振り回されるラティーナの短剣を避けて、シャーは大きく体をのけぞらせ、距離をとる。
「お、落ち着いて! もう一度オレの話を!」
 両手を広げたシャーだが、ラティーナは聞かない。それをよけているうちに、丘に一本立っている大きな木の幹にぶつかった。
「よけてばかりじゃ死ぬわよ! あなたも剣を抜きなさい!」
「そんな、……オレは女の子に剣を向けたりできないよ」
 じわじわと近寄りながら、ラティーナは柄に力をこめる。シャーの背は、いまやぴったりと木の幹についていた。
「だったら、あたしがあなたの口をふさぐまで!」
 ラティーナはそういって、短剣を振り上げた。
「や、やめてよ! ラティーナちゃん!」
 しかし、ラティーナは上げた短剣を振り下ろす。シャーは目をつぶり、身を固くした。
 静かに時が流れた。
「……どうして抵抗しないの?」
 目を閉じていたシャーに、ラティーナの少し震えた声が聞こえた。シャーは目を開けて、そっと顔をあげた。ラティーナは、すでに短剣をおろしている。
「どうして?」
 怪訝そうなラティーナの目が、もしかしたら潤んでいるかもしれなかった。暗くて見えない。シャーは、悄然と口を開いた。
「……あんたが……本当にオレを殺したいと思ったら……」
 シャーは幹から背をはなした。
「……そん時はオレを殺してもいいよ。……それでラティーナちゃんの気が済むんなら」
「何、いってるの?」
 シャーは静かに、観念したようにぽつりぽつりと話し始めた。
「確かにね、オレはあんたに隠し事してたよ。あんたの言うように、オレはシャルル=ダ・フールの為に働いたことがある。影武者と言われるなら否定はできないさ。ラハッド王子の死に対して、責任がないといったら嘘になると思う」
 シャー本人の口からそれをきき、少なからずラティーナは衝撃を受ける。シャーは、頼むような目でラティーナを見た。
「でもね、ラティーナちゃん。オレはシャルルの密偵なんかじゃない。それは、嘘じゃないんだ。今はあいつと関係ないんだよ」
「本当に?」
「嘘じゃないよ。……たとえ、シャルルに恩義があったとしても、ラティーナちゃんの味方でいるって、オレは決めたから」
 暗い中、ラティーナはシャーの目を見る。暗くて見えない中、他の人より白い部分が多い彼の目は、はっきりと見えていた。その青みがかった黒い瞳に、嘘はないようだった。
 ラティーナは、気が抜けたようにそこに座り込んだ。遠慮しながらも、シャーは慌てて手を差し伸べようとする。急に、ラティーナの震える小声が聞こえた。
「ごめんなさい……。あんただけが悪いんじゃないの……。あたしもあなたを騙したのよ」
 ラティーナの表情は良く見えない。シャーは、少し動きを止めて彼女のほうをうかがった。
「……あんたが……、シャルルの寝室への道を知ってるかもっていう話を聞いたから、それで、あ、あんたを仲間に引き合わせようと思って……。……でも、あんな手荒なことをするなんてきいてなかった…………ごめんなさい」
「謝るのは、オレのほうだから。ラティーナちゃんは、悪くないよ」
 シャーの声は優しかった。
「さっき、オレに抵抗しろって言ったのは……」
 シャーは慰めるような声で言った。
「オレに斬られようとしたんでしょ? わかってるよ、ラティーナちゃん。オレなんか信用しちゃったって自分の責任をとりたかったんだよね。それと、オレを騙したって事も。だって、ラティーナちゃん、本当は優しいし、オレなんかとちがって責任感もあるんだからさ」
 シャーは、そっとラティーナの肩に触れようとしたが、その手は空中で止まった。そして、シャーはふと目を閉じる。
「……ごめんよ。ラティーナちゃん。オレねえ、ラティーナちゃんが、あの時、レンクのいるほうに向かおうとしてないこと、わかってたんだよ」
 ラティーナが顔をあげた気配がした。
「あの時、うっかりやられたけど、ホントはちゃんとどこで襲ってくるか、事前にねえ考えてたんだ。失敗したけど。オレもまだ甘いってことだね」
 といって、シャーの笑う声が響く。
「ね、もう一度、オレと組んでみない? お互い、一度ずつ騙されたって事で、貸し借りなしにしない? そう考えたら、何もどちらかが悪いって事ないよね」
 言い終わった瞬間、風の音が聞こえた。遠い、戦場できいた音に似ているなとシャーは思った。それしか聞こえない沈黙がずいぶん続いた後、ラティーナの声が聞こえた。
「――わかったわ」
 彼女は、少しだけ微笑んだようだった。
「あんたを信じるわ。シャー」
 その言葉をきき、シャーはふっと全身の緊張を緩めた。自然といつもの彼らしい笑みが口に浮かぶ。
「ありがと、ラティーナちゃん」


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