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シャルル=ダ・フールの暗殺

5.水と火-2

 兵士がこちらに近づいてくる。ハダートは、柱の陰にラティーナを押し込み、自分はそれとなく前に立ちはだかっていた。
「おや、ハダート様」
 兵士の一人が気づいて、彼に会釈する。ハダートの表情を柱からそっとのぞくと、彼の顔は、先ほどとは違い、ずいぶんと朗らかになっている。演技をしているのは間違いないが、それにしてもよくここまで化けられるものである。
「あの男が逃げたという話なのですが、大丈夫ですか? 現在追っているのですが」
「なに? それは本当か。……しかし、あの男が?」
 ハダートは、器用にもひどく気の毒そうな顔をして見せた。本当に心配しているように、少しだけそわそわしたそぶりを見せる。
「そうか、あの男が…………。あれは見かけに寄らず腕が立つ。私も捜索に加わりたいのだが…………」
「いえ、ハダート様は別の安全な場所にいて下さった方がよいと、ラゲイラ様も。今すぐ客室に戻られ、安全には十分対策してくださいませ」
「ああ、そうすることにしよう。私の存在がばれたら、……ラゲイラ卿の計画が台無しになるからな」
 ハダートは、兵士に気をつけるようにいい、走っていく兵士達を見送った。そうして、誰もいなくなると、彼はゆらりとラティーナの方に戻ってきた。途端、あの温和そうな紳士の顔が消えて、今ラティーナの目の前にいる彼は、ただの食えない男である。
「危ないところだった。全く、冗談じゃない」
 文句をぶつぶついってはいたが、あまりにもその態度はぬけぬけとしすぎている。ラティーナは、呆れたような顔をして、彼を迎えた。
「あれで、怪しまれなかったの?」
「あれを怪しむほど、連中は利口じゃないだろう。それに俺の演技は完璧だったじゃないか」
 ハダートはそう応え、ラティーナを手招きした。急がないと、今度は怪しまれるどころか、本当に彼の正体がばれてしまう。
「ちょっと質問があるんだけど」
 ラティーナは廊下を進みながら、疑うような目で彼を見上げた。
「あなた、私を連れに来た時の兵士はどうしたの? 疑われるんじゃないの?」
「なあに、それはそれ。これはこれ」
 ハダートは、軽く手を振って少し馬鹿にしたような顔をした。
「モノを知らないな、お嬢さん。世の中には、金を握らせときゃ永久に口を閉じてるやつもいるんだよ」
「まさか、袖の下?」
「人聞きが悪いな。ちょっと協力してもらっただけじゃないか。報酬を払って」
 何につけても、ハダートは武人らしからぬところがあった。彼は、参謀か文官として仕えた方がよさそうだ。職業選択を少し間違えたのかもしれない。
「とりあえず、向こうの廊下までは案内しよう。そこには、あれが待ってるだろうしな」
「あれ?」
 ラティーナは怪訝な顔をして、それから、ふと先ほどのハダートと兵士の会話を思い出す。「あの男」が逃げたとは、もしかして――。
「どういうこと? まさか…………」
 何がおもしろかったのか、ハダートは突然にやにやしはじめた。
「例の三白眼の馬鹿が、どうやら逃げ出したらしくてね」
「シャーが?」
 ラティーナは、口を押さえた。ハダートは一瞬で、ラティーナのシャーに対する複雑な思いを読みとったらしく、途端、さらにおもしろそうに言った。
「ここから逃げるには、あの馬鹿の力を借りるのが一番手っ取り早いし、安全だな。まぁ、色々問題のあるやつだが、仲良くしてやってくれよ。悪い奴じゃないんだぜぇ?」
 ハダートの楽しそうで少し意地悪な笑みを、ラティーナは悪意と受け取った。にらみつけると、彼は手を軽くあげておどけた。彼にしてみれば、ただちょっとからかっただけのことだったようである。
「今、向こうで斬り合いをやってるってさっきの兵士が騒いでたからなぁ。珍しくまともに暴れてるらしいな。あいつにしては、珍しいじゃないか。相当気が立ってるか、それか…………」
 ハダートはそう言って、ふと闇を透かすようにして前の方を見、残りの言葉を飲み込んだ。
(相当この気の強いねーちゃんに惚れ込んでるかのどっちかだな。)
 だが、それは彼にとっては、かなりの試練になるかもしれない。なにせ、シャーは、シャルルの…………。
「まあいいや。……あとはあんたが決めるといい。あのアホ三白眼を許すも許さねえも、所詮は俺の知った事じゃない」
