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紅い剣の月の夜-3
 

何を考えているんだ、奴は。
 ゼダはいまだに相手の思惑をはかりそこねていた。ジャッキールの奴、今日はやたら饒舌だ。
 いや、もともとジャッキールの奴は、興奮すると口数が多くなるのである。普段はどちらかというと口数が少ないほうだが、不利になるはずの戦闘時のほうがよほど饒舌になるのである。
 けれど、そこでは見分けがつかない。
 一番の方法は、目を見ることだ。力に酔ったジャッキールは、明らかに目が普段と違うのである。だが、今日は月光が弱いから、彼の目がまともに見えなかった。
 だから、ジャッキールが、本気なのか、それとも遊んでいるのか、見分けが付かないのだった。
「さあ、次はどうする」
 靴が砂を擦る音がかすかに響いて、影がわずかに揺れるが、ほとんど動きを見せない。ジャッキールは、最低限動きを取れる姿勢をとって、あとはゼダの動きをみて決めるという状態のようだ。
(馬鹿にしてやがる!)
 ゼダは、きっと唇を噛む。本気であれ遊びであれ、ジャッキールが自分をなめてかかっているのは間違いない。さすがに、ゼダもだんだん腹が立ってきた。ここでやられっぱなしでいるわけにはいかない。
 と、いきなり、今まで動く気配も見せていなかったジャッキールが、さっと動いた。ジャッキールは、大兵だが、案外反応と動きが早い。あっという間に切りかかられ、ゼダはひとまず防戦する。
 連続で振るわれるジャッキールの剣を弾いて、後退する。相手が鼻先で笑ったのがわかった。
「貴様!」
 一瞬、ゼダの瞳に火がともる。
 ジャッキールの振る剣の軌道が、大きく弧を描く。その隙に、ゼダは攻勢に転じた。まだジャッキールが体勢を整えていない間に、あえて後退して距離をとると、そのまま踏み込んで、鋭く剣を薙いだ。
 振り回した剣が、いっそうの勢いをかりてジャッキールのマントをかすれていく。
 そのまま全力で突きこむと、ジャッキールは小剣でそれを受け流しながら、わずかに後退して逃げる。
 その一瞬、口元に、いまだに浮かんでいた笑みが消えた。思わずジャッキールは、左手を剣の柄にそえて、それをどうにか受け流す。
 ゼダは気合の声とともに、ジャッキールに向けて切り払ったが、彼はくるりと半回転しながら、追撃を逃れて距離を稼ぐと、たっと足を止めた。
 構えなおすゼダに、直立のジャッキールは、まだ余裕の笑みを浮かべていた。あれだけ動いた割りに、ジャッキールのほうはまだ息を切らしていない。それだけ冷静に動いていたということだが。
「まあ、待て」
 ジャッキールは軽く手を上げると、まだ飛び込んできそうなゼダを牽制した。
「ふふふふ、今のはよかったぞ。さすがの俺も冷や汗ものだったからな」
「なんだと!」
 ゼダはあがった息をおさめながら、ジャッキールを睨んだ。ジャッキールのほうは、というとゼダの剣幕にやや苦笑しているようだった。
「まあ、そういきり立つな。今夜はこのぐらいにしておこうではないか、小僧」
「なに?」
 ゼダは、汗をぬぐいながら意外な言葉に、疑うような目を向ける。
「ははは、これ以上やると、貴様のほうが本気になるだろう。俺も遊びですまなくなるのでな」
「そうなったほうがいいんじゃねえのかよ? 少なくともあんたは」
「時によりけりだ。今日はそういう気分ではない」
 ジャッキールは、にべなく答える。
 どうもおかしい。ゼダは、注意深くジャッキールのほうを見た。
いつの間にか、わずかな月明かりの下に姿をさらしているため、彼の表情がようやくわかる。少し苦笑しているらしいジャッキールの目は、冷静といってさしつかえなかった。ともあれ、あの時のように、照り返しのせいなのか、真っ赤に見える瞳を異常にぎらぎら輝かせて、まるでこちらを見ていないような夢でも見ているような目をしているわけでもない。ひきつった口元には、歓喜そのものの笑みが浮かんでいたものだったが、普段は、というと、どこか生気が抜けたようなところのある彼だ。
「あんたの方から喧嘩をしかけてきたんだぞ。どういうことだ」
 ゼダの責めるような口調に、ジャッキールはかすかにではあるが、どこか悪戯めいた表情を見せた。
「まあ、そういうな。殺気に当てられて刀を抜いたのだから、何もせずに収めるのもつまらんだろうとおもってな」
 ジャッキールは、小刀を手で遊ばせると、ゼダがまだ刃物をしまっていないにもかかわらず、一方的に収めた。
 本気だろうか。ゼダは、まだジャッキールの意思を図りかねていた。だが、ジャッキールが、ここで嘘をつく道理もなかった。
「オレをからかっただけってわけかよ? ふん、あんたも、案外悪趣味だな」
 ゼダは、腹立ち紛れに皮肉っぽく言い捨てる。
「貴様ほどでもないのだがな」
 ジャッキールは、そういうと、ふとゼダの不機嫌な顔を見て、相変わらずの薄ら笑いを思い出したように浮かべた。
