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十日目-2


 神官長は忙しいらしく、扉が閉まったころにはあたりに姿を見なかった。数名の巫女があわただしくあちらこちらに動いている。もうすぐ儀式が始まるのだろうか。そういえば、神官長は、瑠璃蜘蛛にも儀式の参加を要請していた。
 私と瑠璃蜘蛛は、彼女たちについていくようにみせかけつつ、少し離れた人目のつかない場所で立ち止まっていた。壁の向こうで何か騒いでいるようだった。殿様と刺客の戦闘が石壁の向こうで行われているのは間違いないことだ。窓が見当たらず、外の様子が伺えないのが逆に不安でならなかった。
「どうしたらいいかしら。あのままじゃ、あのひとが危ないわ」
 瑠璃蜘蛛が、小声で言った。
「鶏が鳴けば門を開けるのでしょう? 鶏を早くに鳴かせればどうでしょうか?」
「ええ、けれど、そう都合よくは時を告げてくれないわ。それに、門番は夜明けの具合をみているの。それと鶏の声を参考にして扉をあけるのよ。何か外的なもので一番鶏を鳴かせたところで意味がないわ」
 瑠璃蜘蛛は眉をひそめた。
「けれど、たとえ門を早く開けることができたとしても、相手は大勢いるし、門の前を固められたら、あのひとが自力でたどり着けるかどうか……。門番は門は開けてくれるでしょうけれど、あのひとを引き入れてくれるほど協力的ではないでしょうね」
 神官長が言ったとおり、ここでは殿様の身分は問題ではない。ごく円満にことが進んだという話だったけれどこの国の王様も王朝が変わったばかりだ。新たな権力者に祝福を与えるのが彼らだとしたら、古い支配者に媚を売る必要はないということだ。殿様が何者であろうとも、特別扱いは許されない。ここにいる兵士たちは中立の立場であるが、味方ではない。
 瑠璃蜘蛛は、考え込んでいる。私は気が気でなかった。外はいまだに騒がしい。
「あの人を助ける方法がないわけではないわ」
 考え込んでいた瑠璃蜘蛛がぽつりと言って顔を上げる。
「神官長様に例外を認めさせればいいの」
「例外を? でも、どうやってですか?」
「女神様が許可をすればいいの」
 私は瑠璃蜘蛛をきょとんとして見上げる。こんなときに冗談をと思ったが、彼女の表情は真剣そのものだった。
「この神殿では女神の神託が全てだわ。女神様が、夜明け前でもいいからあの人を助けるように望んでいるという神託さえ出せれば、今すぐにでもあの人を助けることができる。いいえ、それだけでないわ。女神が必要だと預言したのであれば、あの人を助けるのに兵士を出せる。それなら、あのひとが門まで自力で戻ってこられなくても助けられるわ」
「神がかりになるということですか?」
「ええ」
 しかし、瑠璃蜘蛛の表情はすぐに曇った。
「でも、……私は、神託を下したことのない乙女なの。それに、そんな都合のいい神託を下してくれるはずもないし」
「ねえさまが演技をすれば」
 私がそういいかけたとき、瑠璃蜘蛛は静かに首を振った。彼女の手がわずかに震えているような気がして、私は顔を上げる。
「いけないわ。それでは、神官長様にばれてしまう」
「どうして?」
「私は、神がかりになったことがないの。だから、どういう感覚なのかわからないの。下手な芝居をうってしまっては、すぐにばれてしまうわ」
 瑠璃蜘蛛の顔が心なしか青ざめていた。
「私は、本当は、巫女としては落第生なの。女神様をおろしたことがないわ」
 それは何でもこなせそうな瑠璃蜘蛛には意外な言葉であったが、よく考えると現実的な彼女のこと、そうであってもおかしくなさそうだった。そういえば、夕映えのねえさまは、時折女神様をおろして占いを行ったと私に笑いながら話をしていたものだった。瑠璃蜘蛛は困惑した様子だったが、やがて首を振った。
