シャルル=ダ・フールの暗殺
4.青兜-6
「くっ」
ベガードは歯噛みして、自分の剣を抜き放った。憤りと焦りのせいか、少し震える言葉で、剣を振り上げながら叫ぶ。
「こ、今度は、こっちこそ容赦しねえ! 叩き潰してやる!」
「できるもんなら、どうぞやってちょうだいな」
口元だけにっこりと笑わせながら、シャーは冷たく言った。
「ふざけるな!!」
ベガードは、鋭くシャーの胸を突きあげた。だが、その頃には、彼はわずかに自分の体を引かせ、素早く横にさーっと移動した。曲刀の切っ先は空を突いたが、すぐさまベガードはそれを横に薙いだ。甲高い金属音とともに、火花が散った。
「おっとっと」
シャーのおどけたような声が聞こえた。刀の鍔に近いところで相手の刀を受け止めていたシャーは、わずかに崩れた体勢を足を一度踏みなおして直す。そして、少し意外そうな顔をした。
「……あんたぁ、意外と強いじゃないか」
「やかましい!」
ベガードは血走ったような目をシャーに走らせた。そのまま、力任せにシャーを押し切ろうとするが、いきなりシャーが下にもぐりこむようにしながら、力を抜いたので彼はわずかにつんのめるような格好になった。その間に、シャーはさっとベガードとの鍔迫り合いを避けた。
「力で勝負したってあんたにゃあ勝てないからな」
シャーは笑った。
「くそう! ちょこまかと!」
青い服を着たひょろ高い背の男は、刀を人差し指と中指だけで軽くぶら下げるように右手に持っている。それを弾く事すらままならず、ベガードは徐々にいらだってきていた。
『死にたくないのなら、あの男を甘く見ないことだ』
ジャッキールの忌々しい言葉が脳裏によぎった。
(何を馬鹿なことを! オレが負けるなんてあるわけねえ!)
ベガードは不吉な予感を打ち消すように心の中で叫ぶ。目の前の男は、頼りなげに痩せた体で、しかも細い腕で刀をぶらさげているだけだ。自分の力で何とかならないわけがない。
(あの小僧の首をへし折ってやる!)
彼は今度は曲刀を力任せに振りかぶって、奇声をあげて飛びかかった。シャーは、それを冷徹な目でじっと見ていた。
「何度やってもわかんねえやつだな」
シャーはゆったりといった。
「あんたは、オレには勝てねえよ!」
彼は、そのままふと刀の柄に左手を添えた。左手に力の大半が加わった。そのまま刀を跳ね上げながら、切り上げる。空を切る甲高い音がした。
斬った、と誰の目にも見えた。シャーは、男の反対側にぬけ、そのまま二、三歩歩き出す。後ろで人間が倒れる音がし、ざわりと周りの男たちが揺れた。
シャーは、刀を収めずに、きっと後ろを振り向く。その視線に射られ、男たちの間には、戦慄が走った。
「ベガードさんがやられた」
「俺たちじゃ無理だ」
「ジャッキールさんを呼ぼう!」
口々に言い始めた彼らに、シャーはぶらりと一歩近づく。ひっ、と誰かが悲鳴をあげた。彼らの一人が、一歩後退したかと思うと、はじかれたように逃げ出した。また一人、また一人、後を追いかけ、やがて誰もそこにいなくなった。
シャーは、ベガードを見下ろす。口から泡を吐いたまま気絶しているベガードを見ながら、彼は軽く肩をすくめた。
「峰打ちってのをしらないのかねえ」
あの時、シャーは彼を斬る直前、手を返して刃の向きを変えたのだった。
「痛い目見たが、あんたがオレを痛めつけたから、あのにーちゃんの同情をひけたんだしな。……今回は見逃すとして、ま、これを反省して、もっといい人間になりな」
シャーは、気絶して、聞いていないだろう相手にそういい置くと、そのまますたすたと歩き出した。
先程まで、響いていた悲鳴と怒号が消えた。いや、正確には遠ざかって行った。逃げたものがいるのだろう。空気の中に血の匂いがかすかに漂っている。それが、この場で起きた凄まじい刃傷沙汰の程度を示していた。大男は、怯えながらテーブルの下に隠れていた。
まさか、あの捕虜がこんな大事をしでかすなんて。あんなに弱そうに見えたのに。
自分のせいだろうか、それとも……。いや、そんな心配をしている場合ではなかった。自分も斬られるかもしれない。自分もあの男の敵なのだから。
「お〜い、ちょっと」
こんこんと、テーブルを叩かれ、彼は驚いて飛びあがった。がたんとテーブルが倒れ、こちらをのぞきこんでいた男の顔が見えた。頬に返り血は浴びているが、そこにいた男は紛れもなく、先程部屋に閉じ込められていた若い青年だ。
「ひぃっ、助けてくれ!」
男は、怯えてその場にへたり込み、頭を抱えた。彼は、男の様子をみると軽く笑った。
「そんなに怯えるなってば。何にもしないからさあ」
