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シャルル=ダ・フールの暗殺

7.レビ=ダミアス-1

老人は鋭い目でこちらを見ていた。軍人出身でがっしりしたカッファとは対称的に、ひょろりとした風貌。気品を備えた顔立ちと、そして鷹のような鋭い瞳が、幼心に昔から恐ろしかったのを覚えている。
 ハビアスは、この国の宰相であり、政治にはまるで素人だったセジェシスを導いた男である。彼はカッファと同じようにセジェシスに心酔していたが、彼はセジェシスが行方不明になった途端、この国をおさめるのをやめて引退した。セジェシスのいないこの国に魅力を感じなかったからかも知れない。もしハビアスがいたら、まさか内乱が起こることもなかっただろう。
「今、なんとおっしゃられた?」
 後ろに主君を抱えたカッファは、その言葉を反芻して、理解できないというように首を振る。
「ハ、ハビアス様……今、なんとおっしゃられたのだ?」
 長年、カッファは、ハビアスを師として仰ぎ、尊敬してきた。その彼から、まさか自分の仕えるもっとも大切な主君がそのように言われるとは信じられなかったのである。
「いくらあなた様であっても、そのような言い方は無礼でございますぞ!」
 憤慨するカッファに、ハビアスは冷たい目を向ける。
「……アルシール。……お前はなにもわかっておらんな。そこにおる若者は、私の言葉をわかっているはずだ」
「そんな……」
 言い募ろうとしたカッファを、彼の主君が手で制す。もういいから、という意味のようだった。ハビアスは、そんな彼を見ながらこういった。
「あなたは戦時の王」
 彼は口をゆがめると、死刑宣告のように彼に告げた。
「……よろしいか。あなたは、それ以外においては、何の役にも立たぬ存在。……いや、国を乱す火種となるでしょう。あなたは危険が多すぎる」
「ハビアス様!」
 カッファが叫んだが、ハビアスはそれを押し通すように言った。
「だから、今王位についていただきたい。ただ、国が落ち着き次第、あなたには退位していただきたいのです。それが私の求める全てです」
 ハビアスは断言して、それを撤回する気などなかった。目の前にいるのが自分の主君であることはよくわかっているだろうに、ハビアスという男は、歯に衣着せずにそう言ったのだ。
 幼い頃見たものと同じ宰相の目を見ながら、彼はやはり目の前の男は恐ろしいと思った。そして、同時に嘆息をついた。
(ああ、そうか――)
 彼は目を細めて、そう思った。その時、初めて彼にはわかったような気がしたのだ。
 自分が一体、本当はどういう人間であるか――ということが――



 すでに月が昇っている。夕方も過ぎて、また夜がきた。一際高い宮殿に、満月を過ぎたばかりの月がかかっている。街の中はすでに静まり返っている。石造りの建物が、廃墟のように沈黙を守ったまま並んでいるだけだった。人がいるはずなのに、そこはまるで死の町のようにも見える。
 ザファルバーンの王都郊外、ハダートの部隊の軍営地はそこにある。それが、今日、比較的街の近くまで来ているのは、もちろん理由があってのことである。慌てたカッファから招集をかけられたのは言うまでもないが、ハダートがここにいる理由はもう一つある。
 ラゲイラ側の作戦として、ラゲイラの集めた兵隊とともに、王都を攪乱する役目が彼には与えられているのだった。つまり、内乱を起こすのである。
「それにしても、寒いな、畜生。なーんで、俺が待たされにゃならんのだ。こんな作戦たてやがって! ……後で覚えてろよ、あのくそったれ王子が……!」
 陣営の深いところにいるときは、さすがのハダートも安心しているのか、よく素がでるのだった。たいまつの近くで火にあたりながらぶつぶつ言っている。
「将軍!」
「おう、なんだ?」
 呼ばれて、ハダートは振り返る。
「進言はきかんぞ。俺も色々複雑なんだ」
「そうではありません」
 兵士は、職業柄、ハダートがそういうのが慣れているのか肩をすくめ、ハダートにそっと小声でささやいた。
