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シャルル=ダ・フールの暗殺
4.青兜(アズラーッド=カルバーン)-1


「シャー! シャーってば! しっかりして!」
 ラティーナの声が、聞こえ、シャーは不意に目を覚ます。目を開くとラティーナの心配そうな瞳が飛び込んできた。女性から心配されたなど、何年ぶりだろうか……もしかしたら初めてかもしれない。
「何〜、愛のこもった朝のご挨拶ですか?」
 にへらと気の抜けた笑みを浮かべ、シャーはラティーナに訊いた。
「寝ぼけないで! 状況見なさい」
 ラティーナの怒鳴り声が響いたのか、急に後頭部が痛んだ。そういえば、目を覚ました時から体が重いし、頭も痛かったのだが、のんきなシャーはそれに気づくのが遅かったようである。
「い、いて……って……」
 頭を撫でようとしたが、彼の手は、自由に上には上がらなかった。後ろ手に縛られているのである。
「あ、あれれ……。これ、何の冗談」
「冗談なわけないわ! 見なさい!」
 同じように縛られているラティーナが、顎を上の方にしゃくった。
「わお」
 シャーは、周りをいかつい男たちが囲んでいるのを見て、ふざけているのか驚いているのか、わからない声を上げた。そこには、そのような男たちが武器を携帯した上、十人近くたっている。そこは薄暗い石造りの狭い部屋で、ほとんど牢に近い雰囲気だった。窓もない。松明の炎がパチパチと音を立てた。
「ど、どうしたんですか、皆さん。顔が一様に恐いですよ〜」
 シャーは、愛想笑いを浮かべて彼らに声をかけてみるが、返答するものはいない。
「や、やだなあ。オレ。あんまり重い空気好きじゃないのに〜」
「ふざけてる場合じゃないわよ!」
 ラティーナが、シャーを睨んで黙らせる。
「……あたし達は捕まったの」
「誰に?」
「……あたしが知るわけないでしょ」
 ラティーナは、後ろめたさも手伝って、つんと顔を背けた。
「……ほんと、役に立たない用心棒なんだから」
「ご、ごめんなさい」
 シャーは痛いところを突かれて、しょげた。
「……でもねえ、頭をいきなりどつかれたら、普通ダメだと思うんだよ、ねえ」
 何とか、ラティーナの機嫌を直そうとしているらしく、あたふたとシャーは言い訳をし始める。
「オレだって、ちょっと粘ったつもりなのよ。でも、ほら……」
「その割りには随分あっさり気絶したわよね」
「うっ……」
 シャーは更に詰まって、ラティーナをそうっと見上げた。結局見事にやられたのだが、一時はわざとやられようとしていた。シャーとしても、後ろめたい所があるのである。
「ご、ごめんなさい」
 シャーは、素直に謝った。
「もう遅いわよ」
 ラティーナが言った時、ぎぎぎ……と何か重くきしむ音が聞こえ、正面のドアが開いた。
 男が一人、そしてその後に何人かの部下がついてきていた。男は、革の鎧を身につけ、剣を帯びていた。身のこなしは、武官風だが、その格好からすると流れの戦士といったところだろうか。雇われているという感じがした。
 癖のない黒髪の長髪で前髪が顔を覆っていたが、その大体の容貌はわかった。三十がらみ、まさか四十まではいっていないだろう。そのぐらいの壮年の男である。ちらりとのぞく限り、精悍で二枚目な顔つきだが、どこか酷薄そうな印象があった。顔立ちがどことなく、このあたりの人間と違うのは、この男はどこかから流れてきたからだろうか。どちらにしろ、どこから来たのか、わからないような顔つきをしている。
 鋭い瞳が、髪の毛の間からちらちらと二人をかわるがわる見ていた。何故か、炎の赤い光を受けて、その目は赤くみえた気がした。
「どなた様ですか?」
 シャーが、愛想笑いを浮かべながら聞いた。
「オレたち、一般市民ですよ。こんな手荒な事する必要はないでしょ〜?」
