一番前のほうから悲鳴が上がった。壁を反響して悪夢の中のように聞こえる悲鳴の後、水の中に重いものが倒れたような音がする。
「どうした!」
 前に向かって叫んだとき、ぱちゃ、と足元で水が鳴った。
「ここを通すわけにはいかねえな」
 寒気のするような声が、地下水路に響き渡る。
「誰だ!」
「誰だっていいじゃないか。地獄の使いだぜ」
 声はそう続けた。徐々に近寄ってくる足音が聞こえる。心細い灯りに、青い布切れがふわりとゆれた。
「き、貴様はッ!」
 誰かが叫んだ。
「もう遅いぜ!」
 ちら、と青い鉄の輝きが、一瞬暗い道の中に光った。ビシイッっと何かをひっぱたく音がし、横にいた男が足元をすくわれるように倒れた。わずかな光で、そこにいる男の冷たく光る青い目が、一瞬だけ彼の目を捉える。
「シャー=ルギィズ!」
 そう叫んだ男も、足を蹴られて水の中に転んだ。その間に、彼は他の獲物に襲い掛かっている。暗い地下に、彼の刀の光だけが青白く光って見えた。
 逃げる男達を追いながら、シャーはざばざばと水をかきわけてすすむ。一人の男を射程に捉え、シャーは彼に向けて刀を振るおうとした。
 その時、ふいに自分の胴を狙って飛び込んでくる、銀の光の流れが目の端にちらついた。
「ジャッキール!」
 シャーは、その剣の流れ方で相手の正体を見破ったらしい。避けたとき、体を反転した為、水がばっと飛び散った。猫のような機敏さで、着地したときにはすでに体勢ができている。
「今度は名前を覚えていただけたようだな」
 ジャッキールは、楽しそうな口ぶりで言った。
「またあんたか」
 ジャッキールは、薄ら笑いを浮かべたまま、闇の中に立っていた。黒い服が暗い中に溶け込んだまま、その青白い顔だけがはっきりと見えた。
 しかし、以前とは違い、鋭い刃物を思わせる冷たい顔立ちと、光の加減で赤くみえる鋭く光る瞳が、はっきりと見えていた。そのせいで、ずいぶん雰囲気が違うので、一瞬シャーは面食らった。
「なんだい、アンタ。責任とってってことかよ?」
 シャーは、若干茶化すように言ったが、ジャッキールのほうは思ったほど食いついてこなかった。
「責任をとるというほど、俺は重要な立場にいるわけではないからな。……俺は俺なりに整理をつけただけだ。だが、貴様には感謝している。俺は貴様のおかげで戦士としての本分を失わずに済んだのだからな!」
 余裕すら感じさせる笑みを浮かべ、ジャッキールは目を細めた。
「ふ、ふ、ふ、貴様がここに来るのはわかっていた。直接ザミルが兵士をひきいて王の間にいったとしても、それほど連れて行けるわけではない。ここを突破されることのほうが、事情を知っている貴様には恐ろしかった。そうだろう」
「へえ、いい線いってるじゃん、あんた。……イカレてる割には、頭が切れるでないの」
 シャーは、内心したうちしながら、皮肉ぽくいった。
「ほめ言葉と受け取っておくぞ。だが、安心しろ。俺の目当ては王の暗殺などでないのだ」
 ジャッキールは、まだ冷静らしい瞳を翻してにやりとした。
「俺は貴様さえ殺せればどうでもいい。……今日は、文字通り死ぬまで付き合ってやるから、安心しろ」
 シャーは、うっとうしそうにいった。
「オレは忙しいんだ。あんたの相手してる暇はないの」
「ところが、俺の方はそうはいかん事情があってな」
 抜いた剣を構えなおしながら、ジャッキールは陰鬱な微笑を浮かべる。
「俺は貴様に借りがある…………」
「じゃあ、あとで利子つけて返してよ」
 シャーは、剣をひきつけながら後ろに下がる。ジャッキールなどをまともに相手していたら、本当に時間がなくなる。雑魚をたたきに来たのに、思わぬところに竜が現れたといったところだった。
(くそっ! コイツはてっきりラゲイラかザミルに同行すると思っていたのに!)
 それか、もっとしんがりでくるかと思っていた。まさか、こんな使い捨てみたいなポジションにいるとは。ジャッキールは、ラゲイラからの信頼を失墜させたのだろうか。
「何を考えている!」
 いきなり、ジャッキールの剣が、きらりと閃いた。
 ぴっとシャーの足元の水が切れた。いや、シャーがそこにあった足を浮かせて一撃を避けたのである。そのまま二、三歩後退し、シャーは刀を口の近くに持っていった。
「チッ! 性懲りのねえ」
 唾を飛ばして目釘を湿すと、シャーはおどけたように笑った。
「しっつけえおっさん。……あんた、絶対に女の子にもてないぜ」
「ぬかせ!」
 ジャッキールが、そのまま刃を横にないだ。が、今度はシャーは避けなかった。青い火花がパッと暗い水路にはじけとんだ。
「手短に頼むぜ。……オレは忙しいんだ!」


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