シャルル=ダ・フールの暗殺
4.青兜-5
「おい、出ろ!」
扉が開き、横柄な男の声がする。シャーは、まるで煙草でもふかしているような顔をして、その男に注意を払わない。顔に傷のある男は、残酷な笑みを浮かべていった。
「ベガードさんが、お前を痛めつけて情報を吐かせるんだとさ。あぁ、かわいそうになあ。お前も、明日にゃ、そのひょろっこい体を地下につるされたまんま、あの世にいってるんだ」
明らかに面白がっている様子である。どうやら、彼も、痛めつけるのに一役かっているのだろう。シャーは、目を天井に向けて何か思い出しでもしているように言い始めた。
「うーん、そういう予定は困るなあ。しかも、ベガードっていうと、あの色気もなにもないでかいおっちゃんだろ? そーれに、オレ、いじめられて喜ぶような趣味ってないのよねえ」
シャーは、考え込むような顔をしていった。それから、思い出したように呟く。
「オレ、実はね、明日、女の子とデートの先約があるのよねえ」
「何?」
男が怪訝な顔をするのを見もせずに、シャルルは一人まだ考え込んでいる。
「約束を大切にするオレさまは、あんた達のへぼ用に付き合ってる暇はないっつーか、これ以上振られたくないっつーか…………うん、そうだなあ」
そして、彼に向けて、にやりと笑った。
「きーめた。オレ、脱走しちゃおう」
「何いってんだ?お前は」
怒った男が、彼の胸倉を掴んで引き上げた。一瞬怯えたような顔をするシャーだったが、対照的に彼の目はじっとりと男を見上げていた。間近で見ると、黒にわずかに青みがかった彼の目は、冷たく澄み渡っている。怯えは目にはなく、むしろ静かな迫力すら漂っていた。シャーは、どこかうっすらと微笑みながら訊いた。男はシャーの表情の変化には気づいていない。
「オレを殴ったりして、後悔しないかい? 一生もんだぜ? この後悔」
「なーにいってやがる! 生意気抜かすな!」
男はその時気づいておくべきだったのである。縛ってあったはずのシャーの縄は、彼が胸倉を掴んで引き寄せた時にばらりと下に落ちかけていた。そして、後ろ手のままの彼の右手に、細身で鋭い小型の短剣が握られていた事に。
「自分の立場を考えろ!」
男は、シャーに殴りかかった。シャーは、体を沈めた拍子に、胸倉を掴んでいた男のごつい手を振り解いた。そして、彼は叫んだ。
「あんたもな!」
シャーは、右手の短剣を男の胸に叩き込んだ。
「ぎゃーっ!」
甲高い悲鳴が響き渡り、地下室は騒然となった。先程、あけた扉から、シャーは短剣片手に悠々と現れる。
「て、てめえ!」
血染めの短剣を握り、シャーは、わずかに微笑んだ。かなり細く、そして薄く作ってあるそのかなり小ぶりの短剣は、彼のサンダルの皮の中に潜ませてあったようだ。
「さっき、随分といじめてくれちゃったよな? 借りはしっかり返してやるぜ! オレは、結構そういうところは執念深いんだ!」
目がわずかに細くなり、奇妙な殺気が放たれる。先程の男と同じ人物とは思えない。
目の端でこの部屋の間取りから、敵の人数までを確認して、シャーはそうっと右側に身を寄せていく。そこの椅子の上には、彼の武器が取り上げられたまま置かれていた。
「てめえ! 死ね!!」
傷の男が、突然切りかかってきた。シャーは、横っ飛びにそれをよけ、そのまま身を低くしてテーブルの上の、自分の刀に飛びついた。阻止しようとする黒服の男が、彼に向けて曲刀を振り下ろす。テーブルは、半分切れ目が入ったが、シャーはすでに刀の柄を握ったまま、反対側に抜けていて、かすりもしない。
「この野郎!」
