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十日目:女神の領域-2



 馬の蹄が砂を蹴り、砂煙が上がる。殿様は、今度は下手な細工をせずに一直線に神殿を目指していた。
 殿様はすでに剣を抜いていて、右手に持っていた。私の顔のすぐ横に刃物がきらめいている。それが月の光に反射するのは、なんだかぞっとするような美しさがあった。
「追いつかれるわ」
 瑠璃蜘蛛が、後ろをちらりと見てそういう。
「ああ、おまけにそろそろ矢の射程範囲だ」
 殿様は、苦笑した。
「あいつらが、矢を射掛けてこないうちに、どうにかしねえとな」
「神官長さまはああおっしゃったけれど、彼らも神殿の建物を傷つけるのは、気がすすまないのではないかしら。建物に近づけば、矢を射掛けることはないと思うわ。だから参道に入って。」
「参道? あ、ああ、あの小さなアーチが連続してるとこか」
「ええ、そこなら、矢を防げるし、狭いから横に並ばれなくて済むわ」
 瑠璃蜘蛛の言葉に、殿様は神殿の付近を目で探す。月明かりでぼんやりと見える黒い塊が認識できたようだ。なるほど、瑠璃蜘蛛の言うとおり、アーチが二十ぐらい、等間隔に並んでいる場所があった。おそらく下は石畳で飾られているだろう。この暗い中でも、それならわかりそうだ。
「なるほど、ねえさん。流石だな。それならちょっと距離が稼げそうだ。でも、そろそろ、洒落にならない距離になってきたみたいだぜ」
 殿様が後ろをちらりと見るので、私も視線を辿る。もうすぐ後ろに、一人馬に乗った刺客が追いついてきていた。剣を抜き、こちらを攻撃する機会をうかがっている。
 殿様は、瑠璃蜘蛛に尋ねた。
「ねえさん、山にいたってことは、馬はそれなりに平気かい?」
「ええ」
 急に何をきくのだろうとおもったが、殿様は続けていった。
「それじゃあ、しばらく手綱を握っていられる?」
「ええ、少しなら」
「それじゃ、お願いするよ」
 そう答えた彼女に、殿様は微笑んでその手に手綱を握らせた。
「しっかり握ってて。すぐ戻ってくるから」
 どうするの、と瑠璃蜘蛛が聞く前に、鞍の横に一番早かった刺客が割り込んできた。
「殿下! お覚悟!」
 刺客はそのまま剣を振るい、私は怖くなって目をつぶる。しかし、金属の音が散って目を開くと、殿様は私と瑠璃蜘蛛をかばいながら、刺客の剣を受け止めていた。
「本当に、しつこい連中だ! だが、俺はこの格好してる時は、無駄に気合が入る性分でな、今日は容赦しねえぜ!」
 そういい捨てて、彼はそのまま腰を浮かせる。いつの間にか鐙から、片足を引き抜いているらしく、鞍の上に青い軍靴を乗せていた。殿様は何をするつもりなのだろうと、私が考えたとき。
「覚悟するのはお前のほうだ!」
 殿様は、いきなり相手の鞍に飛び移った。そのまま、馬上で揉みあいになったが、軍靴で相手を蹴落として、その馬を奪った。
 そして、馬の手綱を思い切り引く。馬はいななき、一度そこで足を止めた。殿様はそのまま、後方へと馬を向けた。殿様の青いマントが大きく翻る。
 その次を追ってきていた刺客が、殿様とちょうど差し向かいになる。
「殿下、お命頂戴!」
「うおおおおおおー!」
 殿様の雄叫びが聞こえてきた。殿様と彼がすれ違ったと思った瞬間、刺客は馬上でバランスを崩して、仰向けに倒れていった。殿様はそのまま馬をまっすぐに走らせ、後続隊へと突撃した。
 そこには弓を持った男たちがいたが、殿様に気づいたときにはすでに射程が近くて射ることができなかったらしく、慌てていた。殿様は、そのまま男たちを力任せに蹴散らした。何人かがそのまま落馬し、馬が闇の中に四散していく。
 殿様は先鋒隊を蹴散らして追い回した後、そのまま深追いすると見せてから、急に方向転換してこちらに戻ってきた。その馬は私たちが乗っている馬より駿馬であるたこと、そして、私たちの馬は、瑠璃蜘蛛が手綱を握っているだけだったために、あっという間に追いついてきた。
 瑠璃蜘蛛は乗馬の経験がないわけではないようだったが、無難に手綱を握っていただけのようだ。殿様が戻ってきたので、流石の彼女も安堵の表情をかすかに漂わせていた。
「よっと」
 追いついてきた殿様は、剣を一度腰に収め、横から私たちの馬の手綱をつかんだ。
「へへ、お待たせしたね!」
 殿様は、そういって私たちに笑いかける。その表情からはまだ余裕が感じられた。
「大丈夫?」
 瑠璃蜘蛛が尋ねると、殿様は笑った。
「ああ、今のとこはね。さて、いよいよ神殿だよ」
 殿様はそういうと、奪った馬の手綱を握ったまま、鞍の上に立ち上がりこちらに飛び移った。
