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シャルル=ダ・フールの暗殺

5.水と火-3


いきなり、ハダートが柱の陰からふらっと姿を消したので、ラティーナは小声で鋭く言った。
「ど、どこへ行くの!」
「これ以上、あんたといるのは危険だな。オレは危険には近づきすぎない主義なんだ」
 ハダートの冷淡なほど落ち着いた声が聞こえた。
「後は、あの三白眼に花を持たせることにしよう。あいつに助けてもらえ!」
 明らかに彼には面白がっている気配がある。
「じょ、冗談じゃないわ!」
 ラティーナは少し声を高め、あとを追おうとしたが、ハダートは闇を利用してふっと消えてしまう。
「あたしは助けてもらいたくなんかないわ! それも、あんな、スパイかも知れない奴になんか!」
 まだ、彼に会うのに心の準備ができていない。ラティーナは慌てて叫んだ。
 ハダートの答えのかわりに、向こう側から足音が聞こえてきた。それに混じって、金属音と怒号に悲鳴。それが、シャーがこちらに向かってきているからだということを伝えていた。
(ど、どうしよう!)
 慌てて走って逃げようとするが、ラティーナには逃げる場所が思いつかなかった。ハダートの気配は完全に消えているし、柱の陰に隠れても、シャーはきっと見つけてしまう。ひとまず走ろうとしたとき、ふと後ろの方でシャーの声が聞こえ、彼女はそちらを振り向いてしまった。
「ラティーナちゃん!」
 シャーは軽く手を振り、追いすがる男に自然な動きで足払いをかけた。
「ラティーナちゃん! よかった! 無事なんだね!」
 シャーは、ラティーナの気持ちなど知らない。心底うれしそうな顔をして、そのまま、こちらに来る。見つかったことを知り、ラティーナは、どうしようもなく逃げ出した。
「な、なんで逃げるんだよ!?」
 シャーは、わからないような顔をして、そのまま走ってきた。シャーの方がかなり足が速い。ラティーナは、すぐにシャーに並ばれた。
「どうしたの?」
 シャーの不安そうな顔を見ないように、顔を背け、ラティーナは徹底無視を決め込む。
「どうしたんだい? ラティーナちゃん!」
 訊いてもラティーナは答えない。シャーは、正直困って頭を左手でかいた。いきなり、ラティーナの横に、追っ手の男の顔がにゅっと現れた。ごつい悪人顔の男で、ラティーナは驚いて声をあげる。
「この野郎! ラティーナちゃんから離れろっつーの!」
 シャーは、ラティーナの横にいた男の腹に峰の側で一撃を加えた。口調は軽かったが、シャーの一撃はそれこそ本気で、食らった男は悲鳴をあげてひっくり返った。男が、悶絶している間に、シャーは方針を変えたらしく、ラティーナの方に少しだけ身を寄せた。
「ちょ、なにす……」
「手荒いけど、我慢してねーっと!」
 気合の声を上げて、シャーはラティーナの腰を左手でつかんで抱えあげた。
 驚いて、ラティーナが悲鳴を上げる。
「な、何するのよ! ヘンタイ!」
「へ、変態? ひ、ひどい! オレ、変なトコ触ったりしてないじゃないか!」
 シャーは、その一言が傷ついたのか、ひどくショックを受けたような顔をしたが、ラティーナは構わなかった。暴れながら、シャーをひたすらののしる。
「触んないでよ! このバカ、変態、スケベ! 放して!」
「あ、暴れちゃダメだよ! オレも余裕ないんだから!」
 またまた、後ろから刀がにょっと飛び出てきた。シャーはそれを避け、右手に握った刀を横に力任せに振るった。ガチーンと、音がして、相手は勢いに任せたシャーの剣に押されて、後退した。
「ここから、一刻も早く逃げなきゃ〜、オレ達の命、風前の灯火って奴だよ?」
 シャーはラティーナの機嫌をとるように言ったが、彼の目は相変わらず状況をみるだけで精一杯で、ラティーナの表情までは気が回らない。もし、ラティーナの表情に気づいていたら、シャーの対応もまた違ったのだろうが。今の彼は、常に後ろに気を配り、もし後ろから剣先がのびてくれば、すぐにそれを叩かなくてはならなかった。ラティーナを抱きかかえている分、スピードが落ちているのも事実だ。
 それに、自分も怪我をするわけにはいかない。先ほどの傷ぐらいなら平気だが、こういう場合は、傷を少しでも負えばそれに伴って戦う気力も同時に抜けるものである。戦い慣れたシャーにはそれもよくわかっていた。
「もうすぐだから、大人しくしといてよ」
 落とさないようにするためか、シャーはどこからともなく紐をを取り出すと、口を使って刀と右手を縛り付け、もう一度ラティーナに言った。
「必ず無事に抜け出してあげるから!」
