一覧 戻る 進む



踊る宰相  


 
 其二・大盗賊飛鷹 〜 dance with wolves ? -3


 子供達がすっかり街の中に消えた後、正午から少しすぎて、杜陸はふらふらと屋敷に戻ってきた。正直、官服もきていない軽い格好の彼は、貴人どころか、この家の主人に見えるかどうかも怪しいぐらいである。一応馬には乗っているのだが、それも機動性を重視しているだけだし、特に供も連れていない。
 まあ、盗賊の親分に会いに行くのに、大仰な格好でいくわけもないので、普通と言えば普通ではあるが、狙われていると豪語しているくせは、警戒をしているのかどうか。ただ、彼は人ごみに紛れ込むのが上手い上、気配を感じさせないこともあるので、その辺は大丈夫なのかもしれないが。
 屋敷の裏口からそっと入り、陸は、いつもどおり戻ってきたが、その庭ではいつもと違うものが待っていた。
 目の前にまたしても例の箱があって、その前に、一人の娘が怒った顔のまま佇んでいたのだ。
「どーこ行ってたのよ?」
「ああ?」
 目の前にいる娘に警戒心を抱くこともなく、陸はまなじりを少しだけゆがめた。
「お昼には、ここにいてって伝えたはずだけど?」
「へえ、あれ、あんたからだったのかあ? 誰か知らなかったから、賄賂でもくるのかと思ってたぜ?」
 そこにいるのは、例の皇太后である。相変わらず、かわいらしい顔をしている癖に、気の強そうな娘だ。街娘風の動きやすい格好をしている彼女は、とにかくお転婆娘という単語が良く合う小娘だった。
「というか、アンタも忙しいんだろ? 帰れよ」
「仕事は午前中に済ませましたわよ。あなたと同じで」
 皮肉っぽくいって、雷太后は、むっと眉を寄せた。
「あなたがいない間に預けて置いたアーフェイがいないのよ!」
「はあ? なんだって? それ……ウロス語か?」
「分かってる癖に!」
 顔をしかめ、雷太后はむっとしたまま言った。
「斐皇子よ。普段呼ぶときにずっと敬称ってのもかわいそうだから、阿斐って呼んでるの」
「あー、あー、あの気の弱そうな次期皇帝候補ね。それがなんでうちにいるんだよ」
 杜陸は怪訝そうな顔をした。
「あなたのところなら、同年代の男の子もいるし、安全だと思ったの。あたしは、今日いそがしかったのよ。だから、こっちへって思ったけど、迎えに来てみたらいないじゃない! どこにやったのよ!」
「まて、待てよ! 俺の所に連れてきてたのか! ……もしかして、俺のトコのガキが……」
 陸は、さっと顔色を変えた。
「そういや、あいつ見てないな」
 きっと、陸は、近くにいた召使いに訊いた。
「おい、爵はどこいった?」
「えっ、いえ、坊ちゃんのことは見かけておりませんが……」
「やっぱり!」
 杜陸は、さすがに焦ったような顔になる。父親の陸には、自分と嫁のある意味で悪いところ(彼自身は嫁に悪いところはないと思っているが)を取り合わせた息子が、何をしでかすか、よくわかっているのだ。
「まずい! これはまずい!」
「え? 何が……」
 雷太后が何か訊こうとしたときには、すでに陸はさっと走り出していた。
「あっ、ちょっとお!」
 慌てて雷太后が追いかける。こういうとき、動きやすい格好をしていて良かったと思う。陸はそれでなくても、かなり足がはやいのだ。
「どうしたっていうの?」
 どうにかついていきながら訊くと、杜陸はやや速度をゆるめながら彼女の方を見た。
「爵だよ、爵。あのこまっしゃくれたガキが、何かあの世間知らずに吹き込みやがったんだ!」
 



