一覧 戻る 次へ


十日目:女神の領域-3

「大神官様だわ」
 瑠璃蜘蛛がつぶやいたのを聞いた。彼女は、殿様に先んじて彼女の前にひざまずいた。
「何者だ?」
 武器を構える兵士たちを制しつつ、大神官は、瑠璃蜘蛛と殿様をにらみつけて聞いた。
「私は、星の女神様の乙女です。女神様への祭礼のためにやってきました」
 瑠璃蜘蛛は、息を整えるのももどかしそうに言った。
「まだ一番鶏も鳴いていない頃にか」
「これには事情がございます。先ほど神官長様にお目にかかり、ここへの道を聞きました。門の中には入れなくても、ここなら入ることができると教えていただき、こちらに参ったのです」
「塔への道を前夜に開放しておくのも、祭事の慣わし。ここに入り込んだ招かれざる客を無理に排除することはできぬ。神官長様がおっしゃったのは、そういうことだろう」
 大神官は、ふむとため息をついた。瑠璃蜘蛛のことをどうやら思い出したらしい。
「まったく、お前は、なにかと面倒ごとを持ち込む娘だな。追われてきたのか」
 そういって、大神官は殿様のほうをちらりと見た。
「まあ、お前らしいといえばお前らしい。よかろう。一番の乙女として女神様に舞踊を奉納せよ」
「はい。ですが、ひとつお願いがあります」
「その男とその娘をかくまえというのだろう」
「はい」
 大神官は、ため息をついた。
「だが、それは難しい相談だ。ここにまぎれてきた彼らも、お前たちと同じ招かれざる客。無理に排除するのは、女神様の思し召しに反する。まして、実はな、お前たちを追いかけているものたちから、そこの男を差し出せといってきているのだ。しかも、お前たちが到着するずいぶん前から、神殿にそれらしい男が到着したなら、差し出せと」
「何だって?」
 殿様が、驚いたように顔を上げた。
「神殿に敵対するつもりはない。破壊を行うつもりもない。だが、その男を匿うなら、話は別だとも。もちろん、そんな脅しに乗ることもないし、我々は中立の立場だ。もとより、匿うも匿わないもない。そのような男は関係ないし、匿うつもりはないと答えてある。神殿に危害をくわえないのであれば、祭りが始まるまでは、何をしようが知らぬとも伝えてある」
「そんな……! けれど、塔の中には入れてくださるのでしょう!」
「入ってもよいが、兵士を使ってその男を守ることはできない。このまま塔を上っても、塔の上で追い詰められ、殺される可能性のほうが強いだろうな」
 大神官は、多少は同情しているようだったが、それでも冷たい口調だった。
「では、どうしろとおっしゃるのですか?」
「先ほど私が言っただろう? 彼らとの約束は、祭りが始まるまでの間だ。夜の間に招かれざる客が、この空間に紛れ込んで何をしようと、神殿に被害が出なければ知ったことではないが、祭りの始まる朝になれば事情は変わる。祭りを騒乱で乱すことは許されない。だから、彼等との約束は、一番鶏が鳴き、門が開く日の出まで有効であり、それを過ぎて暴れるようなら、彼等であろうと排除すると伝えてある」
 大神官は、扉のほうを見やった。
「お前たちに許されるのは、扉を必死で守ることだな。あれが開けられぬように守ることだ」
「扉を?」
 瑠璃蜘蛛は、愕然とした様子で改めて扉を見やっていた。その扉は、木でできた重い扉だったが、燃やされてしまえばおしまいだ。彼等は神殿を破壊するつもりはないといったが、ここまできて殿様を逃がすつもりもないだろう。だとしたら、何をするのかわからない。それに、たとえ、中から三人で必死で押さえていたとしても、多勢に無勢。護衛の兵士たちは手伝ってはくれまいし、力ずくで開けられる可能性すらある。
「我々は塔の中に戻る。後は勝手におし」
 瑠璃蜘蛛が悩んでいる間にそういって、大神官と護衛の兵士たちは、冷淡にも塔の中に入っていってしまった。
「待ってください。大神官様」
 あわてて瑠璃蜘蛛は、大神官を追って塔の入り口へと駆けていった。殿様の背中から降りた私は、彼女のあとを追いかけて塔に入る。殿様は、すぐに追いかけてくると思ったのだけれど、そのとき、彼は何を考えていたのだろう。その場に立ち止まってしまったのだった。
 それから、彼は口を開いて瑠璃蜘蛛を呼び止めた。
「ねえさん、もういいんだ」
 瑠璃蜘蛛は振り返る。大神官は、瑠璃蜘蛛の言葉に耳を貸さず、そのまま奥に去っていった。
「もういいよ。そんな無理することない」
 殿様は、ゆっくりと塔の入り口に歩いてきた。
「けれど、このままでは」
「大丈夫」
