シャーは、思わずあっけに取られた。だが、彼の耳に更に恐ろしい事が告げられる。
「あなたはここの暗黒世界の首領だとききました」
「いや、それはその……」
 シャーが慌てて何か言おうとしたが、次に彼に好きな酒を放り出させるぐらいの衝撃をもつ言葉が、更に彼女から発せられた。
「ストレートにいいますが、この国の王、シャルル=ダ・フールを暗殺して欲しい」
「シャルル=ダ・フール!!」
シャーは思わず、叫んでひっくり返り、後頭部を強打する。酒を思わず放り出してしまい、もったいなくも液体が床にしみこんでいく。彼の近くに居た何人かの男が、何事かと回りに近寄ってきた。
(冗談じゃないよ。)
 心の中で呟きながら、シャーはすっかりこぼれてしまった酒をもったいなく思い、そして、打った頭の痛さに顔をしかめる。
「ねえ、できるんでしょう? シャー。あなたには、それだけの力があるはずよ」
 ラティーナは小声で彼にだけ聞こえるように、言いながら彼を引き起こすために手を差し伸べる。
「あ〜……あの、……つまり、それは……」
 シャーは、思わずあっけに取られ、しばらく後頭部を撫でながら彼女をぼんやりと見上げていた。そして、ようやくばつが悪そうに言った。
「ごめんね、おねえちゃん。……それ、オレじゃなくて、レンク=シャーっていう西地区のやくざの大ボスの事なんだわ。オレは、そんな力はなかったりしたりして……」
「はぁ?」
「あの、アティクくん。説明してあげて」
 シャーは、近くに居た大男に指示して、ようやく起き上がった。目をぱちくりさせるラティーナに、気の毒そうにシャーの舎弟らしき大男が耳打ちする。
「……あの、この街にはシャーって名前の男が二人居るんだよ……。正確には、シャー=ルギィズっていう名前の……」
「なっ!」
 ラティーナは呆然として、目の前の三白眼のぼけっとした男を眺めるしかなかった。
「じ、じゃあ、人違いをしたってこと?」
「時々いるんだよな……」
 やせた男が横でラティーナの肩を叩いた。
「兄貴とあのレンクを間違える奴。気にする事はないぜ、ねえちゃん」
「……ど、どういうことよ!」
 ラティーナは、シャーに食ってかかた。
「つまり、あんたは何なの!」
「なんだっていわれても」
 シャーは首をかしげる。
「しがないただの貧しいお兄さんですが」
「意味がわからないわよ! 説明して!」
 要領を得ないシャーの答えに怒るラティーナにそっと大男がささやいた。
「この人は、通称カタスレニアのシャーっていって、同じシャーでもあっちのシャーとは全然違う、ダメな……人なんだよ」
 ダメなということを少しためらっているのは口調からわかった。横のやせた青年が、気の毒そうにラティーナに言う。
「……つまり、その、……何を依頼したのか知らないけど、シャー兄貴は、やくざでもないし、ただの酒飲みなだけで、何の力も無いから、…………無理だと思うんだけどな……。ほら、ごろつきにカツアゲされてるし。親切だけど、できる事には限界が……」
「あ、ひどいな、カッチェラ。何の力も無いからは言いすぎじゃないの? カツアゲされたのは本当だけど」
「ええ、またですか! それで、やけに今日はたかるんですか?」
 シャーとその弟分たちの気の抜けた会話を聞きながら、ラティーナは、思わず腰を抜かすようにぺたんと座り込んだ。


2.シャー=ルギィズ

 カーネス朝ザファルバーン。というのが、この国の名称である。建国者は、先代の偉大なるセジェシス一世であり、彼はまたこの国を滅亡のふちに追い込んだ男でもあった。セジェシスは二年ほど前、遠征中、戦場で流れ矢に当たって死んだとされている。だが、この情報がまた曖昧だった。彼の死体は確認されず、はっきりと彼の死を確認したものが二、三人しかいないのだった。だが、とりあえず王はそれ以後、姿を見せていない。死んだという事になり、時期国王が決められる事になったのだが、問題がここで発生した。
 セジェシスには、多くの妃とたくさんの王子達がいたのである。しかも、王は王位継承について何も言い残さずに死んでいるので、当然のようにそこで争いが生じた。その争いで、たくさんの王子や妃、家臣たちが暗殺され、または殺し合い、ザファルバーンは、一気に国力を傾かせていた。


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