昼間の街は、のどやかだ。許飛鷹は、陽気に誘われてそろりと散歩に出ていた。後ろには、部下が二人ついてきている。実際は、いわゆるパトロールというものとしての機能が大きく、縄張りをぐるりとまわるだけの散歩でもあるのだが、当の本人には、そういう意識はない。部下がついてきていることも、ともすれば忘れて、枯葉が舞ったりしている秋の風景に毎度のことながら妙に感慨深げに接するのだった。
 狭い路地裏をゆったりと歩いて大通りにでようとする。そのまま、ふらふらと歩いていくと、同じく向こうからふらふらと歩いてくる男がいた。青い服に身を包んだ旅人のようだ。服装は普通の旅人風で、笠をかぶったまま、ふらふら歩いている。後ろの部下二人は、見慣れない男に警戒していた。
 すれ違いざま、男はこちらからやってくる人間に気づいたらしく、さっと挨拶をした。
「どうも!」
「ああ、どうも!」
 笑顔で答え返す飛鷹に、笑顔、といっても、笠で見えないのだが、を返した男はそのまま、ふわりふわりとすれちがっていってしまう。
「なんだ、お頭のお知り合いですか?」
 どこかホッとした様子で声をかけられ、飛鷹は首を振った。
「全然。今会った」
 ええっ、と声をあげる部下など気にせず、飛鷹はあごに手をやった。
「さっきの見かけない顔だったよなあ。何しにきたやつなんだろ?」
「い、今すぐしめてきますか?」
 縄張りを荒らされると大変だ。そう思ったらしく、部下の一人が顔をしかめた。
「お前、絞めるとかそういう物騒なことしか言えないのか?」
 飛鷹は、少し困惑気味に顔をしかめた。
「でも、あいつがもし……」
「ダメだ。俺は売られもしない喧嘩はしない。喧嘩は買うのは簡単だけど、売るのは難しいよ」
「そ、それはお頭だけじゃないですか?」
「そうか?」
 きょとんとする飛鷹だが、確かに彼は喧嘩の売り方を知らない男ではあった。大体、喧嘩を売るのは、杜陸の仕事だったのだ。杜陸が喧嘩を売って、それで怒った相手に飛鷹が立ちふさがり、結果的に飛鷹に喧嘩を売ったことになって、ようやく勝負が始まるのである。正直、絡み方一つ知らない飛鷹は、そういう意味では善良で温厚な親分である。ただ、買った後は、恐ろしいほど強いのだが。
「でも、他の場所から人が入ってくるのはいいことだと思うよ、俺は。けーざい活性化って、陸のやつもいってたし」
「……そ、そうですか……」
 笑顔で答える楽観的な親分は、のんびりしすぎていて、何となく危なっかしいのだった。
 飛鷹は、ふと、あ、と声を上げた。目の先で、少年が二人立っている。一人の少年は、彼をみるとぎくりとしたように見えたが、慌てて笑顔をうかべた。
「なんだ。爵じゃないか。久しぶりだなあ。たまにはオヤジの言うこときけよ」
「なんだよ、飛鷹さんかよ」
 爵は、横に連れている少年が、突然現れた大男にびっくりして、慌てて逃げそうになっているのを、帯を捕まえて止めていた。それはそうだ。はじめて外の世界にでてきて、大男だし、髪の毛の色も違うし、そもそも一応こう見えてもやくざの親分の飛鷹をみて怯えない筈がない。
「あ、珍しいなっ! 友達か? お前にも友達が出来るようになったんだなあ。俺は嬉しいぜ」
「いや、そういうんじゃねえんだが。あ、こら、大丈夫だって!」
 いまだ怯える少年は、爵より少し年下にも見える。とりあえず、爵とつきあうとは思えないほど、身分が高そうで上品な子だ。
「子供同士で遊んでる途中で、俺が邪魔するのも悪いよな。しっかり遊んでおいで」
 飛鷹はそういって、ふと思い出したように財布から取りだした小銭を渡してくれた。
「これで、菓子でも食え」
「おー! さすが、飛鷹さん! オヤジとは大違いだな!」
 爵は歓声をあげて、少年の分のお金ももぎ取ると、それじゃあ、といって慌てて走り出した。大人しそうな少年の手を無理矢理引っ張って、走っていく彼の姿は、どこか不審だが、飛鷹はあまり気にしない。飛鷹は、「急ぐとこけるぞ!」と注意をし、それからまた上機嫌で歩き出す。
「いや〜、子供は元気なのが一番だよなあ。でも……」
 のんびりとそういった飛鷹は、そういえば、陸は息子に小遣いをちゃんとあげているのだろうか、と心配になった。あのケチな陸のこと、下手したら小遣いすらあげていなさそうである。
「でも、爵は自分で小遣い取ってくるような奴だから大丈夫か」
 そう考えて妙に安心してしまった飛鷹は、先程の爵がつれていた少年にはあまり気が回らなかった。ただ、爵にもようやく友達が、と思って、妙に感慨深く思っただけのことで……


