一覧 戻る 進む 紅い剣の月の夜-2 外のざわめきがかすかに聞こえる。なるべく静かな部屋を用意しろというゼダの言葉どおり、この繁華街でもかなり静かな部屋に、彼女はいた。 「もう大分いいみてえだな。まったく、急に倒れたりするから心配したぜ」 ゼダは、彼女の顔色を見て、何人もの女性をころりと殺してきたような微笑をさり気なく浮かべながら、首をかしげた。 その視線の先にいるシーリーンは、思わず目を伏せながら、頬をかすかに染める。 「すみません」 「いいんだよ。別に謝ることはねえんだし」 ゼダはそう答える。相変わらず、顔だけ見ていると、童顔のかわいらしい少年といった感じであるが、口がつくとずいぶん印象が違う。 けれど、シーリーンにとっては、そういうゼダのほうが彼らしいと思えた。彼の本性をしったあとでは、外で彼が見せる貼り付けたような笑顔より、こちらのほうが生きている彼という感じがするものだ。 ゼダは、ここのところ、一日おきに彼女の元をたずねては様子を見たり、ザフに面倒を見させたりしていたのだが、どうやらシーリーンの調子もよくなったようで、少しほっとしていたのである。 「だけど、まだしばらく気をつけておくんだぜ。お前さんは、ちょっとでも無理をしねえほうがいいんだから、な」 「はい」 シーリーンは、そう答えてそっと上等な服の袖を掴む。ゼダは相当な遊び人だから、きっと他にもいろんな女性がいるだろうし、シーリーンには単に同情しているから優しくしてくれるだけかもしれない。 けれど、シーリーンは、いつのまにかゼダに惹かれている。時々こうして会えるだけで、彼女は幸せだった。 「それじゃ、お前の体にさわるといけねえしな。もう夜になっちまったから、オレはいったん引き下がるとするぜ。ちゃんと養生するんだぞ」 ゼダは、念を押すようにいうと、そっと立ち上がる。彼が繁華街を歩くときは、いつもそうしている派手で光沢のある上着を肩にかけたまま、ふらりと歩きだす。シーリーンは、反射的に頭をさげた。 「ゼダ様、ありがとうございます」 「だから、気を遣うなって」 ゼダはそんな彼女をみやって苦笑した。 「また様子を見にきてやるからな」 ゼダは、そう優しくいって、やはり女性にため息をつかせるであろう微笑を、何気なく浮かべるのであった。 やはり彼は遊び人である。 シーリーンのいる妓楼から出て、ゼダは表通りから路地裏に入った。表通りの華やかさも嫌いではないが、あまり大手をふって通ると、なにかと厄介な揉め事に巻き込まれることもあるのだ。 とくに、ゼダは、カドゥサの放蕩息子であるのであるから、そのことがばれたりすると、また厄介である。カドゥサ自体がそれなりに汚い商売も手がけているから、街の暗黒組織の関係もあるのだ。もちろん、良好な同盟関係にある組織もあるのだが、すべてがそうだというわけでもない。 また、カドゥサの坊ちゃんに仕えている下男、という、自分が演じている役割から、トラブルに巻き込まれないとも限らないのである。弱くてやさしい男を演じている以上、もし恨みを持つ人間に囲まれたら大変だ。 そうはいえど、ゼダはシャーほど、自分の正体を隠すのに固執しているわけではないので、そうなったらなったらで、全員のして帰るだけにすぎないのであるが。 (そういえば、あの三白眼、どうしてあんなに強いのを隠したがるのかね) 自分と同じく、いちいちトラブルに巻き込まれるのがうっとうしいからとか、弱いことをとっておきの罠に使うため、とも思っていたが、どうもそうではない様子である。シャーのやつは、時にはこてんぱんにのされても、自分の正体をまわりには隠しておきたいらしいのだ。 ゼダは、そのあたりが、ほんの少し気にかかる。今度あったときに、からかいついでにさりげなく聞いておこうか。 そう思いながら、ゼダは、裏通りを歩く。それでも、繁華街の裏通りは石畳で舗装されているから、歩きやすいほうだ。 空は、赤みがかった細く鋭い三日月。月がほのかなものだから、小さい星もいくつか瞬いている。少々、灯りのない裏通りを歩くには、暗いかもしれない。 そんなことを考えていたゼダだが、急に足を止めた。向こうの辻の方から、足音が聞こえたのだ。それぐらいなら、少し警戒してやりすごすのだが、ゼダにも、その雰囲気の異常さがなんとなくわかった。 肌を刺すような殺気が、静かにこちらに忍び寄ってくる。