シャルル=ダ・フールの暗殺
7.レビ=ダミアス-4
走る。走る。走って、また切り返す。
暗黒の世界から僅かに照りかえる冷たい光が、敵の刃の位置を教えてくれる。シャーは暗い道を移動しながら、ジャッキールと斬り合っていた。
「ち、畜生」
息を切らしながら、シャーは走る。このまま、なるべくなら逃げ切ってしまいたかったが、ジャッキールはそれほど甘くない。
うすい光の中、ジャッキールの影が揺らめいている。いささか場違いな水の音がさらさら静かに聞こえてくる。くっとジャッキールの笑い声があがった。
「俺を舐めたな! アズラーッド!」
ビッと横から飛んでくる鋭い突きを、すんでのところでかわし、シャーは、地下道の壁際、ちょうど路面に水がかぶっていない、ひときわ高い場所を伝うようにして逃げる。こちらのほうが水の抵抗がない分早いのだ。
人二人分ほどの、通路状態になっているそこを走りながら、シャーは、ジャッキールを巻こうとしたが、いきなり、マントを引っ張られ、シャーは、仰向けにバランスを崩す。
「くそっ! しつこいぜ!」
シャーは、毒づきながら後ろに向けて剣をつくが、ジャッキールが振ってくるほうが早かった。剣ごと弾き飛ばされ、シャーは壁にぶつかりながら、下に倒れこむ。追い討ちのジャッキールの剣が、路面の湿った石畳に突き刺さるのは、シャーがそのまま転げて水のあるほうに逃げ込もうとしたからだ。
「逃がすか!」
すかさずジャッキールの左手が、シャーの喉もとを押さえつける。シャーは喉を締め付けられる形になって、一瞬咳き込んだ。
「死ね!」
すかさず、ジャッキールは右手の剣をそのまま振り下ろしてきた。シャーは、体をひねって紙一重でそれを避けると、ジャッキールの手をふりほどいて、そのまま転げて地下水道の中に逃げ込んだ。
水の上まで来て、ようやく両足をつけて起き上がり、シャーはそのまま走る。だが、ジャッキールはすばやくついてきていた。
「そう簡単に抜けさせんぞ!」
鋭く光る剣が、暗闇の中から浮かび上がるように飛び込んでくる。
「い」
シャーは、キッとジャッキールをにらみつけた。迫ってくるジャッキールの剣が巻いた髪の毛を掠る。
「いい加減に」
シャーは、逃げるのをやめてジャッキールに向かって飛び込んだ。
「しやがれェーっ!」
シャーは、そのまま懐に飛び込みながら、ジャッキールに剣を向けたが、すかさず、ジャッキールは振るったばかりの剣を返して、それを弾き、そのまま下に向けて鋭く突きおろしてきた。
「チッ!」
シャーは、舌打ちし、それを紙一重でかわすと、切っ先をたたきこもうとしたが、それはジャッキールも計算していたのだろう。ぎりぎりのところで、刀は彼の柄によって弾かれた。だが、シャーもそれはおおよそ予想していたのだ。
「これで、どうだ!」
シャーは、弾かれた剣をそのままに、柄のほうを向けてジャッキールに振りあげた。そのまま走りこむ。うまく彼の懐に飛び込んだシャーは、体ごとぶち当たるように、ジャッキールの鳩尾に柄頭を容赦なく叩き込んだ。
「……!」
ジャッキールが一瞬、息を詰まらせるのがわかった。そのまま、彼を突き飛ばす。ジャッキールは、そのまま勢いで背後の壁に激しくぶつかり、その衝撃で前に飛ばされ、水路の中に倒れこんだ。水しぶきが飛び、大きな音が立つ。
短く息を切りながら、シャーはそこから離れた。 急に、さきほどまで気にならなかった水音が、ごうごうと響きだした。物音は聞こえない。ジャッキールの姿は、というと、右の半身を水につけ、水路の歩道に半分ひっかかっている。黒いマントが水に揺らされ、死体のようにも見えた。
「や、やったか!?」
さすがに刀身では攻撃させてくれなかったが、これは効いたはずだ。間違いなくジャッキールの鳩尾を捉えたはずだ。まともに入っので、かなり効果はあったはずである。後ろの壁にぶつかったとき、後頭部を打ったせいか、暗闇にみえるジャッキールは半身を水につけたまま、ぴくりともしなかった。