 許す、許さない。ハダートの言葉は、ラティーナの胸に妙にひっかかった。ハダートが、シャーの事を知っていると言うことは、少なくとも、シャーはシャルルの関係者だということだ。そして、何故かラハッドの死に関わっているような気がして、ラティーナは思わず眉根をひそめた。
 一体、シャーはどういうつもりで、自分に近づいたのだろう。


 相手の剣を受け止めた手が軽くしびれ、シャーは右手から左手に刀を持ち替えて、あいた手を軽く振った。
「あいててて。おっさん、しつこいねえ。女の子に嫌われるよ」
 だらけた口調で軽口をたたいていると、いきなり頭の後ろから切っ先が飛んできた。
「うひょお!」
 間抜けな声をあげながらも、シャーはうまく相手の攻撃をかわしていた。かわしざまに、後ろに向けて鋭く刀を払う。何か手応えがあったが、どうやら相手が刃を柄で受けた時の手応えのようだ。
「チェッ、失敗か!」
 シャーは舌打ちし、切っ先を下に下げて相手をうかがう。
「今のはフェイントか?」
 ジャッキールの声が、闇の中から聞こえてきた。
「さぁねぇ。オレはそんなに頭良くないって言ってるだろ?」
 シャーは、にやりと微笑みながら応えた。
「一筋縄ではいかん相手だな」
 相手の笑う声が闇の中に暗く重く響いた。
 シャーは、サンダルを履いた足を、音もなく後ろに寄せた。上から光が降ってくる。今は月光の中だ。敵に姿を見せるのは不利である。
 一体、次はどんな手でくるだろうか。視界が悪いせいで、一瞬でも油断すればそれは致命的なミスにつながる。おまけに今の自分は姿を相手にさらしている。
 おまけに相手はジャッキール。ジャッキールの剣の軌道は読みにくい。いや、なれてしまえば、それなりにわかる軌道なのだが、ジャッキールは、意外に力もあるので、そのあたりも気を使わなければならない。
 シャーの剣は、このあたりで使われていないものなので、相手にはその太刀筋は読みにくいのだろうが、それにしても、ジャッキールはそれに見事についてきているのだった。場慣れしている分、冷静なせいなのかもしれない。
(年くってるのは、伊達じゃねえってか!)
 シャーは、ちろりと悪態をつく。
 とにかく、月光の中からなるべく早く闇の中に姿を隠したいところだ。だが、下手に動くのも危険で、ジャッキールの気配をまずは探らねばならない。不意に悪寒がした。
「しまった!」
 シャーは振り返りざまに刀をそちらの方に薙いだ。その刀を思いっきりたたきつけられ、危うく倒れそうにすらなる。そのまま、たたっとたたら足を踏んで、どうにかこうにかバランスを保つと、ジャッキールの姿はすでに闇の中に消えていた。
「光の中にいては、的になるだけだ! アズラーッド!」
 軽い彼の嘲笑が響き渡る。声の位置にさっと目を走らせ、シャーは、そちらに走った。ガキッと鉄を噛む音がする。闇の中でジャッキールは、突撃してきたシャーの刀を受けていた。そのまま弾き飛ばし、シャーはその力を利用して廊下にうまく着地した。
「……チッ! 結構基本ができてるんでやんの!」
「貴様に言われたくないわ! アズラーッド・カルバーン!」
 後ろで兵士達がおろおろしているのが、横目から伺えた。そろそろ、連中はこの戦いを見慣れてきている。我に返って命令を守れば、一斉に飛びかかってくるかもしれない。そうしたら、いくらシャーでも相手をしきれない。
 ちらりと目を走らせ、シャーはジャッキールとの勝負を捨てるかどうかを考える。まだ連中が混乱しているうちに逃げるべきだろうか。
「手を出すな!」
 不意に、シャーの意図を読みとったのかジャッキールが叫んだ。ぼうっとしていた兵士達は、思わず我に返り、彼の命令に反応する。
「こいつは俺が殺す! 貴様らは卿の警護をしろ!」
「は、はいっ!」
 彼の癇癪をおそれたのか、慌てて兵士達は持ち場へと向かう。ジャッキールはそして、シャーに向かってにやりと笑った。
「……これで満足か、アズラーッド!」
 シャーは思わずふっと口をゆがめて笑った。
「ふふん、おっさん。無粋な奴だと思ったが、なかなか粋ってもんがわかるじゃないの」
「褒められてもうれしくないがな。行くぞ!」
「おう!」
 だっとジャッキールの軍靴が床を蹴った。と、その時、ふとジャッキールの後ろにいるものが、シャーの目に入った。闇の中の炎に照らされて、一瞬、向こうの廊下に人影が見えた。
「どこを見ている!」