「ふふふふふ、大分機嫌が悪いらしい。俺が剣を抜かなかったことが気になるのか? それとも、その後のことかな?」
 ゼダは無言である。それをみて、ジャッキールは、自分の予想が正しいことを確信して続けた。
「別にアレは貴様を侮ってのことではないのだ。長剣を抜くと、俺も血を見たくなるからな」
 それに、と、ジャッキールは、ほんの少しからかうような笑みを見せた。
「それに、貴様は、俺がなかなか剣を抜かないものだから、警戒して焦ったな? その焦りを誘発する意味でも、わざと抜かなかったのだ」
 ゼダがむっとしたのをみて、ジャッキールが、ほんの少しにやりとしたのがわかった。この野郎と思いつつも、ジャッキールの仕掛けた罠にはまったのが自分であるので、ゼダとしては何もいえない。
「本来は、貴様のほうが、こういう小細工は得意だろうがな。初っ端で一度やられると、なかなか”効く”ものだろう? ふふ、敢えて俺も煽るように行動したしな。まあ、それに乗ったのは、若い証拠だが」
 ジャッキールは、少し表情を戻した。
「これからは、それを念頭において、もう少し余裕をもつことだな。見せ掛けだけではなくな」
「ふん、いい忠告だな」
 ゼダは、ようやく剣をおさめながら答えた。ジャッキールに、そんなことをいわれても腹がたつだけである。
「ふん、どうせ殺す相手にそんなことを言うなんざ、あんたも酔狂だな」
「殺す? 今夜はこれまでだといったぞ、小僧」
「いつかはそうするつもりだろうが」
 妙な顔をするジャッキールに、ゼダは腹立たしげに言い捨てた。今のままでは物足りないので、少しヒントを与えて強くしてから獲物に止めを刺そう。ゼダには、ジャッキールがそう考えているとしか思えない。
 ジャッキールは、ようやくそれに気づいたのか、どこか自嘲的に笑った。
「それも、まあ、いい方法かもしれんな。楽しみは多いほうがいい。しかし」
 ジャッキールは、なにやら含みをもたせたまま、彼のほうをちらりと見た。
「今のところではあるが、俺には別に貴様を殺すつもりなどない。からかいだといっただろう?」
 一瞬、ゼダはきょとんとした。あんなにあきれるほど戦いの好きな男が、あっさりとそんなことを言うとは妙だった。
「なんだ? 宗旨替えかよ?」
「そういう風に思ってくれてもかまわんが……」
 ジャッキールは、なんとなく懐かしそうな顔をした。
「俺にも斬りたくない類の人間はいるものでな。まったく忌々しいことだが」
 ジャッキールは、苦笑した。意外な言葉に、ゼダは、ほんの少しだけ先ほどの苛立ちを忘れたのか、興味深そうにきいた。
「似た顔の知り合いでもいたのか?」
「さあ。今あらためて思えばどうだったかな。血を浴びるうちに、昔のことなど、もうほとんど忘れてしまったからな」
 苦笑のような笑みを浮かべて、ジャッキールはそう答え、ふと思い出したように空の方をみあげた。
 そういうジャッキールが、どことなくさびしげに見えるのは、彼がちらりと目に入れた、今日の細い月のせいかもしれない。
「ああ、そうだ。話がついたところで思い出したのだが」
 ジャッキールが、不意に咳払いをして、急に小声でぽつりときいた。
「ここは、町の中でいうととどのあたりになるのだろうか?」
「は?」
 ゼダは、思わず表情を固めた。ジャッキールは、少し居づらそうにしながらも、こそこそと続ける。
「いや、な。少し珍しいところから入ってきたものだから、道順がよくわからなくなってだな。大通りに出ればよいと思ったのだが、一向に大通りにでないものだから」
「……オッサン、ひょっとして、この辺うろちょろしてたのは、単に道に迷ってたのか?」
「いや、道に迷ったわけではない。ただ、方向がさっぱり……」
「そういうのを、道に迷ったっていうんだよ」
ゼダは、唇をひきつらせながら、ため息をついた。こんな男にからかわれたのかと思うと、非常に腹のたつところだ。ひとつ切れたらとんでもない男だとはわかっているものの、なんとなく世の理不尽を感じてしまうゼダなのだった。


 
お茶の香りが、心地よく鼻をくすぐる。リーフィはどこかのんびりと、シャーのためにお茶をいれにきていた。
 今日はお客が少ない。少ないと少ないとで商売的には、問題があるのだが、リーフィはそれほど商売っ気がないので、それぐらいでもまあいいかなあ、などとろくでもないことを考えている。店主に怒られてしまいそうだが、リーフィとしても、シャーとなんとなくぼんやりと話をして終わる一日も、それなりには気に入っているのだった。
 だが、無表情でろくに何も考えていないような彼女でも、日常に妙な刺激を求めるときもある。
(不謹慎だけど、何かおもしろいことでもおきないかしら)
 リーフィは頬に手をあてながら、そんなことを考える。