苦しむ声も、物音も聞こえないのだから、気絶したのか、死んだのもしれない。シャーはそう思い直した。いいや、そうであって欲しい。もう時間がないのだ。
シャーは、ため息をついて、きびすを返した。このまま止めを刺したほうが安全ではあるのだが、そうやってちょっかいを出すことで、ジャッキールに再び目覚められても困る。ここはさっさと逃げてしまうに限るとシャーは判断した。
(とにかく、生きていようと、あの位置に入ったら、しばらく地獄の苦しみで動けたもんじゃねえしな)
しかし、シャーのその考えは、背後からの水音によって打ち消された。
「み、見事……だ!」
まだ苦しそうな声だが、その声は、シャーをぎくりとさせた。慌てて振り返る彼の視線の先で、男は肩で息をしながら水を滴らせながら立ち上がっていた。
「ジャ、ジャッキール! 貴様!」
ジャッキールは、何度か咳き込んだ後、剣を杖代わりに水中に立てて、こちらを見ていた。
「さ……、さっきのタイミングで、き、切り返してくるとはな……。今のは、効いたぞ」
息を整え、ジャッキールは一息深呼吸をして笑った。口の中でも切ったのか、色の悪い唇に、血が流れている。
(嘘だろ……)
ジャッキールは、完全に体勢を立て直していた。完全に呼吸を整えてしまうと、冷たい笑みを薄い唇の上にゆがめながら乗せる。
(こ、この野郎……。どこまで丈夫なんだよ!)
シャーは、青くなった。もう時間がない。回復してくるのが早すぎる。
ふと、ジャッキールは、瞬きをした。頭を打ったときに切れたのだろう。額を伝って血が目に入りそうになっていたのだ。それに気づき、ジャッキールは額の血を拭い、血のついた指先を目の前にかざすと、にやりと笑った。
「流血戦は久しぶりだぞ。……やはり、貴様は俺の見込んだとおり只者ではないな。……ふ、ふ、ふ」
肩を揺らして笑っていたジャッキールの声は、次第に大きくなり、やがて大きく甲高い哄笑に変わった。
「はッ、ははははは! はーッ、は、ははははは! あはははははは!」
地下水道に何度も反響する哄笑は、まるで人間のものではないように聞こえた。さすがのシャーも、全身に悪寒を感じるほどに、それは異常な笑い声だった。
「な、何を笑ってやがる……?」
「ふ、く、くくく、……こんなに愉快な気分になったのは、久しぶりだ、アズラーッド・カルバーン」
ジャッキールは、シャーの言葉をきいているのかどうかわからない。ただ、笑いをおさめながら、狂気に輝く瞳をシャーに向けた。
「そうだった。こうでなければな。……こうでなければ、生きている意味がないというものだ。俺は何を忘れていたのか……」
シャーは、その笑みにぞっとしながら、身を引いた。
「何いってんだ。アンタ……」
ジャッキールは、まだこみあげてくるらしい笑い声をかみ殺しながら言った。
「ふ、ふ、思い出したといったのだ。この、ここでしか得られない充実感というものをな!」
「……アンタ、……頭の箍が外れてるんじゃねえのか」
シャーは不気味そうに首を振った。
「クッ、それはそうかもしれんな」
ジャッキールは素直に認めた。まるで麻薬にでも酔ったかのような、夢見るような瞳が、いっそう不気味だった。
「自分でも、もはや、何がまともで何がまともでないかわからん。生きているのか死んでいるのかもわからんぐらいだ。……俺が狂っているというのなら、そうなのかもしれん。だがな、俺は、こうやっているときが、一番落ち着くのだ。……何のしがらみもなく、ただ、戦っている時だけが! 俺は居場所は、もはや、”戦場”しかないのだからな!」
シャーは、少し哀れむような目をした。
「かわいそうな奴だな……。アンタぐらい頭があれば、それなりに生きられたはずだろ?」
「何とでもいえ。俺は後悔などしていない」
ジャッキールは、笑みを強めた。
「だが、貴様に俺の気持ちがまったく理解できんとはいわさん。貴様には、俺の気持ちの一端は理解できるはずだ。そう、貴様には!」