 気を取られていたシャーは、やや慌てて声の方に反射的に刀を向けた。かん! と音がして、それを受けた後、シャーは、接近戦を嫌い後ろに飛んだ。ジャッキールの舌打ちが聞こえた。
(……今のは、もしかして…………)
 危ないと思いながらも、シャーは向こう側を探る。それは男女二人の影のようだった。一人は背が高く、そして銀色の髪の毛をしている。この地方では珍しいその髪色を見れば、男がハダート将軍であることは間違いない。
 そして、その後ろにつきしたがっているショールをかぶった女の影は――
「ラティーナ!」
 シャーの表情に気づいたのか、ジャッキールは彼の視線を目の端で追って、ちっと舌打ちをしたのがわかった。
「娘が逃げたらしいな……。だが、そうはいかん。……貴様を通すわけにはいかんのだ」
「うるせえな! こちとらいそいでるんだよ!」
 シャーは、ジャッキールの剣を払いのけて、そのまま切り抜けようとした。
「そうはいかんといっているだろう!」
 ジャッキールは、ざっとシャーの前に回りこみ、そのまま一撃を見舞った。シャーは、かろうじてそれを受けて、仕方なく下がる。
「貴様に余所見しているいとまなどない!」
「うっとうしい奴だぜ! テメエと遊んでる暇はないんだよ」
「遊びではない!」
「遊びだよ! アンタの剣は!」
 シャーはいきなりそういった。シャーとしては、それほど気持ちを入れていった言葉ではないのだが、そういわれたジャッキールのほうは、さっと顔色を変えた。
「な、何だと!」
「だから、遊びだっていってるんだよ! アンタのな!」
「だ、黙れ!」
 ジャッキールは、カッとなり、いきなり剣を浴びせてきた。空気を裂くようなそれは、シャーの前髪と頬を同時に掠った。赤い血が頬にわずかに飛ぶ。
「だからいってるだろう!」
 シャーは、野生の獣のような目を閃かせる。青い瞳が、魔の気配をにじませていた。
「アンタの遊びに付き合ってるような暇はねえんだよ!」
 シャーは、そのまましたから剣を突き上げた。一見力任せに振るったシャーの一閃は、今まで最も鋭いものだった。そして、その荒々しさと対照的に、綿密に計算された一撃でもあった。
「くっ!」
 受けたには受けたが、とっさのことで、ジャッキールは上手くそれを受け流すことができなかった。だが、剣を手放さないように必死で柄を握りしめる。
 それは不運だったのかもしれない。ジャッキールは、いささか冷静さを欠いていた。その判断が誤りだったことを気づいたのは、決定的な衝撃が手に伝わってからである。
 ジャッキールは、剣が折れたのを見た。妙にゆっくりと二つに折れた剣だったが、切っ先が弾き飛ばされたとたん急にすばやくぐるぐると回転して、そのまま冷たい床にたたきつけられる。さらに高音の絶望的な音を奏でるそれに、ジャッキールは死を見た。
「な、なんだ、と?」
 しかし、ジャッキールは、防御もほかにつるしてある短剣を握ることもしなかった。ただ、それを見ているだけである。呆然として青ざめた顔は、何かに動揺しているようだった。
「なあさあ」
 次の瞬間、肩をたたかれ、ジャッキールは驚いたように顔を上げた。
「オッサン、なまくらをもって損したな」
 シャーは、にやりとすると、そのままジャッキールの横を通り過ぎる。
「まあ、今度はけちしないで、もうちょっといい剣でも買うこったね!」
「なに?」
 ジャッキールは、信じられないような顔をして、シャーを凝視した。
「な、何故だ?」
 ジャッキールはぽつりと呟いたが、シャーはすでにそれをきいてもいない。
「じゃあな!」
 シャーは、少しだけ彼の方を見て、にやりと笑った。それから、相変わらず刀を右手に下げてとっとと走っていく。途中、身の程を知らない男が彼に飛びかかり、刀の柄で見事なカウンターをくらわされ転がっていくのが見えた。
(何故、殺さなかった?)
 今のは、殺せたはずだ。ジャッキールは戦意を失っていたはずである。
(何故、とどめを刺さなかった? アズラーッド・カルバーン!)
 他の兵士達は、向こうの方に去っていく。ジャッキールは一人取り残されながら、向こうのほうで遠ざかりながら戦うシャーの背が、闇に消えるのを見ていた。





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背景:空色地図 -sorairo no chizu-
©akihiko wataragi