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シャルル=ダ・フールの暗殺

7.レビ=ダミアス-3


なかなか難しいところだった。寝室のまわりは近衛兵に守らせたが、それでも、完全とは言い難い。それに、寝室の奥におけるのは、特に信頼の置ける兵士十人ほどしかいない。
 城の中は、相変わらず兵士がうろうろしているが、それでも、信頼できる者が何人いるか、把握はできない。
「こんなことではいかん。それはわかっているのだが、いかんせん方法がな」
 赤い絨毯のひかれた石づくりの回廊をしきりにうろうろしているのは、宰相のカッファ=アルシールである。元々は近衛兵だった彼は、この警備がいかに甘いか自分でもよくわかっている。ハダートから報告だけは受けたが、それでも、宮中には自分の味方よりも敵の方が多いのだから、鉄壁の警備など望める訳もない。おまけにハダートはハダートで、なかなかの曲者で、保身の為に、最低限の情報しか流してこない。カッファがやりきれない気分になるのも、当然といえば当然だった。
 唯一の救いは、若いシャルルにはまだ後宮のような女官の居室が存在しないことだろうか。ああいった場所があると、なおさら警備はしにくいものだ。
「カッファ!」
 ざっざっと厳しい軍靴の音を響かせながら駆け寄ってくるのは、白髪混じりでロマンスグレーになった髪の毛をオールバックにまとめている男だった。カッファより少し年上ぐらいで、眉間にしわを寄せている様からも、彼の真面目な人柄が伺える。軍人らしい少しごつい感じの顔立ちだが、威厳と落ち着きを十分に備えていて、名門の香りすら漂わせていた。
「ゼハーヴ。ラダーナ将軍は間に合いそうか?」
「いや」
 七部将の一人であり、彼らのまとめ役でもあるゼハーヴ将軍は、やや眉をひそめた。
「今夜中には戻れそうにない。私の兵士とジートリューの兵士と、ハダートの所で抑えるしかないのだが、ジートリューはそもそも軍隊を分散して統括しているからな。今夜すぐに動かせるのは、三分の一ほどだぞ」
「ああ、わかっている。……全く、将軍の半分が不在の時にとは、あらかじめラゲイラの策略にはまっていたのかもしれんな」
 カッファはため息をつきながら唸った。七部将には、ハダートのような流れ者風の将軍から、彼のような名門出の軍人まで様々にいる。特にゼハーヴが信用されているのは、カッファとゼハーヴが、お互いセジェシスに仕えて辛苦をともにした時間が長いからである。
「しかし、ラゲイラの背後にいるのは、一体誰なのだ? ハダートの情報は?」
 カッファは腕を組んで唸る。
「それが、連絡を入れてきた今朝の時点ではわからんということだった。今なら或いはわかっているかもしれないが、もう下手に動けない状態のようだし、それに、あの性格だからな、ハダートは」
「なるほど、いざというときの逃げ道のために、危なくなった今はもう連絡などしてこないか」
「とりあえず、用心の為に面会を全て断ることにしているがな。まあ、あの方には敵が多い。今更誰が黒幕でも驚きはせんがな」
 ハダートを思い浮かべながら苦い表情の二人は、同時にため息をつく。ゼハーヴは、少しだけ考えて申し出た。
「この際、せめてあの方だけでも避難させては……」
「いや、あれであの方もなかなか強情でな。『カッファ、お前が逃げないのに、私が逃げるなど言語道断だ。それに、私には責任がある。』などとおっしゃるのだ」
 カッファはシャルルの口まねをしながら、げんなりとした顔をした。そして、ふつ、と何か火がついたらしく、急にむっとした顔をして、天井をにらむ。
