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シャルル=ダ・フールの暗殺

6.昔話-1

 赤い血が止まらない。
 カッファは自分でも驚くほど動転していた。
 医者が来るまで、自分でも傷口を押さえてやりながら、カッファは目の前の青年を見た。痩せているが血色はよかった青年の顔色は、すでに血の気を失い、土気色に近い。
 青い羽根飾りのついた兜をはずし、青いマントを血で染めた青年の大きな筈の目は、今は半分瞼が下がっていて、そのまま眠ってしまいそうで恐かった。
 ここで気を失ったら、おそらくこの青年は二度と目を覚まさない。
「な、……なあ、……カッファ…………」
 ぜえぜえと苦しそうに息をしながら彼は言う。
「ごめんよ、オレ、こんな筈じゃなかったのにさあ…………。よそ見してて撃ちおとされるなんて、オレって最後まで馬鹿だよなあ」
「そ、そんなことは! いいから、今は、助かることだけを考えなさい!」
「な、カッファ……。……こんな事言うと、迷惑だとは思うんだけど、……一言だけ……言わせてくれる?」
青年は少しだけ咳き込んだ。唇の端に赤い飛沫が飛ぶ。そして、彼はうっすらと微笑むと、目を閉じながらぽつりといった。うっすらとどこか寂しげに笑った口許が、ゆっくりと開かれた。
「オレ、あんたのこと、一度でいいから父上って呼びたかったなあ」



 ふと、カッファ=アルシールは目を覚ました。周りには、書きかけの命令書が散らばっている。ここのところ、執務室で寝泊まりしていたが、今日は仕事中にそのまま眠ってしまったのかもしれない。もとは兵士だった彼は、寝られればどこでも眠れる男だった。実際、立ってでも朝まで眠ることもできるのだが、そんな彼でも先ほどの夢を見た後では、すぐに眠る気にはなれなかった。
 カッファはため息をつくと、上着を羽織って執務室の外に出た。宮殿のバルコニーの方に出ながら、夜の街を見る。暗い街には、いくらか灯りがついているが、それも目立つほどでもない。
「カッファ、眠れないのかい?」
 不意に声がして、カッファ=アルシールは慌てて後ろを見た。そこには、頭からローブをかぶった青年が立っている。カッファはその人物に慌てて礼をすると、居住まいを正した。
「あ、これは……失礼しました。起こしてしまいましたか?」
「いや、私は昼も寝ていたので、夜眠れなくなっているんだ。気にしないでくれ」
「しかし、夜風はお体にさわりまするぞ」
 シャルルは、にっこりと微笑んだ。
「今日は加減がいいんだ。大丈夫だよ」
 そして、シャルルは、カッファ=アルシールを気遣うような素振りを見せる。
「彼のことか?」
「え、ええ。ちょっと、昔の夢を見て、……あの戦いの時のことを思い出しました」
 カッファは、深く冷たい夜気にため息をはき出した。
「思えば、いやがる幼子を無理矢理戦場に引っ張っていったのは私です。ずいぶん酷いことをしました。……今思い出しても後悔します」
「そうか……」
 シャルルも感慨深げにため息をつく。その寂しげな瞳に、カッファはふと彼のため息の理由を思い出す。
「い、いやっ! 私は、あなたを責めているわけではないのです」
「ああ、それは十分にわかっているよ。……私はその時は戦える身ではなかったし……、それで彼に迷惑をかけたこともわかっているよ」
 シャルルはうっすらと微笑んだ。
「彼には感謝しているよ。……私は、彼のおかげで生きていられるんだから……。彼が望めば、私は彼と入れ替わってもよかったのだが…………」
「……そうですか」
「彼は自由な男だからな……。あれには、風のように自由に生きていてほしい」
 シャルルは、バルコニーの手すりに手を置くと、高い宮殿から見える街の方を見た。あの向こうには、さらに延々と続く砂丘が広がっている。彼らの言う「あの人」は、この広い世界のどこかにいる筈だった。カッファが、ふと不安そうに言った。
「今、どの空の下にいるんでしょうな……。ここのところ、全く姿を見せませんので、柄にもなく心配になってきたのです」
「……案外、彼のことだから近くにいるかもしれないが」
 シャルルはあごに手を当て、眉をひそめた。
