辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2004
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辺境を出てシレッキに向かう。町に程近い並木の辺りに、ダルシュが立っていた。さすがに、少し心配していたのか、その表情はいつも程荒っぽくはない。
「どこ行ってたんだ? マリスさん心配してたぜ」
 レックハルドは直接答えず、ダルシュのほうを見、不意に手を出した。
「油持ってるか?」
「何だよ?」
 レックハルドに唐突に訊かれて、ダルシュは困惑した。
「な、何に使うんだ」
「何でもいい、少しでいいんだ。持ってたらよこせ」
 落ち込んでいるとはいえ、ものすごく横柄な口の利き方だ。ダルシュは、むっとしたが、手を出したままの彼に仕方なく持っていた自分の灯り用の油をわけてやる。
 レックハルドは、並木の一つの根元に座った。そして、持ってきていた荷物の一角から麻袋と財布を取り出した。何をするのかと黙ってみていた、ダルシュは、そこからレックハルドが金を取り出したのを見て、少しぎょっとする。
 レックハルドは紙幣ばかりをその中から選び取り、道の片隅に積み重ねていった。いくらあるのか、数えているようで、ダルシュは思わずカッとした。
「こんな時まで金の算段かよ!」
 ダルシュは忌々しげに言った。レックハルドは、ひたすら紙幣を束ね、それを積み重ねている。暗い目でダルシュを睨むように見たが、何も言わずに作業に戻る。
「お前の相棒が大変だって時に、…そんなに金が好きかよ!」
「うるせえ…」
 静かにいい、レックハルドは出来上がった紙幣の山を見た。いつの間にそんなにためていたのか、それは相当な量があった。軽くため息をつく。レックハルドは、空ろな目をそれに落とし、懐を探った。
 ダルシュは、イライラしながら仕方なくそこに立っていたが、カチカチという音で驚いて彼のほうを振り返った。
「お、おい!お前なにやってんだ!」
 ダルシュが驚くのも無理はなく、レックハルドは火打石でそれの一枚に火をつけ、ちょうど紙幣にかけようとしていたのであるから。
 ダルシュの声など歯牙にもかけず、レックハルドはそのまま火を紙幣の上にくべた。いつの間にかダルシュが渡した油を撒いていたらしく、そのおかげで、紙の金の山に、あっという間に火が行き通った。
「お、お前! おかしくなったのか!」
 ダルシュは思わず、レックハルドの肩をつかんで問い詰めた。先ほどあんなことをいったダルシュだが、それだけにレックハルドの金に対する執着は知っている。そのレックハルドが、惜しげもなく金を燃やすなど、彼にしてみれば有り得ない光景である。
「なんでこんなことするんだよ!」
「オレの金じゃねえ!」
 レックハルドは叫ぶように言った。
「あれは、あいつのだ」
 ダルシュはハッとして手を離す。レックハルドは、ややふらつくようにして手を広げた。
「あいつの金だ。…前に、金は山分けにするって約束していた。一方的にあいつ、契約破棄して死んじまいやがって…! でも…」
 レックハルドは、ちらりと沈んだ目を燃える紙幣に向けた。
「半分以上、あいつの力で稼いだんだ。……この金はオレが受け取るわけにはいかねえ。つき返すだろうが、あいつにくれてやる」
「お前……」
 ダルシュは、静かにレックハルドを見ていた。彼がこんな風に寂しそうな顔をするのを、初めてみたような気がしていた。
 ふっとレックハルドは笑った。
「シェイザスが言ってた意味がようやくわかった」
 ダルシュは、妙な顔をする。 
「オレはオレの運命を切り開くだろうが、その結果がどうなろうが、オレのせいだって…」
 レックハルドは皮肉っぽく笑った。
「…ファルケンが死んだのは、オレのせいだってことだ。…こうなっても、自分以外の誰も恨むなって事だろうな…」
「おい、何もシェイザスはそこまでひどいことを…」
 レックハルドは、ダルシュの言葉など聞いていないかのように燃え上がる紙の山を見ていた。
「その通りだ。…オレが、あいつを助けになんか行かなければ…。あの覆面野郎の言葉に従っていればこうならなかった……」