「黙れ、貴様の茶番に付き合うつもりはない」
 男は、鋭く言ってシャーの口を素早く止めた。
「女を連れて行け!」
 彼は続けて左右に命じた。近くにいた者達が、ラティーナを立たせる。
「シャー……!」
 ラティーナが不安そうな声を上げた。シャーは少し慌てて、立ち上がろうとする。
「おい、ちょっと!」
 言いかけたシャーの口はまたしてもそこで封じられた。立ち上がりかけたシャーの腹部を男が足で蹴り上げたのである。床に叩きつけられ、苦しそうに咳き込むシャーを見て、男はうっすらと笑みを浮かべた。
「シャー!ちょっと!何するのよ!」
 ラティーナが引っ張られながら、男をきっと睨む。
「安心しろ、これくらいじゃ死にはせん」
「だからって!」
 ラティーナはまだ言いかけたが、彼女の周りにいる兵士が無理やり彼女を扉の外に出させた。
「ちょっと! シャー!!」
 分厚い扉が無情にもしめられ、ラティーナの声はそこで途切れた。
「貴様らも先に出ていろ!」
 男は、残っていたものに命令した。
「しかし…………」
「ふ、危険だというのか? それとも、貴様らも、私が信用できないというのではあるまいな?」
 笑いながらだが、目は笑っていない。にらまれて、兵士たちはびくりとした。
「滅相もありません」
「なら、こやつの抵抗を心配しているというわけだな?」
 彼は念を押すようにしてそういい、ちらりとシャーに視線を投げた。
「では、聞いてみよう。この状態で抵抗するほど、馬鹿ではなかろう? どうだ、シャー=ルギィズ……」
「確かに……」
 シャーは、ごろんと転がって姿勢を整えながら言った。
「この状態じゃあ、蹴り殺される方が早そうだよなあ。……やめてくれよ、オレぁさっきも一発食らってるのよ。あと一発蹴られたら、多分あの世行きだってば」
「……そういうことだ」
 男が言うと、残っていた部下達も納得したのか、そろそろと扉の外に出て行った。
 部屋には、シャーと男だけが残された。シャーは、苦笑いしながら言った。
「やだなあ。おっさんと二人っきりだなんて。そういう趣味ないのに。オレはね、健全な空気しか吸わない主義なのよ。わかる?」
「奇遇だな。私もない」
 男は笑う。
「だが、貴様には話をつけておいたほうがいいと思ってな」
「なぁにい? 金なら大金積まないとダメだよ。それとも、無駄って言っておいたほうがいい?」
「わかっている。少し昔話をきいてもらおうか」
 男は話を始めた。
「二年ほど前のことだ。ある街の酒場でならず者が騒いでいた。あまりにも目に余る行動に、店主が止めに入ったが、逆に脅され、危うく殺されそうになったそうだ。そのとき、なじみだった旅人が仲裁に入った。だが、その仲裁を受け入れるような連中でもない。その場で旅人に切りかかった」
 男は続けた。
「結果、どうなったと思う? 二十人もいるならず者共と一人の旅人……。どう考えても多勢に無勢だな。だが、勝ったのは旅人だ。相手にした連中は、命こそ失わなかったが、皆しばらくごろつきを廃業しなければならんほど痛めつけられたそうだ」
「立ち回りの仕方じゃないの? どうせ屋内で戦ったんだろうし。そういう場合は、経験のある奴が勝つもんだ」
 シャーは笑っていった。男は薄笑いを浮かべたままうなずく。
「そのとおり。要は戦い方の問題だな。だが、私が噂にきいたところによると、その上手く立ち回って勝った旅人が妙な刀をつかっていたそうだな。……東方由来の……知っているか?」
「さぁ。オレは知らないなあ」
 シャーは刻むような笑みを浮かべた。男は笑みを消し、じっとりと視線を下げた。
「……貴様だな? シャー=ルギィズ」
 シャーは、おかしくてたまらないというように笑い始めた。
「あはは。そんなオレがそんな大物に見えますう? ちょっと、旦那、買いかぶりすぎじゃないの?」