 私は、以前の殿様にそれほど機敏な印象はなかったけれど、軽業師のように身が軽い。甲冑を着込んでこれだけ動けるのだから、なかなかのものだ。
 瑠璃蜘蛛の背後に戻った殿様は、再び鐙に足をかけて元の状態に戻っていた。
「そろそろ、参道だ。あれを抜けたら、一気に階段を駆け上がらなくちゃいけない。準備しといてくれよ!」
 目の前には、半円状の門がいくつも並んでいるようだった。両側に何かの動物の石像がたっていて、そこから石畳の道が始まっているようで、馬蹄の音が変わった。殿様はその寸前で、いまだに握っていた刺客の馬の手綱を放し、最後に馬を鞭打った。馬は鞭打たれて私たちとは違うあさっての方向に駆け出していく。後ろから追いかけてくる刺客達の目を欺くためにやったのだろう。
 その馬の背後から矢が飛んできているのがわかったが、急に背後の刺客達が大声で制止しているようだった。それっきり、私たちの方向には矢が飛んでくることはない。
「ねえさんの読みが当たったね。さすがの奴等も、神殿は破壊しないか」
 殿様が笑いながらいった。
「ええ、でも、このまま、神殿に近寄ってくれなきゃいいのだけれど」
「さあ、あの様子じゃ、そんなに甘くはないみたいだ。……ちぇっ、神殿の領内に入ったら追ってこないと思ったんだがなァ。そこまでするほど、いい首級じゃないんだけどね、俺の首」
 殿様は後ろを振り返って苦笑する。刺客達は、遅れてはいるものの、すでに参道に入ってきていた。
 参道に入ってくるということは、彼らが神殿の領内だからといって退却するつもりがないということでもある。夜明けまで門が開かないことを知っている彼らには、殿様がこっちに逃げ込んだことは、逆に好機としかうつっていないようだ。ただ、彼らも神殿を傷つければ、神殿の兵士たちを敵に回すことを知っているから、無用な破壊を避けていた。
 頭の上をいくつもの石のアーチが通り過ぎる。
 そして、目の前に門の外壁が、迫ってきていた。ところどころ、篝火の光が見えるものの、暗闇では真っ黒な塊にしか見えないそれは、やはり巨大で不気味に思える。
 正面から緩やかな階段が見え、どうやら奥に門があるようだっで、その門には細工がなされていて荘厳華麗だという話だ。しかし、そのときは暗くて判別できず、ただの黒い一塊のものにしかみえなかった。その緩やかな階段とは別に、外壁の左右に斜めに長い階段が作られており、門の上部で交差していた。どうやら、神官長がいった階段とはそのことを言っているらしい。ところどころ、篝火がたかれているため、ぽつぽつと光が漏れていた。
「ねえさんは、塔に行ったことがあるかい?」
「存在は知っているわ。けれど、あれは、高位の神官しか行かない場所だわ。少なくとも、私はあそこに入ったことはないの。巡礼のときも、一番乗りをしたこともなかったもの。でも、大体の場所はわかるわ」
「それは心強いね。それじゃ、いくぞ!」
 殿様は参道を横切ると、階段をまっすぐに目指し、外壁にそって左側に移動した。黒い外壁をぐるりと回り込んだところで、階段が見えてきた。入り口には、柵が設置してあったが開かれており、近くに篝火が設置されていた。それが普段からそういうものなのか、それとも、祭りのためにそうなされているのか、それはよくわからない。
 ただ、神官長が、階段からなら入ることができるといったからには、そうされていることにも何かの理由があるのだろう。自衛手段を持つ神殿とはいえ、そう無闇に望まぬ侵入者を入れようとはしないだろうから。
 殿様は壁ぎりぎりで馬をとめると、すばやく瑠璃蜘蛛を下ろし、私を抱きかかえるようにして下ろした。そして、篝火からたいまつを一本失敬すると、瑠璃蜘蛛に持たせた。
「さあ、ねえさん、早く階段を上って!」
「ええ!」
 瑠璃蜘蛛は、神殿の構造をよく知っている。多分、この三人の中で、一番詳しいのは瑠璃蜘蛛だろう。彼女は私の手を引いた。
「さあ、シャシャ、急いで上るわよ!」
 瑠璃蜘蛛に手を引かれ、私はまだ暗闇の中、外壁に取り付けられた階段を上り始めた。ふと上を見ると、神殿自体の影が塔のように高い。ずいぶんと上まであるらしく、私はその高さに不安を覚えた。
 私は瑠璃蜘蛛に手を引かれて、その階段を走るようにして上り始めた。落ちるとまっさかさまだ。怖さもあったが、下は真っ暗で、まだ高さがわからなかったのが幸いだった気がする。殿様が一番最後を、追っ手に警戒しながらすばやくる形になった。
「やっぱり、追ってくるわね」
 瑠璃蜘蛛が殿様に不安げに漏らす。殿様も下をちらりとみて苦笑した。確かに篝火の光に照らされて、刺客達が必死に追いすがってくるのが見える。
「飛び道具が飛んでこないだけ、マシだと思っておくよ」
