シャーはそれを返すと、そのままジャッキールの喉めがけて突き上げる。だが、ジャッキールの剣が戻ってくるほうが早かった。それを払い、そのままシャーの首に返って来る。
「さっさと行け!」
 ジャッキールが叫んだ。シャーはハッとする。ジャッキールが襲ってきたのは、彼がこの前の屈辱を雪ぐためだけでない。彼のつれてきた部下を先に行かせることも考えていたのだ。
「てめえ!」
 シャーが後ろを向こうとしたが、ジャッキールは許さなかった。すぐに耳の横を掠める一撃が来る。後ろを向けないシャーの耳に、慌てて部下達が水音をさせながら逃げるのが聞こえてくる。
「くそっ!」
 シャーが足を進めかけると、その前を阻むようにジャッキールが立ちはだかった。
「貴様の相手は俺だ。行きたければ、俺の息の根を止めてから行け!」
 ジャッキールの暗い笑みが、わずかな光を縫ってシャーの目に届いた。シャーは、笑い返す。普段の彼にはない、ある種凶暴な、それを抑える様な、複雑な笑みだ。
「折角、助けてやったのによお!」
 シャーはわざとらしく大声で言った。
「……今度は、間違いなく地獄に送り届けてやるぜ!」
 薄く反った長刀を引き付け、そのままそろっと足を出す。独特の構え方だが、これは彼の師が彼に教えたものだ。
 ジャッキールは、剣を横に振って水気を払って構えなおした。
「いいだろう。そのつもりで来い! 俺も手を抜かん。覚悟しろ!」
 ジャッキールの靴がすばやく水を蹴った。闇の中できらめく刃に、シャーの体は自然と反応する。
 上からたたき上げるようにして、振りかざされた剣を止める。金属の衝撃が、握っている両手にびりびりと伝わった。
(コイツ……)
 シャーは無理やり剣を返して、横に逃れた。
(やっぱり、コイツ、強い……)
 痺れる手に、シャーはそう確信した。
 しかも、以前と、動きが違っている。前よりさらに切れのある動きをしているし、前に遊びだといった剣の甘い片鱗はまるでない。殺剣というのがぴったりな、冴えたものだ。
(この野郎、……けじめつけたってそういうことかよ?)
 つまり、心の整理がついたということだろう。良くも悪くも、自分が彼に火をつけたらしいのだ。
(マズイことしちまったぜ。……あのまましょぼくれてくれればいいものを!)
 とにかく、今日は時間がない。できれば、うまくジャッキールを巻いて、そして、彼らを止めなければ。
「予定が狂ったようだな、アズラーッド」
 ジャッキールが笑いかけてきた。
「ふん、多少の狂いなんざあ、アンタを手っ取り早く倒せば済むだけのことだぜ」
 わざと強気で言い捨てるシャーに、ジャッキールは肩をすくめた。
「だといいが……。ずいぶんあせっているようだが、何を気にしているのだ?」
「俺はアンタとちがって、気にすることが多いのさ。あのコのこととかね」
 そうか、と、ジャッキールは薄ら笑いを浮かべながら続けてきいた。
「気にしているのは、あの娘だけか? 病弱でろくな役にも立たない非力な王も気にしているのではないのか? アズラーッド!」
「それは、オレを挑発しているつもりかよ?」
 シャーは不機嫌そうに言った。
「そうおもうならそうかもしれん」
「ふーん、それじゃ失敗だな」
 シャーは、足を引きつけ、静かに水の中を歩く。
「オレはシャルルって奴が嫌いなんだ。……あいつを気にかける暇はないね」
「なるほど、そうだろうな」
 ジャッキールは軽く肩をすくめた。
「だが、貴様はシャルルを助けている。必死になって助けているではないか? なぜだ?」
「なぜ? そりゃ、シャルルの周りの連中が大切だからだろうよ」
「それだけかな?」
「ああ、そうさ。……それにもう一つ理由があるとしても……そうだな」
 シャーは、かみしめるようにして笑った。
「言ってみりゃ、ただの気まぐれさ。あんただってなるんじゃねえの。一度や二度」
 彼の仄かに青い目が、暗い地下水道でなぜか燃えるように輝いて見えた
「馬鹿なことをと思いながら、それに命を賭けちまいたくなるようなそういう酔狂な瞬間がさ」
「なるほど……いい答えだ! 気に入ったぞ!」
 満足げに唇をゆがめながら、だん、とジャッキールが一歩踏み込んできた。
「ならば、酔狂なままに死ぬがいい!」
 ジャッキールの唇にのっているのは、暗い歓喜の笑みだ。真っ黒なマントを広げている、ジャッキールの姿は死神のように見えた。




 なかなか難しいところだった。寝室のまわりは近衛兵に守らせたが、それでも、完全とは言い難い。それに、寝室の奥におけるのは、特に信頼の置ける兵士十人ほどしかいない。
 城の中は、相変わらず兵士がうろうろしているが、それでも、信頼できる者が何人いるか、把握はできない。


* 目次 *