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シャルル=ダ・フールの暗殺

6.昔話-5


 ラゲイラ卿から急に呼び出されたのは、ハダートが帰宅しようとしたときだった。今まで計画を練っていた主な幹部を招集しての会議が開かれ、その中で時間が差し迫っていることから、どうすればよいかが話し合われた。
 おそらく、シャーの逃亡が大きな原因だろう。あと、ラティーナがこちらに来たこともだ。
 決行は明日の夜。明日の夜なら、七部将の内でも、動けるのはジートリューとゼハーヴだけだ。他の自分以外の四人の将軍は、ちょうど遠隔地の視察に出張していたり、その帰途であったりと、留守をしているのである。 もともと、ラゲイラは、この時期での決行を一人で見越していたのかもしれない。彼の手配は見事すぎるし、タイミングも見事すぎた。おそらく、一人ですでに考えていたのだろう。
 ただ、ここまで急に動きをとられるとは、さすがにハダートも予想していなかった。それでは、カッファも、すぐには対処を取れないかもしれない。シャルルの寝室には、そもそも近衛兵さえ近づけていない。近づけてはならない理由があるからだ。
 だから、一気に寝室を急襲できれば、暗殺自体はうまくいく可能性が高い。それに、シャルルに反感を持っている者が、この国で一番多く固まっているのは間違いなく王宮だ。王宮というのは蛇の穴のようなものだとはいうが、シャルルにとって、一番安全でもあり、危険な場所は王宮だと言えるのだろう。セジェシスの夫人の中にも、まだこの王位継承に納得していない者がいる。落胤のシャルルが、セジェシスの血を本当に引いているかもあやしいというものすらいるぐらいである。
「……あの三白眼はどうやら無事らしい。が、王宮とは連絡をとらないだろう」
 ハダートは紙を切ったばかりのナイフの刃を撫でながら言った。鳥籠の中では、彼のかわいがっているカラスのメーヴェンが、羽にくちばしをつっこんで眠っている。
「そういう奴だ。アレは。こちらが知らせてやらなければ、明日の夜に何が起こるかもしらねえし、ラティーナは今のところ無事なのも知らないだろう」
 何か小さな紙に書き込んだハダートは、それを丸めて金属製の筒に入れ、隣にあった花びらを一枚それに差し入れた。ジャスミンの花びらだ。そうしておけば、この暗号のような文章でも、おそらく意味が通じるだろう。
「さて、お疲れのところ悪いが、朝にでもまたお前に使いに出てもらおうか、メーヴェン」
 そう呼びかけて、彼はメーヴェンの鳥かごにそっと布をかけてやった。
「全く、俺って奴はどうしてこう親切なんだろうな。……あの馬鹿の為になんでこんな尽力しなきゃならねえんだ」
 ハダートは、深くため息をついた。
「俺なんか、すっかりあいつにいいようにされちまって……。こんな筈じゃあなかったんだがな」
 そういいながら、ハダートはわずかに苦笑いした。
「全く、青兜とはよく言ったもんだな」
 あの青年は、セジェシスに似ている。と、ハダートは思う。建国者のセジェシスも、ああして人を魅了する男だった。この国は、彼のカリスマでもっていたようなことがある。素行としては、少々王には向いていなかったが、ともかく彼がいなければ、この国自体の存在はなかっただろう。
「本人に言ったら、いくら温厚なあれでも怒るだろうけどな」
 ふっと言ったとき、ハダートは身をわずかに起こした。そして、すっと部屋の後ろに切れ長の目を送る。
「……ジャッキールさんだな?」
 相手は黙っている。
「いきなり忍び込むとは無作法な。……といえ、無作法はお互いか」
 黒服の男は、静かな殺気をたたえながらたたずんでいたが、見慣れた姿とは違った。髪の毛を短く刈り込んだ姿は、ハダートも初めてみる。陰気さは少し減ったかもしれないが、その分冷たく輝く瞳があらわになっていた。顔立ちがはっきりしたことで、結果的にどこかしらストイックな印象になったような気もした。
「なんだ、あんた、責任を取って髪の毛切ったのか」
 ジャッキールは、その言葉に返答しない。
「俺がここに来たのは、貴様に聞きたいことがあったからだ。あの娘を逃がしたのは、貴様だな」
 いきなり切り出した彼に、ハダートは肩をすくめる。
「……さぁ、どうしてわかった?」
 ハダートは薄笑いを浮かべながら訊いた。口調は丁寧とはほど遠く、すでに普段の彼のものに戻っている。ハダートはジャッキールに対して、ごまかすつもりはないらしかった。
「勘だとでも言っておこうか」
 ちらと、ジャッキールの腰の剣が目に入る。
「俺をお斬りになるつもりかい?」
 ハダートは、口だけは笑みながらいった。
「それとも、ラゲイラに言うか?」
「証拠もなにもない。ましてや、貴様は口を割らんだろう。……それに、今はラゲイラ卿は俺の言葉をきかんかもしれん。貴様を斬りたいのはやまやまだが、……今夜は、俺はこれ以上殺生をしたい気分でもない」
 ジャッキールは意味ありげに笑った。
「俺もこういう気分のときは、無用の流血は避けたいのだ」
「それはありがたいね。……じゃあ、なんだい」
 ハダートは、相手を探るような目をしながら抑えた声で言った。ジャッキールは薄ら笑いを浮かべた。
「俺は皮肉をいいにきただけだ、ハダート=サダーシュ」
 ジャッキールは冷たく言う。
「貴様が、想像以上に、芝居がうまいもので、感心してな」
「あんたがうまいとおもったのなら、俺も一流役者だな」
 ハダートはそんなことを言いながら、一人で机においてあった酒をあおった。ふっと息を吐きながら、ジャッキールを眺める。
 印象も結構違う様子だが、それ以前に、今のジャッキールはやはり、少し雰囲気が違う。どことなく沈んでいるのだ。
 その原因について、ハダートは思い当たることがあり、思わずにやりとした。
「それにしても、昨日に比べて、やけに大人しいな。あれに負けたのが悔しいのかい?」
 ぴく、とジャッキールは、神経質そうに眉をひそめた。それを見て、ハダートはゆったりと笑った。
「剣で負けたなら、まだあんたには救いがあるが、もしそうじゃないなら大変だぜ。あれは、人の心をつかむことにかけちゃ、天才的だからな。そうだな、人の心に土足で上がりこんで、そのまま茶でも飲まれてる気分になる」
「なんだそれは」
「実際、そういう気分はしなかったか? しなかったらいいんだが……」
 ハダートは、頭の後ろで手を組んだ。黙っているジャッキールは、闇にまぎれるようにそこにいる。
「あの三白眼に負けるっていうのは、剣で負けるんじゃあない。俺は面白いことしかしない主義だが、そうだな、アレを面白いと思った時点で、俺はすでに負け犬になった」
「馬鹿馬鹿しい……」
 ジャッキールがきびすを返すのがわかった。
「気をつけな」
 と、ハダートは面白そうに言った。
「迷った時点で、半分負けたも同然だ。……せいぜい、アレを逃がさないように気を張ることだね」
「貴様に言われるまでもないわ!」
 きっとジャッキールの冷たい目が、ハダートに向けられた。だが、ハダートは目をそらしもしなかった。
 そのまま、ジャッキールは黒いマントを揺らしながら歩き出す。やがて闇にまぎれて見えなくなった彼を見て、ハダートは面白そうに呟いた。
「……それが負けだって言うのさ」





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©akihiko wataragi