背筋に冷たいものが走り、悪寒が一瞬全身を走り抜ける。 石畳の路地に響く甲高い足音。息遣いすら感じさせない生きものとしての存在感のなさ。それにもかかわらず、強烈に何かがいると判る殺気。それそのものから、ひやりとした冷気が流れ出ているような、そんないやな空気。 その辻の向こうに、確かに何かがいる。 思わず雰囲気に飲まれて、ゼダは剣を抜いていた。そうせざるを得ない危険なものが、そのあたりの一面の空気中に巻き散らかされていたようだった。 「は、抜いたな?」 ふと、声が聞こえた。金属音をききつけたのだろうか。 「どこのイヌやらしらんが、ご苦労なことだ。気の短い男と欲深い男は早死にするぞ」 低いくせに、夜の闇によく通る冷たい声だ。だが、その声には、聞き覚えがあった。それだけに、ゼダはいっそう緊張を増した。 高い靴音が聞こえた後、当の本人はようやく暗い夜に姿を現す。長身だが着ているものが黒いので、体がほとんど見当たらない。ただ、白い顔だけが、妙に目を引いた。腰に長剣と小剣を二本さしているが、まだ抜いていない。 「なんだ。イヌかと思ったが、あの時のネズミ小僧か」 溶け込んでいた闇から抜け出すように出てきた青白い顔が、ゼダを見やって口元を歪める。 「あんたは……」 シャーのやつはジャッキールとかいっていた、例の流れ者だ。相変わらず、妙に不吉な気配をつれている。 (コイツ、今日はどうなんだ?) ゼダは、ちらりと目を泳がせた。あの時、シャーと会ったときのジャッキールは、まともらしかったから、この男、普段は思ったよりも常識人なのだろう。だが、例の病気が顔を覗かせていたら厄介である。 シャーが狂犬だと呼ばわるのももっともな話で、ジャッキールという男は、本当に普段とこういうときの落差が激しい。戦闘中は、本物の狂犬より厄介なほどだ。あれから、ちょっとは彼のうわさも集めてみたが、ひどいときは戦闘中げたげた笑いながら、敵を血祭りにあげるという話だった。多少の誇張はあるのだろうが、笑っているのは本当なのだろう。 先に剣を抜いたのもよくなかった。それでジャッキールを刺激した可能性もある。 「だが、やる気は十分というところか? ふふ、貴様とはこの前の勝負の続きもあることだしな!」 ゼダがそう考えをめぐらせていると、ジャッキールがにたりと笑ってそう声をかけてきた。そして、ゼダの言葉を挟む間を与えず、一気に続ける。 「ふふふふ、そのままでは収まりも悪かろう? 俺が少々遊んでやろうか、小僧」 「オレは、あまり遊びたくないんだがな」 ジャッキールの表情は、この位置からではよくわからない。ただ、彼の口調からいうと、どうやらここで一戦やらかさねばならないらしい。 これはまずいことになったと内心ゼダは思う。ジャッキールの奴が本気かどうかはわからないが、本気だとしたら厄介だ。ゼダは、ジャッキールの剣術と相性が悪い。それでなくても、ジャッキールが強くてしぶといのは、折紙つきの事実である。あのシャーですら、ジャッキールと正面からぶつかるのは嫌だとかもらしていたほどだ。 考えをめぐらせていると、痺れを切らしたのか、ジャッキールの目がぎらりとゼダのほうを向いた。体に刺し込んでくるような殺気に、反射的にゼダは身構える。 ジャッキールの手が、一見優雅に腰の剣に伸ばされる。だが、それはあまりにも危険な動きに見えた。そのまま切り込んでくることを予想し、ゼダは、そのままとっさに足を踏み込んで先手をとろうと動く。 ゼダの目に、月の薄明かりに当たってきらめく剣の色が走った。それと同時にゼダは彼に切りかかる。 甲高い音が響くとともに、ゼダは力ずくで後ろに飛ばされる。はじき返されて、彼が後退する。追撃してくるかと思ったが、それはない。 「ふふふふふ」 ジャッキールの含み笑いが静かに響いた。彼は右手に小剣を握っていた。それがきらりと銀色の光を冷たく流す。別にこれといって姿勢も崩さず、仁王立ちといってもいい。追撃どころか、彼はろくろく戦闘態勢もとっていなかった。 「いい切込みだ! なかなかのものだぞ、小僧」 ジャッキールは、にやりと歯を見せて笑った。 「もう少し隙がなければ完璧だがな」 「いきなり講釈とは余裕だな」 ゼダは苦笑した。今の一撃をあんなに軽く流したところを見ると、この男、自分の剣術を一通り見切っているといってもいい。まだ片手しかつかっていないが、あの余裕では、この前の怪我も大分いいのだろう。 