シャルル=ダ・フールの暗殺
6.昔話-4
「シャー!」
ラティーナは思わず叫んだが、すぐに周りからザミルの護衛らしき者達が数人現れ、ラティーナを押さえつけ、後ろに控えていた馬車へと引きずっていく。
「手荒なことはするな! ラティーナを離せ!」
シャーの声が、闇に響いた。
「……アズラーッド・カルバーンだな?」
ザミルが訊いたが、シャーは答えなかった。
「あのままシャルルから離れていればよかったものを! そんなにあの無能な兄がいいのか?」
「オレは、その子を離せといったんだ!」
シャーの声は低く、一体誰の声なのかよくわからないまでになっている。
「シャー! もういいから!」
ラティーナは思わず叫ぶ。
「こっちにはラゲイラの私兵でいっぱいよ! 早くにげて!」
そう言った途端、ラティーナの声がとぎれた。馬車の中に無理矢理押し込まれていく。シャーは慌てて走ったが、ザミルのところに行くまでに、すでに四散していたラゲイラの兵隊達がわっと数を頼りに飛びかかってきた。正確には何人いるかわからないが、少なからず十人はいるはずだ。
「その男は生かしても殺しても構わないが…………」
ザミルが馬車に入りながら言った。
「生かすつもりなら、動けないまで打ちのめしてから連れてこい。そうでなければ、手におえんからな……」
「畜生! てめえ!」
シャーは、唸ったが、飛びかかってくる連中を刀を抜いて払いのけるので精一杯である。あちらこちらから、一斉に刃物が身に迫ってくると、さすがの彼でも無事ではすまない。奇襲をかけられた形になったシャーは、仕方なくその一角を破るため近くにいた男に体当たりをくれて、そのまま走り出した。そんな彼を追って、または、彼の先に回り、ラゲイラの刺客達は、刃をむく。
「鬱陶しい!」
刀を振り回すと、がきいん、と音がし、敵の刀が折れて飛んだのがわかった。崩した一角を狙い、またしてもシャーは逃げて走った。
ラティーナの顔が、馬車から一瞬こちらをみた。
「シャー……!」
「ラ、ラティーナちゃん!」
シャーは、それにどうにか追いつこうとしているようだが、もうすでに距離は離れすぎている。シャーは、仕方がなく大声で叫んだ。
「ラティーナちゃん! 絶対助けるから! だから、オレ……!」
言いかけたシャーの横から剣がざっと飛び出てくる。シャーはさっと飛びずさってそれをよけ、反射的にそれを反対側に返した。それを剣で正面から受けてしまった男は、そのまま倒された。
「畜生が!」
さすがの彼もかなりいらだっているらしく、鬱陶しそうに縋り付いてくるような追っ手達を見る。軽く肩で息をしつつ、その息を整えながら、シャーは刀を握り直した。
「お前らの相手してる暇なんかねえんだよ……! 通してもらうぜ!」
そういうと、彼はたん、と地面を蹴る。飛びかかってくるのかと思った男達は、身構えたが、直前になってシャーの姿がふっと消えた。シャーは、建物の影に走り込み、馬組を隠して相手を巻くつもりだったのである。
「言ったろ! 相手してる場合じゃねえんだよ! 早くラティーナを助けないと……!」
シャーは、奥歯をぎりと噛みしめた。
(早く助けないと……もし、あの子がこれ以上辛い思いをして、オレが何もできなかったら……)
それは、あの時とまるで同じことをしてしまう。それだけは駄目だ。
と、何を思ったのか、はっとシャーは顔を上げた。
「おおっと!」
シャーは慌ててたたら足を踏んだ。というのは、目の端で銀の光が流れたのが見えたからである。間一髪、刃物の襲撃をかわし、シャーは壁伝いに逃げて体勢をととのえた。
「なんだい、あんたかい?」
シャーは月の光に見える相手の顔を見て言った。そこに立っているのは、大柄のベガードである。すでに大剣を引き抜いて、殺気をみなぎらせていた。
「今度こそ、お前をぶっ殺してやる!」
「へぇ〜助けてやったばっかりの命をすぐに捨てるとは、助けがいがねえなあ」
シャーは、にんまりと笑った。
「そんなに要らないっていうなら、買い取ってやってもいいんだぜ」
「な、何だと!」
ベガードはすでに頭に血を上らせているが、シャーは冷たい目で相手を見ながら、嘲るようにいった。
「しっかも、この真夜中に、まさか、周りを起こしまわりながら歩いたんじゃねえだろうな、すげー近所迷惑だぜ」
ベガードの太い眉毛が怒りに震えた。
「うるせえ!」
そのまま剣を薙いできた。シャーは、壁を背にそのまま横っ飛びに飛んでよけ、その間に刀を抜いて、剣を撥ねた。ぱちいんという音が夜の街に響き渡る。
「オレは急いでるんだ。勝負は急がせてもらうぜ!」
シャーは言うと、そのまま剣を引いて構えた。
「……今度は油断しねえ!」
ベガードは、寝不足もあいまって充血した目を、更に殺気に血走らせる。シャーは、それを冷めた笑みを浮かべて迎える。その笑みに更に腸を煮えくり返らされたのか、ベガードは燃え上がるような憎悪を滲ませて飛び掛ってきた。
「死にやがれ!」
おもいっきり振りかぶった刀を打ち下ろす。その勢いからシャーは、避けきれないと判断し、刀で受け止めた。じいんという痺れが、手に伝わり、シャーは思わず押されて壁にぶつかった。
(チッ! 馬鹿力が!)
