「擦り傷って! そんなひどいこと!」
 シャーは哀れっぽい声をあげたが、今度はカッチェラは取り合わなかった。
「擦り傷ですよ。致命傷にならない内に引き上げて下さい。」
冷たく言われて、シャーはがっくりと頭を垂れる。その様子はしおれた花にちょっとにている。
「兄貴〜! 元気出してください!」
「…そうですよ、人生いいことは他にもあります!」
 はげまされる兄貴をみながら、リーフィはいまだにシャーがどうして彼らに好かれるのかがわからない。

  


 この国の王は、シャルル=ダ・フールという若い王で、前の王のセジェシスの正式な王妃ではない女性が産んだ王子である。正式には王位継承権をもたなかったが、セジェシスが、戦場で行方不明になってからしばらく王位継承で揉めに揉めたあと、当時の宰相ハビアスに懇願されて王位についたといわれている。だが、当のシャルルは人前には余り姿を現さない。病弱だという話だが、本当かどうか分からない。遊びほうけているという噂もある。だが、宰相のカッファが、今はうまく政治を執り行っていて、宮廷内部の争い以外は、この国は平和だった。
 宮廷の争いは、内乱でも起こらない限り、一般市民にはあまり関係がないし、一応、彼らはシャルルのおかげで平和を手に入れたのだから、それなりにかの王には感謝していた。
 街はかつての賑わいを取り戻し、シャーが住む界隈も、そうした王都の一角にあるのである。


 昼下がり、リーフィは買い物を終えて、ちょうど道を通っていた。
 角をちょうど曲がろうとしたとき、むこうでどたんばたん、というけたたましい音がした。リーフィは眉をひそめる。そういえば、この辺りはあまり治安がよくないのだ。人気も余りない。誰か、絡まれでもしたのだろうか。
 そうリーフィが思った直後、ばたばたという見苦しい足音がそちらのほうから聞こえてきた。ついで、情けない悲鳴が聞こえ、目の前に男が転がり込んできて、近くの樽に膝をぶつけて倒れこむ。
「ひー、い、い、痛〜〜!」
転がり出てきた男は、打った膝を抱えて、それから戸惑っている彼女を見た。
「あ! リーフィちゃんっ!」
 男はそういうと、リーフィの足にしがみつく。きゃあ! と声を上げる彼女は、反射的に飛びついてきた男を蹴り飛ばしそうになる。ところが、男は早口にこういった。
「オレ、オレだってば! リーフィちゃん! お願い、蹴らないで!」
「シャ、シャー…?」
 なんと、リーフィの足にしがみついてきた不埒者は、あの酒場にたむろしているシャー=ルギィズその人だったのである。思いっきり蹴り飛ばしてやろうかと思ったが、シャーの怯えようがかわいそうなので、リーフィは静かに足を彼の手から外した。
「こら! 待て!」
 男の乱暴な声と共に、角から大きな体の男が出てきた。
「ひぃい! 来たよ、来たよっ!!」
 シャーは、慌てて立ち上がるとリーフィにしがみついてくる。仕方なくリーフィは、シャーを背後におしやった。長身のシャーは、すっかり縮こまってリーフィの背中にほとんど隠れてしまっている。
 いつものように青いマントに青い服のシャーは、帯に一本の刀を差していた。本人は護身用だといっているが、それを振るう姿はおろか、抜いている姿すら誰も見た事がない。不思議な東洋の刀だというが、彼がどうしてそれを手に入れたのかはよくわからない。
 そして、そんな刀を持っていても、この状況を見ると、やはりシャーは、それを全く生かせていないらしい事がよくわかった。
「どうしたの?」
 リーフィが冷静にきくと、シャーはおどおどした口調で言った。
「か、絡まれたんだよぉ…。きょ、恐喝ってやつ?」
「あなた、お金もっていないじゃない。」
 リーフィが訊くと、シャーはふるふると首を振った。
「お金が無くても絡まれるときは絡まれるんだよ〜。そして、金がない時は、下手すると袋にされるんだよ〜。」
「わかったわ。私がとりなしてあげる。」
 リーフィはため息まじりに言った。職業柄、酔っ払いと乱暴者をあしらうのになれたリーフィの頼もしい言葉をきいて、シャーはぱあっと顔を明るくした。
「ありがと、ありがと、リーフィちゃん!」
「いいから、あなたは後ろへ。」
「うん! じゃあ、任せるよ!」
 全く情けない台詞をはきながら、シャーはリーフィの肩をつかみ、そっと影に隠れる。
(全く、仕方が無いわね。)
 思いながら、何とかしてやろうと思っている自分を見つけ、リーフィは少し自嘲的な気分になった。
 いつの間にかすっかり、シャーの毒気にやられているらしい。世話を積極的に焼いてしまうなんて。
(なるほどね、いつの間にかこういう状況になってしまうのが、この人の特徴なのね。)


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