シャルル=ダ・フールの暗殺
6.昔話-3
すでに夜半をすぎた頃……。
ラティーナは、主人のいない部屋で毛布をかぶっていた。
シャーは、話が終わると、毛布を一枚だけもってそのままドアにたった。どこにいくのか、とラティーナが尋ねると、シャーは少しだけ笑って、
「やだなあ、オレがそんなに無作法な男にみえます〜? 嫁入り前の女の子と一緒の部屋にいるわけにはいかないでしょうが」
などと、彼らしくもない紳士的なことをいって外に行ってしまった。ああいう軽率そうな彼の口から、そういう言葉がすらりと出るとは思わなかったので、ラティーナは意外に思う。
それにしても、今日も色々あったとラティーナは思う。ここのところ、特にシャーに会ってから、状況の変化はめまぐるしすぎて、彼女自身も追い切ることはできなさそうだ。ラティーナは、何度も寝返りを打った末に起きあがった。疲れているが、眠るには今日は事件がありすぎた。不安になり、ラティーナは毛布を肩からかけたまま狭い部屋の扉をそうっと開けた。
こてん、と音がして、もたれかかっていたシャーが、肩から床にずり落ちる。それでも目を覚まさないところを見ると、彼も相当疲れていたのかもしれない。
部屋の入り口で、シャーは毛布を一枚被って寝ていた。その平和そうな寝顔を見ると、先ほど彼が語った内容も、彼の凄まじい剣も、まるで嘘のようだった。飲んだくれで、陽気で明るい、酒場のシャーそのもののようだった。
だが、その手にはしっかりと刀がつかまれている。いつでも抜き打ちにできるよう、刃の部分を外向けにしているのも、柄に手がかかっているのも、全て敵を警戒してのことなのだろう。それを見ると、ラティーナは不意に現実を思い出した。彼がこんな平和な顔をしていても、明日の夜にはどうなっているかわからない。国王に逆らうという事がどういうことかは、わかっているつもりだ。
ラティーナは少しため息をついた。
「シャルルの寝室への入り口を教えてあげるよ」
と、寝る前にシャーは言った。
「ラゲイラ卿よりも先に手を打たないと、殺されてしまうかもしれないだろ。あいつらは、オレのことで、ばれたと思ってるから急に行動をおこす。あいつらに勝つには、明日行動するしかない」
ラティーナは頷いた。
「じゃあ、どこへ行けばいいの」
「……カタスレニア地区の……、とある古井戸があるんだよ。廃屋になったぼろっちい家の近くにね。その、井戸の中は、とっくに枯れてるんだが、横道があって地下水路に繋がっている。そこをずっと通っていくと、まっすぐにシャルルの寝室にでられるはずさ」
シャーは、強く頷いた。
「オレは何度も通ったんだ。……大丈夫」
それから、少し寂しそうな顔をしながら彼はいった。
「大丈夫だよ。……オレがラハッド王子の仇を取らせてあげるよ。シャルルを……ね」
ラティーナは、ありがとうといったが、何となく複雑な気分になった。
シャーは本当にシャルルが嫌いなのだろうか。あのときの口調は芝居などではなかったけれども、ずっと仕えてきた相手を裏切るのに心苦しいと思わないことはないだろう。ましてや、シャーは優しい所があるし、そう簡単には割り切れていないのではないだろうか。今、平和そうに眠っているこのシャーの顔が、どこか複雑そうに見えることがある。
ラティーナは、シャーを起こさないようにそっと彼をよけて通った。
「どこいくの?」
寝ぼけたようなシャーの声が追ってきた。後ろを見るが、シャーは目を開けてはいない。寝言かと思ったが、そうでもないらしい。気配でわかったのだろう。
「眠れないから、……ちょっと風にあたりにね」
ラティーナが答えると、シャーは薄目を開けた。
「危険だから、遠くに行っちゃダメだよ」
「いかないわよ。あんた疲れてるんでしょ? 休んでて」
「うん、そうするー」
答えるや否や、シャーは軽い寝息を立てて、目を閉じて眠り始める。どこまで本気なのかわからない。
ラティーナは少しため息をついて、そのまま外に出た。
月の綺麗な晩である。ラティーナは、外に出て月を見上げた。いい風が吹いている。まさか、今夜、この都市の一角で、あのような騒ぎがあったとは思えないほど、深夜の街は静まり返っていた。
(ラハッド……)
ラティーナは、ため息をつく。
(あたし、本当はシャーをこの作戦に参加させたくない…………)
それは、おそらく、シャーがあまりにも寂しそうな顔をするからである。それに、シャーを巻き添えにして殺すのは、忍びなかった。捕まればきっと二人一緒に殺されると思うし、助かっても、元主君のシャルルを裏切ったシャーにはけして未来など開けない。覚悟をしていた自分はいいが、シャーのこととなると何となく心が痛んだ。
(でも……どうすればいいのかしら……)
ため息を再び深くつく。ラハッドの復讐ばかり考えて毎日を過ごしてきたのに、どうして今ごろためらってしまうのだろう。