「でも、誰かに頼むとしても、そんなことを頼んだところで神官長様にばれないはずがないわ。……そうね、私がやらなくちゃ……」
 瑠璃蜘蛛は、顔を上げた。
「なんとか、やってみるしかないわね」
 瑠璃蜘蛛は、きゅっと唇を引き結んで、近くの祭壇にそっと近寄った。そこにきれいな金属の杯がおかれていて、瑠璃蜘蛛はこっそりと手に取っていた。そこには強い酒が入れてあるようだ。アルコールの香りが鼻を突いた。
「ねえさま、どうするの?」
「お酒で酩酊していれば、少しはそれらしく見えてくれるかもしれない。やってみるわ」
 瑠璃蜘蛛はぐっと酒を飲み干す。そんなに強い酒を一気に飲んで大丈夫かと思ったが、瑠璃蜘蛛はくらりとした様子もない。きっと彼女はもともと酒が強いのだろうと思う。
 向こうで舞踊が始まるのか、神殿にいる乙女たちがそろそろと集まっていく。
 それを見て、瑠璃蜘蛛はつぶやく。
「舞踊が始まるわ。私もいかなきゃ……」
 そして、彼女はそっと私の耳にささやく。
「シャシャ、ここで待っていて……。必ず何とかするから」
 瑠璃蜘蛛は、そう告げると、彼女たちのあとを追っていく。私は言われたとおりそこで彼女の後姿を見送った。
 珍しく不安をあらわにした瑠璃蜘蛛の背中を見送ってしまうと、私はぽつんとそこにたたずんでいた。
 冷たい石造りの夜の神殿。門のそばの建物を出ると中庭らしいものがあるようで、本殿は回廊の向こうにあるようだった。瑠璃蜘蛛たちは、中庭のそばの噴水がある場所で儀式がある様子だった。
 向こうでかすかに音楽が鳴りはじめていた。その涼やかな高い音色を聞いていると、私は急にさびしくなって、祭壇のある冷たい建物を後にした。
 そっと中庭をのぞいてみると、乙女たちが薄絹を身にまとって舞っているところだった。かがり火の光でようやくかすかに見えるぐらいだったが、彼女たちの色鮮やかな衣装が目についた。
 こんな状況でなければ、もっとじっくりと彼女たちの舞踊をみていたかもしれない。めったと見られるものでもないだろうし、遊里にいて、妓女たちの芸事を見慣れている私にもそれはすばらしく、ものめずらしいものとうつっていた。
 円を描くように広がっている乙女たちは、一糸乱れぬ動きで踊っている。
 鈴の音が聞こえる。
 瑠璃蜘蛛らしい人影は、鈴の音に合わせてさあっと手を広げていた。全ての乙女が同じ動きをしているのだったが、ひときわ瑠璃蜘蛛は動きが綺麗で、目をひいた。姿勢といい、動きの切れといい、他のものよりもすばらしく美しい。私は、彼女が舞踊を得意として、それを褒め称えられているというのは、事実なのだと思ったけれど、そんな瑠璃蜘蛛は何か怖い感じがした。彼女は動きが綺麗だったけれど、まるで何かに取り憑かれるように一心不乱に踊っているような様子で、他の乙女たちとは違った印象さえあった。
 瑠璃蜘蛛は感情表現の苦手なひとだった。歌を歌っているときも、話しているときも、殿様に対してでさえ、感情が読みづらいひとだ。けれど、彼女の踊りには、彼女の声色にはない情念のようなものが感じられた。私は瑠璃蜘蛛の感情を、そこで初めて強く感じていた。怒り、悲しみ、戸惑い、焦り、そのようなもの。
 瑠璃蜘蛛は、殿様を助けられない自分に対して、いらだっているのだろうかと思った。彼女の舞踊はしなやかで艶やかなのに、なぜかそんな気がしていた。
 どれくらいそうしていただろうか。