「あんたに助けてもらいたくなんかないわよ!」
 ラティーナの声は冷たい。シャーは、ハッとしたような顔をして彼女を見た。
「……な、なんで? どうしたの?」
 怪訝そうに、しかし心配そうな顔をして、シャーは尋ねたが、それにラティーナが応える暇は全くなかった。
 音が聞こえ、シャーはあわてて頭を下げた。上を大きな刃物が通り過ぎていく。とはいえ、今のは相手も走りながら投げてきたものなので、シャーが頭を下げなくてもそれは命中はしなかっただろう。
「ちっ、しっつけえなあ! あんたら、絶対、女の子にもてないぜ!」
 人のことは言えない言葉だったが、相手もそれに対して返してくるほど余裕はないらしい。続けて、足元に短剣が襲ってくる。
 走りながら、シャーは出口を探した。いくら女性だといっても、人一人抱えるのは、かなりきついものである。
 まさか、正面の門から飛び出すことはできない。
(さぁてと、どうしたもんかな。)
 軽い男なりに、彼は複雑な顔をした。このまま、訳も分からず走っても仕方がない。ラゲイラの屋敷の窓は、高いところにある。特に屋敷の中でもこの周辺は厳重につくってあるようだった。邸宅の様子を外側から見られないよう、または侵入者を入れないように一階には窓がほとんどないのである。だからここに降り注ぐ月の光は、おそらく上にある者だろう。
 シャーはふいににやりとした。
「な、何よ?」
 その表情の変化は、ラティーナを不審がらせる。そんな彼女に、シャーはにんまりと笑って見せた。
「ラティーナちゃん。高いとこ、平気?」
「な、なに言ってるの?」
 いきなり、シャーが変なことを言うので、ラティーナはとまどった。同時に嫌な予感がした。おまけにいきなり向かう場所を変えて、突然二階の方に走っていく。
「それじゃあ、賛成ってことで!」
 直接応えないラティーナを勝手に肯定したことにして、シャーは階段を一気に上りきった。前からも兵士がやってきたが、なにぶん暗い。おまけに、シャーが、「警備のみなさま、ごくろうさーん!」 などと馴れ馴れしい声を上げて、一瞬のうちに通り過ぎたので、彼らは呆然として動きが遅れたようである。
 二階には、明かり取りの窓がいくつもある。シャーの考えが一瞬でわかったラティーナは、悲鳴に近い声を上げた。
「ちょ、ちょっと待って、それはやめてー! 無茶よお! ダメ、あたし、高い所嫌!」
「ごめんなさ〜い! もう遅かった〜!」
 シャーが本気かどうかわからない素っ頓狂な声をあげ、飛び上がって窓枠を踏みつけると一気に体を宙に躍らせた。月の光に照らされた庭が、少しだけ見えた。その高さにラティーナは恐怖のあまり顔を引きつらせた。
「きゃああ!馬鹿ああ!」
 ラティーナは悲鳴をあげ、慌ててシャーの体にしがみついた。夜の風が、彼とラティーナの髪の毛を吹き上げる。そのまま、彼らは窓から下へと落ちていった。



 ラゲイラは、ある一室で話し込んでいた。暗い部屋だったが、調度品は豪華で客間のようでもある。ラゲイラは、秘密の客人と話すときは、この部屋をよく使っていた。
 客人は、豪華な椅子に腰掛け、少し落ち着かない様子に見える。まだ若く、そして着ているものなどからも、その男が貴人であることがわかった。今は、何かおもしろくないことでもあったのかもしれないが、少し不機嫌に見える。その気むずかしそうな客人を怒らせないよう、ラゲイラは気を遣いながら尋ねた。
「殿下。シャルルの動きはどうでございますか?」
「どうもこうも、相変わらず寝室にふせったままだ。ここのところ、一ヶ月ほど、動く気配はない。……宰相のカッファは、相変わらず、国の建て直しに気をとられていて、我々の存在には気がついていないようだ」
 男の返答は素っ気ない。
「そうでございますか」
 ラゲイラは、少しにやりとする。
「それでは、そろそろ、こちらも動いた方がよろしいかと存じます。準備はすでに整えましたし、これ以上待てばカッファ=アルシールに気づかれるかもしれませぬ」
「だが、お前の方はどうなのだ」
 貴人らしい男は、眉をしかめた。
「どう、と、おっしゃいますと?」
「とぼけるのはよせ。シャルルのイヌに嗅ぎつけられたという話を聞いたぞ」
「あぁ、その話でございますか」
 ラゲイラは、少し複雑そうな顔をした。実は先ほど、部下から、密偵とラティーナを取り逃がしたという話を聞いたばかりなのである。
「しかも、逃げられたとか」
「確かに、それは事実ではございます。そのことに関しては、言い訳いたしません」
 男の口調に焦りと怒りが混じる。