大男は、不安そうにシャーを見上げた。まだ、刃物を収めてはいなかったが、シャーの顔はすでに戦士の表情ではなかった。彼は、いつものような親しみのある表情を向け、慰めるように微笑んだ。
「あんたは、オレに優しくしてくれたよな。……その事は忘れないぜ。もし、職にあぶれたら、カタスレニア地区の酒場に来るといい。オレが必ず何とかするよ。ありがとな」
シャーは大男にそういうと、まだ呆然としている彼にもう一度にこりと微笑み、そのまま刀を肩にかけて向こうの方に走っていった。
男が自分が助かったのだとわかるまでに、かなりの時間がかかった。
「青兜(アズラーッド・カルバーン)、というのを知っているか?」
ジャッキールの言葉に、少年は首をかしげた。少し暗い石造りの部屋。ジャッキールはそこで酒を飲んでいた。小間使いの少年はラゲイラからの伝言を伝え、部屋から出ようとしていたが、突然ジャッキールに呼びかけられてちょうど立ち止まった。怒鳴るか、不気味なほど無口なジャッキールが、こう喋りかけてくる事は珍しい。機嫌がいいのだろうか。
そういえば、いつもよりも機嫌がいいらしく、口元が笑みを象っていた。
「アズラーッド?」
少年は、聞き返した。聞き覚えの無い言葉である。
「そうだ」
ジャッキールは、酒を口に含みながら言った。
「シャルル=ダ・フールが王子だった頃のことだが、シャルルは当時、最前線で戦っていたそうだ。もっとも、本人が戦っていたかどうかはわからん。なにせ、奴は病弱で動けないという話だからな。……ともあれ、シャルルが戦っていたとされている時期の最前線で、その軍で七部将よりも凄まじい活躍を見せたものがいた。あまり知られていないことだがな」
少年はじっと彼を見ている。ジャッキールは、少年にきかせているというよりは、一人ごとのように、しかしやや芝居じみた口調で言った。
「そうだ。全身、青い色を塗った鎧を着て青いマントをつけ、青い羽飾りのついた青い兜を被った若い男。使う剣術は、東方伝来の不思議な刀を使ってのもので、それが、凄まじく強かったのだそうだ。奴が加わった戦は連戦連勝。負けても士気が落ちなかったらしい。そしてついたあだ名が青兜――奴が主に遠征していた東のリチュタニスの言葉でその意味である「青兜(アズラーッド・カルバーン)」とよばれた。シャルルの軍勢の中で司令官として戦っていて、目立った功績をあげたせいで、奴はいつの間にやらシャルルの影武者といわれたそうだな。いや、実際はそうだったのかもしれん。しかし…………」
ジャッキールは、杯を置いた。
「青兜(アズラーッド・カルバーン)は、ある戦いを境に戦場から消えた。死んだという噂だったが、……今度は旅先で不思議な東方風の剣術を使う男の噂が聞かれるようになった」
「ジャッキールさんは、それを同一人物だと?」
「そうは思わないか?」
ジャッキールは笑ったが、少年は何も応えなかった。
「一度手合わせしてそれっきりだったが、とうとう見つけた」
彼は、ぞくりとするような冷たい笑みを浮かべた。前髪の間から、狂気を含んだような瞳が、ゆらゆらと揺れている。
「あの男だ」
「まさか!」
青年はハッとして、咄嗟に言った。あのひょろっこい情けない男が、そんな大層な人間であるわけがない。
「いや、間違いない。あれがシャルルの密偵(イヌ)だとすれば、まちがいなくな。あいつは、アズラーッド・カルバーンだ」
ジャッキールがそういったとき、突然、廊下の方でせわしない足音が聞こえた。
「た、大変です!」
扉を慌てて開き、足音を大きく立てて男が走りこんできて叫んだ。
「どうした?」
落ち着いて尋ねるジャッキールと対照的に、男は全力疾走からくる疲労のために肩で息をして急き込みながら言った。
「あ、あの、捕まえていた男が……、と、逃亡を……! あ、あいつ、無茶苦茶強くて、オレたちじゃ……手に負えません!」
ジャッキールは、右手で剣を取り上げながら弾かれたように立ち上がった。怒鳴られるのかと思い、男はびくっと肩をすくめたが、ジャッキールは怒鳴りつけなかった。代わりに、彼はにやりとほくそえんだ。その笑いは、殺意を含んで、不気味に薄い唇に浮かべられていた。
「やはりな。そうじゃないと、割に合わん」
ジャッキールはいい、鈍い光を放つ、刃をそっと抜いた。
「そうだな、青兜(アズラーッド・カルバーン)……」
行くぞ。とジャッキールは低い声で、少年を呼び寄せた。そのまま、部屋から出て行くジャッキールの口元には、今まで見たことの無いような、嬉しそうな笑みが浮かんでいた。