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一日目-1



 祭りの当日の喧騒の中、夕映えのねえさまにぴったりと私はくっついていた。
 私は、ねえさま達に綺麗な服を着せてもらって、頭にあの髪飾りをつけてもらって、お化粧をしてもらった。そんなにおめかししたのは初めてで、私は鏡に映った自分の姿が別の人のような気がしていた。
 すでに祭りのために飾り付けられた私とねえさまは、輿に乗せられて薄絹に隠されながら、街を進んでいる。まだ行進は始まったばかりで、周りの騒がしさはそれほどでもなかった。ただ、華やかな音楽が、遠くきこえていた。
 乙女は、祭りのときに基本的に顔を見せてはいけない。ベールで顔を隠していないといけないのだ。とはいえ、ベールはかなりの薄物だから、それごしに顔立ちはわかるから、沿道にでてきた市民にも、彼女たちの美貌にふれる機会はあった。
 きれいに着飾ってもらって、とてもうれしかったはずなのに、私は、何故か浮かない気分だった。
 それは、昨日の殿様の暗い目がはなれなくて、不安だったのかもしれない。
 私は、ねえさまにくっついたまま、ずっと無言でいた。護衛のものは、街の出口で乙女を待っているので、朝から殿様の姿をまだ見なくてよかったのは、私にはよかった。
 夜の灯火の赤い光に照らされて、炎に揺らめいてぎらぎらしている殿様のよどんだ瞳。
 はじめてみた殿様は、思ったより若く、思ったより冷酷な顔立ちをしていなかった。特別美男子というほどでもないが、それなりに整った顔をしていたし、優しく微笑むととても愛嬌があるのかもしれない。けれど、その顔で殿様が浮かべるのは、冷たい歪んだ笑みだけで、酒臭い息と一緒に吐く自暴自棄な暴力的な言葉が、私の頭にこだまするようだった。どす黒い感情を移したあの目が私に迫ってくるようで、私は昨日の夜からそれがのしかかって気が沈んでいた。
 それを心配してくれたのか、夕映えのねえさまが私をのぞき込んできた。
「どうしたの? 今日は甘えんぼうねえ、シャシャ」
 夕映えのねえさまが、頭を撫でてくれながら、小首をかしげた。私は、それで、昨日の殿様の来客のことを伝えた。
「まあ、昨日、そんなことがあったの」
 と、ねえさまはいった。祭りのため、装飾のついたベールが、きらきらしていた。
「それは、殿様の世話係のお方ね」
「ねえさまは知っているんですか?」
「ええ、少し事情を聞いたことがあるの」
 そういって、夕映えのねえさまが、秘密よといって語ったのは、以下のようなことだった。
 紅楼の殿様は、確かに王族の一人である。順位がどれほどかわからないものの、どうやら王位継承の権利すら持っているらしかった。だから、ねえさまは、殿様が王子か、王の兄弟の子供かそれに近しい存在ではないかといっていた。ただし、王にはたくさんの養子も義兄弟もいたから、彼がどの程度の地位にあるのかはよくわからないという。
 彼らは、現在熾烈な権力争いを重ねており、少しでも有利な立場に立つため、水面下で事故に見せかけて宿敵を暗殺したり、追い落としたりしていた。殿様には大した後ろ盾がいなかったため、それゆえに、幼少のころから、継母たちに何度か暗殺されそうになったことがある。
 王都にいても危険なだけなので、殿様は少年のころから戦争に行っていたということだった。王族の子供が、士気を鼓舞するために戦場に赴くのはそれほど珍しいことでもないという。けれど、そのころの彼は、今では考えられないほど陽気な少年だったということだった。
 彼が変わったのは、この前の大きな戦争の間だったという。この間の大きな戦争で、この国は隣の大国に勝利したが、そのとき、殿様は矢が当たって瀕死の重傷を負った。
 それがきっかけだったようだ。どうにか意識を取り戻した殿様は、怪我を押して戦ったが、徐々に不安定になっていった。彼に何があったかはわからない。ただ、その戦争で敵の王が自決したころには、殿様は不安に取り憑かれて、周りに隠れて深酒をするようになっていた。
 それでも、まだ殿様は人前では自分を律していたという。
「殿様の変貌には、女の子がかかわっているときいたわ」
 ねえさまは、静かに言った。
「女の子、ですか?」
「ええ、そのとき、殿様に思い人がいたそうよ。けれど、彼女は殿様が深酒をして壊れそうな時、そばにいてほしいという殿様を怖がって逃げていったの。その次の日、殿様は豹変した。それまで、周りに気をつかい、陽気で明るかった彼が、突然、乱暴になり、人目もくれず酒におぼれるようになったの」
 夕映えのねえさまは、ため息をついた。
「裏切られたと思ったのね。それから、殿様はずっとああなのよ。きっと、誰も信用しないつもりなの」
 だから、あのお方はかわいそうな方なのよ。と夕映えのねえさまは言った。
「本当は、それほど悪いお方ではないと思うし、できるなら助けてあげたいと思うわ」