「あの方の立派なお心がけにひきかえ、あの腐れ三白眼は……」
 カッファは、不機嫌に続けた。
「今どこをほっつき歩いているのだか! あの性根、絶対に叩き直してくれる!」
「ハダートからは何もいってこないのか?」
「ハダートとジートリューはいかん。すぐにアレと結託する」
 ゼハーヴの問いに、カッファは渋い顔をした。
「今、本当にどこにいるやら。 陛下自身の身が今、危険な目にさらされているというのに!」
 カッファは言いながらさらに腹が立ってきて、いらいらとしきりに床をつま先で叩いている。何しろ、ぶっきらぼうに言いながら思い浮かべる顔は、忙しいときに出られると普通の人の十倍は腹が立つ、あのいい加減な三白眼なのだから、ゼハーヴもカッファの気持ちがわからないではない。
「シャー=ルギィズだと……。……まったく、なにを好きこのんで、私の妻の旧姓など」
 カッファは、相変わらず天井を眺めながら言った。「シャー」というのは、本名だが、ルギィズは完全な偽名だ。ルギィズというカッファの妻の旧姓を、わざわざ彼は名乗っているのだった。その理由を、わからないといいながら、カッファは何となくわかるような気すらしていた。
 少し唸った後、ゼハーヴが、さっと身を翻した。
「仕方があるまい。では、私は持ち場に戻る。何かあったらすぐに呼んでくれ」
「ああ、そうしよう」
 カッファはそういい、ゼハーヴとわかれて、回廊を引き返し始めた。とにかく出来る限りのことをやればいい。それでダメなら、せめてあのシャーが無事であれば、それでいいと思うしかない。そうカッファはどこかで思っていた。
カッファがちょうどシャルルの居室の周辺の警備を固めている頃、シャルル本人は、起きあがって本を読んでいた。王と言うには割合に質素なその部屋には、病弱な彼が普段からその身を休めている寝台がある。薄い絹でできた天蓋が、さーっと垂れ、彼はそれごしによく人と話をするものだった。
「陛下」
 呼ばれて、シャルルは、本を読む手を休めて前を見た。なじみの女官が、そこに控えている。
「何用だ?」
「お会いしたいという方がいらっしゃいますが……」
 そういわれて、シャルルは首をわずかに傾げた。確か、面会は謝絶しているはずだ。
「どういうことだい。私は今日は誰にも会わない予定だが。しかも、こんな夜に」
 彼はベッドから出て、薄い天蓋ごしに女官を見た。その穏やかな眼差しに、怪訝そうな色が見える。
「カッファには通したのか?」
「いいえ。宰相殿には通すなとの事でございます。極秘にお話がしたいと」
「誰だ? そのような無理を通せると言うことは、まず間違いなく相手は王族だな」
「はい」
 女官は、少し控えて、小声で言った。
「弟君のザミル様でございます」
「ザミル?」
 シャルルは、薄い絹の天蓋の奥で反芻した。その顔には、更に怪訝な色がにじんでいる。
「ザミルが今頃何のようだというのだ?」
「なにやら危急の用とのことで。極秘にお会いしたいとの申し出でございますが」
 シャルルは軽く顎に手をあてた。
「そうか」
 少し考えてから、彼は大きくうなずいた。
「よし、私が会うことにしよう。……ザミルには、部屋で待たせておいてくれ」
「かしこまりました」
 女官がそういい、すーっと去っていく。彼女が部屋から出てから、シャルルは天蓋の外に出た。暖かい上着を着て、彼は一応傍にあった剣を帯刀した。弟の王子と会うのに、不作法な格好で会うわけにはいかないし、また、身を守る意味を含めてのことである。
「まさか、ザミルが何かしら関わっているというのか?」
 シャルルは顎を軽く撫でる。