 瑠璃蜘蛛が、珍しく不安を表に出していた。殿様は、にっと笑ったようだったが、その目は、何かを決意しているようで、笑ってはいなかった。
「俺がいなけりゃ、連中は塔の中には入ってこないんだ。二人に危害が及ぶことはない。……俺が外に残ればいいんだ」
 はっと瑠璃蜘蛛が顔色を変えた。そこで私もはじめて気づいた。殿様は、塔の中に足を踏み入れていない。しかも、いつの間にか殿様は門に手をかけ、半分を閉め、顔を覗かせている状態だった。
「貴方、一体、何をするつもりなの?」
「見てのとおりさ。どうせあいつらの狙いは俺なんだ。俺が塔に入らなければいい」
 瑠璃蜘蛛は首を振る。
「そんなのはいけないわ。貴方も一緒に入って! お願いだから」
「はは、ありがとう。でも、もういいんだ」
 殿様は、優しく微笑んだ。どこか、諦めを含んだ笑みだった。
「いいんだよ、もう。俺、もう逃げるのはやめにするよ」
 かがり火の中、殿様がにやりと笑ったのが見えた。ほんの少し悲壮感に青ざめながら、その笑みは引きつっている。
「俺は、今まで死ぬのが怖かった。同時に生きるのも怖かった。何もかもが怖いから、あんな生活に逃げてたんだ。今だって、怖いのは変わらない。逃げるのに疲れるどころか、今でも逃げちまいたいくらいさ。でも、そんなのすげえカッコ悪いよな。だから、最後の最後ぐらい、無理にでもカッコつけることにする。そう決めたんだ!」
 殿様は、兜の下でまっすぐに彼女を見ながら言った。その表情は悲壮感に青ざめながらも、凛々しかった。
「結局、俺が助かるには、日の出まで戦い抜くしかなかったのさ」
「そんな……」
 瑠璃蜘蛛は、思わず絶句した。いつも白い彼女の顔は、ここに至っていつも以上に白かった。
「そんなの、ダメよ。いけないわ。勝ち目、ないじゃないの……」
 瑠璃蜘蛛は、彼女らしくもなく、しおらしく声を振り絞った。
「勝ち目がないのは承知だぜ。でも、俺は、あんたのおかげでようやく目が醒めたんだ。もし、ねえさんら二人を巻き添えにして死んだら、俺は、地獄にもいけやしねえぜ。目が醒めたところで、このまま、戦士として戦わせてくれ」
 今までの殿様と違うその様子に、瑠璃蜘蛛も強い言葉をかけられなかったのだろうか。急に黙り込んでしまった。
「それでいいんだ。それが俺の運命だったのさ」
 殿様は目を伏せて笑っていた。
「でも、ねえさん、日の出前でも後でも、最初に外に出たり、外を見ないでくれよ。外を見るなら、全部片づけが終わった後にしてくれるかい?」
 殿様は顔が青ざめていたが、意外としっかりした口ぶりだった。
「どうして?」
 瑠璃蜘蛛は、いてついたように無表情になっている。それを見やりながら、殿様は苦笑した。
「今の俺、ちょっとはかっこいいだろ? カッコいい俺を記憶にとどめてもらいたいからさ。まさか、切り刻まれて干からびているなんて、カッコ悪いとこ、あんただけには見られたくないしね」
 殿様はほんの少し冗談めかしたような口調になっていた。そして、再び表情を引き締める。
「いいかい。もし、俺が死んでも、俺の死に様なんて見るんじゃない。覚えていてくれるなら、今の俺を覚えていてくれ」
 殿様の背後に人影がぞろぞろと見えてきていた。追っ手だというのはすぐにわかった。殿様は、引きつった笑みを浮かべた。
「さて、時間みたいだな」
 殿様は、唇を引きつらせて瑠璃蜘蛛を見た。
「ねえさん、達者でね」
「待って……! 考え直して! 私、もう一度、大神官様に頼んでみるから」
 瑠璃蜘蛛が門に手をかけようとしたが、殿様のほうが早かった。門を閉じながら、殿様が、口の端でにやりと笑ったのが見えた。重い音を響かせて、門はぴったりと閉まってしまった。
 そこには、私と瑠璃蜘蛛だけが取り残されていた。
「だめよ、そんなのいけないわ。もう一度頼んでみるから!」
 瑠璃蜘蛛は、珍しく狼狽したようにそう繰り返すと、大神官が去っていった方に向かって走り出していった。まだ掛け合うつもりなのだろうか。けれど、大神官が彼女の望みをかなえてくれる可能性は、ほとんどないのだろうというのは、私にだってわかっていた。彼女も本当は、無駄だとわかっているはずだった。
 扉が閉まってしまうと、外の音がかなり遮断されてしまった。外の気配は感じられず、まるで別世界に隔離されてしまったかのようだったが、ふとどこからか音がもれ聞こえてくるようだったが、何を話しているのかわからない。
 私は、殿様のことが気になって、何とか外の様子をうかがおうとして、声が聞こえてくる方向を探った。どうやら祭壇の置かれている場所から聞こえているようだ。祭壇の裏に木で蓋をされた窓があるようだった。
