それはあり得ませんよ。何度もそう、女神は微笑まないものです」
 ほら、とべーフールは、自分の手札をそのまま明らかにした。
 そこには杖の十、杖の将軍、杖の女王、杖の王、そして杖の一。
 見物人たちが思わず、おおと声を上げる。
「王の五陣だ」
 シャーが呟く。
 万能を誇る乙女の札さえなければ、最強の役である王の五陣だ。乙女の札に華四葉を加えた「女神舞踊(めがみのぶよう)」や、乙女の札に王四枚の「聖王の五葉」などの役もあるが、女神舞踊で王の五陣では、女神舞踊の数の合計が小さければ女神舞踊の方が弱い。聖王の五葉は、そもそも王の札が四枚そろわないので、骨牌(カード)を一組しか使わない遊戯では同時に出ることがあり得ない。
 となると、絶対に勝つためには、ここで乙女の札を引き、獅子の五葉を作り出すしかないのだった。
 それを引き当ててきたべーフールはもちろん自信満々だった。
「ここで降りても恥ではありませんよ。貴方も、若いころはどうやら名だたる賭博師だった様子。今更恥をかくこともありますまい」
 バラズは、しばらく扇の動きを止めてそれを見ていたが、ふっとやがて笑った。
「神の手の。お前さん、私の手札が何だか知っているね」
 べーフールは、意味深に微笑する。
「私の手札は、お前さんの予想通りの、獅子の札の華四葉だったよ」
 バラズはそういって微笑んだ。
「一応私に気を遣ってくれたのかね。それとも、最後の勝負を彩る演出かな。いや、なかなか、お前さんも凝り性な男だね。しかし、時として、それは命取りになるよ。お前さんは、最後に私が一枚札を交換したのを忘れてはいないかね」
「覚えていますよ。しかし、そこで乙女の札を引き当てるのは至難の業」
「もちろんそんなことはわかっているよ」
 バラズは扇をばちんと閉じると、目を見開く。
「しかしね、勝負の女神に愛されれば、どうにもならないことはないのさ。昔、私の師匠が言った言葉だがね。女神は戦う男に惚れるもの。抗わない男には、くすりとも微笑みかけてはくれないのだ、とね。たとえ勝てないことがわかっていても、最後まで”抗う”ことが大切なのだよ。神の手」
 バラズは薄ら笑いを浮かべながら、骨牌(カード)を床に置いた。
「それでは、その結果をお見せしよう」
 獅子の札が順番にめくられる。
 盃の獅子。
 貨幣の獅子。
 杖の獅子。
 剣の獅子。
 ここまではべーフールの読みの通り。バラズの表情は冷徹そのもので、何を考えているのかはた目からはわからない。
 周囲の目が最後の一枚に引き付けられる。バラズの指がその一枚に差し掛かった。
 最後の札をめくる前に、バラズは凍てつくように微笑んだ。
「私が抗った結果がこうさ」

 そうして、めくられたその紙面に。
 踊りながら微笑む女の絵が、勝ち誇るように描かれてあった。

「万能の乙女! 獅子の五葉だ!」
 シャーより先にファルロフが声を上げた。確かに、そこに燦然と存在するのは、万能の乙女の札だ。
 バラズは別に喜びも見せず、静かにべーフールを見上げている。
「まさか! そんなはずはない!」
 べーフールが慌てて立ち上がった。手札がその手から床へと舞い落ちる。
「そんなことになるはずが」
「まー、そうだろうねえ。私に華四葉を配るまではお前さんの予定通り。お前さんが王の五陣を引き当てるのも予定通り。実は、その前の勝負で私が札をみたとき、そう仕組まれているのにはすでに気づいていたよ。最初からそういう勝負をしたかったんだろう。十回の間に次第にそういう風に整えられていくのを知っていた」
 にやりとバラズは笑う。
「だから、それを承知の上で、敢えてそのまま配らせてやったのさ」
 バラズは涼しげにそう言い放つ。
「しかし、私が乙女の札を引くとは思わなかっただろう?」
「当たり前だ。絶対に乙女の札がお前の手に渡るわけがない!」
「ははははは、だから言っただろう? 抗わない男には女神だって微笑みやしない。抗う私に”奇跡”が起きたのだということだよ」