「しかし、あのザミルが?」
 相手は仮にも弟である。セジェシスは、妻に序列などつけなかったが、それでも有力者だった夫人がザミルとラハッドの母だ。それをないがしろにするわけにもいかないし、ましてや疑うなどもってのほかである。
「仕方ない。会って確かめておくか。……カッファには悪いが、これも私のつとめだからな」
 そういうと、シャルルは水差しの水を少しだけ飲んだ。そして、面会に赴くため、隣室へと足を運んだ。



シャルルからの伝言を持って、女官はそのまま、外に出た。ザミルの待っている少し離れた部屋に行くと、彼女はそこで待っているザミルとラティーナの二人を見て、軽くお辞儀をした。さすがのザミルでも、ここまでシャルルに近い位置で、護身の兵士を連れて行くわけには行かない。その代わりに、女官を連れてくることは許されていた。
「兄上様からお許しが出ました。面会なさるそうです。このまま、こちらで、お待ち下さい」
 女官はザミルにそう伝えてかしこまった。ラゲイラはここには来ていない。彼は、ここにつく直前に姿を消していた。確かに、ラゲイラを連れていけば、カッファやシャルルは警戒して、ザミルに会わない。それを考慮してのことだろうが、万一の時の逃げの手をうったようにも、ラティーナには思えた。
「どうするつもり?」
 付き添いのラティーナは、ザミルの女官という設定である。顔を半分隠しながら、女官の服装をした彼女は、ザミルを睨むようにして訊いた。
「会ってからのお楽しみだな」
 ザミルは小声でそう言い返し、黙った。ラハッドと同じ様な顔立ちなのに、どうしてここまで冷たい顔になるのだろう。ラティーナは、それを憎々しげに睨んだ後、目をそらした。いつまでも見ていたいものではない。
「ザミル様」
 ふと、別の女官が彼に近寄ってきた。まわりを伺いながら現れた彼女は、そっとザミルの方に近寄ってくる。軽く巻いた黒髪の色黒の美人で、暗い夜の宮殿では少しなまめかしい印象すらある。
「お久しぶりでございます」
「ああ、お前か」
 ザミルは顔なじみらしく、すっと視線をあげただけであった。
「少しお耳に入れておきたいことがあるのですが」
「そうか。話せ」
 ラティーナは不意に気づいた。この女官、ザミルの間者だ。ザミルがいつの間にこの女官に近づいたのかは分からないが、シャルルのまわりには、すでにザミルの手が回っているということだ。
 女官はちらちらと辺りを気にしながら、小声で続けた。
「ここでは……人目があるやもしれません。他の女官がいつ戻ってくるか。雑談程度ならよいのですが、ここでもしきかれでもしたら」
「そうだな。……わかった場所を移そう」
 ザミルはすっと立ち上がり、そして、ラティーナの方に目をやった。
「もし、呼びに来たら私は少し用で席を外したが、すぐ戻るといえ」
 そして、ふっとあざ笑うような笑みを浮かべる。
「まさかとは思うが、一人で行動しても無駄だぞ。妙な了見など起こすな」
 ラティーナは無言で相手を睨んだ。行動したくても、そんなことが許される状況ではない。それがわかっているせいか、ザミルは、ラティーナをそこに置いて、女官と早足にどこかにいってしまった。
(……あなたの思うとおりに全てが進むと思わないで!)
 ラティーナはぐっと拳を握りしめた。そのままそっと立ち上がる。
 そうだ、どうせ一人ではどうにもならない。どこにシャルルの部屋があるのかも知らないし、このまま歩いても女官や近衛兵に止められるかも知れない。だが、ラティーナは、そもそも捨て身だったのだ。
(あなたが思っているほど、あたしは甘くないわ!)
