何にせよ、シャーは人気者ではある。
 シャーが酒場で熱狂の渦の中、楽しそうに踊っているとき、ちょうどその酒場の前に、顔に覆面をした女がたたずんでいた。
「ここね、シャーの居場所って言うのは」
 女はそうつぶやき、酒場のドアを開けた。
 一気に酒と料理とそして、妙な音楽とその熱狂振りが、風と一緒になって女の前を通り過ぎていった。
「兄貴兄貴!」
 無責任に盛り上げられる音楽に野次の声。女がいぶかしそうに中に入り、真ん中で踊る男を見ると、どうもきいていた印象と違ったような気がした。
「ちょっと、ごめんなさい」
 近くの男に声をかける。
「あの方の名前を教えていただけます?」
 丁寧に尋ねられて男は些かかしこまってしまったのか、水を差されたにも関わらず、慌てて丁寧に答えた。
「あ、あの人、は、シャー兄貴、いや、シャー=ルギィズっていう、名前なんだぜ、ですよ」
 使えなれない敬語を無理して使って男が応える。
「いやぁ、この酒場の主みたいなもんですよ」
 別の横の初老の男が口を挟んだ。
「シャーが来てから、実にここは明るくなりましてね」
 自慢げにいう男の言葉をきいているのか、いないのか、女は細い眉を少ししかめた。
「あいつが、シャー……」
 彼女に視線を浴びせられている事に気づく事もなく、シャーは踊っている。曲はいよいよ終盤に差し掛かっていた。シャーは、くるりと回り、曲の終わりにお辞儀をする。
「兄貴! すげーぜ!」
「最高だぜ!」
周りから喝采を浴びて、シャーはにっこり満足そうに微笑んだ。そして、大声で一言。
「さて! その最高のシャー兄貴に、もういっぱい酒をおごってくれるって人手を挙げて!」
 いきなり場がしーんとする。
「……あ、あれぇ。俺の目が悪いのかな? 一人も居ないように思うけどなっ!」
 不意に、一人、目深にショールをかぶった女が前に出た。シャーは、珍しい状況に一瞬、きょとんとしたようである。
「……あ、あの……」
 女性に酒をおごってもらえるなどということは、初めての事かもしれないぐらい珍しい事だった。
「一杯、おごらせていただけますか?」
 だが、この言葉を聞くと、女性よりも、むしろ酒が飲める事に喜んで、シャーは顔をほころばせた。
「はいはい! もちろん、もちろん! おごってやってください!」
 もみてまでしながら、シャーは調子よく彼女のそばに寄っていった。女は黙って、壁際の席まで歩いていく。
 彼女の前に立ちふさがっていた観衆達は、彼女とシャーが通るたびに道を空ける。
「あ、兄貴が……」
 呆然と大男が呟く。
「……兄貴が女からおごられるなんて、なんて不可思議な」
 そんな不思議な状況を弟分たちがぽかんとして見送る中、兄貴はなれない様子で女と一緒に端っこの席についた。まだ、周りがじーっと自分達を見ているのを見て、シャーは、手をさっさと振って追い払おうとする。
「もう! 見世物じゃないんだぞ! 気を利かせろ、お前達!」
 その言葉でしぶしぶ、または、我に返ったように観衆はそれぞれの居場所に散っていく。また、ギイギイにぎやかだが、技術的に問題のある音楽が奏でられ、次の踊り手が踊りだしている。
 シャーの下にも、酒が一杯運ばれ、彼は目を細めて酒の到来を喜んだ。
「ありがとうね、おねえさん。いやあ、助かったよ」
「あなたに話があるわ」
 そう言って、向かいに座った女は、ショールを脱いだ。少し赤っぽい感じの髪の毛が、広がる。目が大きく、少し意志の強い感じの顔つきだが、なかなかの美人である。年は十七、八位に見えた。
「あたしは、ラティーナといいます」
「あ、ラティーナちゃん。……うん、綺麗な名前だねぇ」
 上の空でききながら、わくわくとシャーは酒を飲む。
「あなたに頼みたい事があるの。シャー」
「うんうん、オレにできる事なら手伝ってあげるよ」
 適当に応えていたシャーは、ふと前に影を感じて顔を上げた。そして、ぎくりとして固まる。目の前にラティーナの顔があったのだ。そっとラティーナが顔を近づけてくるので、シャーは思わず慌てた。
「あ、あの〜、も、もしや、オレにほれてしまったとかいう、凄まじくうらやましく、しかも、ものすごくありえない状況だったりしないよね?」
 なれない事なのだ。今まで、どんなに仕掛けても成功しなかった事が、ここで成功しようとしているのかもしれない。オレも二枚目の仲間入りだとばかり、シャーは妙な夢に胸を高鳴らせる。ラティーナは、構わず彼の耳元まで顔を寄せる。どきどきしているシャーの耳に、そっと、しかし不穏な事がささやかれた。
「お金は出します。あなたほどの、組織と力のある男ならできるはず。殺してほしい男がいるんです」
「え? ぶ、物騒な事言うねえ」


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