「馬鹿な。如何様だな!」
 べーフールが憤って立ち上がる。
「よりによってお前さんの口がそれをいうのかね」
 バラズは冷静にそう突っ込むが、相手が取り合うはずもない。
「その扇に札を隠してあるのだろう? 裏返してみろ」
「この扇? さて?」
 バラズは余裕の笑みで扇を裏返すが、何も挟まってもいない。
「言っておくがね」
 バラズは嘲笑うように、口だけは好々爺然とほほ笑んで告げる。
「扇に札隠すなんて愚の骨頂。美しくもなにもない如何様だよ。仮に細工したとしても、そんな醜いことは私はしないね。これはそのための小道具じゃないんだ」
 バラズは、ふっと笑った。
「それ以上言うと恥になるよ。第一、何故乙女の札が私に渡らないと分かった? それこそ、お前さんが如何様を仕込んだ証拠じゃないのかね? 枚数は確かに五十三枚あった。しかし、乙女の札がなくなって、代わりに別の札が入っていたのだろう? 私の見立てじゃ、左手の袖か、右の服の隠し」
 べーフールがドキリとした様子になり、バラズはふっと笑った。
「ほかにもいろいろ隠しているのだろうけど、敢えてそこには触れてやらないよ」
「ッ!」
「三流如何様師が」
 バラズは見下げたように冷徹に言い放った。
「簡単に種がばれる如何様ほど美しくないものはない。どうせやるなら私にわからないほど美しい如何様でもしたらどうだね?」
 それを黙ってみていたべーフールの後ろの若い者が、突然動いてリル・カーンの指輪に手を出した。それを分捕り、そのまま逃げだそうとしたとき、剣の鞘ががっと入口の柱を塞ぐ。
「おおっと」
 ゆらっと立ち上がり、シャーは男を睨み付けた。
「債務不履行は困るぜ。その指輪、約束通りおいて行ってもらおうか」
「この野郎!」
 ひょろっとしているシャーを侮ったのか、男は短剣を抜いてシャーに襲い掛かった。シャーは、難なくそれをあしらって、柄頭で一発お見舞いすると床に転がせる。ついでに男の手から指輪が転げ落ちた。
「っと、いけね」
 慌ててシャーはその指輪を拾いにかかる。
「野郎!」
 その体勢を見てか、反射的に数人の男がシャーにとびかかってきた。
「っと、あぶね!」
 シャーは指輪を拾いながら、一人を足で蹴り飛ばす。指輪を懐にしまいながら、シャーは振り返った。狭い室内だ。ここで長剣を振り回すのは不利だし、第一ここは賭場。あまり騒ぎにしたくない。
 となると、やることは一つ。相手をいち早く圧倒してしまうことだ。
 次にとびかかってきた男をいなし、シャーは、半分まで剣を抜くと、それで短剣を受けながら体ごと回るようにして、相手を鞘で殴り飛ばした。
「ははーん、そうか」
 シャーは、にやっとした。
「昨日の晩、襲ってきたのはもしかしてオタクら? なるほど、ハーキムの賭場で儲けた奴が襲われたとあっちゃ、ハーキムの名前が落ちるもんな。そういう小細工ね、っと!」
 もう一人、倒れた男の陰から湧き上がるように襲ってくる。その短剣を受け止めて、シャーはそのまま鞘を落とした。たん、と鞘が絨毯の上に落ちると同時に、シャーは抜いた剣を斜めにふるった。
 短剣が男の手から弾き飛ばされ、べーフールの傍に突き刺さる。べーフールは、ひっと怯えた声を上げた。
「来るか?」
 ふっとシャーは笑った。
「オレは付き合ってもいいんだぜ。やりたいなら、表出てやろうや。だが、……」
 と、シャーは足で鞘を蹴り上げて手にすると、腰に落とし差した。
「お前等、ハーキムの縄張りで暴れていいのかな? てめえら、シャー=レンク=ルギィズの手下だろ?」
「ッ! てめ……!」
 動こうとした男にシャーは、素早く切っ先を突きつけた。まっすぐに見下ろされる青みがかった瞳。その気迫に男が思わずすくみ上ってしまう。
「お前等みたいな雑魚、殺すわけねえよ。今なら見逃してやるぜ」
 くっと舌打ちして、べーフールが立ち上がる。
「わ、わかりました。今日のところは負けを認めましょう」
