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一日目-2



 ねえさまがいったとおり、夕方には宴が盛大に行われた。
 護衛をもてなし、祭りを支えるものたちの士気をあげ、巡礼に向けて最後の贅沢をするのだとねえさまは言っていた。
 宴は、街の門を出てしばらくした砂漠に天幕を張って行われる。
 天幕では、乙女たちが何人も舞い踊り、歌いまわる。それは、どんな妓楼でもみることのできない贅沢なものだ。乙女たちに関係を迫ったり、しつこく触れようとするのはご法度であるが、さすがにそんなことをする輩はいなかった。
 私は、ねえさまの手伝いとして、酒や料理を運ぶのに忙しく、舞い踊る乙女たちをじっくりと見る暇がなかった。けれど、それはかえってよかったように思われる。その間、私は殿様のことを忘れることができた。彼がそこにいたのかいなかったのか、私にはわからなかった。
 夕映えのねえさまも忙しく、酌をしたり、踊ったり大変そうにみえていた。けれど、ねえさまが誰か探している様子だったのは、今思えば、殿様を探していたとしか思えないのだった。
 夜は更けていったが、宴はいつやむともしれなかった。さすがに私も少し疲れてしまったので、そっと抜け出させてもらった。
 熱気にあふれた天幕を出ると、急に冷たい空気が感じられた。外はこんなに寒いものだっただろうか。空は、満ちかけた月がのぼっていて、こうこうと世界を照らしていた。
 とりあえず、少しやすませてもらおう。そう思って、私は天幕の近くに腰を下ろした。男たちの笑い声がまだ聞こえている。
 と、私がため息をついていると、ふいに視界に青い色が入ってきて、私は顔を上げた。いつのまにか、そこに青い服を着た乙女が立っていた。
 瑠璃蜘蛛だ。と思った。私は慌てて振り返り、彼女に挨拶した。
「瑠璃のねえさま、こんばんは」
「あなたは、夕映え姐さんのところのシャシャね」
 瑠璃蜘蛛の声をはじめて聞いた。ささやくような声をしていて、意外にかわいらしい感じだった。
「夕映え姐さんから、お話は聞いているわ。これからよろしくね」
 彼女はそういって、ベールの下でうっすらと微笑を浮かべた。そうして彼女が微笑んだのを見て、私は少しだけ安心した。ほんの少ししか微笑まなかったようにみえるが、それだけでも、彼女に抱いていた警戒心のようなものがほぐれた気がしたのだ。
「でも、シャシャ、一人で外にでていると危ないわ。一緒に戻りましょうね。一体、どうしたの?」
「はい。少し疲れてここで休んでいたんです」
 瑠璃蜘蛛は、そう、と言った。
「そうね。初めての宴は疲れてしまうもの。私もそれで外に出てきたんだけれどね」
 と、いって、不意に瑠璃蜘蛛が視線を向こうの天幕に走らせた。私も視線を追ってみた。
 そこに人影が見えたので、私は思わずびくっとしたが、瑠璃蜘蛛は相変わらず冷静な様子でそちらをみていた。
「あら、あの方は、夕映え姐さんの護衛のひとね」
「えっ?」
 そういわれて、私は目を凝らした。彼は、赤いマントを体に巻きつけ、金の首飾りや腕輪をいつものようにつけていた。そして、誰もいない天幕にもたれ、剣に手をかけたまま誰か眠っていた。確かにそれが殿様の姿のようだった。
 こんなところで何をしているのだろうと思った。護衛の人間達は、普通は宴に参加して楽しくやるものである。護衛のくせに酔っ払ってどうするのだろうと思うが、彼らが楽しく騒いでいる間は、魔物が寄り付かないとされているので、宗教的な意味もあるようだった。
 それなのに、殿様は一人ぽつんとこんな所で酒を飲んで寝ていたのである。でも、理由はわからなくもない。殿様は、顔を見せられない身分の人間でもあるし、彼の性格からして大勢と楽しく騒ぐような人間でもなさそうだった。それに第一、彼が今、この宴の場に出て行くと、空気が凍り付いてしまうだろう。傍若無人な殿様にも、それぐらいの空気を読む力はあったらしかった。