心の中で毒づいて、シャーは手を振ってから刀を握りなおす。壁にシャーの背をつけたことで、ベガードはシャーを追い詰めたような形になっていた。思わず勝利の笑みが、口に浮かび上がっている。
「ふらついてるぜ! どうした! 疲れてるんじゃねえのかあ!」
シャーは、彼らしくもない暗い笑みを浮かべる。
「……寝起きは機嫌が悪いのさ」
ベガードは、くっくっと笑った。シャーはそこから観念したように動かない。疲れ果てているのだと、ベガードは思った。
「いいジョークだぜ! 完全に目がさめねえうちに、今度は永遠に寝かしつけといてやる!」
ベガードはそのまま剣を振り上げて、真っ向からおろそうとした。が、その一瞬をつき、シャーは、逆にベガードの懐にすでに入り込んでいた。すでに狙いすましたハンターのような目に輝きがともっていた。シャーは、わずかに笑みながらこう叫んだ。
「寝かしつけられるのはあんたらしいぜ!」
シャーの声が、ベガードに届いたどうかはわからない。その直後には、シャーは刀の柄頭で思いっきりベガードの腹部を突いていたからだ。シャーが駆け抜けたあと、鈍いうめきが聞こえ、ベガードの刀が落ちたのが分かった。そのまま、彼の巨体は地面にだらしなく伸びた。シャーは、地面に伸びたベガードを忌々しげに見やった。
「今度は助けようとは思わなかったが……」
シャーは、軽く息を整えながら刀をおさめた。
「……止めを刺すと時間がかかるからな。ありがたくおもえよ」
シャーは、人が来るのを嫌い、そのまま小走りにその場を離れた。ラティーナの連れ去られた馬車はもうどこにも見あたらない。行き先はおそらくラゲイラの屋敷だと思われたが、今から助けに入るのは自殺行為だった。もう奇襲作戦はきかないし、相手の守りも堅いだろう。
――それに何より、背後にあの王子がいるとするのなら……
「くそっ!」
彼にとっては庭同然のカタスレニアの複雑な道は、追っ手をうまく惑わせてくれた。シャーは路地裏の一角に身を投げ出して、仰向けのまま荒い息をついた。疲れている上に、寝起きの身体で大立ち回りするのは、さすがの彼にも辛かった。顔に手を当て、その指の隙間から、シャーは狭い路地裏の屋根の間の狭い星空を見た。
「何で、オレはあの時、あの子を一人だけで外に行かせたんだ! 危険だって事はわかってたはずじゃねえか!」
シャーは、軽く息をつきながら、険しい表情でそう言った。夜気は冷たく、暴れて火照っていたシャーの身体を冷やした。その寒さは、何か身にしみるようなものだ。
彼は起きあがると息をついた。
やはり、どう考えても、いまから彼女が連れていかれただろうラゲイラ邸攻め入るのは自殺行為だ。どれだけ焦っても、自分が助けに行くことで、ラティーナを巻き添えにする可能性すらある。
さてどうする?
シャーは、自問自答した。
「それまで危険かもしれないが、……行動の時に反撃するしか方法はねえか……」
シャーはうめいた。
「……畜生! てめえの好き勝手にゃさせねえからな!」
夜の空気に、息が白くなっていた。シャーは、狭い星空を見ながら立ち上がる。
思えば気の重い仕事だった。だが、こうなった以上、いい加減、自分も決着をつけなくてはならないだろう。そして、多分、今がその時だ。
かしゃりと音が鳴る。シャーは、腰の刀の柄をいつの間にか押さえていた。