 階段は、どうやら外壁に沿ってゆるやかに伸びている。しかし、瑠璃蜘蛛は、同じ形の階段が反対側にもあるのを知っているので、それを危惧しているようだった。
「早く上りきらないと、挟み撃ちになるかもしれないわ」
「ああ、急ごう」
 階段は、急な部分と緩やかな部分に分かれていた。しかし、追われながら、ひたすら階段を走るように上るのは、とても体力の要るものだった。さすがの瑠璃蜘蛛も息を切らしていたものの、体力のある彼女は、意外と早く階段を上っていた。むしろ、私のほうが彼女にも遅れがちになっていた。ところどころ瑠璃蜘蛛の手を借りていたが、それでも、もう息が苦しくて、足も思うように動かない。
 とうとうつまずいて転びそうになったとき、後ろから手が伸びてきて、殿様が私を抱えてくれた。
「気をつけろよ。落ちたら、ただじゃすまないぜ」
 一番重い装備品を身につけている殿様は、当然、一番体力を使っているはずだったが、まだ余裕はあるようだった。殿様はそのまま、私を背中に背負った。
「しばらく背負っててやるよ。落ちないように気をつけな」
 そういって、殿様は、そのまま走り出す。
「すみません」
 申し訳なくなって私が言うと、走りながら殿様は言ったものだ。
「はは、気にするなよ。元はといえば、俺のせいだからな」
 殿様は荒い息をついていて、多分そんな余裕はなかったのだろうが、私ににっこりと笑いかけてくれた。殿様の声は、とても優しかったことを覚えている。
 殿様の背で揺られながら、私は空を見上げていた。階段の途切れたところは、正門の上。
 ちょうど、西に月が傾いていきつつあって、ここからでは見えない。けれど、まだ日の出までは程遠いらしく、空は暗いままだった。不意にみると東の空にひときわ明るく輝く星が、その光を増しているように思えた。
 あれは、何の星だろう。明け方に東の空に輝くのは、女神様の星だった筈――。
「がんばって! もうすぐ終わりよ」
 瑠璃蜘蛛の声が聞こえた。階段の終わりが見えていた。ようやく階段を上りきったのだ。と思ったとき。
 不意に、瑠璃蜘蛛の前に人影が現れた。殿様は、それに気づいてさっと彼女の手を引いてかばった。
「ねえさん、後ろに下がって!」
 殿様が私を下ろしながら、瑠璃蜘蛛と刺客の間に割って入った。剣をすばやく抜き、彼は刺客の剣を受け止めた。
 そのまま、殿様は、階段の上で相手と剣を交えあった。段差のある階段でも、殿様は足を滑らすのを恐れずに軽快に動き回り、相手を翻弄する。
「どけえええ!」
 気合の声とともに、殿様がぐっと剣を引いた。私が怖くなって瑠璃蜘蛛に抱きついているうちに、殿様は、刺客を押しのけた。刺客は足を踏み外して、そのまま仰向けに落ちていく。だが、まだ後続がいるようだった。そのことは、殿様も気づいている。左手に刀を持ったままの殿様は、私が気づいたときには、すでに右手にそこにあった篝火の台をつかんでいた。
「これでも食らえ!」
 殿様がそう叫び、篝火を引き倒して、私たちが上ってきたのとは別の右側の階段めがけて蹴り落とす。暗い中で炎の光と男たちの悲鳴が交錯した。
「もうこっちからも、追いつかれるわ!」
 瑠璃蜘蛛が、少し焦った様子になった。暗がりの中、刺客達の姿が見えてきている。
「しまった! こっちだ! 早く!」
 時間をかけすぎた、といわんばかりに殿様は、舌打ちし、瑠璃蜘蛛の手を引き、私を背負って先導した。
 もう階段はひとまずここで途切れている。その終わりの踊り場には、神殿の本殿の方角に細い渡り廊下が設置されていた。その真下は神殿の中庭になっているようで、上からそれが眺められた。そこでは、すでに祭祀が始まっているのか、巫女らしい踊り手たちが舞踊を始め、歌が聞こえていた。私たちが向かう先、本殿の建物には中庭を見下ろす広いバルコニーが作られており、そこに神官がいたが、私たちの存在に気づいているのかいないのか、儀式に熱中していて、こちらをみることがなかった。
 その渡り廊下の終わったところに、古い円筒状の塔が作られていた。いわば、塔は、神殿の一番大きな建物である本殿の屋上にのっかかった状態になっていた。本殿がかなり広い建物であることもあり、屋上も相当広いもので、あちらこちらに篝火が焚かれ、祭りの夜にふさわしい状況となっていた。
 刺客を恐れながら私たちが塔に向かって走っていくと、不意に塔の扉がゆるやかに開き、中から中年の女性と護衛の兵士たちが数名出てきた。それは、私達の足音や騒ぎをききつけてのことだったかもしれない。中年の女も年齢がはっきりわからない、美しい容貌をしており、きらびやかな衣装をまとっていた。彼女は、私達の到来に厳しい目を向けていた。





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