 逃げ出した爵は、そこの角を曲がったところでようやく立ち止まった彼も息を切らしてはいるが、それどころでないのは、あまり体が丈夫そうでない斐皇子である。咳き込んだりしている皇子は、ぐったりとそこで座り込んでしまった。一人、先に復活した爵は、ちらりと顔を覗かせて、のんびりと去っていく飛鷹を見やって舌打ちした。
「あぶね〜ッ! いたのがボケの飛鷹だけでよかったよ、ホント! どっかにオヤジがいるかと思ったじゃねえかっ!」
 遠ざかってから、そう毒づき、爵はため息をついた。さすがに陸に、皇子を連れ回しているのがばれたら、ただですまない。
「ひ、ひようさんとおっしゃるのですか? あの方は……」
 まだ青い顔をしたまま、斐皇子がそう訊いた。
「そうそう、アレでこの周辺をとりしきる親分なんだがなー。見かけ倒しっぽいのに、案外強いんだよ、アレ」
 アレさえいなければ、オヤジだってもっと大人しくしてるだろうに、と爵は付け加えた。
「オヤジは喧嘩とかだめだから、実力行使には、あの飛鷹に力を借りるんだよ。政敵の家に泥棒に入り込ませたりとかさ。で、飛鷹は口が立たないからオヤジのせこい口上を借りるわけ。あの相互関係がなかったら、今頃うちのオヤジなんて……」
 ぶつぶつと文句を言っていた爵は、はっと顔を上げた。
「あ! まずいな!」
「え、どうしたんですか?」
 きょとんとした斐皇子を半ば無視して、爵は立ち上がる。
「ここに飛鷹がいるって事は、オヤジも近くをうろついてる可能性が……。ちょっと、偵察してくるわ!」
「ええっ、て、偵察って!」
「お前は足手まといだから休んでろ!」
 そう言い置くと、爵は止めようとする斐皇子を置いてとっとと行ってしまった。
「あ、あの……、私はどうすれば……」
 元々小さいのに、もっと小さくなっていく背中にそう問いかけても、返事はない。斐皇子は、困っておろおろとまわりを見回した。古い家が立ち並ぶ路地裏は、思ったより薄暗い。宮中はそれは古い建物が多かったが、いつもまわりには人がいたので恐くなかったのだが、さすがに外の世界で一人にされたので、斐皇子は何となく不安になった。
「……お? 坊ちゃん、お一人?」
 いきなり、後ろからかかった軽い声に、斐皇子はびくっとした。相手の男が思ったより背が高いのをみて、わっ、と声を上げる。薄暗い中で、背の高い男の顔はただでさえ見えないのに、笠などを被っているので余計にわからなくなっていた。
「ど、どなた様ですか?」
 恐る恐る訊く斐に、相手の男は笑ったようだった。
「さて、どなたでしょう?」





一覧 戻る 進む 


©akihiko wataragi