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シャルル=ダ・フールの暗殺

5.水と火-5


 シャーは、疲れ果てたと言いたげにその木の真下に大の字になっていた。街から離れた丘は、ちょっとした木々が茂っていて、隠れ場所も多い。敵がどちらからくるか見えるし、シャーはそれを考えてわざわざここを選んだのだろう。
「だはー、こんなに疲れたのは久々だぜ〜。水がほしいよー!」
 わざとなのか、それとも天然で言っているのか、そんな声をあげながらシャーはばたんと両手を倒す。ただ、ラティーナを半分抱えてここまで走った彼は、確かに喉も渇いているはずだった。証拠にあがった息は先ほどおさまったばかりである。
「ねーねー、ラティーナちゃん」
 シャーの猫なで声も、今までの疲れからかかすれていた。
「ラティーナちゃあん……無事なら返事してよ……」
 だが、ラティーナは向こうに佇んだまま、夜闇に聳え立つ王宮を透かし見ているようだった。シャーは、面倒くさそうに上半身を起こした。
「……ラティーナちゃん? どうしたの?」
 少し猫背のシャーは、そうっと足音を忍ばせるようにラティーナに近寄った。その肩になれなれしく手を置いた途端、シャーの手に痛みが走る。
「放して!」
 ラティーナに手を弾かれ、シャーは驚いた顔をする。
「ど、どうしたの? 何かされたの?」
「違うわよ!」
 勢い良く否定するラティーナに、シャーは怪訝そうに首をかしげた。
「じゃあ、どうして? さっきから、何か変だよ? ラティーナちゃん」
 ラティーナは急に、キッとシャーを睨んだ。びくっと肩を震わせて、シャーは目を皿のようにしてラティーナを見た。彼女にはよく睨まれたが、ここまで憎悪のこもった視線を送られたことは今まではなかった。
「ど、どうしたの……? オレ、悪い事、なんかした?」
 シャーは、ラティーナを刺激しないよう、気をつけながら尋ねた。
「なんかした? あんたって、ホントに図々しいのね! あたしを平気な顔で騙しておいて!」
 ラティーナは半ば叫ぶように言った。
「あんた、シャルルの密偵なんですってね! しかも影武者なんかつとめた!」
 シャーはぎくりとしたような顔をした後、首を慌てて横に振った。
「ち、違うよ! 誤解だよ! それ!」
「ラゲイラから聞いたわ!」
「違うって! 勘違いだよ!」
 シャーはラティーナにすがりつくように手を広げて主張する。
「オレは……そんなんじゃなくって! ただの……」
「じゃあ、何なの! あなた……、あたしを騙したのね! そうでしょ!」
「違うっ……わっ!」
 シャーが思わず手を引いたのは、ラティーナが突然短剣を抜き、それをシャーの方に振りかざしたからだった。掠ったらしくシャーの右手の甲に薄く傷が入り、うっすらと血が滲む。
「……違うんだよ、ホントに! だ、だって、オレは……!」
「言い訳なんか聞かないわ!」
 ラティーナは、そういうと短剣を構えた。
「どういうつもりよ! 反シャルル派の名前をあたしから全部聞き出そうとしたの! そうなんでしょ!」
「ち、違う、違うよ! オレは、オレは、ただ、あんたが……!」。
「ただ?ただ何よ!」
「たっ、ただ……ただ、オレは……」
 なぜか、シャーはその続きを一瞬飲んだ。ごまかすように言葉を絞る。
「ただ〜〜〜、ただ、だよ。オレはあんたの役に立ちたかったんだよ! それだけなんだ!」
「信じられるもんですか!」
 ラティーナは、首を振った。
「どうして、オレの言う事を信じてくれないんだよ? なんで、敵の言う事信じるの?」
 シャーは、悲しむような顔をしていった。
「……そんなにオレは信用できないの?」
「あんたは、あたしに何も自分のことを話さないじゃない。あんたは一体誰なの! 一体何が目的なの! どうして、必要もないのに周りに本当は強いことを隠し続けるのよ!」
 ラティーナの口からは、彼女の抱いていた彼に対する疑念が、弾かれたように飛び出した。
「あんたは、一体何をしたいの! あんたはどうしてあたしに手を貸したの!」
 シャーは、無言になり、地面にしばらく視線を彷徨わせた。
「……オレが誰かって……そんなこと……オレは……」
 シャーは顔を上げた。
「オレは、ただのシャーだよ。ただのシャーなんだ」
「そうじゃないでしょ!」
「ホントに、ただのシャーだよ?」
「じゃあ、どうして酒場のみんなに隠しているの! 自分がホントは護衛なんかいらない位に強いこと。あんたの過去を知る人もどこにもいないじゃない! どうして!?」
「そ、それは……」
 ラティーナにまくしたてられ、シャーは戸惑った。それから、意を決して顔をあげる。
「理由はとくにないんだよ。ただ、オレは、面倒なのって嫌いなんだ。あいつらがオレのことを、今のまんまで大切にしてくれるから、別にオレはいう必要もないと思ったし。オレは、今のまんまの生活がすきなんだ。オレが強かったら、皆、オレを見る目が変わっちゃうだろ! それが嫌だった」
「そんなの理由になんないわ!」
「でも、それが理由なんだよ! ラティーナちゃん!」
 シャーは困った顔をした。
「もういいわ! あんたのことを信じたあたしが馬鹿だったんだもの! その責任はとるわ!」
 突然、ラティーナは構えていた短剣を逆手に持った。
「ちょ、ま、待って! 待って! ラティーナちゃ……!!」
 漂い始めた殺気に、シャーは慌てて飛び下がる。
「待ってよ! ラティーナちゃん! オレホントに関係ないんだよお!」