ざり、と音がした。シャーが後を追ってきたのかもしれないと、ラティーナはそちらを向いて、そして身を引いた。
「ザミル王子」
少し警戒して、ラティーナはその人物を見た。
「どうしてここに!」
「ラゲイラ卿の追ってが、このあたりであなた方に巻かれたというので、このあたりを探していたのです。こんなところにいらっしゃったんですか?」
ザミルは、ふっと微笑み、しかし、ラティーナの警戒に気づいてか、申し訳なさそうな顔をした。
「私も、ラゲイラ卿に穏やかにといったのですが、……その人物がまさか兄上の影武者を務めた人物だとは思いもよりませんでした。それで、あなたに一言、謝りたくて……」
ラティーナは黙って立っている。
「まさか、あなたまで騙してしまうことになるなんて……」
「あなたのお気持ちはうれしいですが……」
ラティーナは顔を横にそむけた。
「やはり、あたしは、ラゲイラ卿のやり方にはついていけません。……一人でやります」
「一人で? そんな無茶ですよ!」
ザミルは、慌てていった。
「あなたのことは、私がラゲイラ卿に言っておきます。ですから、もう少し……」
「いえ。もう決めたんです。今のあたしには、協力者もいますから。どうか、ザミル王子、あたしに全部任せて……。あなたは、どうか、あまり関わらないでください。これがばれたら、あなたまで罪に問われます」
ラティーナはいい、ふっとザミル王子のほうを向いた。
「そうですか。それなら、もう、私が止めることもありません」
ザミルは寂しそうに言い、それからはっと顔をあげた。
「もちろん、このこともラゲイラ卿には言いません。ただ、私は義姉上のことが心配でここまでやってきた次第なのですから。……どうか、無理をなさらないでください」
慈愛にあふれたようなザミルの綺麗な目が、夜目にもはっきりと見えた。ラティーナは、短く感謝の言葉を述べた。
「……でも、どうやって成功させるのですか?」
「シャルルへの近道、やはり彼は知っていたんです」
ラティーナは短く言った。
「あなたのいったことは、確かに本当だったようで……」
ラティーナは、少しだけ微笑んだ。
「でも、結果的にはよかったのかもしれません。あのままでは、シャーはあたしに秘密を話してくれなかったでしょうから」
ザミルはそれを黙って訊いていた。ふいに月がかげり、彼の姿も少し暗くなる。
「ザミル王子、だから、すべてあたしに任せてください。あなたも、どうかラゲイラ卿から離れて、静かに今はしのんで……」
そういいかけたとき、不意にザミルの口元が歪んだのが、暗闇にも見えた。ラティーナが、怪訝そうに眉をひそめた瞬間、その唇はこういったのだった。
「そういうわけにはいきませんよ」
いきなり、ザミルはラティーナの手をつかんだ。それがあまりにも強い力なので、慌ててラティーナは引き剥がそうとする。
「な、何をなさるんですか!」
「……そうか、地下道の場所を聞き出したのか」
急にザミルの口調が変わった。ラハッドに似た顔に、彼とは違う邪悪な色が浮かんだ。
「シ、シャ……!」
ラティーナは驚き、声をあげようとするが喉に短剣を突きつけられる。冷たい感触が、鋭くラティーナに迫った。
「……声をたててあの男を呼ぶ気か?」
ザミルは、口をゆがめて笑った。
「近くにいるのか?」
「い、いやしないわ! 別の場所にいるの!」
震える声で言いながら、ラティーナは少し睨むようにザミルを見た。時間をかせいでごまかさなければ、今度はシャーも殺される。
「今まで、嘘をついていたのね!」
ザミルは無表情に見えた。月が隠れたのか、暗い闇が広がる。
「ラゲイラが首謀者だと思っていたわ。……でも違うのね。あなたが本当の黒幕……」
「黒幕? 嫌な言い方だな、義姉上」
冷たくザミルは言った。
「それが、婚約者の弟に言う台詞か?」
ぎり、とつかまれた手が軋んだ。痛みにラティーナは顔をしかめる。
「ラゲイラは、前の宰相のハビアスと仲が悪かった。だから、奴が立てたシャルルが気に食わないんだろう。ラゲイラは、王に立てられれば誰でも良かった。それに私が乗っただけだ」
それに、といい、ザミルはラティーナを舐めるように見た。ラティーナは、びくりと身を震わせる。
「兄上にはもったいないな」
ザミルの目は、蛇のようだった。絡みつくように、じっとりとしている。
「……兄上の代わりに、私の相手をする気はないか?」
「な、何を!」
ラティーナは手を振り払おうとしたが、細い体に似合わず、ザミルの力は強い。
「そもそも、前々から思っていたのだがな、ラティーナ。……兄にくれてやるには、少し惜しい」
そういって、ザミルはラティーナを引き寄せようとした。と、ふとザミルはラティーナを突き飛ばして、さっと横によけた。何か銀色に輝くものが、壁に当たってはじけたのが見える。月の光を嫌うように、闇の内に誰かが立っている。顔は見えないが、それが誰であるか、ラティーナにはすぐにわかった。