「やっかいなことに巻き込まれていなければよいのだが……心配だ」
「ええ」
心配そうなカッファに、シャルルはほほえみかけた。
「でもおそらく大丈夫だ。カッファ。……彼は、我々が考えているよりも、おそらく強い男なのだろうから」
「そうですね」
 カッファは、シャルルに微笑み返し、ため息をつきながら寒い夜空を見上げた。
 今、あの男は、一体どこで何をしているのか。ラゲイラの怪しい動きがある今、なるべく彼には大人しくしてもらいたいのだが。
 そう思いながらも、どこかで彼に助けてもらいたいと彼を頼りにしている自分も発見してしまい、カッファは苦笑いを浮かべた。



 シャーの家というのは、カタスレニア地区の隣のルオという区画にある。おそらく借家なのだろうが、果たして家賃をどうしているかは見当もつかない。家主に泣きついて入れてもらったのかもしれない。
 そして、それを疑えないぐらい、その建物は古くてぼろぼろだった。建物は二階建てで、何部屋かあったが、住んでいるのはシャーと、下の階に住んでいる子供づれぐらいなものである。宿屋みたいな建て方で、シャーの部屋は二階にある。
 中は思ったより荒れていなかったが、シャーが几帳面だというよりは、単にものが少ないからだろう。そのがらんとした空間に、いくつかの家具と寝台をおいている。あまり上等ではない敷物の上を払って、ラティーナを座らせ、シャーはどこで調達してきたのかわからない食べ物をラティーナにすすめた。
「これは、その辺の酒場帰りの知り合いに頼んでもらってきたんだ」
 というよりは、おそらくアティクあたりの舎弟をたたき起こして、その食べ物を強奪して来たに違いない。迷惑だったろうな、とは思うが、いつものことなのだろうなとも思う。
「ありがとう」
 一応礼をいって、パンをちぎって食べながら、ラティーナはじっとシャーを見た。ランプの光に照らされて、シャーの目はひときわくっきり見えた。
「どうしたの?」
 大きな目をぱちりとしばたき、シャーは訊いた。
「ねえ、……よければだけど、あんたのことを話してくれない?」
 ラティーナは、口にパンを運ぶのをやめてそうきく。
「ラティーナちゃん、てえことはオレに興味あるの?」
 シャーは、わざとらしいほどうれしそうな顔をする。そういう顔を見ていると、少し腹が立つので、ラティーナは、シャーにそのあたりにあった綿のほとんど入っていないクッションを投げつけた。大げさに、「いたあ」と言った後、シャーは不意に寝転びながらいった。
「じゃあ、オレのことちょっと話してみようかなあ」
 何となくわざとらしい明るさで、シャーは弾むように語りだした。
「オレの出身だけどね、オレはここよりも東で小さい頃に過ごしてたんだ。両親の顔は一人は知らないけど、もう一人は知ってる。知ってるけど、数えるほどしか会ってくれなかったよ。……忙しかったんだろうけどね」
 シャーは少しだけため息をついた。
「あいつは、本当に嫌な奴だった。嫌いなのに、あいつに会うと憎めなくなってしまうからさ」
 彼の目に、複雑な色が混じり始める。懐かしさと怒りと憎しみと、そして、何か寂しさを交えながら、彼は呟いた。
「ホント、悪い奴じゃなかったんだよ。文句言ってやろうと思って会ってみると、なんだか、相手を責める気持ちになれなくなる。いい奴だよなあ……って思わず思ってしまう。そいつに褒められると、嫌だったはずなのにうれしくなる。そういう人だった。……だから、オレは却って大嫌いだった。……同族嫌悪だって、他の連中は言ったけどね」
 シャーがでたらめをいっているのかと思ったが、覗き込んだ彼の目は少しだけ寂しそうな色を見せていた。
「あの……シャー……」
「あ、ごめんごめん。別に不幸な話じゃないさ。よくある話だよね。一応、オレ、捨てられた訳じゃないんだし」
 シャーは、無言で何となく気まずそうな顔をしているラティーナを、慌てて逆に慰めるようにいった。それから取り繕うように明るい顔をした。
「あ、それじゃ、オレのルーツについて話しようか。オレ、この辺の人間ぽくないでしょ? 剣とか戦い方とか、顔とか」
「そ、そうね……」
 ラティーナも、慌てて彼にあわせる。