 男は冷笑を浮かべる。
「ふふふ、今更そんな茶番を信じると思うか? ……貴様、先ほど俺の蹴りをまともに受けたように見せかけておきながら、実際は、わずかに急所をそらしていた。部下はどうかしらんが、俺の目はごまかされん」
 はっとシャーは、笑うのをやめた。彼は、そこに胡坐をかき、口元をひきつらせて笑った。
「ちぇっ。あんた、性格悪いねえ。言われないか?」
「貴様に言われたくないな」
 シャーは、やれやれとため息をつくと、肩をすくめた。
「確かに、あの時に仲裁に入ったのはオレだよ。あんまりやりたかなかったんだけどさ。あの連中ってば、無茶して酒屋のオヤジを痛めつけるもんだから、仕方なくだよ」
 シャーは言い訳まじりにそういった。
「……そこまで知ってるって事は、つまり、どういうことだい?」
「何も。一度、貴様とは勝負がしてみたいとおもってな」
「ここでか?」
 シャーは馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「オレは縛られてるし、こんな狭い部屋じゃ短剣でも使わなきゃつかえちまうよ?」
「今というわけではない。この屋敷のどこかで……だ。なるべくたくさん人がいるときにな」
「……なんだ、ラゲイラ卿にはそういう趣味があるの? それとも、あれと組んでる連中のほうにかな? 勝っても負けても、後で余興ってことでオレをなぶり殺しにするんだろ? いい趣味だこと」
 鼻先で笑いながら、シャーは目を少し細めた。
「ラゲイラさまがなにを企んでるのか知らないけど、……まぁ、羽振りがいいことで」
「ラゲイラ卿自身にはそういう趣味はない。仮に卿がそうするといっても、俺も見世物にするような業(わざ)はもたぬ主義でな、普段はやる気もおこらんが。だが、貴様と勝負する機会はそれぐらいしかなさそうだから仕方あるまい? 俺の言っている意味がわかるか?」
 男は、薄い唇を引きつらせ、冷徹な笑みを刻んだ。
「それに、貴様が出てこないということは、どういうことになるのか、わかるか? ……あの娘がどうなるか見ものだがな」
「どういう意味だ」
 シャーの表情がわずかに変わった。それに気づいたのか、男は陰気な笑みを強める。陰気なくせに、いやに冷酷な笑みだ。
「ラゲイラは私兵を雇っている。……流れ者の傭兵など、野の獣と変わらん。あの娘は貴族の娘らしいが、そういう上等な女に、あの野蛮な連中が、どういう感情を抱くか、だ」
 シャーは、その意味を解するや否や、カッと目を見開いた。歯をぐっと食いしばり、突然、瞳に殺気を宿らせる。何か、野生の獣のような目だった。
「……てめぇ……」
 先程まで気の抜けた喋り方をしていた男は、急に低い声になり、上目遣いに相手を睨んだ。
「……てめえ! ラティーナに指一本でも触れてみろ! マトモな死に方できると思うなよ!」
「ようやく、本気になったか?」
 男はくすりと口元を歪める。
「……じゃあ、あの娘がぼろぼろになる前に助けて見せるんだな」
 男は背を向け、ゆっくりと扉から出て行く。
「……待ちやがれ! 蛇野郎!」
 シャーの低い声が背中にかけられた。男は振り返る。シャーは押し殺したような声で言った。
「あの子に手を出したら…………八つ裂きにしてやる!」
「できるものならな。楽しみにしている」
 男はにやりとする。
 暗い殺気に満ちた目に見送られ、男は再び顔を戻すと扉から出て行った。シャーは、わずかに奥歯を噛みしめるようにしながら、遠ざかる相手の背を睨みつけていた。





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背景:空色地図 -sorairo no chizu-
©akihiko wataragi