シャルル=ダ・フールの暗殺
5.水と火-4
果たして、玄関にはジートリュー将軍が、兵士数十名と一緒に立ちはだかっていた。がっしりした体に、精悍な顔つき。大きな目をしていて、それがラゲイラをじっと見ていた。その髪の毛は、噂通り燃え上がるように真っ赤だった。
ハダートを「水」に例えれば、ジートリューは「火」。ハダートが「水の将軍」なら、ジートリューは「火の将軍」。
ザファルバーンの民衆が、面白がってそういうのは、彼らの性格だけではなく、外見も含めてのことである。そして、その例え通り、彼らは犬猿の仲であるというもっぱらの噂である。
「こちらにハダートがいるとの話を聞いてきたのだが!」
ジートリューは、軍人らしい、大きい、通る声で訊いた。
ハダート将軍と喧嘩でもしたのかもしれない。ラゲイラは、彼らが仲が悪いことを思い出し、そう考えた。
ジートリュー将軍は別に横暴な男ではない。ただ、目的を得るとどこまでもまっすぐなのだった。だから、彼がこんな無礼な行動に出ても何も不思議ではなかったし、軍閥としては最大の力を持つジートリューがいくら無礼だからといっても、軽々しく罰を与えるわけにはいかなかった。
だからこそ、ラゲイラは、この将軍が幾ら無礼でも何一つ文句を言わなかった。もともと単純な男である。口でまるめこめば、ジートリューは帰るにちがいない。計画に気づいていない者を警戒して、かえって怪しませてはやぶ蛇である。
「ハダートさま? さて、確かに、わたくしはサダーシュ将軍とは懇意にしておりますが。何の御用ですか? ジートリュー様」
ラゲイラは、愛想笑いを浮かべてすっとぼけた。ジートリューは、そういわれて少し困った顔をしたが、すぐに何か思いついたような顔をして声を高めた。
「ハ、ハダートが私に金を借りたが、返してもらっていないのだ。昨日までに返す約束だったのだが!」
妙にたどたどしい言い方であるが、ジートリューはもう一度武人特有の高圧的な言い方で続けた。
「ハダートの家のものに訊けば、こちらに出向いたとのことで…………あぁ、深夜だとは思ったのだが、どうしても……! わ、私にも火急の事情があって、あの男に至急面会せねばならなくなった! ハダートの奴が私を騙したという可能性もあろうことであるし!」
ラゲイラが冷静なせいなのか、それとも他に理由があってか、彼の言葉は徐々に怪しくなってくる。とにかく、ジートリューを後は少し説得すればいいだけである。
ラゲイラは少し安心し、これでジートリューを帰せると思った。だが、不意に後ろから問題の張本人が現れたのである。
「何かあったのですか?」
ひょっこりとラゲイラの横から顔を出したハダートを見て、言葉の続けようを失っていたジートリューはようやく救いを見いだしたように叫ぶ。
「ハダート! 私がかした金を返せ! 至急必要なのだ!」
ハダートは、肩をすくめる。
「深夜になんだ? 礼儀を知らん奴だな。しかも、どこに押し入ったと思っている?」
「う、うるさい! 私は至急の用があるのだ! この詐欺師!」
ハダートが、ひく、と眉を動かした。ラゲイラは、危険な匂いにハッとする。
「貴様とは直接話をしなければならないようだな! この、七部将の面汚しめ!」
ハダートの暴言は、短気なジートリューの短い導火線に火をつけたようだった。突然、顔を赤くした彼はハダートの胸ぐらにつかみかかる。ややハダートの方が背が高いが、どう考えてもジートリューの方が強そうだった。
「何だと! それは、貴様だろうが!」
「表へ出ろ!」
ハダートは叫ぶ。
「ああ、とっとと出てこい! 卑怯者!」
ラゲイラの目にも、まわりの部下達の目にも、それは一触即発の危機に見えた。まさか、屋敷で将軍に刃傷沙汰を起こされては困る。ラゲイラは慌てて止めに入った。
「お、お待ちを! ここは、わたくしに免じて…………」
「ええい! 構うな!」
ラゲイラの手をジートリューが払う。ハダートが、慌ててラゲイラとジートリューの間に入った。
「何をする! ジートリュー!」
「うるさい!」
