一覧 戻る 次へ 八日目-1 八日目の朝、目を覚ますと部屋に殿様の姿がなかった。疲れがたまって私も瑠璃蜘蛛も、少し遅くまで寝込んでしまっていた。目が覚めると日が高くなっている。 そのことに気づいた私は、あわてて瑠璃蜘蛛を起こしてしまった。瑠璃蜘蛛は目を覚ましても、大してあわてた様子もなく、「そうなの」というばかりだった。 「もしかしたら、そのうち帰ってくるかもしれないし」 瑠璃蜘蛛は、そういいながら身支度を始めている。意外にのんびりとしたところがあって、私は自分が騒いでいるのが恥ずかしくなるぐらいだった。 「もう少し待ってみましょう。とりあえず、顔でも洗って、お化粧でもして……」 瑠璃蜘蛛は、そんな調子で私にも身支度をすすめる。 そうして、瑠璃蜘蛛がすべて準備しおわったときだっただろうか。 ふらっと、殿様が部屋に帰ってきたのだった。 戻ってきた殿様は、すっかり身なりをきれいに整えていた。そして、例の服でなく、白い粗末な服に身を包んでいたので、一瞬誰だかわからなかった。以前のように派手で豪奢な服を着崩すこともなく、普通の旅人風で、彼が部屋に入ってきて、顔にまきつけた布をずらすまで、私はその青年が殿様だと気づかなかったぐらいだ。 殿様は戻ってきたものの、気まずそうにこちらの様子を伺っていた。 と、そうしているうちに、瑠璃蜘蛛のほうが声をかけた。 「おかえりなさい」 「あ、ああ」 殿様は、瑠璃蜘蛛の言葉に救われたように答えて、こちらに歩み寄っていた。 ふと、瑠璃蜘蛛は、じっと彼を見る。その意図がわからないようで、殿様は少しぶっきらぼうにきいた。 「な、何だよ」 瑠璃蜘蛛は、ふっと微笑む。 「あなた、今日は、お酒を飲んでいないのね?」 「え? あ、ああ」 いきなりそう聞かれて、殿様が、やや慌てた様子でそう答えた。いわれれば、確かに酒のにおいがしなかった。まだ熱のあった昨日はともあれ、素面の普段の殿様と対面するのは、私にとっても瑠璃蜘蛛にとっても初めてのことだ。 「素面の貴方の方が素敵だわ」 瑠璃蜘蛛が目を細めてそういったのをきいて、殿様は少し面食らったようだ。 「そ、そうか……。そうかな?」 ふっと、殿様がほんの少し赤くなったのがわかった。殿様は、少し息をついて仕切りなおして続ける。 「何もいわずに外に出て行って驚かせたなら悪かったよ。その、……よく寝ていたから、その」 殿様は、言葉を選びつついう。 「起こすと悪いと思った、からさ」 その様子に、瑠璃蜘蛛がかすかに微笑む。 「そんな気をつかってもらわなくても大丈夫よ。でも、今日はお加減がよさそうね」 「あ、ああ。熱も下がったし、大丈夫だから」 「それならよかったわ」 瑠璃蜘蛛はやさしくそういう。 「でも、まだ病み上がりなんだから、あまり無理はしないほうがいいと思うわ」 「あ、ああ。気をつける」 殿様はそう答えて、しばらくためらった後、そろそろと切り出した。 「その、俺が倒れている間には、いろいろ、ねえさんたちには随分迷惑を、かけてしまった、ね」 殿様がそんなことを言い出すのは、予想外だった。素面の殿様は、以前の凶暴性をどこかに置き忘れたようで、まだ少し残った乱暴さがとってつけたようにぎこちなく感じさせる。 「おまけに、日程を遅らしちまって……」 「いいえ。気にしないで。事情が事情だもの」 瑠璃蜘蛛がそう答えると、殿様は首を振った。 「いや、俺の責任だ」 「いいのよ、無理しなくても。仕方がないもの」 瑠璃蜘蛛が優しくいったが、殿様は首を横に振る。 「そうはいかない。遅れると、酷くしかられるんだろう」 「でも、急ぐにも路銀も少ないことだし、連絡を取って事情を話せば怒られたりしないわ」 殿様はかたくなに首を振る。 「そうはいかないよ。俺の責任だ。