彼はそのまま、テーブルを蹴倒して、シャーに切りかかった。彼が避ける気配はない。観念したかと男は、勝利を確信した。が、シャーは、握った刀を腰の辺りに移動させ、男が曲刀を振り下ろす直前に不意に口元を歪めた。
黒服の男が失敗に気づいた時は遅かった。シャーは、観念したのではなく、相手が間合いに入ってくるのを待っていたのだ。彼は、抜きざまに相手のわき腹から肩を斜めに斬りあげた。悲鳴と動揺が交錯している間に、シャーはそこから、反対側へと風のように走り抜けた。
たん、と彼のサンダルが、石畳に軽い音を立てた。踊っている時の彼のように、軽やかな音だった。
「オレは、あまり殺生はしたくねえ!」
シャーは、低い声で言った。
「死にたくねえなら道をあけろ!」
シャーは、刀に血ぶるいをくれて、さっと構えなおす。
「こ、こいつ!!」
男たちは、まだシャーの本当の危険さには気付いていない。
「やっちまえ!」
「……後悔すんなよ」
ぼそりと呟き、シャーは大きく足を前に出した。飛びかかってきた男の剣があっという間に弾かれて、宙を舞った。その直後、シャーの刀の柄が男の顔を激しく殴った。そのまま、床に叩きつけられ、何度か転がった後、男は動かなくなった。
シャーは、それを見もせず、ゆらりと一歩近づいた。罵声を上げて別の背の高い男が、飛びかかってくる。シャーはそのまま、右手を軽く横に半円を描くように払った。男の目の前でしろく光るものが飛んだ。それはわずかに孤を描いて横に飛び、石畳の上に甲高い音を立てた。シャーがさっと手を前に払ったときに、男の剣はすでに弾かれていたのである。あまりの速さにそれを見ることすら出来ず、男は泡を食ったように叫んだ。
「何者だ! 貴様!」
シャーの鮮やかな手並みに、ようやく男たちは警戒心と恐怖を抱き始めていたようだった。声がわずかだが震えている。シャーは、その怯えを見て取って、少しだけ笑った。その顔は、ふざけてはいたが、いつものシャーの弱気な愛想笑いではなかった。
「だからあ、シャーだっていってるでしょ? なんも聞いてないんだから。頭悪いね、ホント。オレより悪いんじゃない、おたくら」
ちらりと目を走らせる。そこには、先程彼を痛めつけたベガードがあっけにとられて、やや放心したように彼を見ていた。シャーは、形だけ親しげに笑いかけた。
「さっきはお世話様だったね。ええと、ベガードさんだっけ?」
そうして、ふざけた口調のまま彼は続ける。
「もう、何ぼーっとしてるんだよお? そんなところに立ってると、ついつい踏み潰してしまいそうになるよ?」
「ふざけるな!」
言われてようやく我に返ったらしく、ベガードは怒りの声をあげた。太い眉をいからせるだけいからせて、彼は獣のような声で吼えた。
「てめえ、さっきは……わざとだな! オレに痛めつけられやがったのは!」
言われてシャーはおどけたように、肩を軽くすくめて笑った。持っている刀の鍔がゆるんでいるのか、かたかた、と音を立てる。
「別に〜、でも、縛られてて下手に抵抗しても、オレが痛い目みるだけだもんね。それに、あの状況でオレにどう抵抗しろって?わざとってわけじゃあないけどさあ、オレだって情けない格好はしたくなかったわけよ。まあまあ、その辺の借りはちゃんと返すって。安心しろよ、おっさん」
おどけたシャーの目に、その表情とはそぐわない厳しい光が宿っている。ベガードは、初めてびくりとした。
「オレ、そろそろ雑魚には飽きちゃったなあ。……で、おっさん、あんた、そろそろオレの相手してくれない? 今度は本気で相手してやるからさあ」
シャーは、鍔鳴りしていた刀をざっと相手に突きつけた。ぴたっと空気が止まる。そして、彼は笑いも愛想も全く含まない声で告げた。
「……その腰のでかい剣が飾り物だとはいわさねえぜ」