ジャッキールの赤い瞳が、シャーを射抜いた。
「貴様は俺と同類項の人間だ。……戦ってみてすぐにわかった。そして、そんな自分に嫌悪して、普段は、ああやって力を隠しているに過ぎない」
「てめえと一緒にするな、オレは……」
「いや」
否定しようとしたシャーの言葉を、ジャッキールは鋭い口調でさえぎった。
「貴様は俺と同じだ! 貴様は、自分の存在意義を戦いの中でしか見つけられない哀れな男だ。……俺と同じだ」
シャーは黙り込む。ジャッキールはにやりとした。
「……図星だろう」
ふと、ぱしゃりとジャッキールの足元で、音が鳴った。そのまま、足で水をかき割って、静かに進みながら、彼は陰鬱な笑みを浮かべた。と、その瞬間、ジャッキールのつま先が水を蹴って現れた。
光る刀を見破って、シャーは身を翻すと同時にそちらに刀を振る。硬質な音が、水の流れる水路に反響し、何度も聞こえて遠くなっていく。剣を受け止めた状態で、暗い中、ジャッキールははっきりと言った。
「何をいおうが、貴様は俺と同じだ。……貴様は仮面をつけることによって、すんでのところで踏みとどまっているに過ぎない」
シャーはわずかに眉をひそめる。ジャッキールは剣にぎりぎりと力をこめながら、そのまま続けた。
「貴様の気持ちもわからんではないがな。……だが、仮面をつけるのには限界がある。いつか俺のようになる」
「けっ! やめてくれよ!」
ふっとシャーの笑い声が聞こえた。突然、剣を返してきたジャッキールの一撃を避け、それを受ける。鉄が鉄を噛みあう音がする。シャーは刀を引くと、そのまま身を翻して後退した。嫌な言葉を振り払うように、シャーの言葉は力強かった。
「アンタと一緒にすんなよな。……でも、そう言われた覚えがあるぜ。思い出したよ」
シャーは、わずかに自嘲した。
「……ハビアスのくそ爺が昔言ってたよ。……お前は、戦争のとき以外は、波乱の元だってな。それは、もしかしたら本当かもしれない……。そうかもしれねえよ」
シャーの振った刀が、ジャッキールのマントを掠めた。ジャッキールはそのまま後ろに飛びずさる。ほおら、とシャーがわざとらしく口にした。
「なあ、オッサン。オレも時間におわれてなきゃ、こういう勝負はすきなのかも知れねえ。時々そう思うことがあるぜ! おっと!」
シャーは、剣を横にないで、ジャッキールの突撃をさけた。がっがっと、二度火花が散った。シャーは再び相手から離れ、間合いを取る。
「では、認めているではないか」
ふんとシャーは鼻先で笑った。ちゃりんと鍔の鳴る音が微かにする。おそらく腕を持ち上げたのだろう。
「いやいや、オレが認めるのは一つだけさ。……確かに、あんまり切れ味のいい剣もつとロクなことが無い。同じで、ちょっと強くなると人間って奴ぁ、つい調子に乗っちゃうね。自分と同じぐらい強い奴と戦いたくて戦いたくって、たまらねえ」
シャーは、どこか暗い笑みを浮かべた。
「……人間って奴は、どうしようもない生きもんだ。あんたもオレも含めてさ」
「ふ、……なるほど」
ジャッキールは、笑った。
「満足したのかよ? 死ぬ前にききたいことがきけたってか?」
シャーがそういうと、ジャッキールは笑みを強めた。
「言っただろう。俺は今回は手を抜かん。どちらが死ぬかしらんが、死んでもかまわんと思ってやるからそうきいたのだ」
ジャッキールは構えを取ると、楽しそうな笑みを浮かべながら言った。
「さて、それでは、本格的に再開といこうか?」
(どうする?)
シャーは、唇を軽くかんだ。もう時間がない。
腕は五分五分。いいや、経験と力の分、ジャッキールのほうが幾分か上かもしれないが、勢いと作戦で攻めて行けばどうにかなるかもしれない。だが、捨て身をどうとも思わないだけ、彼のほうが有利だった。
おまけにシャーには、時間がないし、ここで致命傷など負うわけにはいかなかった。彼にはこの後の戦いが控えているのである。
(畜生、足でももつれて転んじまってくれねえかな!)