「オレのおふくろさんはね、東の果てからやってきた旅人だったらしいって、同郷だったらしいオレの剣のお師匠様が言ってたよ。オレの剣はね、その人からもらったんだ。師匠は厳しい人だったけど、割とオレには優しかった。そこの国のこともちょっと話してくれたけど、正直オレにはよくわかんなかった。どこかわかんないけど、世界の果てみたいなところだろうかなあ。でも、もし、そこに行けば、オレのルーツがわかるっていうなら、行きたいような気がするんだ。どう思う?」
 ラティーナはわからない、と首を振る。シャーはにっこりわらい、そうだよねえ、と答えた。
「色々あったけど、オレは別に辛いなんて思ってないよ。だって、オレには育ての親もいるんだから」
 シャーはにっと微笑んだが、すぐに不平そうな顔をする。
「ま、でも、その人はねえ、とんだ強情っぱりで…………おまけにあの人、とんでもなくデリカシーの無い親父でさあ。はっきりいってメーワクなんだよねえ、お節介だし。オレの気持ちをはかり損ねてる感じだし…………」
 それから、シャーは少しだけ照れ隠しに笑った。
「……でも、もしかしたら、そいつのことは、尊敬してるのかも……って思うときがあるよ。あと、奥さんは、いい人だし。オレは、恵まれてるなって思うんだ。迷惑ばっかりかけてるけどなあ」
 へへへ、と、少しだけ自嘲気味にシャーは笑った。
「ごめんね、ラティーナちゃん。オレの身の上話なんてつまんないでしょ?」
 ラティーナは静かに首を振り、そっと彼に尋ねた。
「あなたを育ててくれた人は、もしかしてシャルルの……」
「というより、セジェシスの忠実な部下だったんだ。セジェシスのためなら、それこそ火の中も怖くないような男だったからね」
 シャーはごろんと床に横になった。
「そうだよ、『偉大なる王』セジェシスの部下」
 妙にアクセントをつけながら、笑みもせずに呟く。
「それで、あなた……シャルルの影武者みたいなことを?」
 シャーは、それには直接答えず、少し寂しげに笑った。いつもは、おどけているシャーのそういう表情を見て、ラティーナは先ほどあれほど彼を責めた自分を後悔する。
「あの人は、多分セジェシスの役に立ちたくてオレを育てたんだろうな。……あ、でも、間違わないでよ。オレはあの人を憎んでるわけでも恨んでるわけでもないから。あの人がセジェシスを敬うのは当然だし、仕方ないことだから。そんなこと恨んだって仕方ないじゃないか。それに、オレはあの人の役に立ちたかっただけなんだ」
 ラティーナは、じっとシャーを見ている。少し目を閉じて、彼は答えた。
「多分、褒められたかったんじゃないかなあ。あの人に」
 にっと笑ったが、その口元に漂うのは、普段の彼には似合わぬ孤独で哀しい空気だった。
「今となっちゃ、昔の話だけどね」
 ふうとため息をつく。シャーは少しだけ無言になり、ぼんやりと天井を眺めていた。
「でも、今は……怒ってるだろうなあ。オレがこんな遊び人になってること」
 少しだけ辛そうにいいながら、シャーは口の端で笑い、天井から目を床におとした。
「……ねえ、……少し訊いてもいい?」
「いいよ」
 ラティーナが戸惑いながら声をかけてきたので、シャーは少し起き上がる。そうすると、彼はもう軽薄な彼に戻っていた。
「あなた、……ラハッド王子を知ってる?」
 少し沈黙し、シャーは目を伏せながら答えた。
「……知ってるよ」
「……あのとき、あたしにも会ったんじゃない? 広場で」
「ああ、あの時は遠征が入ってて、その出発でね……オレなんか見送る人なんかいやしなかったから……ちょっと寂しくて、それで身分違いだとはわかってたんだけど、あんなこと……。後で思い出したよ。ごめんね、ラティーナちゃん」
 シャーは、思い出して少し頭を下げた。
「無礼な奴だと思ったでしょ?」
「べ、別にそんなんじゃ……」
 図星を指され、ラティーナは少し慌てた。
「で、でも、なんだかあなた変なこと言ったわよね。ジャスミンの花を……って」
「ああ、それは」
 言ってシャーは手をたたいた。
「あの時の遠征は辛かったんだ。だからさ、オレも自信が無かったんだよな。生きて帰ってくる」
 シャーは答え、それから遠い目をする。
「それで、少し感傷的になったっていうか、なんと言うか」
「でも、あんたは生きて帰ってきたのね」
