シャルル=ダ・フールの暗殺
4.青兜-2
狭い部屋には、机とそしていくつかの椅子。それが、ぼんやりとした灯りで照らし出されている。じりじり……と音を立てるろうそくが、その場の静寂を伝えていた。
「どうして、一人で行動をしたんだ!」
突然、怒鳴り声が静寂を破った。ろうそくの炎が揺れて、音を立て、再び静寂が訪れる。もう一度口を開こうとした少し眉の太い、大柄の男を、横にいた太った男が手でそれを制した。ラティーナは、その男をきっと大きな目でにらみつけた。
「……情報をくれたのは、あなたでしょう! ラゲイラ卿」
大声で怒鳴った男の横には、太った、なかなか切れ者そうな男が座っている。
「だから、あたしは自分で!」
ラティーナは、ラゲイラに食って掛かった。
「ラティーナ姫」
ラゲイラは、ふっと微笑んだ。
「私は何も、一人で行動しろといった覚えはありません。足並みを乱すような真似はやめてほしいと何度も頼みましたが、あなたは守ってくださらなかった」
「それで、あたしを殺そうとしたの?」
「ただの脅しですよ。……そして、後ろにいる男の正体を見極めたくてやったのです」
ラゲイラは冷たくいった。
「後ろにいる男……シャーのこと?」
ラティーナの問いかけには、直接答えず、ラゲイラは目を伏せた。
「あの男の正体を知っているのですか?」
「しょ、正体ですって……」
唐突に訊かれて、ラティーナは一瞬詰まる。確かに正体がどうだと訊かれたら、何も知らないラティーナには答えられない。
「で、でも、シャーは関係ないでしょ。……確かに、ザミル王子があの人なら道を知っているかもしれないといったわ」
ラティーナは、動揺を隠しながら言った。
「でも、あんな風に手荒に扱うなんて訊いてなかった! 皆で説得しようって言っていたけれど、確かにあたしは先にシャーにある程度の情報を打ち明けたわ。でも、彼は協力するっていってくれたし、それなのにどうして! ザミル王子から何も聞いていなかったの? あなたの独断ね!」
まくしたてるように言って、ラティーナは息をついた。ラゲイラは彫像のように動かず、それをきいている。やがて、指を組むとラゲイラは射るような目でラティーナを見た。
「あの男に、話したのですか?」
「……仲間については話してないわ。でも、大丈夫よ。お願い、殺すなんてことやめて! 命だけはたすけてあげて!」
必死の彼女の懇願に、ラゲイラはため息をつく。
「きっと教えてくれるわ。地下道の入り口だってきっと!」
「何もわかっていらっしゃらないようですな?」
ラゲイラは首を振る。そして、指を組みなおし、ラティーナに告げた。
「あの男は、シャルル=ダ・フールの密偵(イヌ)ですぞ?」
「嘘!」
ラティーナは、即座に否定した。
「そんなはずないわ! あんな奴が!」
「まだ、お分かりになっていないようですな?」
ラゲイラはにやりとする。
「あの男は、私の事を知っていましたよ。それに、あの男は、昔シャルルの影武者をつとめていたシャルル付きの戦士です」
「そんな! だって、あいつは……!」
ラティーナは言いながら、確かにシャーの動きが不審なのを思い出して絶句する。わざと弱い振りをするシャー、そして、……シャルル=ダ・フールをかばい立てするシャー。
「……思い当たる節がおありのようだ」
ラゲイラは、軽く笑った。
「嘘……」
ラティーナはぼそりと呟いた。
「……さて、あなたをどうするかは、あなたが大人しくしてくれるかどうかにかかっています。一度頭を冷やして、よーく考えて見なさい」
ラゲイラは言うと、席を立った。
「待って!」
ラティーナの声が後ろから追ってきたが、ラゲイラは振り返らなかった。後をついて、彼女に怒鳴った部下がゆっくりと後ろを追っていく。すでに部屋を出たラゲイラを諦め、ラティーナは男に訊いた。
「待って! シャーはどうするの?」
ラティーナが咄嗟に立ち上がる。
「あんたも知ってるんでしょ? あいつをどうするの!」
「なんだ、気になるのか?」
男は少し下卑た笑みを見せた。
「オレの部下が聞き出すことになってるぜ」
にやりとし、男は告げた。
「嫌だといったら、死ぬまで苦しませてな……!」
「拷問する気なのね!」
ラティーナはにらむように男を見上げた。
「当たり前だ。あいつは、シャルルの影武者。当然、入り口を知ってるだろうからな」
といいながら、ふと彼は訊いた
「会いたいのか? あの男に……」
ラティーナは黙って立っている。複雑な感情が顔に見えていた。男は残虐な笑みを浮かべた。
「会いたいというなら、明日会わせてあげようか。ただな、多分五体満足というわけにはいかねえだろうが……。もしかしたらもう首だけになってるかもしれねえぜえ」
「やめて!」
ラティーナは顔を覆った。
「ラゲイラ様が甘いから、お前は助かってるんだ。その分の咎もあの男に受けてもらうぜ。……もしかしたら今もう吊るされてるかも知れねえな」
「やめてっていってるでしょ!」
ラティーナは、きっと男をにらみつけた。が、その目は少し潤んでいる。
「ベガード」
急に少しこもるような声が飛んできた。
その声はラゲイラのものではない。先ほど、シャーを蹴り倒したあの男のものである。ベガードとよばれた、眉の太い男は、きっと入り口をにらんだ。そこには刃物を思わすような姿の黒衣の男が立っている。どことなく陰気な印象のジャッキールは、そこに立つだけでも十分不気味な存在だ。