 振り回されるラティーナの短剣を避けて、シャーは大きく体をのけぞらせ、距離をとる。
「お、落ち着いて! もう一度オレの話を!」
 両手を広げたシャーだが、ラティーナは聞かない。それをよけているうちに、丘に一本立っている大きな木の幹にぶつかった。
「よけてばかりじゃ死ぬわよ! あなたも剣を抜きなさい!」
「そんな、……オレは女の子に剣を向けたりできないよ」
 じわじわと近寄りながら、ラティーナは柄に力をこめる。シャーの背は、いまやぴったりと木の幹についていた。
「だったら、あたしがあなたの口をふさぐまで!」
 ラティーナはそういって、短剣を振り上げた。
「や、やめてよ! ラティーナちゃん!」
 しかし、ラティーナは上げた短剣を振り下ろす。シャーは目をつぶり、身を固くした。
 静かに時が流れた。
「……どうして抵抗しないの?」
 目を閉じていたシャーに、ラティーナの少し震えた声が聞こえた。シャーは目を開けて、そっと顔をあげた。ラティーナは、すでに短剣をおろしている。
「どうして?」
 怪訝そうなラティーナの目が、もしかしたら潤んでいるかもしれなかった。暗くて見えない。シャーは、悄然と口を開いた。
「……あんたが……本当にオレを殺したいと思ったら……」
 シャーは幹から背をはなした。
「……そん時はオレを殺してもいいよ。……それでラティーナちゃんの気が済むんなら」
「何、いってるの?」
 シャーは静かに、観念したようにぽつりぽつりと話し始めた。
「確かにね、オレはあんたに隠し事してたよ。あんたの言うように、オレはシャルル=ダ・フールの為に働いたことがある。影武者と言われるなら否定はできないさ。ラハッド王子の死に対して、責任がないといったら嘘になると思う」
 シャー本人の口からそれをきき、少なからずラティーナは衝撃を受ける。シャーは、頼むような目でラティーナを見た。
「でもね、ラティーナちゃん。オレはシャルルの密偵なんかじゃない。それは、嘘じゃないんだ。今はあいつと関係ないんだよ」
「本当に?」
「嘘じゃないよ。……たとえ、シャルルに恩義があったとしても、ラティーナちゃんの味方でいるって、オレは決めたから」
 暗い中、ラティーナはシャーの目を見る。暗くて見えない中、他の人より白い部分が多い彼の目は、はっきりと見えていた。その青みがかった黒い瞳に、嘘はないようだった。
 ラティーナは、気が抜けたようにそこに座り込んだ。遠慮しながらも、シャーは慌てて手を差し伸べようとする。急に、ラティーナの震える小声が聞こえた。
「ごめんなさい……。あんただけが悪いんじゃないの……。あたしもあなたを騙したのよ」
 ラティーナの表情は良く見えない。シャーは、少し動きを止めて彼女のほうをうかがった。
「……あんたが……、シャルルの寝室への道を知ってるかもっていう話を聞いたから、それで、あ、あんたを仲間に引き合わせようと思って……。……でも、あんな手荒なことをするなんてきいてなかった……ごめんなさい」
「謝るのは、オレのほうだから。ラティーナちゃんは、悪くないよ」
 シャーの声は優しかった。
「さっき、オレに抵抗しろって言ったのは……」
 シャーは慰めるような声で言った。
「オレに斬られようとしたんでしょ? わかってるよ、ラティーナちゃん。オレなんか信用しちゃったって自分の責任をとりたかったんだよね。それと、オレを騙したって事も。だって、ラティーナちゃん、本当は優しいし、オレなんかとちがって責任感もあるんだからさ」
 シャーは、そっとラティーナの肩に触れようとしたが、その手は空中で止まった。そして、シャーはふと目を閉じる。
「……ごめんよ。ラティーナちゃん。オレねえ、ラティーナちゃんが、あの時、レンクのいるほうに向かおうとしてないこと、わかってたんだよ」
 ラティーナが顔をあげた気配がした。
「あの時、うっかりやられたけど、ホントはちゃんとどこで襲ってくるか、事前にねえ考えてたんだ。失敗したけど。オレもまだ甘いってことだね」
 といって、シャーの笑う声が響く。
「ね、もう一度、オレと組んでみない? お互い、一度ずつ騙されたって事で、貸し借りなしにしない? そう考えたら、何もどちらかが悪いって事ないよね」
 言い終わった瞬間、風の音が聞こえた。遠い、戦場できいた音に似ているなとシャーは思った。それしか聞こえない沈黙がずいぶん続いた後、ラティーナの声が聞こえた。
「――わかったわ」
 彼女は、少しだけ微笑んだようだった。
「あんたを信じるわ。シャー」
 その言葉をきき、シャーはふっと全身の緊張を緩めた。自然といつもの彼らしい笑みが口に浮かぶ。
「ありがと、ラティーナちゃん」
 不意に遠くから馬蹄の音が聞こえた。シャーは、それがラゲイラ邸から遠ざかり、町の中に消えていく音をきいた。ラティーナは不安げな顔をしたが、シャーはそれがハダートの策でやってきたジートリューの一団が帰る音だと知っていたのか、少しだけ安心したような顔をして、ずるりと幹に寄りかかった。そのまま眠り込んでしまいたいような疲労を感じたが、まだ眠るわけにはいかない。ラティーナを安全なところまで連れて行かなければ――。

 しかし、ともかく、今日の彼の戦いはひとまず、これで終わったのだった。






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背景:空色地図 -sorairo no chizu-
©akihiko wataragi