「ラティーナちゃあん……無事なら返事してよ……」
 だが、ラティーナは向こうに佇んだまま、夜闇に聳え立つ王宮を透かし見ているようだった。シャーは、面倒くさそうに上半身を起こした。
「……ラティーナちゃん? どうしたの?」
 少し猫背のシャーは、そうっと足音を忍ばせるようにラティーナに近寄った。その肩になれなれしく手を置いた途端、シャーの手に痛みが走る。
「放して!」
 ラティーナに手を弾かれ、シャーは驚いた顔をする。
「ど、どうしたの? 何かされたの?」
「違うわよ!」
 勢い良く否定するラティーナに、シャーは怪訝そうに首をかしげた。
「じゃあ、どうして? さっきから、何か変だよ? ラティーナちゃん」
 ラティーナは急に、キッとシャーを睨んだ。びくっと肩を震わせて、シャーは目を皿のようにしてラティーナを見た。彼女にはよく睨まれたが、ここまで憎悪のこもった視線を送られたことは今まではなかった。
「ど、どうしたの……? オレ、悪い事、なんかした?」
 シャーは、ラティーナを刺激しないよう、気をつけながら尋ねた。
「なんかした? あんたって、ホントに図々しいのね! あたしを平気な顔で騙しておいて!」
 ラティーナは半ば叫ぶように言った。
「あんた、シャルルの密偵なんですってね! しかも影武者なんかつとめた!」
 シャーはぎくりとしたような顔をした後、首を慌てて横に振った。
「ち、違うよ! 誤解だよ! それ!」
「ラゲイラから聞いたわ!」
「違うって! 勘違いだよ!」
 シャーはラティーナにすがりつくように手を広げて主張する。
「オレは……そんなんじゃなくって! ただの……」
「じゃあ、何なの! あなた……、あたしを騙したのね! そうでしょ!」
「違うっ……わっ!」
 シャーが思わず手を引いたのは、ラティーナが突然短剣を抜き、それをシャーの方に振りかざしたからだった。掠ったらしくシャーの右手の甲に薄く傷が入り、うっすらと血が滲む。
「……違うんだよ、ホントに! だ、だって、オレは……!」
「言い訳なんか聞かないわ!」
 ラティーナは、そういうと短剣を構えた。
「どういうつもりよ! 反シャルル派の名前をあたしから全部聞き出そうとしたの! そうなんでしょ!」
「ち、違う、違うよ! オレは、オレは、ただ、あんたが…………!」。
「ただ?ただ何よ!」
「たっ、ただ…………ただ、オレは…………」
 なぜか、シャーはその続きを一瞬飲んだ。ごまかすように言葉を絞る。
「ただ〜〜〜、ただ、だよ。オレはあんたの役に立ちたかったんだよ! それだけなんだ!」
「信じられるもんですか!」
 ラティーナは、首を振った。
「どうして、オレの言う事を信じてくれないんだよ? なんで、敵の言う事信じるの?」
 シャーは、悲しむような顔をしていった。
「……そんなにオレは信用できないの?」
「あんたは、あたしに何も自分のことを話さないじゃない。あんたは一体誰なの! 一体何が目的なの! どうして、必要もないのに周りに本当は強いことを隠し続けるのよ!」
 ラティーナの口からは、彼女の抱いていた彼に対する疑念が、弾かれたように飛び出した。
「あんたは、一体何をしたいの! あんたはどうしてあたしに手を貸したの!」
 シャーは、無言になり、地面にしばらく視線を彷徨わせた。
「……オレが誰かって……そんなこと…………オレは……」
 シャーは顔を上げた。
「オレは、ただのシャーだよ。ただのシャーなんだ」
「そうじゃないでしょ!」
「ホントに、ただのシャーだよ?」
「じゃあ、どうして酒場のみんなに隠しているの! 自分がホントは護衛なんかいらない位に強いこと。あんたの過去を知る人もどこにもいないじゃない! どうして!?」
「そ、それは…………」
 ラティーナにまくしたてられ、シャーは戸惑った。それから、意を決して顔をあげる。
「理由はとくにないんだよ。ただ、オレは、面倒なのって嫌いなんだ。あいつらがオレのことを、今のまんまで大切にしてくれるから、別にオレはいう必要もないと思ったし。オレは、今のまんまの生活がすきなんだ。オレが強かったら、皆、オレを見る目が変わっちゃうだろ! それが嫌だった」
「そんなの理由になんないわ!」
「でも、それが理由なんだよ! ラティーナちゃん!」
 シャーは困った顔をした。
「もういいわ! あんたのことを信じたあたしが馬鹿だったんだもの! その責任はとるわ!」
 突然、ラティーナは構えていた短剣を逆手に持った。
「ちょ、ま、待って! 待って! ラティーナちゃ……!!」
 漂い始めた殺気に、シャーは慌てて飛び下がる。
「待ってよ! ラティーナちゃん! オレホントに関係ないんだよお!」


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