 ぼそりと吐き捨てる。ダルシュは、不意に心配になった。いつものように、あの憎たらしいほど自信に満ちた目は、今は死んだように静寂に包まれている。いや、正確には少しだけ光が宿っていたが、その光はかえって不穏だった。なにか、危険な感じの光だった。
「おい、お前、死ぬ気じゃねえだろうな…」
 言われてレックハルドは、目だけをダルシュに向けた。表情はない。
「そりゃ気持ちは分かるが、あいつだってお前がそんな事で……」
「オレにそんな度胸あると思うか?」
 レックハルドは、自嘲的に微笑んだが、それは逆に不安をあおるような笑みだった。
「おい、ホントにやめろよ! お前、そんなことしたら!」
「やらねえといってるだろ。…そんな度胸があったら、あの時ファルケンにとどめを刺してたさ。…オレは無駄にあいつを苦しめたんだ」
 レックハルドは顔をあげて、青い空の向こう側をすかすように見た。
「…オレは結局、あいつを助けてやることができなかったな」
 何をいえばいいのかわからず、彼を見ているダルシュのほうに、一度顔を向ける。
「シェイザスによろしくな」
 そういいおき、レックハルドはふらりと歩き出した。身軽な姿になった彼に、彼には少しだけ大きいランタンが、壊れたままで握られていた。
「どこいくんだよ!」
 ダルシュは問い掛ける。向かう先は、シレッキの町に向かう道だった。
「…ちょっと、何か食べてくる。それからのことはそれから決める」
 レックハルドの声だけが聞こえる。ダルシュはますます不安になった。今のレックハルドは、本当になにをしでかすやら予想がつかなかった。
「お前、ホントに死ぬとかそういうのやめろよな!」
 ダルシュが叫んだが、今度はレックハルドは答えなかった。ダルシュはその姿を黙って見送っていた。
「…お話はできたようね」
 不意に木の後ろで女の声がした。ダルシュはそちらを振り向き、少しだけ困惑したような視線をさまよわせた。
「なあ、あいつ…、お前に言われたこと気にしてたぞ」
「…そうかもしれないわね」
 シェイザスはため息をついた。
「でも、あたしも、こうなる事は予測できなかったのよ」
「ああ…、それにしても」
 ダルシュは髪の毛をばさばさと掻きやった。それから、少し不安そうに彼の去った後を見る。
「あいつがあんなに泣くなんて…思わなかった。もっと冷たい奴だと思ってたんだが。あそこまで取り乱すなんて……」
「冷たいでしょうね」
 シェイザスがぽつりと言った。訝しそうにダルシュはシェイザスのほうを見る。
「どういうことだよ?」
「冷たい男だから、余計ああなったんでしょうね。と、言ったのよ」
 ため息まじりにそういい、シェイザスは美しい顔をあげた。寒気がする様な綺麗な顔に、少しだけ同情のようなものが浮かんでいた。
「あの人は、冷たい人だわ。…それは私達が知るとおりよ。だからいつも一人で生きてきたんでしょうね。いえ、一人で生きてきたからああなったの」
 ダルシュは彼女の横顔をじっと眺めていた。
「今まであの人は、他の人間を道具として考えてきたはずよ。誰も信用しない。どうせ人間なんて、いつか裏切る。だから、オレのせいで他人が不幸になろうが、オレは知ったことじゃない。オレが痛いわけじゃない。ただ、裏切られる前に裏切ってやっただけさ。恨むなら、オレをこんな風にした世の中を恨め――。そうやって自分を守るしか、あの人には生きていく方法が無かったのよ。多分……」
 まあ、あのマリスって子と恋愛に関しては例外でしょうけど。と、シェイザスはいたずらぽい笑みを浮かべた。
「最初は、あのファルケンにもそのつもりで近づいたんでしょう。でも、途中で気が変わった。なぜだかわかる?」
 ダルシュは首を振った。
「いや、オレには…」
「ファルケンが、無条件であの人を信用したからよ」
 シェイザスは髪の毛を払って前に進んだ。木の幹に手をかけながら、レックハルドの去っていった先をまっすぐに見る。
「あの人は信用されないことを前提にして生きているんでしょう。だから、いきなり無条件に信用されて、本当は嬉しかったんじゃないかしら。…多分、あのマリスって子に本気で入れ込み始めたのも、それじゃないかしらねえ」