「こんな寒いところで眠ってしまったら、風邪でもひいてしまいそうね。起こしてあげようかしら」
 瑠璃蜘蛛がそんなことをいうので、私は彼女のすそをひっぱった。
「ねえさま、あの人はそのままにしておいたほうが」
 厄介は起こしたくない。殿様が、ここで暴れだしたら、瑠璃蜘蛛にも迷惑がかかる。
「あの人も、お疲れなのかと思いますし」
 と、瑠璃蜘蛛が何か見ているのをしって、私は彼女の視線を追った。そして、どきりとした。殿様のいる天幕とは別の天幕に隠れて誰かが彼の様子を伺っていた。
 彼は、私と瑠璃蜘蛛が自分に気づいているのを知らないようだった。暗がりに目が慣れてきて、私はようやく彼が誰であるか気がついた。
 そこにいるのは、昨日殿様の部屋を訪れ、泣きながら帰った男だった。
「あのひと……」
 ぽつりと私が言ったとき、ふと、瑠璃蜘蛛がふっと顔を上げた。
 そのときだ。いきなり悲鳴が響き渡った。天幕の一角が朱色に輝き、煙が上がった。焦げ臭いにおいが、鼻をつき、怒声が轟く。
 わあっと人影が見える。なんだろう、何が起こったんだろう。私は、混乱して、瑠璃蜘蛛を見上げた。瑠璃蜘蛛は、表情一つ変えず、燃え上がる天幕を見つめていた。
 ふと、殿様がはじかれたように起き上がった。
 彼は燃え上がる天幕を見て、何かに気づいたようだった。
 殿様は、はっと剣を抜く。その殿様めがけて、黒い影が飛んできた。殿様は天幕に影もろとも倒れこんでいた。しばらく、そこでもみ合いが続いていた。
「殿下!」
 影にいた人影がさっと表に出たが、その時には、殿様は、相手を蹴り上げてそこから逃れると、起き上がって影と距離をとっていた。
「てめえら……、ただの夜盗じゃ……」
 殿様が口の中でうめいたのがわかった。天幕の中の護衛たちも異変に気づいたのか、外に男達がでてくる。そして、それと同じく、殿様を襲った黒い服をきた男達が彼らに襲い掛かっていた。
 周りは叫び声や怒号が飛び交って、その渦の中で私は動けずにいた。
「ね、ねえさま」
 私は、恐くなって瑠璃蜘蛛の衣にすがりついた。瑠璃蜘蛛は、その時ですら表情を変えてもいない。なんてひとだろうと、私は思った。この人には、感情がないのだろうか。それぐらい、瑠璃蜘蛛の顔からは恐怖すら感じられないものだったのだ。
 と、殿様が私と瑠璃蜘蛛のほうを見た。私は彼と目があってしまい、思わずどきりとして首をすくめた。
「お前ら、逃げろ!」
 殿様はそう叫んで、私達の方に走りよってきた。後ろを男達が追いかけてくる。
「早く!」
 せかす殿様の声に、私と瑠璃蜘蛛は我に帰って走り出した。天幕の間を抜けていく。普段あまり走らない私は、殿様と瑠璃蜘蛛においていかれそうになる。
 不意に手をひっぱられて、私ははっと上を見上げる。殿様が私の手をひっぱって走っていた。
「こっちだ!」
 ぐいと殿様は、瑠璃蜘蛛に方向を指示すると、そのまま、何もない砂漠のほうに走り出す。砂漠は暗く、月明かりだけでは見通しがききづらかった。
 殿様は、砂の小山をひとつ二つ越えると、岩の多い場所に逃げ込んだ。
 その岩のひとつに私と瑠璃蜘蛛を押し込むと、殿様は息遣いを整えながら警戒した様子であたりを伺っていた。
 殿様の左腕から血が流れていた。彼は私に見られたのに気づいたのか、それとも気づかなかったのか、それを手ぬぐいで無造作にふき取ると適当に巻きつけて上から腕輪をはめてしまった。
「まさか、一日目に……」
 殿様が、ぽつりと呟いたのが聞こえた。
「まさか、本当に……が。あいつが、俺を殺す為に?」
 私は瑠璃蜘蛛にくっついていた。月の光だけが静かに砂漠を照らしている。私と瑠璃蜘蛛と殿様は岩陰に身を隠したまま、無言でじっとしていた。
 そうしているうちに、私は眠くなって眠ってしまった。




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