心の中でそんなことを思いながら、シャーは相手の様子をうかがった。ジャッキールは、未だに剣を構えている。足をもつれさせて転んでくれる可能性は、あいにくとなさそうだった。
「さあ! いくぞ、アズラーッド・カルバーン!」
ジャッキールは、そう叫んだ。そのまままっすぐに飛び込んでくるジャッキールを予想して、シャーは後ろに飛びずさる。途端、ざざざと音がした。水を蹴散らす音だが、今の音はジャッキールの足音ではない。そんな近い位置からではなかった。遠くから、しかも大勢が一斉に水を蹴散らして走ってきている音だ。
「しまった!」
シャーはわずかに歯がみした。ジャッキールが率いていた先鋒隊に続いてきていた後続の兵士達が進入してきたのだ。さすがのシャーも、ここで彼らを一気に相手することはできない。ジャッキールの相手をしているならば、ここから先への進入を止めることすら無理なのだ。わずかに顔色を変えたシャーに気づいたのか、ジャッキールはふっと笑った。
「顔色が悪いようだが……。どうした? シャー=ルギィズ」
シャーは黙っている。それを知ってか、ジャッキールはさらに笑った。
「それはそうだろうな。……さすがの貴様でも数を頼みにされては敵わんだろう?」
「呼ぶのかよ、……連中を?」
シャーはひきつった笑みを浮かべて聞いた。ジャッキールは同じように歪んだ笑みを浮かべただけだった。そして、彼は後ろに向かって大声をあげた。
「いたぞ! シャー=ルギィズだ!」
ざっとシャーは、身構え、さらに逃げの体勢に入る。しかし、彼の第一歩は踏み出される前に止まった。
「あいつは、右側の通路に逃げた! 追い込んで殺せ!」
ジャッキールが、突然、そう叫んだのだ。その号令は、狭い通路に響き渡って何重にも聞こえた。
「ジャッキールさんですね! 右側の通路ですかあっ!?」
「そうだ! あいつを生かしておいてはならん! 殺せ!」
聞こえた部下の返事にジャッキールはもう一度大声でそう答え、ふっと笑った。
「右側の通路の奥だ! あいつを城に行かせるな!」
「な、何いってんだ?」
シャーはきょとんとした。入り口の方で、何人もが水を蹴って進んでいくのがわかった。彼らは、ざばざばと水をかきわりながら、右側の通路へとなだれ込んでいく。
ジャッキールは、剣をひくと、その陰鬱な顔に相変わらず陰気な笑いを浮かべていた。
「笑いたければ笑ってもかまわんぞ」
「……な、なんだよ…………なんの遊びだ? これ?」
シャーは、一瞬きょとんとして、思わず聞いた。ジャッキールは、剣を引くとしゅっと振って水気を払った。そして、やや斜めを向きながら、シャーから視線をはずす。
「ふん、情けをかけるつもりではない。これは俺の問題なのだ」
ジャッキールは、冷たい口調でわざと言っているようだった。こほん、と咳払いをし、彼は続けていった。
「俺は、貴様には借りがある。俺はそれをかえさねばならん。だから返したまで。感謝されるいわれなどないわ」
ジャッキールは、ぶっきらぼうに言った。
「だが、俺はラゲイラに雇われて信用してもらった恩があるのでな。おおっぴらに貴様に借りを返すわけにはいかんのだ。だが、そろそろいい頃合いだろう。俺は十分な時間稼ぎをしたつもりだ。それで、最低限の義理は果たしたつもりだ。……今から、俺はお前が何をしようと、今から『見なかった』ことにする。俺はお前が右の通路に逃げ込むのを見て、必死で追いかけている最中だ。どこへなりともいくがいい。俺は何も見ていない」
「はっ? あんた、何いってんの?」
シャーは、思わず刀を下ろした。
「聞こえなかったのか? 俺は行けといったのだ」
シャーはきょとんとして、大きな目をさらに丸くして彼のほうをうかがった。
「なんで? さっき頭打って、やっぱりおかしくなっちまったのかい?」
それから、不意に思い当たったらしく、しかし信じられない顔をしてシャーは訊いた。