 私は祭壇の裏に回って、それをそっとはずしてみた。外の空気がぶわっと私の肩までの髪を揺らした。
 広場は、篝火のおかげでところどころ明るい。顔を覗かせると、ちょうど近くに殿様の姿が見えていた。
 門の前で彼は剣をぶらさげたまま、仁王立ちに立っていた。どことなく紅楼の頃の殿様を思わせる怖さを漂わせながらも、彼は以前と違って堂々としていた。
「貴方様が、……殿下で間違いありませんな」
 刺客の一人が進み出て、どうやら殿様の名前を言ったようだったが、それを聞き取ることはできなかった。殿様は、それに大して嘲笑を浮かべていた。その男は、隊長格らしかったが、他のものと違って、言葉遣いも格式ばっていた。それなりの身分があるものなのかもしれない。
「ふっ、知ってて追ってきたのでないのかよ。まぁ、俺の顔知ってるヤツのほうが珍しいだろうから、確認したい気持ちはわからんでもないが」
「ここまで追ってきた御用はわかっておりますね? 貴方が毎日城下で好き勝手遊び暮らしていることを、母上様は知っておられる。国が乱れている今、貴方様のあまりにも過ぎた放蕩に苦慮されているのです。挙句にこのような祭りに参加し、王族の身分をお忘れではないのかと。王家を貶める行為は万死に値するもの。おわかりですか?」
「それで俺に何が言いたい? はっきり言え」
「お覚悟を! あなたも、王家の人間の端くれなら、ここで潔く自害なされませ!」
 殿様は、表情を変えない。
「王家の人間が、斬られて犬死になどみっともない。ご自分で命を絶たれよ! そうすれば、ご遺体は後見人に引き渡し、王子として葬られるよう手配致しましょう。これも元はといえば、ご自分の放蕩無頼が招いた結果。しかし、自害するというのなら、王子の身分を剥奪するつもりはございません。貴方も王家の誇りがおありなら……」
 ふっと、殿様は笑い出した。
「はは、馬鹿馬鹿しい。俺を消す為の口実など、本当は何でもいいんだろ、あのババア! 適当な口実ならべて、大義名分立ててるつもりかもしれねえが、笑わせやがる。俺を毒殺しようとしたくせに、今になってそんなことをいいだすとはねえ」
 殿様は、昔のような荒っぽい口調になっていた。
「大体、ひとの運命勝手に決めてるんじゃねえよ! それにな、俺には、王家の誇りなんざァ、生まれつき備わっちゃいねえよ。そんな下らんもののために死ぬなんぞ、真っ平ごめんだな!」
「なるほど。死ぬのが、恐ろしいですか? それでは、ご決断のために、我々の手助けが必要ですな」
 男が剣を抜くのと合図にして、背後の刺客達が武器を構えはじめる。
「殿下は噂どおり腑抜けになられたようだ。お手伝いさせていただきましょう」
 殿様は、兜の下で、あの青い瞳をギラリと輝かせた。
「腑抜けだと?」
 ひく、と殿様は、片眉を引きつらせ、口元をゆがめた。
 私は、その表情を今まで何度もみてきていた。それは、紅楼の殿様が、癇癪を起こす直前の顔だった。
「調子に乗るな! 貴様、一体、誰に向かって口をきいているつもりだ!」
 突然、殿様が刺客立ちにそう怒鳴りつけた。それは、紅楼の殿様の怒り方とは似て非なるものだ。もっと強い憤りとそして誇り高いものを彼は表情の端々にたたえていた。私が、そんな風に威厳に満ちた彼を見たのは、それが初めてだった。
 殿様の怒りで空気がびりびりと震えるようだった。
「俺を誰だと思っている! 集団でなければ、俺一人の首も取れない腰抜け風情が生意気な!」
 殿様の剣幕に、刺客達すら萎縮していた。殿様は、彼等をにらみつけて牽制しながら啖呵を切った。
「俺は、これでも王国の東征大将軍! 王家の下らぬ体裁の為に自決するくらいなら、武人として斬り死にするまでよ! 貴様等も武人の端くれなら、俺とこの場で生死を決せよ! 望みのとおりに相手になってやる!」
 殿様は、すでに剣を構えていた。
「我こそは、エレ・カーネスの大将軍青兜《アズラーッド・カルバーン》! 全兵卒の支配者にして、諸将の将! 俺の首が欲しいなら、自分の力で取れ! 行くぞ!」
 殿様は、そういって石畳の床を蹴った。殿様の雄叫びと男たちの怒号、金属の打ち合う音が響き始めていた。
 流血の気配に、私は窓から覗かせていた顔を引っ込めた。
 ああ、まだ夜が明けない。月があんなに傾いているのに。まだ鶏が鳴いてくれない。私はひどく焦っていた。
 東の空をみると、とても明るい星が。


 ――星の女神様の明るい星があんなに輝いているのに――。





一覧 戻る 次へ