 そういう夕映えのねえさまは、どこか綺麗に見えた。ねえさまは、殿様がやはり好きなのだろうかと思った。
「だから、シャシャ。あまり殿様を怖がらないであげてね。本当はやさしいところもある方なのよ」
 ねえさまはそういって、私の頭を撫でてくれた。
「それよりも、シャシャ。周りを御覧なさい。せっかくお外にでたのだもの。外は素敵よ」
 そういって、ねえさまは薄絹の天幕をそっとめくった。
 私の視界に鮮やかな色彩が飛び込んできた。外には、もうほかの妓楼から出てきた乙女たちの乗った輿がいくつもでていた。
「あれが蓮蝶姐さんよ。ごらん、シャシャ、とてもきれいでしょう。蓮蝶姐さんは、私達乙女のなかでも、一番艶やかなひとよ」
 夕映えのねえさまにそう呼ばれて、私は輿の薄絹からそっと顔をのぞかせた。そこに、蓮蝶(はすちょう)と呼ばれる乙女が見えていた。とても美しい人だという話をねえさまからはずいぶん聞いていたけれど、赤い唇が薄絹のベールごしに見えていて、本当に艶やかだった。大人びた色気を含んだ微笑を浮かべている蓮蝶をみて、私はうっとりとした。
 夕映えのねえさまも十分きれいな人だと思っていたけれど、世の中にはさまざまなきれいな人がいるものだと思った。
 総じて乙女は美しい人が多かった。もちろん、そうした人を選抜しているのだから、当たり前ではあるけれど、普段、紅楼で美しい妓女達にかこまれている私の目からみても、乙女として現れた彼女達のきらびやかさはまた特別なものだった。
「あら、瑠璃蜘蛛だわ」
 夕映えのねえさまが、そういって顔をほころばせる。
「瑠璃ちゃんも、元気そうで何よりね」
 そういうねえさまの視線を辿ると、向こうで輿にのっている乙女が見えた。
 瑠璃蜘蛛と呼ばれる乙女も、乙女として選定されたからには、乙女として身に着けるべく標準的な教養をすべて備えている女性だった。こと、彼女は舞踊に長けており、夕映えのねえさまによると、それは今いる巫女の中でも一番の踊り手だといっていた。
 しかし、それなら、蝶とでもあだなをつければいいのに、彼女につけられたのは蜘蛛という名前だった。それは、彼女が織物や編み物、刺繍に長けているためにつけられた名前だという。  先ほどの蓮蝶も同じく舞踊を得意としているし、蝶という同じ名前をつけたのではいまいちだから、奇をてらったのかもしれない。それか、実際に毒気のある妖しい女性なのかもしれない。
 彼女に会う前、夕映えねえさまからうわさをきいた私は、そう思ったものだった。だから、彼女は、蜘蛛と名づけられるぐらいなのだから、気が強く、自分に自信があり、艶やかな、いわゆる毒婦の属性をもつ女性なのだろうと思っていた。けれど、実際こうしてみると、瑠璃蜘蛛と呼ばれている人は、なんだか印象が違って、私はきょとんとしてしまった。
 瑠璃蜘蛛は、そこにいる乙女達のなかでも、かなり目を引く美しいひとだった。おっとりとした上品さの中に、どこか庶民的な可愛さのある夕映えのねえさまや、艶やかで華やかで女王のような美しさを誇る蓮蝶と比べても、まったく異質な美人だった。
 彼女は、いってみれば、作り物のように美しい人だった。しっとりとした黒い髪、いっそのこと無機質に整った顔立ち、そして、あまり感情をうつさない理性的な黒い瞳。艶やかさは十分にあるけれど、なにかガラスで作られた細工物のような、そういう冷たさを含んだひとだった。けれど、その冷たさを差し引くと、清楚という言葉がしっくりくる感じもする。とても、蜘蛛と名前のつくような恐ろしい女には見えない。
「あら、瑠璃ちゃんをみるのは初めてだったかしら、シャシャ」
「はい、蓮蝶ねえさまも、瑠璃蜘蛛ねえさまも、お会いするのは初めてです」
「あら、そうだったのね。瑠璃蜘蛛はね、ああ見えてとてもやさしい子よ。シャシャも一度話してごらんなさい。乙女といっても、あの子はそれを気取るような子じゃないし、とても話しやすいと思うわ」
 そうなのだろうか。一見とっつきにくい感じがするけれど。
「瑠璃蜘蛛は、頭が良くてね、昔神殿にいたころには、よく一緒に将棋をしていたものだわ。あの子ほど、将棋の強い子もなかなかいなかったけれど、今でも時々殿方をやりこめているそうよ」
 そういって夕映えのねえさまは楽しげに笑っていた。
「夕方の宴は、皆一緒に集まれるから、その時、シャシャも色々お話すればいいわ」
 ふと、外を見ると、むこうに護衛たちがまっているのが見えた。
 もしかしたら、殿様はいないかもしれない。私は、そう思った。昨日の今日なんだもの、もしかしたらいないかもしれない。そうだといいのに。
 そう思いながら、こわごわ目をこらすと、人ごみに混じって赤い服が見えた。みれば、顔の半分を布でおおった青年が、ちらりと見えた気がした。
 私は、殿様がここに来ていることを確信していた




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