「死にたくないのなら、あの男を甘く見ないことだ」
「何!」
 意外なことであり、しかも、おかしなことだった。ベガードは、あざ笑った。
「あの臆病者が怖いのか! ジャッキール、てめえも落ちたもんだな」
「何とでも言え。ただ、あの男を過小評価するのは危険だぞ」
 ジャッキールは含み笑いをしてそういい、そのまま部屋の外にでようとする。
「忠告をきかぬようなら愚か者と話すこともこれまでだな」
 にたり、と笑うジャッキールに、ベガードは不快を覚えた。思わず腰の刀を握る手に力がこもる。
「な、何だとぉ!」
「ここで斬りあいでもする気か? 入り口に立っている私に切りかかろうとすると、貴様の剣がこの入り口の天井にひっかかるがな。その間に、私がどれほど動けるか、わかっているのか?」
 ジャッキールはいつの間にやら、剣ではなく、そろそろと腰に吊るした短剣に手をかけていた。
「それでもやるというなら、受けて立つが……。女の前で、血を流すなど随分無粋だが? さて、どうする?」
 ベガードの刀は両手持ちのものでずいぶんと大振りのものであり、それに対しジャッキールは短剣で渡り合うつもりのようだ。ベガードが不利なのは目に見えている。
「くっ!」
 仕方なくベガードが、手を引いた。ふ、とジャッキールが嘲笑を口の端にのせた。そして、冷血動物のような目をラティーナに向けた。這うような視線に、ぎくりとラティーナはおびえるが、彼の視線はすぐに入り口のほうに戻された。
「騒がせたな、娘」
 そういうと、ジャッキールは、黒いマントを翻しながら部屋から去った。舌打ちしながらも、脂汗を流しているベガードは、その場にしばらく突っ立ったまま動かない。
「くそ! あの野郎!」
 ベガードはそう吐き捨て、ようやく足を動かした。他の部下にラティーナを連れて行くように言いつけると、彼はぐっと歯をかみ締めながら呟いた。
「お前が買ってるあの臆病者。……今からばらばらにしてやる! その時の顔が見ものだぜ」
 くっくっと、半ば狂気じみた笑みを浮かべながら、ベガードは部屋を出て行った。もはや、ラティーナに興味などないというようにである。
「シャー……」
 複雑な思いを抱えながら、ラティーナは呟いた。あの、どこか憎めない顔が、苦痛にゆがむのを想像すると、なんともやりきれない気持ちになった。
 たとえ、彼が敵だったとしても。


 ラゲイラ邸に最近入り浸りのハダートにも、この報は知らされた。彼もラゲイラの手先としての割り振りがされているし、事情を知らなければいけない立場であったからだろう。 ハダートは知らせを聞いたとき、顔には出さなかったが、内心青くなっていた。まさか、こんな風に飛び込んでくるなど思いも寄らなかったのである。……あれが。
「あ〜あ、どうしようもねぇなあ」
 ハダートは、苦笑いともなんともつかない笑みを浮かべながら、ため息をついた。
「いい加減、立場をわきまえるってことを覚えねえのかねえ、あの三白眼野郎は」
 顔に似合わない荒っぽい言葉遣いで、ハダートは頭を軽く抱える。仕方なく彼は出したメモに素早くペンを走らせた。それを巻いて金属の筒に入れた後、鳥かごの中に入れている黒いカラスを見た。
「……お前にちょっと役に立ってもらおうな。俺のかわいいメーヴェン」
 ハダートは言うと、カラスを鳥かごから出して手に乗せ、足に紙切れをくくりつけて、窓際にたった。
「……さぁ、ジェアバードの所に行け。奴によろしくな」
 小声でささやき、カラスをのせた手を上に跳ね上げる。カラスは一声鳴くと、ざっと空に舞い上がった。
「……まったく、なに考えているんだか……」
 ハダートは、ぶつぶつといいながらも、不意に思わず微笑んでしまう自分に気づいた。そんな自分にも苦笑しながら、ハダートは言った。
「ホンと、どうしょうもない奴だよ。アレは」
 そのアレが、今から何を起こすか、ひそかにハダートは楽しみだった。


シャーの見張りをいいつけられたのは、数名の腕の立ちそうな男と、そして、体は大きいがあまり役に立ちそうにない気弱そうな感じの男が一人だった。
「ジャッキールさんは、あいつに気をつけろといったけど……」
 男の一人が、のぞき窓から中を覗き込みつつ言った。中には、ひょろっこい男が一人、しょぼんとすわっている。見るに堪えないぐらい落ち込んでいたり、辺りをののしるのなら分かるのだが、彼は、何となく元気は無いものの、時々大あくびをしたり、腹減ったなあ。と呟いてみたり、のぞき窓からのぞかれているのがわかると、軽く情けない愛想笑いをしたりしている。手が自由なら、きっとひらひらと手を振っただろう。
 あまりにも緊張感が無いし、それに無茶苦茶弱そう。気をつけろといわれても、どこに気をつけたらよいものか。


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