「ジートリュー将軍より返信です。タイミングはわかった、との事でございます」
「ふん、どれだけあのイノシシ頭で理解してるのか謎だがな」
 ははは、と小声で笑いながらハダートは返した。
「ラゲイラの私兵がやっかいなのは、あれであいつらは案外数が多いことと、そして、軍の中に時々紛れてることだな。特に最大の勢力を誇るあいつの兵隊の中には、一体何人混じってるかわからねえ。それに注意しろと斥候に返答してやれ。あと、ご苦労だってな、あとで後々それ相応の褒美は取らすと伝えてくれ」
「わかりました」
 兵士はそう答えて、引き下がる。ハダートは近くにある瓶を引き寄せてにやりとした。
「ラゲイラも焼きがまわったか、それとも坊ちゃんのおもりで精一杯なのか、俺を自由にとばせとくとは、甘いな。俺の部隊が一流の諜報組織も兼ねてるっ事は、まあそれなりに秘密だがな」
 威勢のいいことをいいながらも、実際不安はある。先ほども言ったように、ラゲイラの私兵は、ハダートと協力して内乱を起こす手はずになっている部隊だけにとどまらないのだ。彼らは見える位置にいるからまだいいが、実際は、よく傭兵として兵士の中に紛れているし、その数はさすがのハダートも把握できていない。それに、ザミルが後ろにいるということは、宮殿の兵士の中に、いざというときに寝返る連中がいると言うことだろう。はたして、彼らにどれだけの手飼いがいるかは、よくわからないのだった。なにしろ、シャルル体勢に反感をもつ連中は山ほどいるのである。
 ハダートは、白い息を吐き出しながら、瓶の蓋を開けた。
「しかし、あのザミル坊ちゃんが、バックだとはねぇ。人は見かけによらねえなあ。くわばらくわばら」
 猫をかぶっていることでは、人にはひけを取らないくせに、ハダートは他人事のように呟くと、寒さを紛らわすために周りの将校に隠れてこっそり酒を一口飲んだ。満月を少しすぎたほどの明るい月を見ながら、ハダートはふっと息をつき、誰に言うでもなくこう語りかけた。
「だーが俺は、ぎりぎりまでは見学させてもらうぜ。俺がどう頑張っても、できねえものはできねえし、城の中までは守れない。もし、あんたがどうにもできなければ、俺は本気でこの国を見限り、裏切る。……俺はそういう男なんだよ」
 瓶を部下から見られないように隠しながら、ハダートは気を紛らわすようににやりとした。懐の奥から取り出した金属の筒には、丸められた紙が挟まっていた。ペンで走りがいたものが後ろに書かれている。その、そううまくない筆跡の持ち主をハダートは知っていた。
「……後は、あんたの腕の見せ所だな」
 今日は妙に冷える夜だ。この冷える夜に、あの男はどこをほっつき歩いているのだろう。こんな緊迫した時でも、「ほっつき歩く」という形容が似合う彼を思い出すと、ハダートは思わず笑いがこみ上げそうになるのだった。



 ラティーナは、ザミルとともに馬車に乗って宮殿を目指していた。宮殿で、シャルルに寝室で謀叛が発覚したとの報告をするのは、ザミル王子である。ラティーナは、城の女官の格好をさせられていて、ザミルつきの女官ということにされていた。顔をうすいベールで隠せば、城の中にそれほど彼女の顔を知るものはいるとは思えなかった。
 とうとうここまで来てしまった。ラティーナは外を見ながら思った。
(シャーは……どうなったのかしら。)
 ザミルもラゲイラも彼がどうなったか言わなかった。しばらく、部屋に閉じこめられていたラティーナは、ラゲイラに取引を申し出されたのだった。ザミルは不服そうだったが、ラゲイラは強引にというよりは、穏やかに彼女から話を聞き出す事を押した。
 つまり、シャルル暗殺の場に、自分も連れて行ってくれるというのである。その代わりに、シャーから聞き出した道を教えてほしいというのだった。そうすれば、危害は加えないし、あなたも目的が果たせてよいのではないか、とラゲイラは言った。