ハダートはちらりとラゲイラに目をやり、申し訳なさそうに言った。
「失礼します。ラゲイラ卿。私のせいでこんな事に。今日はこの馬鹿を連れて、とりあえず外にでることにします」
「何をいっている!」
ジートリューを無視して、ハダートは続けた。
「それでは、後日また」
「おい! ハダート=サダーシュ!」
「うるさいぞ、狂犬!」
ハダートは一喝した。
「今日、これ以上騒ぎ立てるようなら、ゼハーヴ将軍とシャルル国王陛下にこのことを報告するぞ! そうしたら、いくらお前でもこれ以上の横暴が通せまいな! お前が将軍の位でいくら威張っていようが、陛下から命令が下されて、断罪されれば下手をすると首が飛ぶ! それでもいいのか!」
口調だけ強くいいながら、不意にハダートは困ったような目線をジートリューに向けた。頭に血が上っていたジートリューだが、それを見ると少し慌てて態度を変える。
「そ、それは…………」
「困るだろう?なら、私と一緒に出ろ! 話はそこでつけてやる!」
ジートリューは、怒ったようにマントを乱暴に翻し、きびすを返した。武官の靴が、石畳の廊下に甲高く響く。それから、ハダートはまた申し訳なさそうな顔をし、ラゲイラに一礼した。
「申し訳ありません。それでは、また」
それから、ハダートはラゲイラに背を向け、そろそろとジートリューの後を追った。
ラゲイラ邸の門を出、とうとう人気がなくなると、ハダートは急に態度を一変させた。今までとは違い、貴族らしい物腰は一気に溶けてなくなり、ラティーナの前のような無頼のような態度になる。
「何が、借金を返さないだ」
ハダートは、じっとりと横目でまだ黙っているジートリューを見た。
「冗談じゃない。俺がお前に金を借りたことがあったか? もっといい口実はなかったのか? かっこわるいったらありゃしないぜ。大体詐欺師なんかいいやがって!」
「私にはラゲイラと親交がない。いきなり現れたらおかしいだろうが! お前の手紙には来いとしか書かれていなかったので、私だって考えたんだ!」
「しかも、もっと丁寧に芝居がやれないのか? ジェアバード」
ハダートは、ため息をついた。
「俺とお前の仲が悪いという噂がなければ、あれはバレバレだな」
水と火という噂は、ほとんど正しくない。ジートリューとハダートは、よく言い合いをするが、それは喧嘩ではない。それを周り者が誤解して広めた噂であろう。実際は、彼ら二人は家族ぐるみでつきあいのある親友である。
参謀タイプのハダートにとっては、この噂は利用すべきかっこうの道具であり、時々こういう風に作戦に使うことができる。ただ、ここで一つマイナス要因なのは、ジートリューがあまりにも不器用だということだ。かなり自分がフォローしてやらないと、この作戦は使えない。今回は、幸い、焦っていたらしいラゲイラが気づかなかったから良かったが、ハダートは自分の芸達者ぶりをこういう時は、褒めてやりたく思うのである。
「ばれるかとおもって、冷や汗かいたぜ」
ジートリューはそれをきき、とうとう今まで溜まり溜まった憤慨を爆発させるように、怒鳴り始めた。
「うるさい! そんな器用なことができるか! そもそも、ああいうやり方は私は好かない! 貴様が、アレを助けるには、どうしても私の助けが必要だと手紙に書いてくるから仕方なくやったんだ! おまけに、いきなりののしるとはどういう了見だ!」
「まぁ、ちょっと言い過ぎたかもしれないが、俺も大変だったんだ。大目に見ろ」
憤然と断言したジートリューを見て、ハダートはあきれたように、それから取りなすようにいった。不意に空から黒い鳥が飛んできて、ハダートの肩にとまった。艶やかな黒い羽が印象的なカラスで、ハダートによくなついている。
「ご苦労、メーヴェン」
「その鳥は夜目がきくのか? 正確に私の屋敷に飛んできたぞ」
ジートリューがいうと、ハダートはカラスを撫でながらにやりとした。
「さぁ、それは、本人にきいてみないとなあ」
ジートリューは肩をすくめた。カラスのメーヴェンは、羽をのんきに繕っている。
「で、首尾はどうだ?」
ぶっきらぼうにジートリューに訊かれて、ハダートは思い出しながら応えた。