 くすっとシェイザスは笑った。だが、すぐにまじめな顔になる。
「あの人にとっては数少ない理解者よ。いなくなれば辛いはずだわ。あの人には、家族も何もいないんだから」
 ダルシュは黙ってシェイザスのほうを見た。シェイザスはわずかに振り返り、少しだけ顔を曇らせる。
「それが、自分のせいで、あんな死に方をしたっていわれれば、ね」
 シェイザスは、もう何も言わなかった。ダルシュは、少しため息をつき、レックハルドの去った方をもう一度見る。あの時の、魂の抜けたようなレックハルドの姿は、これから彼が何かとんでもないことをしでかしそうで、何となく不安に駆られる姿だった。


 花を摘み、どこにいくでもなくロゥレンは泉の近くに立っていた。彼女は、ファルケンの墓になったあの場所には行かない。と、いうよりはいけないのだった。司祭がいると、ロゥレンのような力の強くない者は、ただそれだけで身を引いてしまう。
「ばか」
 ぼそりと呟く。この泉は、ファルケンが常用していた泉だ。辺境を旅立ってからの五十年近く、彼は何かと思い出してはここによって水を飲んでいった。
「なんで、あんなことしたのよ。辺境に戻りたいって言ってたくせに!」
 ロゥレンは、腹立たしげに言って、それから摘んできた花を泉に落とした。ゆっくりと落ちていった花束は、水面に優しく打ち付けられ、それぞればらばらに散らばっていく。
「ふふふ、なかなか粋じゃねえか」
 不意に背後から声が聞こえ、ロゥレンは縮み上がった。慌てて振り返る。
「何そんなに驚いてるんだ? あんたの目にも、オレは女衒か奴隷商にみえるのかい?」
 元々投げやりな喋り方をしていたのに、投げやりを通り越してやけになったような、そんな印象の口調だった。
 少しふらつきながら、レックハルドは寄りかかっていた木から背を放した。
「マリスさんとすれ違った…」
 レックハルドは、わずかに赤くなった顔を引きつらせて笑った。
「お前に会いに来たんじゃないのか? オレはさすがにこんな姿は見せられねえから会ってないがな」
「あんた…、お酒…」
「さすがに何も食べないで飲むと効くな。ははは、オレは結構強いほうだったんだがな」
 自嘲的に笑い飛ばしながら、それを呆然と見ているロゥレンに気づき、彼はふと笑いを止めた。酔っているといいながら、彼の目は普段とあまり変わらない。正気を失いたくて飲んだのに、結局酔えもしなかったのが本当なのかもしれない。
「…オレは元々小心なんだ…」
 レックハルドは、酒気を帯びた息を吐きながら言った。
「…だから、素面じゃ…決断できねえんだよ…」
 ロゥレンは、固まったようにたたずんでいた。うっすらと微笑を浮かべ、レックハルドは言う。
「オレが死ねばよかったと思ってるだろ?」
「な、何よ! そ、その言い方!」
 面と向かって言われると、さすがにロゥレンはきつくものが言えなくなる。
「…ああ、オレもそう思ってたところなんだぜ」
 レックハルドは、寂しげに笑んだ。ロゥレンは、ぎくりとして、顔をこわばらせた。
「オレなんか生きてても、仕方がねえよな。どうせ、けちな泥棒商人が関の山だ」
「…な、何言ってるの! あんたの言っている意味がわからないわよ!」
「…つれてきてやろうか」
 一瞬、レックハルドの言っている言葉が本当にわからず、ロゥレンは驚いた。
「ファルケンを、あんたのところに連れてきてやろうか?」
 レックハルドの言葉に、ロゥレンははっと目を丸くした。
「な、…なによ…。もしかして、あんた…マザーの下に行くの?」
 レックハルドが答えないのを肯定としてとり、ロゥレンは首を振った。
「無理よ! マザーは、死の砂漠の向こう側にいるの。森からは入れないように見えない壁が作られてるわ。砂漠を越えていくしかないけれど、あれは一人前の狼人や妖精でも一生に一度の試練としてしか通らないのよ!」
「死の砂漠は、ガキの頃に迷い込んだことがある」
 レックハルドは、ふと微笑を浮かべる。死の砂漠は、マジェンダ草原のすぐ北西に広がっている辺境の一部だ。乾燥にはなれたマジェンダの人間でも絶対に近寄らないそこは、迷えば戻れない他、オアシスなども少なく、おまけにそこの熱さが地獄のようだという。それでついたあだ名が「死の砂漠」といった。
