「何も。一度、貴様とは勝負がしてみたいとおもってな」
「ここでか?」
 シャーは馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「オレは縛られてるし、こんな狭い部屋じゃ短剣でも使わなきゃつかえちまうよ?」
「今というわけではない。この屋敷のどこかで……だ。なるべくたくさん人がいるときにな」
「……なんだ、ラゲイラ卿にはそういう趣味があるの? それとも、あれと組んでる連中のほうにかな? 勝っても負けても、後で余興ってことでオレをなぶり殺しにするんだろ? いい趣味だこと」
 鼻先で笑いながら、シャーは目を少し細めた。
「ラゲイラさまがなにを企んでるのか知らないけど、……まぁ、羽振りがいいことで」
「ラゲイラ卿自身にはそういう趣味はない。仮に卿がそうするといっても、俺も見世物にするような業(わざ)はもたぬ主義でな、普段はやる気もおこらんが。だが、貴様と勝負する機会はそれぐらいしかなさそうだから仕方あるまい? 俺の言っている意味がわかるか?」
 男は、薄い唇を引きつらせ、冷徹な笑みを刻んだ。
「それに、貴様が出てこないということは、どういうことになるのか、わかるか? ……あの娘がどうなるか見ものだがな」
「どういう意味だ」
 シャーの表情がわずかに変わった。それに気づいたのか、男は陰気な笑みを強める。陰気なくせに、いやに冷酷な笑みだ。
「ラゲイラは私兵を雇っている。……流れ者の傭兵など、野の獣と変わらん。あの娘は貴族の娘らしいが、そういう上等な女に、あの野蛮な連中が、どういう感情を抱くか、だ」
 シャーは、その意味を解するや否や、カッと目を見開いた。歯をぐっと食いしばり、突然、瞳に殺気を宿らせる。何か、野生の獣のような目だった。
「……てめぇ……」
 先程まで気の抜けた喋り方をしていた男は、急に低い声になり、上目遣いに相手を睨んだ。
「……てめえ! ラティーナに指一本でも触れてみろ! マトモな死に方できると思うなよ!」
「ようやく、本気になったか?」
 男はくすりと口元を歪める。
「……じゃあ、あの娘がぼろぼろになる前に助けて見せるんだな」
 男は背を向け、ゆっくりと扉から出て行く。
「……待ちやがれ! 蛇野郎!」
 シャーの低い声が背中にかけられた。男は振り返る。シャーは押し殺したような声で言った。
「あの子に手を出したら…………八つ裂きにしてやる!」
「できるものならな。楽しみにしている」
 男はにやりとする。
 暗い殺気に満ちた目に見送られ、男は再び顔を戻すと扉から出て行った。シャーは、わずかに奥歯を噛みしめるようにしながら、遠ざかる相手の背を睨みつけていた。



狭い部屋には、机とそしていくつかの椅子。それが、ぼんやりとした灯りで照らし出されている。じりじり……と音を立てるろうそくが、その場の静寂を伝えていた。
「どうして、一人で行動をしたんだ!」
 突然、怒鳴り声が静寂を破った。ろうそくの炎が揺れて、音を立て、再び静寂が訪れる。もう一度口を開こうとした少し眉の太い、大柄の男を、横にいた太った男が手でそれを制した。ラティーナは、その男をきっと大きな目でにらみつけた。
「……情報をくれたのは、あなたでしょう! ラゲイラ卿」
 大声で怒鳴った男の横には、太った、なかなか切れ者そうな男が座っている。
「だから、あたしは自分で!」
 ラティーナは、ラゲイラに食って掛かった。
「ラティーナ姫」
 ラゲイラは、ふっと微笑んだ。
「私は何も、一人で行動しろといった覚えはありません。足並みを乱すような真似はやめてほしいと何度も頼みましたが、あなたは守ってくださらなかった」
「それで、あたしを殺そうとしたの?」
「ただの脅しですよ。……そして、後ろにいる男の正体を見極めたくてやったのです」
 ラゲイラは冷たくいった。
「後ろにいる男……シャーのこと?」
 ラティーナの問いかけには、直接答えず、ラゲイラは目を伏せた。
「あの男の正体を知っているのですか?」
「しょ、正体ですって……」
 唐突に訊かれて、ラティーナは一瞬詰まる。確かに正体がどうだと訊かれたら、何も知らないラティーナには答えられない。
「で、でも、シャーは関係ないでしょ。……確かに、ザミル王子があの人なら道を知っているかもしれないといったわ」
 ラティーナは、動揺を隠しながら言った。
「でも、あんな風に手荒に扱うなんて訊いてなかった! 皆で説得しようって言っていたけれど、確かにあたしは先にシャーにある程度の情報を打ち明けたわ。でも、彼は協力するっていってくれたし、それなのにどうして! ザミル王子から何も聞いていなかったの? あなたの独断ね!」


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