「今日は何の用だい。旦那。あんたがこんなところを歩いているのをみると、不穏だがな」 「ふ。見かけがこうなのは、生まれつきでな」 ジャッキールは、嘲笑うような笑みを浮かべた。 「その調子だと、この前の怪我はもういいのかよ?」 「さあ、どうだろうな。まあまずまずというところか?」 ジャッキールは、余裕を見せているのか、まだ感情を乱している様子がない。だが、一向に小剣から手を離さないので、ゼダは徐々に焦った。 ジャッキールは、小剣使いではないはずだ。彼が両手を使えないにもかかわらず、フェブリスを握っていたように、本気で戦うつもりの時は、必ず長剣を持ち出すはずなのである。自分を侮っているのか、それとも、何か意味があるのか。 ゼダが、そう考えをめぐらせていると、ふとジャッキールのほうが、珍しく楽しそうに唇をゆがめて笑った。 「貴様は、まだ焦りが見えるのがいかんな。勝負というのは、条件が同じならば、感情を乱さないものが必ず勝つものだ」 ジャッキールは、なにやらもったいぶったようにいう。 「表面的には表情を出していないつもりだろうが、傍目から冷静みると案外よく見えるものだぞ」 「何の講釈だよ」 ゼダは、ジャッキールの意図を測りかねていた。それとも、単に遊んでいるのか、この男。じりじりと、ゼダは足の指をはわすように、前に進む。 赤い三日月を背景に、ジャッキールは薄ら笑いを浮かべている。 「さあ、俺の講釈好きは昔からでな。将棋でもなんでも、一通り講釈をつけたくなるのだ……!」 言葉を切って、ジャッキールは後退する。一瞬の隙をついて、ゼダが飛び掛ってきたのだ。その湾曲する刀の不規則な動きを目で追いながら、ジャッキールは軽く小剣を振る。 「ははは、笑止だな! まだ軽い!」 ジャッキールは軽く振っているようなのに、それでいて彼の一撃は重い。簡単にはじかれてしまう。ゼダはそのまま連続で追撃を加えるが、そのたびに、一瞬火花と音が散る。ジャッキールに正確に軌道を読まれているのだ。 (体格差が……) なければ、とゼダは、思わず考える。まだ何とかなったかもしれないが、一番それが不利に働いている。長身でもシャーみたいに、痩せぎすなら逆に有利にもっていけるが。ジャッキールはシャーよりも背が高いし、それなりに体格もいい。背がそれほど高くないゼダには、それが致命的に働く。 もちろん、それはジャッキールもわかっていることだ。だから、先ほどから体格を利用した重い一撃をわざと放ってきているに違いないのである。 「ちきしょう!」 ゼダは、一瞬、かっとして方針を変える。突然足を思い切り踏み込むと、彼は両手に全体重をかけてジャッキールに刀をぶつけていった。 ジャッキールは、冷静にそれを目で追うと、ちょうどその高さに小剣を掲げた。 ガッと重い音と衝撃が手に伝わる。 ジャッキールは顔のよこで、ゼダの剣を受け止めていた。しかも、相変わらず右手だけを使っている。多少右手がぎりぎりと震えていたが、それでも、まだ彼には余裕があるはずだった。 片手のジャッキールは、左手で腰にあるフェブリスを抜ける。そうすれば、確実にゼダをしとめられるというのに。 だが、それでもジャッキールは、フェブリスを抜かない。そのことが、ゼダをいっそうあせらせる。 ゼダの焦りを見て取ったのか、その隙をついて、ジャッキールは、激しく小剣を薙いでゼダの刀を払いのけた。その衝撃で思わず後退してよろけるゼダに、ジャッキールの哄笑が降りかかる。 「ははははは。だからいっているだろう? 精神を平静にたもてと!」 ゼダは、はっと顔を上げる。 「力で勝てないものに、力で勝負しても無駄だ。貴様が全力をかけたその攻撃も、そんな単純な使い方なら、俺には右手一本でとめることができる程度だ! おまけに、そんな使い方をすれば下手をすれば剣が折れる。普段の貴様なら一瞬で回る考えだぞ」 ジャッキールは、顔の前に小剣をかざしながら、にやりと口元をゆがめた。 「貴様は顔に出していないが、俺にはそれでも十分判る。俺のような鈍い男にわかるということは、ほかのものにはもっとわかるということだ。読まれないようにせんと、到底勝つことなどできんぞ」 一覧 戻る 進む このページにしおりを挟む 背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。 |