「…オレはあの土地の生まれだ。あの気候にも、地理にも大体慣れてるはずだ。渡りきってみせるだけの自信はある」
「無理よ! それに、涙の器の話は伝説なのよ! あたしたちですらはっきりとわからない。あいつが生き返る保証なんてないの! やめてよ!」
 レックハルドは、まっすぐにロゥレンを見ていた。ここのところ、死んだようだった彼の目に、いつもの彼のような、いや、それよりも強い光が宿っていた。そして、そんな目をしているときのレックハルドを、止められるはずもないことが、何となくロゥレンにもわかっていた。
「生き返らせられなくてもいい。あいつが二度とあんな辛い思いをしなくてすむようになるんなら…それだけでも。オレは、あいつをあんな目にあわしちまった。オレには、あいつを助けなきゃならねえ義務があるんだ」
 ロゥレンは首を振った。
「無理よ! 人間に死の砂漠は越えられないんだから! あんたまで死んじゃうわ!」
「やってみなきゃわかんねえだろ…」
 レックハルドは、強いて口元に不敵な笑みを浮かべた。
「もし、失敗しても、オレがこの世からいなくなるだけのことだ」
 ロゥレンはようやく、先ほど「素面では決断できない」と、レックハルドが言った理由が分かったような気がした。死の砂漠に行くということは、それだけで彼の死を意味している。万一、本当にマザーの下に辿りつけたとして、あれを手に入れられたとしても、死の砂漠を越えた彼には戻ってくるだけの体力は残されていないだろう。
 命を捨てに行くような賭けだった。おまけに、失敗すればファルケンどころか、レックハルドまで命を失う。だから、レックハルドは、わざと酒を飲み、酔った上でここを去ろうとしたのかもしれない。
「必ず…、…成功させてやるよ…。ただ…」
 レックハルドは、酒の勢いを借りて笑おうとしたが、ただ悲愴な表情を作っただけだった。
「…もし、オレが戻ってこなくても、マリスさんにオレが死んだなんていうなよ。…そうだな、…借金の片で異国に売られたとでも言っておいてくれよ」
 そうなればよかったんだ。とレックハルドが口の中で呟いたのが、ロゥレンにもわかった。
「じゃあな、小娘」
 そういうと、レックハルドはふらりと身を翻した。ロゥレンは何も言えず、ただ黙ってそこに立っていた。
「ああ…そうだ」
 レックハルドは、ふいに思い出したように立ち止まり、にやりとした。
「…オレはあんたのこと、嫌いじゃなかったぜ。あんたの、そういう気が強くって、口が悪いところ、なんだか他人に思えなかったしな」
「待って!」
 ロゥレンが堪え切れなくなり、彼を呼び止めた。
「違うのよ。あたし、あんたに言い過ぎたわ。違うの。あんたのせいじゃないわ!」
 レックハルドが口許に笑みをのせて振り返った。ロゥレンは、泣きそうな顔をしていた。そんな顔をする義理はないだろうと、思いながらレックハルドは言った。
「ファルケンが戻ってきたら伝えておいてくれや。…今度は、無理ばっかりするのはやめろって。もっと気楽にいけってさ」
 ハッとロゥレンは立ちすくんだ。レックハルドの寂しそうな微笑に、決意を帯びた瞳が、それを止めることができないといっているようだった。
「……無事で……」
 ロゥレンは、うつむいてそれだけ呟いた。
「無事で戻ってきて…。もし、蘇ってもあんたがいないと、あいつ絶対泣くから」
 とはいいながら、ファルケンは、あの苦しみの中、結局最後まで泣かなかったときいたロゥレンは、彼がすっかり昔と変わっていることを思い知らされた様な気がした。
 レックハルドは答えず、そのまま歩いて去っていった。辺境の入り口のほうに、ロゥレンに会いに来たマリスが来ているはずだった。
 彼がマリスに会いにいこうとしているのは、ロゥレンにもすぐにわかった。
 
 
「旅に出るんですか?」
 マリスが、少し寂しそうに訊いた。
「折角仲良くなれたのに」
「ええ、…もうファルケンが待ってるんでいかなくちゃならねえんですが。あいつ、別れるのが辛いからって、こっち出てこないんですよ」