 帰りましょう、といわんばかりにべーフールは男たちに視線を送る。シャーが体半分後退して場を開けると、そこを通ってべーフールと男たちが逃げ去っていった。
「やれやれだねえ」
 荒事の間、いつの間にか部屋の片隅に移動していたバラズが、扇をひらひらとあおぎながら言った。
「三流はこれだから困る。まったく、あそこの親分は風流が分かってなくて困るよ」
「ったく、爺さんはいつももめごとが起こると、うまいこと隠れてるよなー」
 そりゃあその方が安心なんだけど、と思いつつも、シャーは呆れて言った。
 と、不意にぱちぱちぱちと拍手をする音が聞こえた。
「ははは。流石だな、お見事お見事」
 シャーが振り返ると、そこには柱に寄りかかって手をたたく、あの隻眼のビザンの姿があった。
「本当、無双のバラズの鮮やかな手並みをもう一度間近で見られて感動もしていたが、お前さんもなかなか良かったぜ」
 といってビザンはため息をついた。
「ったく、本音を言えば、どうしようかと思っていたところだったんだぜ。若いモンに手出しさせりゃ、もめごとのきっかけ作っちまうしさ。かといって、そのままのさばらせておくわけにはいかねえし。アンタがあいつらをたたきのめしてくれたなら、俺たちにとっちゃ、客同士の喧嘩で済むからよ。あらかじめ人払いもしておいたから、この騒ぎ、気づいてるのはほとんどいやしねえさ。安心してくれよ」
 ビザンはゆっくりとうなずいて、髭のある顎を撫でやった。
「やっぱ、一緒に来てもらってよかったぜ。しかし、アンタもなかなかの剣術使いだね。ジャッキールの旦那以来だねえ、そんな流れるような剣術見るの。三白眼の男の噂はちょいと聞いてはいたんだが、噂にたがわぬ腕前だな。はは、以後昵懇(じっこん)に願いたいぜ」
 シャーは警戒したような目をビザンに向けた。
「ビザンのオッサン、アンタ、ただものじゃないね?」
「ははー、騙すようになってすまねえな。でも、ジャッキールの旦那も人が悪いねぇ。あらかじめ、俺のコトぐらい話してんのかと思ってたからよう、まさか何も聞いてねえとは思わなかったぜ」
 ビザンは、にやっと悪戯っぽく笑った。
「俺がハーキムさ。正確にはビザン・ハーキム。お前さんが呼ぶときゃ、ビザンでいーぜ」
「アンタが?」
 シャーはきょとんとした。
「あんな酒場で亭主やってるくせにかい?」
「ふふ、別に正体隠してるわけじゃあねんだけどよ。まあ、あれは趣味と実益を兼ねた店っていうか……。ホレ、ジャッキールの旦那みたいな、おもしれえのもたまに混じってくるからよ」
 にやにやとビザンは笑って答える。
「ともあれ。今回のこと、一つアンタに借りができたってわけだ。個人的にもおめえさんのことは気に入ったし、なんかあったら手ェ貸してやっから気軽に相談してくれよ」
「オレに借りると利子が高いぜ?」
 シャーは苦笑しながら言った。
「ジャッキールの旦那に貸す時より、負けといてくれよ」
 ビザンは冗談めかしてそう言った。ふと入り口に黒服の男が立って、ちらちらとこちらをうかがっているのが見えていた。
「ちっ、いいとこなのに。後処理してくれってか。しょうがねえなあ」
 ビザンはそうぼやきながら、シャーに手を挙げた。
「じゃあ、また会おうぜ」
「ああ、よろしくな。これから」
 何だか変なところで妙な人物とつながりができたものだ。シャーはややあっけに取られていたが、ビザンがふと付け足した。
「あ、ついでに、ジャッキールの旦那に伝えといてくれ。たまにゃ、俺んとこの用心棒の仕事も受けてくれってな」
「さてね。あのダンナ、仕事選びそうだからどうだかしらねえけど、一応伝えておくさ」
 ジャッキール。改めてその名を聞いて、シャーは内心むっとする。
(ったく、あのオヤジ、このオッサンがハーキムだとか、なんでそういう重要な事を言わねえの、どういうこと?) 
 答えながらジャッキールに対する憤りがわいてきた。あの男、口が堅いのにもほどがあるというものだ。

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