俺が何とかする」 そういって、殿様は懐から財布を取り出した。 「路銀だってこれでなんとかなるはずだ」 と、私は首をかしげた。殿様は、確か出発時にそれほど金を持っていなかったはずだ。自分でも酒代ぐらいしかもっていないといっていたし、実際に倒れている間に持ち物は一箇所に固めていたが、それほど入ってもいなさそうだった。というのに、今の殿様の財布には、かなりお金が入っていそうだった。 「どうしたの?」 瑠璃蜘蛛も怪訝におもったのだろう。そうきくと、殿様は軽くうなずいた。 「首飾りや腕輪を売った。一応、金や銀で出来てるし、宝石もついているから、そこそこの金になったよ。短剣なんかもそれなりの金額になったしね。着ていたのものも、それなりのものだったから」 どうやら、殿様は剣以外の私財を売り払って金に換えてきたということらしい。それで粗末な服を着ているだけなので、印象が違ったのかもしれない。 「そんなことしてもいいの?」 「いいさ。あんなただの飾りなんて、俺の首にあるより、役に立つほうがよっぽどいい」 殿様は、そういうと安心したのか、少し表情をやわらかくした。 「これで馬を一頭ぐらい買えると思うんだが、それなら何とか間に合うかもしれない」 「馬を? 確かに、それなら大丈夫かもしれないけれど……、そこまでしてもらったら悪いわ」 殿様は、ふとまじめな顔つきになった。 「あんたがいなければ、俺は死んでたんだろうから、それぐらいなんてことはない。それぐらいはさせてくれよ」 殿様は、強い意志を感じさせる目で瑠璃蜘蛛を見ながらこういった。 「必ず、十日目までにねえさんたちを神殿に送っていく」 瑠璃蜘蛛は、ありがとう、と礼をのべつつ、心配そうに言った。 「けれど、貴方はもう大丈夫なの? そんな無理をしないほうがいいわ」 「ああ、俺のことは、大丈夫だから」 殿様は、やつれてはいたが、顔色は前よりよくなっていたように思う。 「準備が出来次第出発しよう」 殿様がそういうので、私たちは慌てて準備をして宿を出て行った。 殿様は、話をあらかじめつけてきていたのだろう。馬を一頭手配してもらい、ついでに幌のついた中古荷馬車を買い付けてきた。乗り心地はよくないが、ないよりましだという。 殿様は、今までの非協力的な姿からは想像できないほど、あちこちにすでに手を回しているようで、商談はあっという間に成立していた。おそらく、瑠璃蜘蛛の承諾を得たらすぐに行動できるように手配していたのだと思う。 それだから、昼までに、私たちは街を後にしていた。 殿様は、夜までひたすら馬車を操っていた。途中、宿場町があったが、殿様はそこをすっ飛ばしていった。本来はそこで一夜明かすはずなのであるが、そんなことをしていては間に合わないという判断だった。月が昇ってしばらくしてオアシスにたどり着くまで、殿様は小休止を少し取る程度で後はひたすら前進するのみだった。夕方にも街にたどり着いたが、殿様は危険だという理由でそこには逗留せずに、オアシスまで走ったのだった。 殿様の執念は、少し異常なものだった。 実際に遅れれば罰せられる瑠璃蜘蛛や私より、必死になっていたのは間違いなく殿様本人だった。いったい、どうしてそんなに瑠璃蜘蛛を神殿に届けることに執念を抱くのか。彼は夕映えのねえさまの護衛であって、部外者だったはずなのに。 そんな執念にぎらつく殿様の目は、以前よりはるかに恐ろしかった。病み上がりのやつれた姿に目だけをやたら光らせて、彼はひたすら馬を飛ばしていた。 そして、私は、そのとき初めて、殿様の瞳が青いことを知った。この地では、青い瞳の人間は魔性の力を持っているといわれる。そして、魔性の力を持つ瞳は、自分が魔の力を持つために、他人の呪いすら退ける。殿様の目は、それを思い起こさせた。 一覧 戻る 次へ |