 レックハルドは、笑いながら嘘をついた。髪の毛が濡れていて、今日はいつものターバンを取って手に持っていた。それも濡れているらしく、時々手で絞るようにしている。それが、酔いを醒ますために、レックハルドが、彼女に会う直前に水筒の水を頭からかぶったのだということはマリスは気づいていない。
「そうなんですか、でも、ファルケンさん、大丈夫だったんですね。よかったわ」
 マリスの純粋そうな微笑が、今のレックハルドにはとてもつらかった。本当のことを、言おうと思っていたが、マリスの顔を見て、彼女の悲しむ顔をみるに忍びなくなった。彼女の顔を見れば、本当にファルケンが死んだことになりそうで、堪え切れなくなりそうだったのもある。
「え、ええ。あの馬鹿、あれでてんでダメなことろがあって、マリスさんと別れる時になんていったらいいかわからないって。失礼な奴ですよね」
「そんなことないですよ。あたしも何だかわかります。寂しくなりますし」
 少しうつむくマリスに、レックハルドは優しい笑みを浮かべた。
「またすぐに戻ってきますよ」
 それは嘘だ。
「そうしたら、また遊びに行きましょう」
 それも嘘だ。…おそらく、もう、これでマリスに会うこともない。
 ふと、彼はあることを思い出し、荷物袋から小さな袋を差し出した。
「そうだ、マリスさん」
 レックハルドは、袋から髪飾りを取り出した。それは、あの日、日蝕が起こった日、ファルケンからあの金貨で買い取った綺麗な髪飾りだ。
「お気に召すかどうかわかりませんが、これ……」
「え、あたしにですか?」
「ええ。…ファルケンが作ったんですよ。つけてやってください」
 ――そうすれば、ファルケンも本望だろうから。
 彼の形見になったその髪飾りを、マリスのしろい手のひらに置く。マリスはじっくりとそれを眺めて微笑んだ。ファルケンはこういうものを作らせると、普段の姿からは見当がつかないほど、綺麗なものをつくった。
「ファルケンさんは、ホントに器用なんですね。ありがとうございます。ファルケンさんにも伝えてくださいね」
 マリスは微笑んだ。
「それから、マリスさんにお願いがあるんです。…実は、一つ預かってもらえないですか?」
 そういって、レックハルドはその袋から、そうっと手に一枚の金貨を差し出した。それには女神と鳥がそれぞれ表裏に描かれている。
「これ…ですか? 綺麗な金貨ですね」
 その反応から見るに、マリスは、おそらくその風習を知らない。
「ええ。それを預かってもらえませんか? オレがもっているとなくしそうで。…もし、オレが戻ってきたら、その時に返してください」
 レックハルドは笑いながら言った。
「そうですか。旅先だと不安ですものね。じゃあ、あたしが預かります。この髪飾りのお礼をかねて」
「ありがとうございます」
(これでいい。)
 レックハルドは思う。マリスはあの風習を知らない。知ったところで、彼がその意味をこめて渡したなど思いもしないだろう。マリスは、素直な娘だし、レックハルドの言葉ですら疑おうとしない。その可能性について、おそらく考えもしないに違いない。ただ、レックハルドから物を預かったことだけを覚えているだろう。
(……これでいい。もし、…オレが死んでも、これでこの子はオレのことを覚えていてくれる。それだけでいい。)
 レックハルドは、心の中の決意とは裏腹に明るい顔をした。
「それじゃ、オレはもう行かなければ…、あいつに随分待たせてますし」
「大切に預かっておきますね。ファルケンさんによろしく伝えてください」
 ええ、とレックハルドは答えた。そうして、迷わないように一気にきびすを返した。そのまま、早足で歩き始める。迷えば、きっとためらう。だから、迷ってはいけなかった。
「どうかお元気で!」
 マリスの声が後ろから追ってきた。レックハルドは手をあげて、そのまま歩き続ける。やがて、彼の背は小さくなり、黄色の砂埃が上がる道の果てへと向かっていく。マリスはその姿が見えなくなるまで、ただその背を無邪気に見送っていた。
 

彼が、その時、悲壮な決意を胸に秘めていたことも、彼が何を思っていたのかも、知ることもなく……
  
 





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©akihiko wataragi