 考えればそうなのだ。そもそも、自分はシャルルを暗殺するためにシャーを利用しようとまでしたのだ。目的を果たすためなら、誰が協力者であってもきっと変わらない。大体、あのシャーを巻き込まないですむなら、こちらのほうがよいのかもしれない。そうラティーナは考え直し、取引に応じた。
「でも……」
 ラティーナは、一人だけ乗せられた馬車の中で寂しげに呟いた。
「あたしは、……正しいことをしているのかしら……」
 不意に、そう不安になる。
「…………ラハッド…………。あたし、これでいいのかしら…………」
 ぽつりといいながら、ラティーナは宮殿にかかる月を見上げる。ここにはいない、あの青い服を着た青年が、答えを知っているような気がして、ラティーナは不安そうにその名を口にした。
「シャー…………」
 ――どうか、あたしのことはもういいから、きっと無事で…………
 どちらにしろ、暗殺に成功したら、自分は生きてはいられない。それに、きっとシャーに合わせる顔もない。自分は、ラゲイラとの取引に応じることで、シャーを裏切ったのだ。だから、もう助けてほしいなどとは今更になって頼めない。ただ、彼女にできるのは、彼が無事であるように祈るだけだった。
 そのラティーナの方を眺めている者がいた。彼は、妙に熱い目でそちらをみていて、今から行われる作戦のことなど頭にないようだった。
「ご執心のご様子ですな、ザミル王子」
 同じ車に乗っているラゲイラの声が聞こえた。ザミルは、ラゲイラを居丈高に見た。そこには、兄のラハッドの面影などは感じられない。
「ですが、ここまでつれてきて良かったのですか?」
「あの女をか? 安心しろ、我々を憎んでいても、あの女はまだシャルルを殺したいと願っている。そうでなければ、地下道のことも我々に話さなかったはずだ」
 ザミルは冷酷な笑みを浮かべる。
「あの女は、シャルルを討つまでは裏切らんよ」
「ですが、その後、どうなされるのですか?」
 ラゲイラは、横目でザミルを見た。ザミルは答えなかったが、ラゲイラにはわかっている。
「即位した後、妃に迎えるおつもりか」
 ザミルは、うっすらと笑った。それを見て、ラゲイラはため息をつく。
「あなたは少し強引なところがおありのようですな。……ラティーナ様は兄上様の婚約者でしょう。それを即位してすぐに結婚するなどとは逆に怪しまれますぞ」
「シャルルのせいで命を失った兄の仇をともに討ったとすれば、美談ではないか」
「ええ、普通ならそうでしょうとも」
 ラゲイラは、少し冷たく言った。
「しかし、あなたは、後ろ暗いところがおありのようですからな。……それが表にでなければよいのですが」
「ラゲイラ」
 ザミルは、彼の顔には合わぬ冷たい目を、ラゲイラに向けた。
「貴様、少し口が過ぎるぞ。無礼な」
「失礼いたしました」
 ラゲイラは、丁寧に謝罪した。
 ちょうど、宮殿が見えてきた。彼らが、危急の用として寝室に入り込むタイミングと、兵士がなだれ込むタイミングは合わさねばならない。そうすれば、外側を守るラゲイラの息のかかった近衛兵たちも行動できるはずだった。
(この王子では少し不安だ。)
 とラゲイラは思う。ザミルは、どうも自分の力に奢ってしまい、シャルルとその護衛、特に宰相のカッファを甘く見ている傾向がある。カッファは、武官上がりで割と単純な男だが、それでも前の宰相のハビアスが選んでつけた摂政同然の宰相である。
 ハビアスという男は侮れない男だった。ラゲイラと彼は政敵だったが、少なくとも勝てた試しはなかった。だが、ハビアスとは同志でもあったのだ。なぜなら、ラゲイラもセジェシスに心酔した男の一人だったからである。だから、余計にセジェシスの絶大な信用を受けるハビアスがねたましかったのかも知れない。
「それでは、地下道のものたちがうまくやることを祈りましょう」
 ラゲイラは、愛想笑いをうかべて、そう答えた。
(地下水道から上がってくるものたちがうまくやるかどうかが、成功のポイントだが……)