 ラティーナは少しほっとするような気持ちで言った。あの時の青い兜の青年の後姿の哀しげな様子は、今思い返しても切なくなるものがあった。だが、シャーは静かに首を振った。
「無事にってわけじゃなかったんだけどね」
「え?」
 シャーは、かすかに笑っていった。
「オレはあんとき半分死んでたんだよ、ラティーナちゃん。矢傷を受けて落馬して……あとは記憶がぜんぜんないんだよな。だから、あの時、ラハッド王子とラティーナちゃんにそう頼んだのは、オレの悪い予感だったのかもね」
「で、でも……」
 ラティーナは、慌てたように言った。
「あんた、今生きてるじゃない」
「そう、戻ってきたんだ。生死の境をさまよって、何日だったかなあ、目がさめたら、周りにいる奴らがいきなり泣きながら抱きついてきてね、重傷だっていうのに。もう一度痛くて気絶しちゃった」
 シャーはにやりとした。
「あとできいたら、あいつら全員オレの為に祈りなんかささげてたんだってさ。うっとうしくて、オレ、多分、引き戻されちまったんだよね」
「でも、それは喜ばしいことじゃない」
 ラティーナは、力強く言った。
「あんただってうれしかったでしょ」
「そりゃ、オレも死にたくないもん。助かって、正直よかったと思ったよ。でも、あの光景は……ちょっと複雑だったなあ」
 どうして、といいたげなラティーナをみて、シャーは少しだけ笑んだ。
「……だって、あいつら、オレのこと、担ぐんだもんなあ。アレを見て、オレは将軍なんかやめちまったんだよ」
「担がれるっていいことじゃないの?」
「オレはシャルルの身代わりみたいなもんだったから……考えてごらんよ。オレが担がれるって事は、シャルルが王位に近づくって事だよ。それが嫌で嫌でたまんなかったんだよ」
 ラティーナはようやくわかったといいたげに頷いた。
「それはそうね。……誰もあんたをシャーとして心配してくれてなかったんだものね。それは辛いわ。……あんたもシャルルが嫌いなの?」
「嫌いだよ」
 きっぱりと彼らしくもない口調でシャーは言った。その口調に、ラティーナは少しおびえを感じる。
「あんな自分勝手な奴、大嫌いだよ!」
 シャーの言葉には怒りすらにじみ出ているようだった。彼の目には、いつもは決してともることのなさそうな、憎悪をふくませた光があった。しばらく、沈黙が流れた後、そうっとラティーナが口を開いた。
「ごめんなさい……。色々、嫌なこときいちゃったみたいね」
 それをきき、ようやくシャーは我にかえる。自分の態度の変化にラティーナが驚いたのだと気づくと、シャーは慌てて態度を取り繕った。
「な、なにもラティーナちゃんを責めてるわけじゃないんだよ」
 シャーはいつもの口調にもどって言う。
「オレは、あいつが嫌いなだけだから、ね、ラティーナちゃん。あ、そうだ! よかったら、オレの曲芸見せようか? 笑えるよ〜」
 急に立ち上がって、何か面白いことでもしようかとし始めるシャーを、慌ててラティーナは止めた。
「もういいわよ。ごめんね、気をつかわせて」
 いいの? と、少しだけ残念そうな素振りをみせて、シャーは再びしゃがみこんだ。
「あんたって、優しいのね」
 ラティーナに言われて、ほっとシャーは赤面した。
「べ、別に、そういうわけじゃあないよ。……ラハッドのほうが、優しかっただろ?」
「そうかもね。でも、あんたも十分優しいわよ。ありがとう、シャー…………」
 そういうと、ラティーナはにっこりと笑った。ぼんやりしたランプの光の中見た彼女の笑顔は、何となくあたたかくて、シャーは思わず目をそらした。直感的に、それを見てはいけないと思ったのだ。
(ああ)
 とシャーは、心の中で嘆息する。
(オレ、また一目惚れしちゃったんだよなあ……)
 そっと上目遣いにラティーナの表情を見やる。ラティーナは、例のパンを食べ始めていて、シャーの方を見ていない。シャーは、ため息をつき、自分もそっとパンをちぎって口に入れる。
 複雑な思いで食べる食事には、あまり味がしなかった。





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背景:空色地図 -sorairo no chizu-
©akihiko wataragi