「……まさか、借りってのはさぁ、あん時オレが剣が折れたあんたを逃がしたからってそれだけのこと〜?」
ジャッキールは、急に黙り込んだ。不自然な沈黙なので、もしかしたら、照れているのかもしれなかったが、残念ながらその顔は見られなかった。シャーはひやかし半分に笑った。
「ひゃはははは、こいつは傑作だね。ホントはさ、あんたみたいな危険な奴、生かしておいたら、不幸な奴が増えるだけだけどさ。でも、初めてあんたにありがとって言いたくなったね。あっはははは〜、案外いいとこあるじゃない。ジャッキーちゃん」
「ジャ……!」
いきなりあだ名をつけられて、ジャッキールは言葉を飲み込んだ。シャーは、ジャッキールが調子を崩したのを感知して、にまっと笑った。ここまでいけば、自分のペースに引きずり込むことなど簡単なことだ。
「あれ? もしかして、意外と堅苦しいタイプなんだ〜。……そんなにおどおどしなくていいじゃない」
「う、うるさい! 黙れ! お、俺はそういう馴れ合いは……!」
ジャッキールは怒鳴ったが、それはもう以前のような威圧的なものではなくなっていた。おちょくられて完全に動揺しているらしい。
「これからオレたちは、ジャッキー&シャーの仲なわけなんだ。あははは、似合わないし!」
「だ、だ、だ、黙れ! そんな甘い感情からではない!」
ジャッキールは思いっきり否定し、かえってそのムキになった姿をシャーにげらげらと笑われた。
「い、行くなら早く行け! 時間が無いのではないのか!」
ジャッキールはそういって、腕を組んだままそっぽを向いた。妙にがたがたしている気がするのは、まだ動揺しているからだろうか。
「それじゃぁあ、ありがたく行かせてもらいましょうかねえ」
シャーは、刀を肩からかけてそしてにんまりと笑った。
「これであんたとしては、貸し借りなしってわけね。了解。オレもそういう事にしておくよ。じゃな!」
ぱしゃっと音を立てながら、シャーは水に足をつっこんだ。サンダル履きの足で、水面をけりつけながらそのまま走っていく。
「アズラーッド」
背中から声をかけられ、シャーは振り返った。ジャッキールは、曰くありげな笑みを浮かべていた。その顔がいかにも意地悪そうで、シャーはふと首を傾げる。
「貴様がシャルルを嫌おうが、貴様はシャルルを助けるだろうな。なぜなら、シャルルは、今、死にたくないからだ」
目を丸くするシャーを後目に、やや得意げにジャッキールは続けた。
「一介の剣士の俺には所詮わからんがな、王族というのは、実に面倒なものだ……。そうだろう? アズラーッド?」
シャーは、驚いたような顔をして、それからにやりとした。
「……さぁ」
シャーは、肩をすくめた。
「オレも一介の剣士だから全然わかんないよ」
それから、困惑したような目をむけた。
「ったくよ、あんた、ホーント、性格悪いんじゃねえのお? だーから、女の子にもてないんだ。陰気だしっ!」
ふん、とジャッキールは鼻先で笑った。シャーの立てる、水のぱしゃぱしゃという音が遠くなる。そのまま、彼は通路の奥の闇に消えていった。
「先ほどはああいったが、哀れといえば何のしがらみもない俺より貴様のほうが哀れかもしれん。……剣では、しがらみは切れんからな。不憫といえば不憫だが」
ジャッキールは、目を閉じ、彼には聞こえない小声でポツリとつぶやいた。そして、自分もきびすを返すと、そのまま自分がさししめした右側の通路への道を急いだ。
彼にとっては、すでに自分の役割は終わったも同然であった。後は、彼は手駒の一つとして決められたとおりに動けばいい。なぜならば、後はあのシャー=ルギィズが全ての決着をつけることになるのだから。
……そして、もちろんシャルル=ダ・フール自身が……
ジャッキールは右側の通路へと入り込んだ。そして、彼はまだ気づいていなかった。先ほどのシャーとジャッキールの会話の一部始終を、一人の男が通路の闇に紛れて、全て聞いていたということを――。