 元々、リーフィはあまり外を自由に遊びまわれるような身分ではなかったらしい。色々と苦労もしたが、そのせいか、少女のころに押さえつけていた妙な冒険心に、今頃火がついてしまったらしい。シャーと行動をともにして、ちょっと危ない目にあったせいで、今まで眠っていたそれが復活してしまったらしかった。
 実際、近頃、リーフィは以前より少し活動的になった印象があった。
(シャーも、今は特にこれといって変わったことはないようなことをいっていたわね)
 リーフィは、手にあごを乗せつつ、少しため息をつく。彼女にとって、シャーとお互い情報交換するのが、実は楽しみでもあるのだった。シャーと自分では、集める情報の情報源が違うことが多いので、リーフィにとってはシャーの話は実に興味深いのだった。
 彼女とシャーの関係は、はたからみれば、かなり奇妙なものになっていた。リーフィは、シャーとやたら仲がいいし、シャーのほうもリーフィになにかとべったりなのだが、そのくせ男女の仲という感じがしない。もちろん、実際、男女の仲というわけではないわけであるからそれでいいのだが。
 横でみていると、何がなんだかわからないが、最近妙に気があっているらしい二人、という感じらしかった。よって、シャーの舎弟が、よく彼女を不思議そうに見ることの多くなったこのごろである。シャーのほうもたまにちらりと、性別を気にしていないようなところを見せることがあるが、それ以上にリーフィは、シャーを男として認識しているのかどうなのかよくわからないところがあった。
 サリカなどは、リーフィとシャーがつるんでいる理由が不可解らしく、しょっちゅう、リーフィにその理由をただしたりしているが、別に恋人でもなさそうなので、やはりよくわからなくなって考え込んだりしている。「ねえさんは、どうしてあんな男と」ときかれて、リーフィは決まって「お友達ですもの。それに、シャーはいい人よ」とか何とか答えてしまうので、余計サリカには不可解だった。サリカをはじめ、彼女の仕事仲間の女性が不可解なのだから、シャーのところの弟分どもが、その関係を理解できるはずもない。
 ひとまず、かれらは、シャーはリーフィと仲がいいらしい。しかし、やっぱりそこに恋愛は介在していないらしい。何か共通の趣味でもあるのかも、というような推測をたてて、一通りの納得をみているのだった。
 ふと、リーフィは、あわててお茶をいれだした。ぼんやりしている間に、時間を忘れてしまったのである。幸い、お茶はちょうどよい濃さで、別にこれならシャーも渋い顔をすることはないだろう。
「危なかったわね……」
 リーフィはそうつぶやいて後の用意を整えて、お盆にのせた。甘いお茶菓子を添えて、ミルクをたっぷりと注ぎ込んだお茶の横につけると、ほのかに甘い香りが漂った。香料を混ぜてあるので、その香ばしい香りもかすかに混じる。
 店は、それなりに人がいたが、向こうで盛り上がっている集団がいる程度で、今日はシャーはそれには混じっていないらしい。彼にしては珍しい気もした。
「シャー、お待たせ」
 リーフィはシャーの席までいくが、シャーは、というと、机の上でひじを枕に転寝しているらしい。酒場の喧騒にかき消されつつも、すやすやと平和そうな寝息が聞こえた。
「珍しいわね」 
 リーフィは、シャーの隣にお茶と茶菓子を置きながら、首をかしげた。そういえば、今日は彼にしても少々ペースが速かった気がする。シャーは、いつもは酔った振りをしてふざけているが、基本的にはざるなので、それほど酔うことは珍しいのだが。もしかしたら、本当に疲れていたのかもしれない。
(起こすのもかわいそうだから、少し寝かせてあげようかしら) 
 リーフィは、自分のショールを取るとシャーの肩にかけてやった。シャーはというと、比較的平和そうな顔をして寝ていたが、それにしても、普段の彼よりも少し緊張感のある寝顔のような気がした。
(寝ているほうが、きりっとしているなんて。それって、一般常識的に見てどうなのかしら、シャー……)
 リーフィは不意にそんなことを考えるが、どこか二面性のある彼のことであるし、自分もあまり人のことをいえた義理でもない。
(一度本人にきいてみようかしら)
 とはいえ、やはり変なところで好奇心は旺盛だ。彼女は、いつか彼から聞きだそうと心ひそかに決めてしまった。きかれたシャーのほうは、さぞかし困惑することだろうが。
 リーフィは、空いた皿でも片付けておこうかと、彼の目の前にある皿と杯をとると、いったん彼の目の前から立ち去ろうとした。
「師匠……」
 不意にそう声が聞こえた。リーフィは、振り返る。シャーは、相変わらず眠っているようだった。ということは、あれは、寝言だったのだろうか。
 




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このページにしおりを挟む 背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。