 ということは、ジャッキールが隊長になっているはずだ。本来、ジャッキールほどの男なら、ザミルとともに宮殿に上がってもよい。腕は確かであるし、格好さえ整えさせれば、ジャッキールは間違いなくザミルつきの近衛兵に見えるはずなのだから。
 もとより、当初から、自分は、そのつもりでジャッキールに計画の逐一を教えていたのである。そこまで持ち上げておきながら、いきなり、扱いを変えたことで、あのプライドの高い男は怒っていないだろうか。
 しかし、ジャッキールは、地下水道の担当をまかされたことについて、文句をいうどころか、むしろ自分から志願したと聞いた。
『戻らねば、死んだと思っていただきたい』
 そういうことを口にしていたジャッキールには、少し悪いと思った。あの男なら、シャー=ルギィズに負けたことで、自分への信頼が薄れたのだと思っているに違いない。面会を断ったことで、もはや自分には価値をおかれていないのだと思ったのだろう。
 ラゲイラは、何となくジャッキールを裏切っているような気がして、後ろめたい気分になった。
(しかし、不安はあるのですよ。ジャッキール様)
 ラゲイラは、ぽつりと思った。
(できれば、私は、あなたにこの王子についていてもらいたかった……)
 彼はそう思いながら顔には出さずに、王子をみた。けして、王とするには見劣りはしない。ただ、父のセジェシスと比べた時、その差は歴然としていた。セジェシスには、独特の輝きがあり、彼と一緒にいるだけで、なぜかその人に尽くさねばならない気がするのだった。
(あの方は、すばらしいお方だった。もう、あれほどの逸材は居るまい)
 生死不明の先王が生きてさえいれば、自分もこんなことをしなかっただろう。ただ、あの宰相のハビアスのやり方が気に食わなかった。シャルルにも恨みはない。セジェシスがいないのなら、誰かが後を継がなければならない。ラゲイラは、別に誰が王になろうと構わなかった。ハビアスが強引にシャルルを即位させて、さっさと引退してしまったことが気にくわないだけなのかも知れない。
 ラゲイラは静かに自嘲した。これでは、まるで彼への嫉妬のために行動しているようなものではないか。
「卿も時には恐ろしくなるのか?」
 ラゲイラの浮かぬ顔を、戦慄の表情と取ったのか、ザミルが不意に尋ねた。ラゲイラは、丁寧な愛想笑いを浮かべる。
「ええ。時には――」
 それからこうぽつりといった。
「特に、今から、我々は命をかけた勝負にでようとしているのですから。そういうときには、多少、恐れたほうがよいかもしれませぬな」
 ザミルには、ラゲイラが何を考えていたのかわからなかっただろう。それでいいとラゲイラは思う。
「では、手はず通りに。ハダート将軍と彼らが騒乱を起こしたと報告し、そして、裏口からはいった私の私兵が寝室に突撃する。……あなた様は、報告をするだけでよいのです。けして、自分からすぐ手を出してはなりません」
「……あの男に手ずからとどめを刺せないのは癪だが…………」
 ザミルは、不満そうに言った。
「だが、新王が自ら殺したとあっては、周りの目もあろう」
「ええ。ですが、どうしてもタイミングが合わないこともございます。それに、きっとラティーナ様はききません。もしかしたら、シャルルに襲いかかるかも知れません。その場合は、ラティーナ様の所業に見せかけてあなたが手を下すのです」
 ラゲイラは冷たく言った。ザミルは顔をあげる。
「ラティーナをか?」
「……ええ。彼女に手を貸したのであれば、……先ほども言われたとおり、美談でございましょうから」
 ラゲイラの言い方は、なぜか皮肉っぽくて、ザミルは癪にさわった。むっとして彼を睨んだが、ラゲイラは視線を合わせようともしなかった。
 月がさっとかげり、一時闇夜が訪れる。ラゲイラとザミル、そしてラティーナを乗せたまま、馬車は宮殿に入っていった。






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背景:空色地図 -sorairo no chizu-
©akihiko wataragi