 ラティーナはそう強く思い、隠し持った短剣を握った。ふらふらとわずかに歩き出す。シャルルの部屋がどこにあるのかもわからないが、何もしないでザミルの言うままになるのは嫌だった。ザミルに仕組まれたからシャルルを殺すのではない。自分は自分の意志で、ラハッドを死に追いやったあの男に鉄槌を下すのだ。それが終われば死んでも構わない。
 付近は異様なほど静まり返っていて、人気がなかった。報告は入っているはずなのに、シャルルの居室の付近は驚くほど人がいない。それがどういう理由からのものか、おそらくラティーナは知らないだろう。ラゲイラかザミルの差し金だとでも思ったかも知れない。外の警備にしか気が向いていないことも考えられただろう。
 ふと半開きの扉が目に入った。そこにそっと近づいて、そして扉の内を覗く。部屋の中に、青いタペストリーがかかっていた。そこには、王家の紋章らしいものがかたどってある。剣を象徴に据えたそれは、血塗られたこの王家にはあまりにもぴったりすぎて、ラティーナは皮肉に思った。
 と、誰か人の気配がした。中に誰かいるらしい。足音を忍ばせて、そっと内側に片足を入れる。絨毯で足音は消される。そっと中をうかがうが、人の姿はなさそうだった。ラティーナは、何となく安堵して胸をなで下ろした。と、その時。
「ああ、セイルかい? ザミルは呼んできてくれたかな?」
 ふいに声がした。ソファの方に誰かが座っている。頭には水色の布を巻き、青い上着を着ているのがここからでもわかる。どこか頼りなげな痩せた印象があるが、優しい声だった。
(まさか……)
 ラティーナは、一瞬顔の血の気が全て引いたような気がした。ふっとめまいのように、目の前がぐるりと回る。
「そろそろ呼んできてくれてもいいよ。……私が話をしよう」
 声はもう一度聞こえた。その声の語った内容で、彼女は、その男が誰であるか、はっきりと悟る。
(こいつが……シャルル=ダ・フール!)
 思わず短剣を取り落としそうになる。指先がかたかたと震えて、上手く動かない。顔色も真っ青なままで、唇はまっしろになっていた。
 それでも、彼女が足をふらりと進めたのは、それほど決意が固かったからだろう。
「カッファも彼も怒るかも知れないが、それでも、本来私も片を付けなければならない問題なんだ」
 シャルルは、振り返りもしていないのにラティーナをセイルという部下と間違えているらしく、そうぺらぺらと話している。
(こいつが……)
「だから、今回は私に任せて欲しいんだよ」
(ラハッドを……)
 ラティーナの目に、優しかったラハッドの顔が思い浮かんだ。
「決めつけはよくないし、ひとまずは話し合ってみないとならないだろう?」
(殺しさえしなければ……)
 あの時のラハッドの白い顔が、口許の赤い血が、あの時の張り裂けそうな感情が、全部いっしょくたになって押し寄せてきた。ラティーナは、そのまま足を進めた。いつの間にか指のふるえは止まっていた。手に銀色に輝く短剣をかざしながら、彼女はつかつかと進んだ。
 シャルルは後ろを向いたままだ。顔は見ないでおいたほうがいい。シャーがシャルルの影武者を勤めていたぐらいだから、きっと顔は似ているのだ。シャーを思い出せば殺せない。
「どうしたんだい? 返事をしないなんて、おしゃべりな君らしくないな、セイル」
 シャルルは、怪訝に思っているらしいがそれでも振り返ろうとしなかった。
(あたしはラハッドと幸せに生きられたのに!)
 ラティーナは短剣に渾身の力を込めた。
(全部お前が悪いんだ!)
 ラティーナは、かかげた短剣を振り下ろした。
 と、その時、不意にシャルルがこちらを振り返ったのだ。ラティーナは、びくりとした。しかし、何があっても短剣を下ろす手は止めない気だった。なのに、ラティーナは一瞬、驚いて、短剣を下ろす手を止めてしまったのだった。それは、シャルルの顔を見てしまったからである。それは――。
「あ、あなた……ど、どうして?」
 シャルルとおぼしき人物は、さすがに面食らった様子だったが、ラティーナを見て、そうか。と軽くうなずいた。
「もしかして、君がサーヴァンの姫君かな?」
 シャルルは、にっこりほほえんで、短剣をかまえたままのラティーナの方を見た。驚いて口を開いたままの彼女に、シャルルは、その短剣を見ながらおっとりと言った。
「そうか。サーヴァンの姫君。見たところ、まず、君の誤解を解かなければならないようだ」





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背景:空色地図 -sorairo no chizu-
©akihiko wataragi