 ふいに、外で叫び声があがった。外の物音はかすかにここでも響いていた。私はふと殿様が心配になってきた。瑠璃蜘蛛はまだ演技をしてくれないのだろうか。殿様は、まだ持ちこたえているだろうか。私は一人はらはらしていて気が気でなかったけれど、瑠璃蜘蛛は決められたとおりの所作で舞踏するばかりだった。そんな瑠璃蜘蛛の姿をみやりつつ、私はここに自分がいても仕方がないのだと考えて、再び祭壇のほうに向かった。
 いつの間にか空が少し白みかけていた。そろそろ門が開くのではないか、私はそう思ったが、まだ門番は門を開けてはくれないらしい。
 ふと、私は暗い神殿の回廊に、外の光が漏れている場所を見つけた。そこから外の物音が聞こえているようで、私はそちらに駆け寄った。外の冷たい空気が中に入り込んでくる。窓があるらしい。
 ちょうど私の腰ぐらいの高さに窓があった。私はそこに駆け寄って顔を出してみる。
 いきなりどがっと何かが顔の横の壁にぶち当たったようで、私はびくりとして思わず悲鳴を上げた。それを聞きつけたのか、壁に激突したものがふとこちらを見た。
「なんだ、お前か」
「殿様!」
 殿様はすでに肩で息をしていた。暗くて顔色はわからないが、かなりきついようだ。
「まったく、お前……、のぞくなって言ってるのに」
 殿様は息を切らしながらため息をついた。
「大丈夫ですか?」
「へへ、月並みなこときくなよな。あんまり大丈夫じゃねえよ」
 殿様は、小刻みに呼吸して、息を整えながら言った。
「駄目だな。体がなまりきってやがる。そろそろ足腰立たなくなりそうだぜ」
 殿様は、にやりとして、地面に向けた剣を軽く振る。
「前はこれぐらいなんでもなかったのに。……へへへ、遊んでた罰だな」
 私が不安そうな顔をしたのがわかったのか、殿様は、自嘲的に笑った。
「馬鹿だな。縁起でもねえから、そんな顔するな。いくらなんでもまだもうちょっとは、死なねえよ。あんだけ大見得切ってでてきたんだ、そんななさけねえ死に方できないよな。死ぬ時はもっとソーゼツに死んでやるぜ」
 殿様は、大きくため息をついて、呼吸を戻すと
再び前傾姿勢をとった。殿様は、思えばここに休憩しに逃げてきたのだろうか。彼を追いかけてきたらしい刺客が、殿様を見つけて声を上げた。仲間を呼んだ彼は、剣を構えてこちらに切りかかってくる。 
「いいか。危ないから顔出すんじゃねえぞ」
 殿様はそういい置くと、壁を蹴って刺客の突進を避け、さっと反転して攻勢にかかった。白みかけてきた空に殿様を取り囲む男たちが、ちらほら見えてきていた。見えるだけでも十人はいるようだ。おそらく、私の目に見えていないものもいるだろうし、追いかけられてきたときの松明の数からして二十人はいるだろう。殿様は、暗闇を利用してうまく逃げながら戦っているようだったが、いつまでもつだろうか。殿様が門から離れたここまで逃げてきていることから考えて、瑠璃蜘蛛の予想のとおりに門の前は封鎖されているに違いない。ここで殿様が追ってを切り抜けたとしても、門までたどり着けるかどうか。
 うまく相手を分散させながら、背後を見せずに戦っている殿様は、随分健闘しているようだったけれど、その様子をみるのは、はらはらして気が気でなかった。
 少しずつ敵が殿様の方に近寄ってきている。さすがの彼も複数の人間に一度に取り囲まれたら、どうしようもない。
 と、向こうのほうから笑い声が聞こえた。あはははは、という楽しげな女の笑い声だった。瑠璃蜘蛛たちがいる中庭のほうからだ。
 いったいどうしたのだろう。私は外をのぞくのをやめて、中庭のほうに戻ろうとした。
 しかし、その時、ふと外で激しい物音がしたのだ。そして、殿様の声も――。  




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