「あの狂犬が密偵と対決した際、一人で戦ったのが原因だと聞いたぞ。わざと逃がしたのでは?」
「狂犬? ジャッキールのことでございますね?」
 ラゲイラは、ふとため息をついた。
「殿下はあの男を嫌われますが、あの男は信頼には足る人物です。一見、危うい人格の乱暴者にも見えますが、あの男の中身は一流の武官でございます」
 ラゲイラのいいようは、ジャッキールをかばうような口ぶりだ。
「今まで私が、前宰相ハビアスや第二夫人の刺客から襲われたとき、あの男にずいぶんと世話になっております。そもそも、あれは、食客として、私が無理やり引きとめたもの。危険な性格はしておりますが、欲のない男ですし、こちらが信用してやれば、けして裏切ることはありません。今のように根拠もなく、疑っておりますと……」
「野良犬に少々肩入れしすぎではないか? ともあれ、私は反対だ。あんな不吉な男をとどめておくなど」
「そうでございますか……。殿下がそういわれるのなら、今回の計画の中心には置きません」
 ラゲイラは、忌々しげに吐き捨てる男をみながら、ため息をついた。彼のほうは、すでにそのことに興味がなくなったのだろう、少しいらいらしながらこう切り出す。
「どうするつもりだ。密偵が生きているならシャルルに報告する。シャルルという男は、あれで頭が切れる。すぐに我々をつぶそうと動くはずだ」
 ラゲイラは冷静に、そして、わずかに微笑みながら言った。
「ですから、申し上げているように、今すぐ先手を打つのです。もとより、私の方の手の者は、すでにシャルルの宮殿内におります。手勢は私の私兵とそれからハダート将軍のものが揃っております。すでに、こちらの状態は万全。シャルルとて、まだ、詳細を知らぬはず。それに、カッファもシャルルも今はまだ、全ての臣下を即座に自由に動かせるだけの力はございません。何しろ、シャルルの戴冠には反対する者達もまだ多いのですからな。おまけに、将軍達はゼハーヴ将軍以外すぐに動ける状態にはないでしょう」
 ラゲイラは、静かな目に不穏な光を宿していった。
「ですから、我々の方が先に行動するのです」
「行動だと!」
 男は少し興奮したような口調になった。
「早すぎやしまいか」
「殿下」
 ためらう様子の男に、ラゲイラは詰め寄る。
「ご決断を。やるとすれば、今より二日間の間です。それができなければ、我々は壊滅するかもしれませぬ」
「しかし、…………」
 蝋燭の火が、男のため息でゆらりと揺れた。ラゲイラは、静かに沈黙している。遠くで馬蹄の音がきこえているだけで、都の夜は実に静かである。
 だが、その馬蹄は徐々に奇妙であることがわかってきた。闇にひびいたのは、一騎二騎の馬ではないらしい。十騎ほどはいると思われた。それが、徐々に近づいてきたとき、ラゲイラは、不意に顔を上げた。
 ちょうどその時、外で馬のいななきと人の号令らしいものが聞こえ、一行が止まったのがわかった。どうやらこの屋敷の付近のようである。
「何だ、こんな夜更けに」
 貴人らしい男は怪訝そうに首を傾げただけであったが、さすがにラゲイラは鋭かった。ただならぬ様子を察知して立ち上がる。男が口を開きかけたが、ラゲイラが先に言った。
「失礼いたします、殿下。少々、『こと』が起こったかもしれません。これよりおさめて参ります」
 そう断り、ラゲイラは急いで部屋の外にでた。進むうちに、慌てた様子の召使いとすれ違う。召使いは、あっと叫び、それから急きこんでこういった。
「た、大変です。こちらにジートリュー将軍が!」
「ジートリュー将軍だと!」
 ラゲイラは、苦い顔をした。
 ジートリューとは、七部将の一人で、ジェアバード=ジートリューというのが本当の名である。有名なシャルル擁立派だった七部将最大の軍勢を持つ将軍だ。
 まさか、企みがばれたのだろうか。と考えたが、それは違うだろう。それなら、十騎やそこらで訪れるわけがない。それにジートリュー将軍は、どちらかというと力任せな将軍で、かなり単細胞なはずである。知性派のラダーナ将軍や七部将のまとめ役であるゼハーヴ将軍ならいざ知らず、鈍いジートリューが、他の者もまだ気づいていないだろうこの企みを知るわけがない。おまけに、やることなすこと派手な彼が隠密行動を任されるはずもないのだ。
「いいでしょう。私が直接会ってきましょう」
 ラゲイラは召使いにいい、そのまま進む。慌てて、後を召使いが追いかけてきた。





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背景:空色地図 -sorairo no chizu-
©akihiko wataragi