「まぁまぁだな。……あの腐れ三白眼が乗り込んでこなかったら、作戦成功だったんだが……今回の事で、俺もちょっと疑われてしまったかもしれない。全く、何を考えてるんだか。あれだけは予想できない」
ハダートは文句を言う。
「仕方がないだろう? アレの行動を読めといわれた方が、難しい」
「……しかし、今回はちょっと穏便にすまん事情があってな」
ハダートは、半分おもしろそうな顔をして言った。物言い自体はひどく気の毒そうなのであるが、その顔はどう考えてもからかい半分である。ジートリューは、不審そうに彼を見た。
「なんだ?」
「陛下の暗殺を企ててる女がいるんだが、あの三白眼が、どうやらそれに惚れてしまったらしくて……どうも、それに協力しているみたいでな」
ハダートは、にやりと笑いながら横目でジートリューを見た。その意味ありげな視線の本当の意味に気付き、ジートリューは少し顔色を変える。
「おい、それは! あ、相手はどこのどいつだ」
「サーヴァン家のラティーナ。……ほら、ラハッド王子のフィアンセだ」
「……ああ、なるほどな……。あの娘は確かにあれの好みだな」
ジートリューは納得したような顔を一旦してしまい、すぐに顔色を変えなおした。
「って、それはまずいだろう! よりにもよってラハッド王子は……! それに、そもそも、あれが国王暗殺に協力したりしたら、ややこしいことに!」
ハダートは、腕組みをして相変わらずの様子で答えた。
「まぁ、本人がそういうなら仕方ないだろう? 俺は黙って見てたいね」
「止めないのか!?」
「止めて止まるような奴か? そもそも、止める権利も俺達にはないかもなあ」
言われてジートリューはぐっと詰まった。
「…………確かに」
「だろう? ジェアバード。まぁ、ここはあのヘンな青二才がどんな答えを出すか、じっくり観察するとしようかね?」
明らかに状況をおもしろがっているだけのハダートを、ジートリューは睨んだ。
「……お前は、冷たい奴だな。あれが振られるのを見ているつもりか?」
「何が? どうせ、我々が説得したところで、聞き入れるタイプじゃないだろうし。大体に、あれの判断は、オレたちよりも正しい。それに、恋愛に後方支援は無理だし。策をあげたところで、あれで卑怯な手はいやがるし?」
「それはそうだが……」
ジートリューは困惑気味である。そもそも、恋愛感情が入り混じっているとなると、彼のように無骨な男にはどうも意見がしにくかった。
「あれはあれで、俺達よりも頭がいい。ま、馬鹿だがな」
「そんなこと言われなくてもわかってる!」
ジートリューはぶっきらぼうに答える。それでも、何となく納得できない所があった。
「だが!」
「だが?」
意地悪くハダートに訊かれ、ジートリューは詰まる。やがて、燃えるように赤い頭をかきやって、ジートリューは、仕方なく矛を収めた。
「まぁまぁ、そういう心配はカッファさんがやってくれるさ。俺達は、横から見てればいいんだよ」
「お前のそう言うところが冷たいといっているのだ。よくそんなんで結婚できたな。お前の細君を私は尊敬したいところだ」
「お前も結婚しているだろう。お前にできることが、俺にできないわけがない」
「ええい!なんだ、その言い方は!」
ジートリューは睨みながら言った。彼らのやりとりはいつもこのようなもので、戦場でもこんなやりとりを続けている。それを遠目に見た兵士が喧嘩しているととってもおかしくはないかもしれない。
「まぁ、後は、あのラゲイラがどう出るかだが。証拠はつかめたのか?」
「それができれば苦労してねえ」
先ほどの話を打ち切って、ジートリューが言うと、ハダートは、不意に難しい顔をした。
「どうも、あのタヌキオヤジ、証拠を掴ませてくれなくてな」
「なるほど。しばらくは、まだ様子見というわけか? それとも行動するまで潜むかどちらかだな」
「あぁ。これで失敗したら見事に反逆者だな。俺も損な役回りだぜ」
ハダートは笑んだが、そのほほえみにはこの任務の難しさが投影されて、ずいぶんと複雑な表情を刻んでいた。