それだけではない。ベガードとジャッキールは、お互いラゲイラに仕えてはいるが、立場が違う。ジャッキールは流れの傭兵であり、ベガードは一応ラゲイラに専属的に雇われていた。だが、ラゲイラは、新参者のジャッキールには、敬称つきで呼び、重要なポストにつけたほか、彼のことを客人扱いしている。ベガードにしてみれば、気に食わないことこの上ないのだった。
「ジャッキール! なんだ!」
「貴様の娘いじめがあまりにもひどいのでな、少し忠告をしにきたまでだ」
ジャッキールは冷たい口調で言った。
「何だと?」
「大の男が、まだ年端も行かぬ娘に、そのような態度とは……。格が落ちるのではないか?」
ジャッキールが、薄ら笑いを浮かべるのを見て、ベガードが、目をいからせて一歩彼のほうに体を近づけた。
「貴様! 傭兵の分際で!」
「ふん、元を正せば貴様も似たようなものだろう?」
ジャッキールは、薄い笑みを浮かべる。ベガードが何か吼えようとしたが、ジャッキールはふいと体を後ろに向け、顔だけを半分ベガードに向けながら、静かに言った。
「これは親切心からの忠告だがな」
「な、何がよ!」
静かなジャッキールに不気味さを感じ、ベガードは腰の刀に手を伸ばした。それをあざ笑うかのような目で見ながら、ジャッキールは言った。
「死にたくないのなら、あの男を甘く見ないことだ」
「何!」
意外なことであり、しかも、おかしなことだった。ベガードは、あざ笑った。
「あの臆病者が怖いのか! ジャッキール、てめえも落ちたもんだな」
「何とでも言え。ただ、あの男を過小評価するのは危険だぞ」
ジャッキールは含み笑いをしてそういい、そのまま部屋の外にでようとする。
「忠告をきかぬようなら愚か者と話すこともこれまでだな」
にたり、と笑うジャッキールに、ベガードは不快を覚えた。思わず腰の刀を握る手に力がこもる。
「な、何だとぉ!」
「ここで斬りあいでもする気か? 入り口に立っている私に切りかかろうとすると、貴様の剣がこの入り口の天井にひっかかるがな。その間に、私がどれほど動けるか、わかっているのか?」
ジャッキールはいつの間にやら、剣ではなく、そろそろと腰に吊るした短剣に手をかけていた。
「それでもやるというなら、受けて立つが……。女の前で、血を流すなど随分無粋だが? さて、どうする?」
ベガードの刀は両手持ちのものでずいぶんと大振りのものであり、それに対しジャッキールは短剣で渡り合うつもりのようだ。ベガードが不利なのは目に見えている。
「くっ!」
仕方なくベガードが、手を引いた。ふ、とジャッキールが嘲笑を口の端にのせた。そして、冷血動物のような目をラティーナに向けた。這うような視線に、ぎくりとラティーナはおびえるが、彼の視線はすぐに入り口のほうに戻された。
「騒がせたな、娘」
そういうと、ジャッキールは、黒いマントを翻しながら部屋から去った。舌打ちしながらも、脂汗を流しているベガードは、その場にしばらく突っ立ったまま動かない。
「くそ! あの野郎!」
ベガードはそう吐き捨て、ようやく足を動かした。他の部下にラティーナを連れて行くように言いつけると、彼はぐっと歯をかみ締めながら呟いた。
「お前が買ってるあの臆病者。……今からばらばらにしてやる! その時の顔が見ものだぜ」
くっくっと、半ば狂気じみた笑みを浮かべながら、ベガードは部屋を出て行った。もはや、ラティーナに興味などないというようにである。
「シャー……」
複雑な思いを抱えながら、ラティーナは呟いた。あの、どこか憎めない顔が、苦痛にゆがむのを想像すると、なんともやりきれない気持ちになった。
たとえ、彼が敵だったとしても。
ラゲイラ邸に最近入り浸りのハダートにも、この報は知らされた。彼もラゲイラの手先としての割り振りがされているし、事情を知らなければいけない立場であったからだろう。 ハダートは知らせを聞いたとき、顔には出さなかったが、内心青くなっていた。まさか、こんな風に飛び込んでくるなど思いも寄らなかったのである。……あれが。
「あ〜あ、どうしようもねぇなあ」
ハダートは、苦笑いともなんともつかない笑みを浮かべながら、ため息をついた。
「いい加減、立場をわきまえるってことを覚えねえのかねえ、あの三白眼野郎は」
顔に似合わない荒っぽい言葉遣いで、ハダートは頭を軽く抱える。仕方なく彼は出したメモに素早くペンを走らせた。それを巻いて金属の筒に入れた後、鳥かごの中に入れている黒いカラスを見た。
「……お前にちょっと役に立ってもらおうな。俺のかわいいメーヴェン」
ハダートは言うと、カラスを鳥かごから出して手に乗せ、足に紙切れをくくりつけて、窓際にたった。
「……さぁ、ジェアバードの所に行け。奴によろしくな」
小声でささやき、カラスをのせた手を上に跳ね上げる。カラスは一声鳴くと、ざっと空に舞い上がった。
「……まったく、なに考えているんだか……」
ハダートは、ぶつぶつといいながらも、不意に思わず微笑んでしまう自分に気づいた。そんな自分にも苦笑しながら、ハダートは言った。
「ホンと、どうしょうもない奴だよ。アレは」
そのアレが、今から何を起こすか、ひそかにハダートは楽しみだった。